4-3-4 宮城支部襲撃 その3
「援軍到着――レヴィ少尉と
「そうか!」
ヘッドセットから入ってきた報告に喜色を滲ませる草部仍倫。少なからず、限界を感じていただけに命拾いをした気分だった。
既に、だいぶ毒が回っている。心臓が早鐘を打ち、呼吸に苦労するようになり、全身の感覚が遠いてゆくのを感じていた。そればかりでなく、天に輝き昼間のような明るさを維持している[
そんな状況もこれで終わるとなれば、草部仍倫も喜びようも、さもありなんというもの。
「我々は順次分体と入れ替わり撤退致します! 血清も用意してあるとの事ですから、隊長も――」
「いや……その前に、こいつらの引き継ぎを済ませなければならないのでな。先に行って待っていてくれ……なに、すぐ追いつくさ」
背後を振り返ると、そこにはジェリコ・ラジュナトヴィッチと……約一分半に及ぶ逃避行の中で、不可抗力的に増えてしまった傍観者二人、
草部仍倫が見た所、宮城支部ビル内に居るらしい分体の群れは、生き残った第六歩兵小隊と自衛隊員の撤退支援に精一杯で、支部ビルから少し離れたこちらまではまだまだ手が回っていないようだった。
つまり、もう暫くはこいつらの相手をした方がより皆の助けになれる。全体への貢献となる。
「延長戦だな……上等!」
『……お? 遂に観念したか?』
草部仍倫が覚悟を決めてその場に立ち止まり構えると、途中三十秒ぐらいから毒を思い出して悠々と歩きに切り替えていたジェリコが、【
『てめぇは左から、そっちのてめぇは右から行け。俺は正面から行く』
拡張領域ではない為、既に異なる言語間での意思疎通は不可能。だが、ジェリコのとった
左右から攻める二人と、正面からゆっくりと近付いてくるジェリコ。対する草部仍倫は、毒の回りを考慮してあまり激しく動きたくないのが本音だが、今からは動かない方が却って最終的には消耗してしまう、と彼の明晰な頭脳は導き出した。
「とどのつまり――右の奴からだッ!」
【怪力】の使用は最低限に留めて、宛ら氷の上を滑るように動き出す。狙うは向かって右側――【
草部仍倫は割れた面頬の奥で不敵に笑む。お前の鋒が何処を狙っているかなんてわかりきっている。戦いの中で損傷した【鎧】の『空白』を狙っているのだろう。いいさ、突け。突いてくるがいい。
前触れなく、加減していた【怪力】を一気に全開にして鋭く踏み込む。緩急によってタイミングを外そうという試みだったが、相手もまた手練、
草部仍倫の目論見通り、右上腕部の『空白』を深々と刺し貫いた【
しかし、先程も言ったように、これは草部仍倫の目論見通りの攻撃でしかない。
引き抜かれる【
抜けない――そう気付いた時には、
『うお、おお、お……!?』
【怪力】全開。草部仍倫は、右上腕部の筋肉を全力で締め上げ、
『――邪魔だぜ!』
そこへ、遅れてやってきたジェリコが
だが、その一連の動きをすら予期していた草部仍倫が、肩を蹴って伸びた
まず一人。足首から手を離す。
この攻撃動作が強引で大きなものだった為に、攻撃後の草部仍倫にはそれなりに隙が生まれていた。ここで、
草部仍倫は瞬時に両者のタイミングを把握し、ジェリコが先、少し遅れて
この動きを確認した草部仍倫は、また再びジェリコの方へと踵を返した。対するジェリコは無防備な背中に思い切り斬りかかろうとしていた為、少々不意を打たれた形となったが、それでも焦る素振りは一切見せずに悠然と【
「――馬鹿がッ!」
いずれ、命取りになるぞ……! 確かに、今の今までその【
挑発するかのような、覇気のないジェリコの攻撃を受け止めた草部仍倫は、伸び切った彼の手を掴むと軍で習った
『ハハハッ、絞め技も効かねぇよ! おうい、そこにやつ! 俺ごと斬れ!』
「チッ……やはり駄目か。なら、これならどうだ!?」
締めた首元の異様な感触に効果がない事を悟った草部仍倫は、【
「
草部仍倫の用意した
