4-3-3 宮城支部襲撃 その2



 草部仍倫は、全身を刺し貫く悪寒の赴くまま躊躇なく傷口をエグッた。

 ジェリコ・ラジュナトヴィッチの【瑞】――【蠹毒とどく】!

 蠢くの正体は、何十匹もの【毒蟲どくむし】だった。草部仍倫は見覚えがあった。これはクロドクシボグモ――中南米原産の有毒蜘蛛。直後、傷口に走る得体のしれぬ激痛。


「か、噛まれた……!」


 急いで、傷口からクロドクシボグモを掻き出すが時既に遅く、続けて二度、三度と噛まれてしまう。

 クロドクシボグモの毒は非常に強力な神経毒だ。噛まれた瞬間からとてつもない激痛が襲い、その激痛は徐々に全身に広がってゆく。やがては、全身麻痺、呼吸困難、血圧上昇といった症状を引き起こし、そのまま何の処置も施さなかった場合、三十分以内に死に至る恐ろしい代物。

 ――但し、血清があれば話は別だ。


「ふぅ……全く、厄介だな」


 唯でさえ、二つの【骸】で混乱しているというのに、三十分のタイムリミットまで付けられてしまった。しかも、今は戦闘中。血の巡りが余計になってしまっている。三十分前に死んでしまう可能性が高い。

 息つく間もなく、斬りかかってくるジェリコの連撃をバックステップで躱しながら、草部仍倫はヘッドセットに向けて語りかける。


「すまん、そっちへの助けは余り出来ないかもしれん。面倒な奴がいる」


 すると、その面倒な奴を引き付けてくれるだけで十分だ、という副隊長のタフな返事が即座に骨に伝わってきた。短い付き合いだが、良い部下を持ったものだと草部仍倫はこの状況にも関わらず微笑した。


「クロドクシボグモに噛まれた血清を――っと、危ねえ!」

『どぉした、どぉしたァ! 逃げ回ってるだけかァ?』


 ジェリコが、反撃せず回避に徹する草部仍倫を挑発する。もちろん、草部仍倫は言葉の意味を理解できていないが、その意図だけは敏感に察した。


「お前……なにか勘違いしてやがるな」

『あん? 何をいってんだ? 日本語なんてわかんねぇよ、死ね!』

「俺はよ……別にお前を打ち倒す事が目的じゃあないんだぜ!」


 援軍が到着するまで耐え忍ぶ事。

 その為に第六歩兵小隊の負担を減らす事。

 だから――ここは逃げる!

 何の前触れもなく、草部仍倫はクルリと無防備な背中を晒し、あらぬ方向へ向かって全力で走り出した。これには、さしものジェリコも虚を突かれてしまったが、すぐに戦意を爆発させて追いかける。


『待て、臆病モン! そっ首、寄越しやがれ! 金、金、金……!』

「ふはは! 追って来な、単純バカめ!」


 草部仍倫は合間合間に後ろを気にしつつ、左腕の付け根を応急処置として布で縛りつける。多少は毒の周りが遅くなってくれるだろうという期待を込めて。

 周囲に、傍観者らしき目立った人影がない事を確認すると、草部仍倫は信者どもの屯する物陰に飛び込み、鎧袖一触、彼等を血祭りに上げた。そして、血の海を一飛びで抜け出し、今度は別の物陰をめざして走る。


「お前の相手をしつつ、別の敵の相手をすれば戦線に穴は開かない。何の問題もない」


 草部仍倫は、上がる心拍数と共に脳裏にチラつき始める死の影を意識せぬよう懸命に走った。

 援軍が来るまで持ちこたえればいい。それだけの話だ。そう自分に言い聞かせた。



    *



 その頃、宮城支部入り口周辺には、敵味方問わず次々と出来上がる死体が積み重なり、地獄絵図のような光景となっていた。

 蕃神の信者、傍観者、自衛隊、第六歩兵小隊……皆、死んだ。


「完全に……退き際を見誤ったわね……」


 須藤史香は、幻覚で迫りくる傍観者の認識を《逸らし》ながら、深い悔恨の念を滲ませた。

 非戦闘員を避難させていた金營蕗かなえ ふきが役目を終えて戻ってきている為、段取りでは自分たちも避難していい筈なのだが、どうにも戦況の悪化著しく、もはや戦線離脱は困難な状況となってしまっていた。

 須藤史香の幻覚は信者には効果抜群、同士討ちを誘起させ、また傍観者にも半数程度には効果アリだったが、もう半数は幻覚などお構いなしに暴れまわる逸脱した者ども。それも正面から突っ込んで来るような自信過剰野郎ならまだ良い方で、不意討ちや騙し討ち上等の奇襲を仕掛けてくる傍観者も多数おり、主にこいつらの所為で戦線はガタガタになっていた。

