4-4-2 エピローグ その2



 拡張領域内にジェジレㇿに連れられた三つの影が現れた。三班の班長・Третийトレーチィと、AECOMのイサ、そしてリガヤ・ババイランだ。

 拡張領域――AECOMも存在は伝え聞いているが、その実態は全く未知の世界。全員で出向いて全滅など洒落にならない。AECOMは、まず様子見の生贄としてイサとリガヤの二人を送り出した。選考理由は、最初期から蕃神信仰との同盟を積極的に主張していたからだが、イサは元より蕃神信仰側クローンの為、実質的にはリガヤ一人が生贄だった。因みに、リガヤはイサに関する全てを知った上でここにいる。

 送迎を終えたジェジレㇿが消え、Третийトレーチィは虚空へ向けて『伍子胥wǔ zǐ xū!』と呼びかける。すると拡張領域そのものが蠢き出し、黒を塗り固めたような椅子を形成した。

 リガヤは促されるままおずおずと椅子に腰を下ろした。不思議な感触だった。中身のぎっしり詰まった黒、しかし固くはなく柔らかい。


『もう、通訳は必要ない。掛けて聞いてくれ』

『言葉がっ……!?』


 リガヤが驚くと、隣のイサが『伝わる』と頷いた。Третийトレーチィが詳しい説明を引き継ぐ。


『別地球αにいる……太子様とかいう奴の【能力】らしい。すぐに他のメンツも来るだろうから、ちょっと待っていてくれ』


 と、言うが早いか、一班・四班の班員一名と近衛二名の組み合わせが二組転移してきた。近衛の方には、それぞれクローンのون ٴبىرon bir(11番目)とSiaシア Deugデウグ(16番目)が混じっている。

 五班はトチり、二班は予定外の天海祈の動きにより、情報部に入り込んでいるクローンによる派遣勢力の操作が上手く行かなかった為に不在だ。

 これで全員だ。皆が新たに形成された椅子に着席した所で、『手短に行こう』とТретийトレーチィが矢庭に切り出す。今、時間的猶予は少ない。


『まず、我々新・蕃神信仰の話をする前に……の繋がりについて話しておこう』


 事情を知らぬ近衛が密かに驚く。蕃神信仰の内部でクーデターのようなものが起こったという話は聞き及んでいたが、現代魔術聯盟と新・蕃神信仰の繋がりは初耳だ。


『我々クローン率いる新・蕃神信仰はこの拡張領域内を完全に掌握した。その際、旧・蕃神信仰の上層部に居たのは、忌術師という現代魔術聯盟が目の敵にしている勢力だと発覚した。実をいえば、現代魔術聯盟が別地球αの勢力を見境なく敵視する理由は忌術師こいつらにある。厄介なことに、蕃神信仰だけでなく近衛にも忌術師は多数混じっているらしい。

 現代魔術聯盟の要求としては、忌術師こいつらの炙り出しと始末にさえ協力してくれるのならば、身の安全ぐらいは保証してやるが、協力しないようならば忌術師の仲間と見なし纏めて排除する……との事。実際、我々は忌術師の身柄と引き換えに現代魔術聯盟と盟を結ぶことができた。

 加えて、現代魔術聯盟は、君たちが別地球αへ無事に帰還できた暁には纏骸皇の側に立ち、まだ別地球αに蔓延っている旧・蕃神信仰勢力の討滅を手伝うとも言っている。

 以上のことから、君たちには我々新・蕃神信仰、現代魔術聯盟と盟を結ぶに足る大義名分があると思われる』


 裏で糸を引いていた忌術師なる存在……その虚実はこの際どうでもいい。

 明らかに戦力比重が偏っている。

 こうなると、是が非でも同盟こちらに身を寄せねば危うい。

 また、個人の保身を別にしても、差し伸べられたこの手はやはり取るべきだ。近衛は蕃神信仰を討ち滅ぼす為に派遣されてきている。Третийトレーチィの言う通り『大義名分』は確かにある。将来的に、現代魔術聯盟が別地球αで対蕃神信仰戦線に参加してくれるというのも魅力的だ。纏骸皇も、要らぬ争い事を抱えて帰還されるより、一時的な仮初のものであろうと協力関係を結んで帰還される方がお慶びになることだろう。