草部仍倫は、撓ませた[鎖]をジェリコに複数回引っ掛けると、[鎖]の先を地面に固定し、瞬く間にジェリコを磔にした。
『うお!?』
「幾ら防御力に長けてようが、こうなっちゃ用無しだ!」
『何おう! こんなモン【蟲】にしちまえば――!』
「それも、させねぇよ!」
少しだけ[鎖]の拘束に遊びがあった為、僅かに動かせたジェリコの右腕を草部仍倫が踏みつける。すると、新たに
『クソッ――!』
無力化されたジェリコを捨て置き、草部仍倫は最後の三人目となった
だが、ここで無理に動いたツケが回ってきた。
ドクン、と死に際にこそ大きく脈打つ心臓。草部仍倫は苦しみ喘ぎ膝をついた。極力、左腕を使わずに戦ってはいたが、そんなものは激しい全身運動の前には無意味。【毒】が、草部仍倫の全身を支配しようとしていた。
この好機を見逃す
退き際を見誤った。
今際の際に思い出すのは東京支部に残してきた妹の事……少しでも生存率を上げようと、戦える
……アイツの事だ。
あまり期待は出来ないな……しかし、アイツには天運が……。
「オマエ、コノエだろ?」
――ガッ! 【
「な、何者……!」
一瞬、草部仍倫の脳裏に過るは、部下の言っていた援軍の存在。しかしそいつは、報告にあった天海祈の分体でもレヴィ少尉でもなかった。上等そうなケープを翻して仁王立つ一人の魔術師――[
「コノエなら、イノチだけはタスけてやろう」
「まさか、現代魔術聯盟……!?」
「ふはは、そのトーり!」
「――な~んか、ウチら抜きで楽しそうな事しとるやん」
不意に幼声の関西弁が草部仍倫の耳を打つ。気が付くと、彼の側には[
「ウチらも混ぜてや」
「な、何だと……ぐ、ガハッ!」
「おおん? こら、《
唐突に草部仍倫が苦しみ始めたかと思うと、彼の足元から《
「――草部仍倫准尉。
「危ないなあ。もしかして、自分が天海祈か? 話には聞いてるで。日本支部のトップに君臨する
咳き込む草部仍倫の鎧下から流れ出てきた
天海祈の分体は威風堂々腕を組み、尊大な視線を直下、
「小さいな、魔術師」
「くくく……」
剛毅なものだ、と
考えてみると、これは良い機会だった。四藏匡人の計画の一端を覗き見ようとちょっかいをかけに来ただけだったが、天海祈が居るのなら折角だ、四藏匡人と旧・宮城支部で内偵をしていた[
「アイツの地金を晒し出せ」
端的にして強権的な攻撃指令。否応なく、辺りに戦の機運が高まる。しかし、天海祈の分体はそれを鼻で笑った。
「フッ……知るがいい。私が干渉している限り、
息を整えた草部仍倫も思わず身を強張らせて戦いに備えるが、天海祈と
草部仍倫が走り出してから一瞬の間を置き、遂に高まった機運は臨界点を超えて爆発した。
宮城支部ビル一階では、天海祈の分体による熾烈な掃討戦が繰り広げられていた。蕃神の信者も傍観者も必死に応戦しているが、無限に湧き出る分体に押されて着実にその数を減らしている。
数多の敵が喚き散らす断末魔の絶望を余所に、一人草部仍倫は一階奥を目指して懸命にひた走る。道は、天海祈の分体がさりげなく開けてくれていた。
不安はなかった。
それよりも、天海祈の実力に感嘆の念を抱いていた。横目に見る掃討戦の様子は丁度良く拮抗していた。圧倒する訳でも苦戦する訳でもなく……拮抗。それも、最低限の分体を用いて。
偶然なんかじゃなく狙ってやっているのだと分かった。干渉力を温存しているのだ。この状況を遥か遠距離から操作して作り出しているというのだから、もはや感嘆するほかない。
「味方である事に感謝だな……」
やはり、保身の為にはMCG機関の隷下に付くが正解か? と、そんな事を考えながら走る内、草部仍倫は安全圏と思わしき奥地まで逃げおおせていた。戦闘の気配も遠のき一安心。草部仍倫の身体をどっと疲れが襲い、脚も若干ばかし緩まる。と、そこへ角から現れた人影が走り寄ってくる。
