My family, 我的家人、私の家族。

吾妻栄子

My family, 我的家人、私の家族。

「『パワー』は私には難し過ぎたし、『82年生まれ、キム・ジヨン』の方がずっと共感出来ましたね。主人公は私の叔母さんくらいの世代ですけど」

 紺地のコート姿の美咲ちゃんは白桃じみた両の頬に笑窪を刻んで語った。

 発言の内容よりもその笑顔に釣り込まれて私もステファンも頬が緩む。

 同じ中学のESSの一年後輩(といっても三月生まれの私と四月生まれの彼女で実年齢は一月しか違わない。一月末の現在は同じ十三歳)だが、この子は笑うと本当に可愛らしい。

「今度のスピーチのテーマにしたいんですけど、私の英語だとまだ難しい」

 この子は日本語では良い文章を書くのに英語に直そうとすると一気にぎこちなくなるのだ。

 この前のスピーチでも原案の文章は真っ先に日本語で書き上げたのに、英語のスピーチとして仕上げたのは一番遅かった。

 自分の書いた日本語の作文と電子辞書を交互に見ながら、まるで古代文字の解読でも課せられたように柔らかに真っ直ぐな黒髪のおかっぱ頭を抱えていた姿を思い出す。

 艶やかで柔らかな黒髪といい、滑らかに白い肌といい、円らな目といい、この子は童女型の日本人形に似ている。

 違うとすれば、表情が素直に変わるので日本人形のような笑顔に固定されたおどろおどろしさが無いことくらいだ。

「書けそうなテーマより興味のあるテーマの方が伸びるよ」

 私の横からステファンが声を掛けた。また少し声が低くなった気がする。三つ上の十六歳、高校一年生の兄は外でこうして日本語で話す時の方が大人びた声を出すのだ。

「そうですか」

 美咲ちゃんの頬が薄いピンクから濃いピンクに変わった。

 この子がステファンを好きなことは傍からも一目瞭然だ。

 南方的に浅黒い肌、固く真っ直ぐな黒髪、ギョロリとした鋭い感じに大きな目をした兄妹。

 私に関しては日本的な意味で「可愛い」という枠にはあまり入れられないが、ステファンにおいては「イケメン」という評価を受けやすい。

 また、気質としても一般的な日本人の男の子のように女の子に威張ったり横柄な態度に出たりそういう態度をかっこいいと勘違いしたりしないので好かれやすいようだ。

 ただ、ステファンには同じ学校にガールフレンド(もっと日本風に言えば『彼女』だが、恋人を代名詞で呼ぶのは私には違和感がある)がいるし、それも美咲ちゃんは知っているから明確なアプローチには出ない。

 というより、ステファンにガールフレンドがいなくてもこの子にとっては飽くまで「憧れのお兄さん」であって積極的に一対一の付き合いに発展させようと動くことはない気もする。