 しかし、AECOMのみならず、新・蕃神信仰と密通する近衛全体で取引材料の不足が問題化されていた。

 これまで述べられたのは、現代魔術聯盟の要求が殆ど。一体、新・蕃神信仰の方は盟の見返りに何を要求してくるつもりだろうか。事と場合によっては、お破産からの敵対をする羽目になる。その場合、特使として敵地に来ている彼等はほぼ間違いなく死ぬだろう。

 Третийトレーチィは、近衛の者たちが情報を飲み込み終えた所を見計らって、話を続ける。


『新・蕃神信仰は、先程述べた現代魔術聯盟の立場とほぼ同じと見てもらって構わない。近衛を含む別地球α勢力、また纏骸皇に対して敵対の意思はない。興味もない。但し一つだけ違うのは忌術師への関心はないという事。今回、君たちに接触をはかり、ここまで呼び出した理由は唯一つ――ここを帰還までの安全な隠れ家として提供する代わりに協力して貰いたいことがあるのだ』

『それは……一体、何なんだ?』


 リガヤがおずおず尋ねると、Третийトレーチィは言った。


『天海祈を殺したい』



    *



 夜。月光が別地球の裏から優しく地上を照らす穏やかな夜。

 唐突に、首相官邸の執務室へ天海祈の分体が現れた。


「こんばんは。良い夜だな、内閣総理大臣 龍崎道慈りゅうざき どうじ

「き、きみ、どこから――って、これは異能者ジェネレイター相手には意味のない質問……か? 異能者ジェネレイター? 私、私、私、私は何を……」

「――それで、危急の用事とは何ごとかな?」


 一時、天海祈の分体を見て錯乱した龍崎だが、すぐに正気に返ると異能者ジェネレイターに良いようにされている現状を憂い、抗議を開始する。


「アァ! それより、どういうことかね!」

「はて、何のことでしょう」

「とぼけるな! 自衛隊を勝手に動かしたことだ! 文民統制シビリアンコントロール! 日本国憲法66条2項に於いて、最高指揮権は内閣総理大臣・国務大臣の手に委ねられている!」

「ですから、ちゃんと事前に貴方の許可を頂きましたよ」

「そんなことを許可した覚えはないぞっ! あまつさえ、街中で現代戦車の主砲をぶっ放すなど……!」

「……ふう」


 分体はさして反論することなく、至極めんどくさそうに溜め息を付いた。龍崎総理は自身の考えが正しかったとの確証を得る。


「イジったな!? 我々の脳を、意識を! 誰も、この状況を変だとは認識できて――!」

「ふむ……抜け出せることは抜け出せる」


 天海は目の前で喚き立てる龍崎を無視して独りごちる。


「しかし、それ以上の能動的行動は未だ抑制できているようだな。世間に公表でもされたら面倒なことになる所だった。そうならなかっただけでも、今日は良しとしよう」

「何を言っ――が、ぁっ!?」


 突如、背後から急襲した《靈瑞みず》が龍崎の頭部に取り付き、そのまま穴という穴から内部へ侵犯し始めた。分体はタブレット端末を操作し、新たに『再洗脳命令』を出す。


「……やはり、洗脳では駄目だな。《異能》でも【武装励起】でも[魔術]でも……人間は常に変化し続けるナマモノ。ある時点で完璧な洗脳も、三日後にはあちこちに綻びが生じて穴だらけだ。よく考える機会が与えられている者ほど早い。今回はこいつにも命令を出させすぎたか……まあ、情報との関わりが薄い一般人以外は根気よく定期的にやるしかないだろうな」


 MCG情報部の多忙は、主にこの『再洗脳作業』に起因していた。世界各国の首脳陣だけでもかなりの数、地元の名士やマスコミ、行政機関、大企業の社員などを加えると、洗脳しなければならない人数は山のように積み重なってくる。


「そうだ、洗脳では駄目なんだ……抜け出すだけでは。だから、四藏匡人よつくら まさとよ……」


 痙攣しながら気絶する龍崎に背を向け、分体はずぶずぶと床に溶け入ってゆく。


「お前の自由意志を見せてくれ」



    *



 宮城支部支部襲撃、研究部襲撃、近衛の一部との接触が成功裏に終了してから一日後、Третийトレーチィくんが俺を見舞いにきた。そこらに突き出た黒い塊のような椅子に座り、いつもどおりにバカ真面目な視線をまっすぐ俺へ向けてくる。