「草部仍倫准尉! ゴ無事デシタカ!」
「……レヴィ少尉」
突然の大声に反応して身構えた草部仍倫だったが、すぐに相手が見知った顔である事に気付いて警戒を解いた。そして、乱れた呼吸を落ち着かせながら、なるべく失礼のないように尋ねかける。
「何故……こんな所に」
「天海祈ノ分体ダケデ十分ダソウデスノデ、私ハ撤退支援ヲ。先程、生キ残ッタ者達ガ全員地下直通エレベーターヲ使ッテ撤退シマシタノデ、私モコレカラ参戦シヨウカトイウ所デス」
「そう、でしたか。部隊の損害は、どのようなものでしたか」
「第六歩兵小隊ハ半数ガ重軽傷ヲ負ウモ、死者数ハ三名程度ニ留マリ、
レヴィは草部仍倫が向かっていた方を指差した。言われるまでもない。が、その前に共有しておかなければならない情報がある。
「レヴィ少尉。どうやら、蕃神信仰は現代魔術聯盟と手を組んでいるかもしれません。宮城支部ビルの外に、確認できただけでも約二十名ほどの魔術師の姿がありました」
「……魔術師ガ?」
「はい。傍観者だけでなく魔術師もとなると、ここも何時危険地帯となるか分かりません。どうか、ご注意を」
こんな時でも綺麗に格式張った敬礼をし、これで最後の最後の役目を終えた草部仍倫が走り出すと、何故かレヴィもそれに並走し出した。彼女の思いも寄らない行動に驚いた草部仍倫が目を丸くする。
「待ッテ下サイ。此方ニハ……マダ話ガアルノデス」
レヴィはニタリと笑った。学舎時代からの付き合いである草部仍倫からしても、初めて見る種類の嫌な笑みだった。
ゾワリ、と悪寒が草部仍倫の全身を襲う。何か、何か分からないがこのままここにいてはマズイ気がした。無根拠で漠然とした危機感に従い、草部仍倫は【怪力】を使ってまで加速する。友人にして上司であるレヴィの声を振り切るように。
「フフ、貴方ッテソンナニ
レーキ
僅かな発光の後レヴィの手中に握られた【大杖】が素早く振られると、草部仍倫の足元に[鎖]が絡みついた。蹴躓いたように前に倒れ込んだ草部仍倫は、足元の[鎖]を解こうと試みる。しかしその[鎖]は、さっき草部仍倫が使ったような物理的な[鎖]とは一線を画するものであるとすぐに理解させられた。[鎖]は、ところどころ両脚に癒着し、地面とも癒着していた。【怪力】に任せて床を破壊してみても、[鎖]は更に奥の地面――【瑞】でも破壊不可能な《基礎》の部分にすら癒着している様だった。
足元の絶望は瞬く間に草部仍倫の表情を染め上げた。逃げられず戦えもしないまま、目の前の異常な状態のレヴィの相手をしなければならない。不安に囚われぬよう、草部仍倫は上体を起こして血管がはちきれんばかりに叫ぶ。
「……どういう積もりだ、レヴィ!」
「オォ! ソノ感ジハ久シ振リダナ。学舎以来カ、懐カシイ」
「答えろ!」
「……モウ少シ、無駄話ニ付キ合ッテ欲シカッタ気持チモアルガ……仕方ナイ」
レヴィは肩を竦めて気持ちを切り替えた。ほんの僅かに残っていた情を断った。
「此処デ死ンデモラウ」
「何!? レ、ヴィ……!」
草部仍倫の感じた悪寒は見事的中する。レヴィの差し向けた【大杖】によって[粘性の液体]が出現し、草部仍倫の顔に飛びついた。必死に藻掻けども、[粘性の液体]は取り除かれる事なく悠々と口腔・鼻腔から体内へ侵入し、内部から汎ゆる器官を無差別に破壊した。
「盗聴器トハ……味ナ真似ヲシテクレタナ。
草部仍倫の上体が受け身も取らずに倒れ伏した。その口元から吐き出された血液が、顔に纏わり付いている[液体]の中に滲む。レヴィは、[液体]を通じて彼の心臓の動きを把握している。間違いなく心臓は停止した――草部仍倫の死亡を確信したレヴィは、用済みとなった[液体]を彼の中から引き上げさせた。
蕃神信仰の増援として魔術師がやってきたのは幸運だった。近衛旅団の面々に説得力のある言い訳ができる。その上、これは天海祈の了解を得てやっている事なのだから、MCGからも変に疑われる事はない。