 ステファンの方でもそういう安心感からかこの子の好意をむしろ進んで引き出そうとする。

 私はこの二人を好きだが、自分がステファンのガールフレンドの立場だったらちょっと嫌だ。

 そんなことを考える内に車窓の風景が緩やかに駅舎に切り替わって、ガタンと止まった。

「じゃ、失礼します」

 美咲ちゃんは濃いピンクの頬のまま紺のコートの背を見せてドアの外に出ていく。

 車内に残る私たちにひやりとした風と共に淡い石鹸じみた香りが届いた。多分、美咲ちゃんのシャンプーかボディソープの匂いだろう。

「またね」

「また来週」

 私たち兄妹は手を振った。

 ガラス窓の向こうの相手は濃いピンク色の頬のまま手を振り返す。

 電車がまた緩やかに動き出して美咲ちゃんの紺色コートの姿はみるみる小さくなり、車窓は冬の夕暮れの、色とりどりの灯りが点った街並みを映し出す。

 今日は金曜日だ。いつもより多い荷物を抱えてシートに腰掛ける足に疲れが纏いついた。

 普段の週末ならこの疲れもさほど不快ではないのだが、今日だけは重苦しく感じる。

「家着いたら、すぐに荷物置いて出ないとね」

 ステファンがぽつりと呟いた。つい今までとは嘘のように固い表情だ。

「そんなに急がなくても問題ないよ」

 今日は約半年振りに両親と逢う日だ。

 ゴーッと水に潜るような音がして、トンネルに入った車窓が真っ暗になった。

 *****

「じゃ、ユウちゃんもケイちゃんも行くよ」

 珊瑚色のワンピースの上に象牙色のコートを羽織り、おとなしめの口紅を引いた、灰色の髪のお祖母ちゃんが声を掛ける。

 シンガポール生まれの私たち兄妹はステファン・スー、メアリー・スーという英語名の他に蘇志雄スー・ジーション蘇慧琳スー・フイリンという中国名も持っている。

 今、それぞれ通っている学校では、ステファンは中国名、私は英語名を主として使っていて、学校の友達からは「シユウくん」、「メアリー」とまるで別人種のように呼ばれている。

 そして、母方の日本人のお祖母ちゃんは小さな頃から「雄ちゃん」「慧ちゃん」と日本風の呼び方をするのだ。

 父親はいわゆる「華人」と呼ばれる中国系シンガポール人、母親は日台ダブルなので、私たち兄妹は半分はシンガポール人、四分の一は台湾人、そして残りの四分の一は日本人というややこしい血筋になる。

 日本の社会だと私たちは「四分の一だけ日本人で、後は中国人」という括りにされやすいが(多くの日本人の中では華人も台湾人も香港人も中国本土の人間と同じ『中国人』なのだ。そして、何故か自分たちより劣っていると見なす)、私自身は何人とも分からない感じがいつも付き纏っている。

 よその人に自己紹介する時は「メアリー・スー」がしっくり来るし、「蘇慧琳」という中国名は古い漢詩の文句のように自分であって自分でないようなよそよそしさを覚える。

 しかし、お祖母ちゃんから「慧ちゃん」と呼ばれると、その限りではそれが一番自分に合った名前に思えるのだ。

 半世紀近く前、まだ戦争の記憶が色濃かった時期に台湾人のお祖父ちゃんと結婚したお祖母ちゃんはもちろん中国語を話せるけれど、やはり日本にいて孫の名を呼ぶ時には日本人の子供に紛れるような呼び方をする。

 台湾人のお祖父ちゃんは物心付いた時には亡くなっていたのでどう呼んでいたか分からない。

「タクシーが来たよ」

 どこか凍り付いたアスファルトの匂いが漂う中、振り向いたお祖母ちゃんの顔は寒いせいか切れ長い目も鼻も少し赤く見えた。

 ママによれば、お祖父ちゃんの生前は一家で基本は台湾に暮らしつつ日本と往き来する生活だったそうだが、娘が独立しお祖父ちゃんが亡くなるとお祖母ちゃんは一人故郷の日本に戻って暮らすようになったらしい。