『お身体の方は大丈夫ですか?』

「いや、もう全然バッチリなんだけど、みんな過保護でさぁ……まだ暫くは安静に、ってね」


 病床に寝そべりながら、俺は肩をすくめてみせた。別に無理をしている訳ではなく、本当に身体はすっかり完治している。俺以外の班員も、帰還できた者は既に全員現場復帰している。ただ、次の行動までには若干のいとまがあるので、大事を取って休むように懇願されただけだ。まあ、特にすることもないし、ここは皆の好意に甘えておこう。


『昨日、呼びつけた近衛は皆、こちら側の要求を承諾致しました。残りの見込みある近衛への接触も、滞りなく近日中に行われる予定です』

「おお、それは良い知らせだ。お疲れ、よくやってくれた」


 予定では、何度かまた騒ぎを起こし、混乱に乗じて接触することになっている。恐らく、消費した以上の兵隊コマは揃えられるだろう。収支はプラスだ。


「連れてきた研究員からは?」

『やはり、何の情報も得られませんでした』

「ふーん……俺の【短剣】も効果なしだったか。つまり、彼等は本当に最初から何も知らなかった訳だ。もう要らないから機を見て帰してあげてよ」


 俺の言葉にТретийトレーチィくんは頷き、『報告は以上です』と締めくくった。しかし、中々腰を上げない。……やっぱり君もか。


「で、本題は? まさか、そんな報告だけをしにきた訳じゃないだろう?」

『……ああ、そうだ。やはり、匡人には分かってしまうか?』

「おいおい、変なヨイショはやめてくれ、照れるぜ。誰にでも分かるよ」


 Третийトレーチィくんは態度を緩め、いくらかラフな口調になった。仕事モードは終わりという事だ。しかし、どうもむず痒い。こうなるよう動いたのは確かに他ならぬ俺だが、こうも真っ正面から作為なしに来られると……困る。俺に、尊敬やら好意やらを受け止めきるだけの度量がないからだ。

 彼は間違いなく良い奴なのだが、少し素直すぎる嫌いがある。「彼は」というより「クローンは」というべきだろうか。何分、我々は必要最低限の知識を脳に植え付け世界に放り出された三歳児。生存の為には早急に周囲から情報を学び取らなければならない故に、分別なく色々なことを吸収してしまうのだろう。良いことも悪いことも、乾いたスポンジのように。

 Третийトレーチィくんは呼吸を整え、もう一度覚悟を固め直してからこう言った。


『俺の資料を見せてくれないか?』


 予想通りの言葉だった。というか、それぐらいしかない。ついでに言えば、彼で三人目、予想ぐらいはつく。褒めてもらうほどのことじゃないのだ。

 昨日の事。俺は入手した資料を全面的に公開するつもりだったが、その前にクローンの一部が妙なことを言い出した。

 この資料の内容は、個々人のアイデンティティに直接に関わってくる情報が満載。だから、プライバシー保護の観点から公開は止めてくれ、と。

 今更、アイデンティティやらプライバシーやら、何を繊細なことを言い出すのかとも思ったが、断る理由もないので俺はそれを了承した。資料は俺が一括管理する事とし、申し出てきた者へ渡すという形となった。当然、俺も当人の許可なくば閲覧はしない。


「はいはい。これが、Третийトレーチィくん……の素体、アレクサンドル・ラーザレヴィチ・スミルノフの資料ね」


 資料を手渡すと、Третийトレーチィくんは食い入るように読み始めた。

 資料に書かれている内容は、そう驚くほどでもない。クローンの素体となった者の素性・来歴とか、試験管内での発育の経過とか、まあそんな所。予想できる範疇の内容だ。言ってみれば、研究員たちのつけた母子手帳みたいなものか。

 特筆すべき点は、地球素体のクローンは《異能》を、別地球α素体のクローンは【武装励起】を例外なく発現する事だろうか。その能力は、素体とは全く関係のないものになるそうだ。

 因みに、俺の素体は地球生まれの変異者ジェネレイター新条正人しんじょう まさと(死亡済)、15歳。若くして病死した彼の体細胞を、人工的に作り出した試験管内の受精卵に『核移植かくいしょく』し(ホノルル法。細胞核を未受精卵に移植する方法)、異能的な補助を与えて、素体とほぼ同年齢にまで成長させたそうだ。

