4-4-3 エピローグ その3
コンコン、と北條嘉守の自室ドアが鳴る。力のこもった重い音だった。北條嘉守が「どうぞ」と入室許可を出せば、それを待ち構えていた弓削清躬がしめやかに入室する。彼は部屋を見回し、どこにも
「日本時間で明朝六時だ」
「……早いですね」
二つの意味で、北條嘉守はそう言った。
昨日の今日で、新・蕃神信仰から連絡があった。明朝六時に接触する、とだけ。弓削清躬はそれを伝えに来た。
「合意が為されれば、そのまま『移動』となろう。準備だけはしておくように」
「はい……分かっています」
といっても、大々的な準備を行えばMCG機関に悟られてしまう
特に、
彼女は新・蕃神信仰へ通じる事を厭うた。兄が死んだ理由は蕃神信仰、そしてその同盟である現代魔術聯盟にあるのだと譲らなかった。またそれ以上に、草部仍倫の亡骸から離れたがらなかった。彼の亡骸は、研究対象として近衛旅団とMCG機関の共同管轄にある。回収して『移動』するのは難しいだろう。残念だが、置いてゆくことになる。
そういう訳あって、終ぞ草部萌禍の頑なな態度を崩すことは叶わなかった。
こうなっては仕方ないと、北條嘉守は草部萌禍をMCG側へ託す決断をした。団体様ならともかく、一人ぐらいなら精神・記憶を精査された後は匿ってもらえるかもしれない。そう思っての判断だった。
「せめて、天海祈あての書き置きぐらいは……残しておこうと思っています」
「……助命嘆願か」
「はい」
「それが良いだろう」
弓削清躬は暫し目を伏せ夭折の草部仍倫を惜しみつつ、しめやかに部屋を出ていった。
明朝六時。
突如として、現代魔術聯盟がMCG機関へ攻撃を開始した。その理由は『別地球αとの縁を切らなかった為』との声明文が攻撃直後に発された。
その混乱に乗じ、近衛の大半は新・蕃神信仰と接触。その大部分で合意が為され、近衛の大半は忽然とMCG機関から姿を消した。
一方、この激動の中に一人取り残された草部萌禍は、がらんどうとした東京支部九階を後にし、東京支部ビルの屋上へと向かった。
屋上では、天海祈の分体が書き置きを眺めながら草部萌禍が来るのを待っていた。分体は書き置きから目を離し、ふっと鼻で笑った。
「あのお嬢様は随分とお優しい事で」
「うん。……
「駄目だ。奴らにはまだ少しだが『役』がある。近衛旅団を率いるという大事な『役』がな」
事態の急転に欠片も混乱することなく静かに言葉を交わす二人の側に、転移系
全て、時刻通りだった。
赤樫浮葉が気取った仕草で手を差し伸べると、草部萌禍は恥ずかしそうにその手を取る。それを見届けた分体が足元から溶けてゆく。
「ではな、せいぜい達者で暮らせ」
「……ありがとう!」
草部萌禍が短い礼を発するや、彼女と赤樫浮葉の身体が重力の枷から解き放たれふわりと浮き上がり、スペースジェット機も斯くやという速度で成層圏を突破し、宇宙と地球の狭間で暫し漂った。
宇宙空間の黒は人の生存圏外。否応なく不安を煽られる。が、異能の作用か寒くもなく、息も苦しくなかった。
やがて、再び重力に引かれて二人は落下を始める。
そして――トン、と速度からすると余りに不自然な軟着陸を遂げた。そこはとある山奥に建てられた立派な西洋屋敷の前。ここが、今日から草部萌禍の住処となる。
「あなたも送迎してくれてありがとう!」
「いえいえ。では」
言葉少なに赤樫浮葉は再び空へ昇ってゆく。これから草部萌禍に待ち受けている事を思うと、あまり干渉するのも憚られたからだ。
赤樫浮葉が完全に豆粒ほどの大きさになるまで見送ると、草部萌禍は弾かれたように屋敷へ向かって走り出した。
「会える、会える……また兄ちゃんに会える……!」
門を押しのけ、庭の
「兄ちゃん!」
「――おっと! ははっ、元気が有り余ってるな」