 孫である私たち兄妹も今はそのマンションでお世話になっている。

――台湾は気候も暖かくて良い所だった。

 お祖母ちゃんはかつて住んだ台湾については良いことしか話さないのに、何故こんな寒い日本にわざわざ帰ってきたのだろう。

 それとも、夫にも先立たれ、子供も手を離れた日本人女性が独り暮らすには台湾も色々と難儀な土地だったのだろうか。

「インターコンチネンタルホテルまでお願いします」

 お祖母ちゃんは運転手さんに告げた。お祖母ちゃんのこんな風に低く優しい声を通して聴くと、日本語は本当に美しいと思う。

 タクシー特有の金臭い匂いに混じってしっとりした蘭の香りが後部座席の私たちの間を音もなく漂ってきた。

 これはお祖母ちゃんがよそ行きの時にいつも点ける香水の匂いだ。

 車は藍色の夕闇に街灯が浮かび上がる道を静かに走り出した。

 *****

「しばらくぶりだね」

 琴のBGMが流れる中、パパの丸い顔が微笑む。

 パパの顔は蜂蜜かメイプルシロップを掛けたホットケーキみたいだといつも思う。

 シンガポールに生まれ育ったパパの肌は子供の私たちよりもう一段階茶色いのだ。

 ただ、今年五十歳になるパパは艶やかに丸い顔はそのままで髪には半年前より白い物が目立ち始めた。

「二人ともまた背が伸びたのね」

 日台ダブルのママは逆に子供たちよりもう一段階水で薄めたように白いが、これは日本人のお祖母ちゃんの血筋だ。

 ただし、隣の珊瑚色ワンピースのお祖母ちゃんは更に漂白したように白い。

 エメラルド色のツーピースを着たママは纏め上げた髪は漆黒、アイラインを引いた目は切れ長い点はお祖母ちゃん譲りだが、目尻は優しげなお祖母ちゃんに比してやや吊り上がっており、唇にはローズのルージュを色濃く塗っている。

 日本的な感覚からすると、派手できつい印象も無くはないが、四十二歳のママは海外生活が長いせいか同世代の日本人女性よりアクセントの強い服装や化粧をする(日本人女性はもの柔らかでどこか幼い雰囲気の人が目立つ)。