 それと、認識票ドッグタグの掠れた文字も判明した。


《NO.fa81+4 新条正人》


 あれは、もともとはこうだったらしい。

 前半の『fa81』は、恐らく16進数の『64129』だろう。MCGにも使われていたので、すぐに気付けた。その意味は全く分からないが、他の者にも同じ『fa81』が刻まれている所を見るに、恐らくは共通の規格か何かを示す数字だろう。後半の『+4』は、被驗體ひけんたい番號ばんごう肆=『4体目の+ (成功例)』という意味だそうだ。『-』だと失敗例のナンバリングとなる。

 という風に、まあ、知った所で「だから?」という程度の糞くだらない情報……と俺は思っていたのだが、他のクローンに取ってはそうでもないらしい。前に来た二人と同様に、Третийトレーチィくんは涙を流して礼を言う。


『ありがとう……! ありがとう……!』


 憐れに思った俺は、彼の頭を病床まで抱き寄せ、しゃくり上げる背中をポンポンと優しく叩いてやる。

 もしかして、初対面時の六道鴉が言っていた『きっと私に感謝する』とは、この事だったのだろうか? 実際にの六道鴉がどこまでで言っていたのか、意図的にイレギュラーを引き起こしている今となっては確認のしようもないが……だとしたら、拍子抜けというか、期待はずれも良いところだ。


匡人まさとが居なければ……俺は自分が何者なのかも、何処へ迎えば良いのかも分からなかった……! 匡人は、俺たちクローンの救世主だ……!』

「大袈裟だな」

『大袈裟なんかじゃない。本気でそう思ってる……!』


 それは目を見れば分かるよ。俺は、日本人の得意技である曖昧な愛想笑いでその場を切り抜けることにした。

 やはり、ちと素直すぎるな。

 どうにかこうにかТретийトレーチィを落ち着かせ部屋から出て行かせた後、ここを見ているであろう伍子胥wǔ zǐ xūに向かって一時面会停止のサインを出した。黒い壁が蠢き、ドアが潰される。これ以上ない「了承」の示し方だな。

 一息ついて、俺はもう一度自分の資料を眺めてみた。

 ここには、期待していたような情報は含まれていなかった。単に、俺たちクローンの情報だけで、αは書かれていなかった。

 もはやゴミ同然の価値しか見出だせない資料をぞんざいに枕元に投げ置き、研究部で得たもう一つの資料――纒骸てんがい因子埋込手術被驗體けんたい名簿を手に取る。

 その名の示す通り、旧・蕃神信仰が行った纒骸因子埋込手術を受けた被驗體けんたいの名が書かれた資料だ。その中には、俺含む地球素体のクローンの名 (ナンバリング)も確認できた。つまり、俺以外の地球素体クローンも【骸】を使える訳だ。また、異能因子埋込手術の方の資料は手に入らなかったが、恐らく別地球α素体のクローンも《異能》を使える事だろう。

 それらが俺以外に発現していない理由は全くの不明である。これは仮説だが、クローンは感情の起伏が薄い所為ではないかと思う。俺が【短剣】を発現させた時は、激しい憎悪が引き金となって、自然と己の内から引き出されたような覚えがある。或いは、その可能性に気付いていなかった、という事も影響しているのだろうか。俺の場合は、藤莉佳子ふじ りかこという例外が身近に居た事で、何らかの処置を受けなくとも【骸】を発現できる可能性を認識していた。ということは、彼等も手術を受けたという事実を知れば、そのうちに発現するかもしれないな。

 いずれにせよ、それも今更のことだがな。計画は、現在保有している能力だけで遂行できるように立てている。これ以上増えた所で、少しばかり楽になる程度のこと。戦力は現代魔術聯盟と近衛への勧誘で十分すぎるほどに潤っている。

 しかし、こっちには有用な情報もあった。纒骸因子埋込被驗體けんたい名簿には、の名も乗っていたのだ。彼女の特記事項には、人体とそれ以外の認識に異常を抱えていたことが記されている。彼女が死の直前、俺に言ったことは事実だったのだろう。殺してしまったことは取り返しがつかないが、申し訳ないことをした。

 それ以上に重要なのは、ここに藤莉佳子の名が乗っていたという事実。これはつまり、彼女と俺が邂逅したのもまた、天海の仕掛けということを示唆している。


「ああ、決行の日が本当に楽しみだ。計画は、遂に最終段階へと突入する……!」

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