神は
一仕事終えて、清々しい気分で伸びをするレヴィ。しかし、後は適当に戦って帰ろうかと踵を返した時に、そんな気分は吹き飛んだ。
「レ、レヴィ……?」
「……ア~……」
北條嘉守がそこにいた。少し先の角から、信じられないものを見たという顔を覗かせて、不安そうに立っていた。天海祈に導かれて新たに援軍としてやってきた彼女が、まるで図ったような最悪のタイミングで合流してしまった。
レヴィは、歪みかけた表情を咄嗟に手で覆い隠した。大丈夫だ、まだ言い逃れられる。なんといっても、私と彼女の仲なのだから。
「嘉守チャン、悠長ニ話シテイル暇ハ有リマセン! 魔術師ガ来イマス、構エテ!」
先手を打って、この状況に対するもっともらしい説明をしたつもりだったが、北條嘉守は納得せず、悲しそうに脱力して壁にもたれかかった。
「それなら、何で……何で、今まで周囲を警戒していなかったの!? まるで、一仕事終えた後みたいにリラックスしてたの!? もう……何がなんだか分かんないよ!」
「……ハァ……」
駄目だ。どうやら言い逃れは出来ないらしい。恐らく、決定的な瞬間を見られてしまったのだ。そう悟ると、腹の底から無際限の倦怠感が湧き上がってきた。
もう、取り繕う必要もないか。
レヴィは、汎ゆる虚飾を取り払った、着の身着のままの無表情で北條嘉守に歩み寄った。
「全ク……次カラ次ヘト面倒ナ」
思わず口の端から漏れ出た小言は、北條嘉守の耳にも届いた様で、彼女は目を白黒させて後ずさった。
「っ……! 嘘……嘘よっ、嘘と言って! どうして、仍倫くんを……!」
「ドウシテ?」
察しが悪いわけではない。認めたくないだけ。現実をそのままに直視できないだけ。そんな縋り付くような懇願の滲む北條嘉守の言葉を、レヴィは軽く一笑に付した。
「最初カラ仲間ジャナカッタ。タダ
「そんなっ……!」
「ドウカ、
レヴィは、【大杖】の先に
学舎時代……親元から引き剥がされ、不慣れな環境で軽いホームシックにかかっていた時、一人しかいなかった二人用部屋に彗星のように現れた水色髪の異邦人は、幼き北條嘉守の心にぽっかりと空いていた孤独な空白を埋めてくれた。時に競い合い、時に助け合い、退屈な学舎生活を色鮮やかに彩ってくれた。
北條嘉守の錯覚でなければ、そこには確かな絆があった。その後に仲良くなった草部兄弟とはまた違った濃密な繋がりを。
学舎を卒業し、軍属となってもその縁は続いた。ここまでくると、出会いは必然だったとさえ思った。あの日、夢に願った永遠の友人を纏骸皇が遣わしてくださったのだ、と。
その日々全てが、嘘だったというのか。感じていた友情は、愛情は、まやかしだったというのか。
レヴィは、ずっと……私の『友達ごっこ』に付き合っていたのか……!
無二の親友の裏切りを理解した北條嘉守は、一寸先も見えない闇の中に一人取り残されたような気持ちになった。悲しみはないが、とてつもなく不安で、寂しかった。
「――サヨナラ」
言葉少なに振り下ろされる[刃]。北條嘉守は、まるで映画でも観賞しているかのように、無情にも迫りくる[刃]を他人事のようにただ静かに見つめていた。
レヴィに殺されるのなら、それは悪くない死に方なのかもしれない……。北條嘉守はヤケになって死の運命を受け入れた。
しかし、そんな心境など露知らず、二人の間に不躾にも割り入ってきた人影によって[刃]は防がれる。
「コレハ――[
「フーハッハハァー!」
鍔迫り合いをするような近距離だというのに霞んで見える人影が、徐々に明確なそのディテールを露わにしてゆく。それはレヴィにとって、少しだけ見覚えのある人物だった。
「おレイマイりにキてやったぜ、レヴィ!」
すっかりハイになった[
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