「私もやっと百六十センチになったよ」

 でも、ママの百六十八センチには及ばないだろう。

 そう思うと、寂しさと安堵が入り交じった気持ちになった。

 ヒールを履けば中背の男性を追い越してしまうような女性は、特に日本では微妙な扱いになる。

 けれど、子供の頃、友達のお母さんたちの中でも一際すらりと背の高いママの姿を見出だすと、誇らしい気持ちになったものだ。

「雄ちゃんもお祖父ちゃんの昔の服が着られるようになったの」

 お祖母ちゃんも笑顔でママに告げる。

「あの人、大きかったから服は大体、特注だったんですよ」

 パパに伝えるお祖母ちゃんの表情が笑顔のまま懐かしげになった。

 お祖母ちゃんの寝室に飾られた写真では、制服姿のママを挟む形で頭半分背の高いお祖父ちゃんと頭半分小柄なお祖母ちゃんが映っている。

 ステファンが百七十八センチだから、お祖父ちゃんも一八〇前後だろう。戦後すぐに生れた台湾人男性としては恐らく特大の部類だ。

「そうですか」

 パパはぎこちない日本語で頷いた。パパは百七十センチちょっとなのでヒールを履いたママと並ぶと同じくらいだ。

「カクセイイデンでしょうね」

 一瞬、間を置いて「隔世遺伝」と頭の中で置き換えられる。

 パパの日本語はお祖母ちゃんの英語よりは流暢なので、お祖母ちゃんのいる席では必然的に家族全員が日本語になるけれど、そうなると、パパが一番固い話し方になる。

 加えて、家族四人で英語を話している時と比べて本音を抑えている感じになるのだ。

「オトウサンは日本人より日本人らしかったから」

 琴の音色が静かに響く中、パパは寂しく笑った。

 亡くなった台湾人のお祖父ちゃんをパパは日本式に『オトウサン』と呼ぶ。

「家にあるのも日本語の本の方が多かったしね」

 ママが呟いたところでふわりと香ばしい醤油の匂いが届く。

「お待たせ致しました」

 ママより少し若いくらいの、和服を着た仲居さんが微笑んで告げた。

 テーブルの上に五人分の膳が次々並ぶ。何もない時はだだっ広く感じたテーブルが急に狭く感じる。

「じゃ、いただきます」

 全員で日本式に挨拶をして箸を着ける。

「お祖父ちゃんの古い本も処分しようかと思ったけれど、慧ちゃんが読んでるから良かった」

 お祖母ちゃんが思い出した風に言い出した。

 漱石、鴎外、芥川、太宰、大江健三郎、ドストエフスキー……。お祖父ちゃんの古い書棚にはページが茶色くなった日本文学の本や海外文学の翻訳書が並んでいる。

 私としては日本語の勉強もあるが、一種の歴史ドラマを楽しむようなつもりで紐解いている。

「それは良かった」

 パパはまた寂しく微笑んだ。そうすると、何だか妙に老け込んで、「おじさん」から「おじいさん」に近付いた雰囲気になる。

 三年前、パパはニューヨーク、ママはバンクーバーにそれぞれ仕事で行くことになり、私たち兄妹は日本のお祖母ちゃんの家に預けられた。

 妻子と離れて一人ニューヨークで働くアジア系のパパが根深いストレスを抱えているであろうことは子供の私にも察せられる。

 バンクーバーで暮らすママも同じだろう。

 もちろん、両親とはほぼ毎日スカイプで話している。

 しかし、直に顔を合わせてみると、確実に何かが互いに変わっているのだ。

 これは離れて暮らしてからたまに逢う度に感じることだ。

「前にも言ったけど」

 ステファンが意を決した風に口を開いた。

「俺は大学はアメリカの方に行くつもりだから」

「そう」

 ママの顔が晴れやかに笑った。

「それがいいだろうな」

 パパも今度は曇りのない笑顔だ。

「頑張らないとね」

 俯いて箸を進めるお祖母ちゃんの横顔だけが寂しい。

 BGMが琴から尺八の音色に変わった。この日本の笛の音を聴く度に人のむせび泣く声に似ていると思う。

 抑えた静かな音色なのに、しめやかな響きが胸の奥で尾を引く感じだ。

*****

「それじゃ、私たちは来週の金曜日までこちらにいるから」

「うちにもいつでも来てちょうだい」

 ママとお祖母ちゃんのやり取りをしおに私たちはまた二手に分かれてエレベーターを待つ。

 パパとママは宿泊先の部屋がある上の階行きのエレベーター。

 お祖母ちゃんとステファンと私はエントランスのある下の階行きのエレベーター。

 夕飯時のせいかどちら行きもなかなか来ない。

「インフルエンザ、流行ってるみたいだから気を付けて」

 ママの手が不意に私の肩に置かれた。陰になったアイラインの奥の瞳は潤んで見える。

「分かった」

 シンガポールにいた頃はしょっちゅう熱を出して寝込んでいたのに、もっと寒い日本に来てから風邪一つ引かないのは皮肉だ。

「私もこの前、風邪で熱が出て辛かったよ」

 パパは笑って肩を竦めた。東洋人の顔をして流暢な日本語を話していてもそんなリアクションで日本人ではない雰囲気が浮かび上がる。

「ニューヨークはここよりもっと寒いから」

 娘とは逆で、シンガポールにいた頃は病気と無縁だったパパは寒いニューヨークで体調を崩したらしい。

 父娘で暑さ寒さへの耐性が反対なのだろうか。