「良かった……生きてた! ホントに生きてた……!」
「そう言っといたろ?」
「でも、でも……!」
上手く感情を言葉に出来ない草部萌禍を、草部仍倫は優しげな微笑みを浮かべながら抱きしめ返した。
彼は生きていた。
あの日――弓削清躬によって宮城支部へ派遣された時、既に『取引』は済んでいた。草部仍倫は、近衛旅団の動きをMCG機関 (天海祈)へ流し、その情報が本当だった場合は援軍到着まで宮城支部の防衛を務める代わりに兄妹ともども一抜けさせてくれ、と要求した。
天海祈はこれを了承した。そして、巧妙にレヴィをけしかけ、あらかじめ草部仍倫の体内に潜り込ませておいた《
「さあ、早いとこ中に入ろう。山奥だから虫が多いんだ」
「うん……」
「朝飯にしようか。もう、作ってある」
「……私、兄ちゃんの作るご飯好き……」
「おう、たんと食え。当分は、金や食料の心配はないからな」
兄妹は、互いに身を寄せ合いながら屋敷の中へ消えていった。日用品や食料品、衣料品などはMCG機関が世話をすることになっている。が、それも長続きはしないだろうと草部仍倫は考えていた。
いや、長続きしないのは……。
やっと見つけた安寧の地で、これから兄妹は幸せに暮らしてゆくのだろう。いつまでも、いつまでも。巨大なる死がふたりを分かつまで。
*
「さて……ここまでは概ねお前の計画通りか、四藏匡人よ」
無人の東京支部九階にて、天海祈は北條嘉守の残した書き置きを眺めていた。
北條嘉守……約束は守るさ。
天海はクシャリと書き置きを握りつぶした。
もう、草部兄弟に与える『役』はない。彼らは十分に働いてくれた。あとは、完結の時を迎えるまで穏やかに過ごしてもらって全く構わない。
「詰めは甘いし、全体的に無鉄砲で強引だが……どうしてだろうな、何をしても阻止できないような錯覚に襲われるのは」
まあ、元より阻止する気など毛頭ないが、とボソリと付け足し、丸めた書き置きに火を付け焼却処分する。灰皿の上に放り込まれた揺らめく炎は、あっという間に書き置きを燃やし尽くし灰燼に帰した。
「お前の全てを私に見せてくれ。世界の全てがお前を押し上げる……祝福されているのだぞ。感じる筈だ。人の身にあまる運命の寵愛を。五千年前の私と同じ……いや、お前は私を越えねばならない。少なくとも私以上の存在にならなくては」
目を閉じれば、瞼の裏に四藏匡人の存在がぼんやりと浮かび上がってくる。しかし、長いこと本体で対面せず分体で相手をしていた所為か、その造形は曖昧模糊としていた。
思えば、あの時以来か。
もう数えるのも億劫な回数の
初めの違和感はちょっとした時間のズレだった。それ自体はほんの些細なことでしかないが、間違いなくこの成長を暗示する吉兆だったのだ。
せこせこと他人の銭を掠め取ることしか能のない小悪党が、よくぞここまで己を練り上げた。発育環境、教育環境、職場環境……これまでに与えた全てが奇跡的に組み合わさった結果の賜だろう。
良くやった、可愛川瞳。
やはり、今回は身につけた《異能》が良かった。
とすれば、素体の方にも感謝しなければならないだろう。新条正人……生前の彼は犬の餌にもならない無毒無栄養の凡人だったが、クローンの素体としては十分な適性を持っていた。
死後に一花咲かせたな……!
「嗚呼、狂おしい程にお前の
昂ぶりを抑えきれなかった。だが、会いにゆけるわけもない。行けば全てが台無しになってしまう。けれども、会いたい。身を焦がすようなジレンマに苛まれ、じっとしていられなかった天海祈は、当てど無く部屋中をぐるぐると歩き回る。それはそれは楽しそうに。
その表情は、まるで我が子を思う母親のようでもあり、さながら恋に恋する生娘のようでもあった。
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