――ピンポン。

 不意に目の前にあるエレベーターの扉が開いた。

 下りが先に来たらしい。

 先客である背の高い中年の白人夫婦がこちらに眼差しを向けた。

「じゃ、お先に」

 パパとママに会釈するお祖母ちゃんに肩を押される形でエレベーターに乗り込む。

 狭い空間に白人特有の体臭とお祖母ちゃんの蘭の香水の匂いが混ざり合った。

「気を付けてね」

 両親の笑顔が扉の向こうに消えた。

 体がふわりと浮き上がる感触に襲われて、エレベーターは下に向かう。

 *****

 エントランスを出ると、寒いというより微かに痛い風が頬を通り過ぎた。

 日が暮れたばかりの時にはここまでではなったのに、冬の夜は同じ暗さのまま冷え込んでいくのだ。

「帰りは電車でいいかな」

 お祖母ちゃんは穏やかに告げると象牙色のコートの背を見せて駅へと歩き出した。

 磨かれた氷のような電灯できらびやかにライトアップされた道だ。

「お祖母ちゃん」

 私の隣でステファンが不安げに呼び掛けた。

「なに?」

 振り向いたお祖母ちゃんの顔は陰になったせいで皺が消し飛んで蒼白い雪女じみて見えた。

 眠っている子供たちを置いてこれから吹雪の山に戻ろうとしている、異界の女。

 何故かそんな風に映った。

「怒ってる?」

 問いながら三つ上の兄は目を落とす。そんな風にすると、体が大きいだけに余計に顔の幼さが目立った。

「どうしてそんなこと思うの」

 雪女が朗らかに笑うお祖母ちゃんの顔に戻ってコートと同じ象牙色の手袋を嵌めた手が孫息子の肩を叩いた。

 私たちは三人横並びになって再び歩き出す。

「雄ちゃんにはもう目標があってアメリカの大学に行きたいんでしょ」

 ステファンが通っている学校はエスカレーター式で大学まで行ける所だ。

 三年前、私たち兄妹はそれぞれ公立の小学校、中学校に編入した。

 私はすぐ中学受験して翌年には今の私立女子校に入れたからまだ良かったが、ステファンは通った公立中学では「中国人」「不法滞在」と執拗にいじめられて悩んだ。

――ここの高等部なら帰国子女の子も多いし、いじめられない。

 学費こそ両親が払っているものの、強く奨めたのはお祖母ちゃんだった。

 そもそもここの大学はお祖父ちゃんが留学生として通った母校でもあったから、お祖母ちゃんとしてはステファンにそのまま大学まで進んで欲しいのではないかと私たち兄妹は感じていた。

 もっとはっきり言えば、いずれは別に住むにしても、私たちに日本にいて欲しいのではないかと。

「お祖母ちゃんがあなたたちの希望に反対する理由はどこにもないよ」

 見上げた空は灰黒色の雲が星を隠しつつ私たちとは逆の方に流れていく。

 振り向くと、今しがた出てきた船の帆の形をしたホテルの窓が蜜色の灯りに輝いていた。

 あの窓の一つにパパとママもいるのだ。

「リナも昔、日本や台湾ではなくシンガポールの会社へ」

 不意に出たママの名に驚いて向き直った。お祖母ちゃんの懐かしげに微笑んだ目とぶつかる。

「“もっと、可能性のある所に行きたいから”と」

 ママの名は林利那リン・リナ。日本語でも中国語でも同じ読みになるように「利那」と付けたのだと昔、本人から聞いた。

 恐らくお祖父ちゃんお祖母ちゃんはそういう形で日台ダブルで生まれた娘のアイデンティティーに配慮したのだろう。

「一年後には“レイモンドと結婚する”と」

 パパの英語名はレイモンド・スー、中国名は蘇興發スー・シンファという。

「皆、自分の行きたい所に行って暮らすのがいいの」

 お祖母ちゃんが見上げて笑う目線の先を追うと、灰黒の雲の去った星が白く瞬いていた。

「私もそうしてきたから」

 静かに付け加えた声は蘭の香りと共に夜の闇に漂い去っていくように思えた。

「ありがとう、お祖母ちゃん」

 ステファンはまだ叱られた子供のように俯いている。

「早く帰ってあったかいお風呂に入りましょう」

 お祖母ちゃんは象牙色のコートの背筋をピンと伸ばすと、まるでピアノのスタッカートのように足取りに弾力を付けた。

「柚子、また買ってきたの」

 私に向かってどこかいたずらっぽく笑う。

「ありがとう、お祖母ちゃん」

 寒い日本で風邪一つ引かずにいられるのは、お祖母ちゃんが毎晩栄養のあるご飯を作って食べさせたり柚子湯に入れてくれたりするおかげかもしれない。

「そうだ、ここにいる間、パパにも柚子、分けてあげようか」

 私の言葉にお祖母ちゃんは苦笑いする。

「前に柚子茶は喜んで飲んでくれたけど、お風呂はどうかな」

 ステファンがおどけた風に告げる。

「パパ、ライムが好きだからそっちで代用してもらえば大丈夫だよ」

 暖かな駅ビルに入っていく私たちの背後でボーッと汽笛の音が幽かに響いた。(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

My family, 我的家人、私の家族。 吾妻栄子 @gaoqiao412

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