 ここで退けば一気に食い破られる。

 たったの数分……援軍が到着するまで持ちこたえればいいだけの戦いが、彼等には何十時間にも感じられた。何度も何度も、緻密な連携プレーを成功さねばならぬ戦場いくさばの濃密さがそう錯覚させていた。


「ぐ……」


 そしてつい先程、須藤史香はしくじった。交渉部レッドチーム最初の落伍者だった。爆発物により聴力を失った敵を縛れなかったが為に意識を《逸らす》事が出来ず、そのまま攻撃されたのだ。

 負傷箇所は脇腹と両脚。問題は脇腹の方で、傷口が深く、抑えていないと溢れ出る血液と共に内臓も零れ出てしまいそうだった。両脚も酷いが命を脅かされるほどではなく、這いつくばって下がるぐらいはできた。

 須藤史香は懸命に脇腹を抑えながら、出来る限り敵の意識を《逸らし》て味方の援護を試みるが、さっきまでほど上手くはいかない。

 屈辱的だった。痛み自体にも、這いつくばらねばならぬ事にも腹がたったが、何より他人の助力を受けている事が気に食わなかった。

 ――特に風来坊とかいう女!

 須藤史香が落伍して以降、明らかに【草木そうぼく】の動きが鈍っていた。直接的な支援こそされていないが、常にこっちを意識している所為だ。言い訳のしようもなく足を引っ張っているという事実が、須藤史香に取っては堪えようもなく屈辱的だった。

 現在、戻ってきた金營蕗が茱萸と組んで瓦礫の中を泳ぎ回り、戦場を引っ掻き回しているおかげで、須藤史香が抜けた影響は最小限に留まっていたが、このまま敵に怯えてこそこそと逃げおおせるなど、須藤史香の持って生まれたプライドが許さなかった。

 故に《逸らす》。《逸らす》。我が身を顧みず、物陰から乗り出して懸命に敵の認識を《逸らし》まくる。その成果は、神出鬼没に動き回る山川の活躍という目に見える形で現れる。


「よし……! まだ……まだ戦える……!」


 これに自信を深めた須藤史香は、より大胆な動きにシフトしてゆく。先程ははりきって前に出過ぎたのだ。今度はギリギリのところを見極めて最大限の成果を上げてみせる。

 しかし、須藤史香はこの思考の落とし穴に気づいていない。活躍すればするほど、敵からの注目度ヘイトを集めるのは必然。いくら後方にいようと、目先の敵を追う前に厄介なのを仕留めてやろうと考える者も出てくる。


『見つけたわよ……! 幻覚をバラ撒いてる奴……!』


 そう考えた内の一人が、遂に須藤史香を視界に捉えた。傍観者の女は、須藤史香の意識外から忍び寄ると、右手の【斧】を振り上げた。


『死ねっ……!』

「なっ、敵――!」


 何時の間に――!? 須藤史香は、痛む脚を地面に叩きつけて無理矢理に身体を廻転。【斧】に頭をかち割られる寸前で、敵の認識を左へ《逸らす》……が、それでも振り下ろされた【斧】は止まらない。幻覚の存在は既に把握されているのだ。息詰まる海底の水圧で押し潰される感覚を一切無視し、女はかすかな記憶を頼りにメクラに【斧】を振り下ろした。

 死――!

 目前に迫る死の未来が脳内に飛び散る。だが、それは現実のものにはならなかった。


「――悪いね。そいつは殺させないよ」


 風来坊が横槍が入ったからだ。須藤史香の首根っこを【蔓】で捕まえて後方へ引っ張りながら、左右から生やした【枝】で妨害する。【斧】自体は止められないので、女の腕を止める。


「そいつが居なくなったら誰が書類を処理するんだい?」


 あの野郎! と、心中で悪態を吐いたのは須藤史香だ。傲岸不遜なる彼女の性根がそうさせた。しかし、それ以上の悪態を続ける前に、須藤史香の上から声が降った。


『そう来ると……思っていた!』


 女は、戦場いくさばに跋扈する【草木そうぼく】の事を把握していた。そして、それが攻撃ばかりでなく、防御にも度々使われている事も。


『まんまとな。近衛に与する傍観者め!』


 女は本命であり囮だ。まさか、と風来坊が女の意図に気付くと同時、風来坊の背後に忍び寄っていた別の傍観者の男が【金棒】を振り下ろした。

 更に、女の方も突っ立っているばかりではない。懐から取り出した袋の中身――大量の小石を盛大にぶち撒けると、その反響音から障害物と須藤史香の位置を特定し、当て推量で再び斬りかかった。

 今度は、風来坊と須藤史香それぞれに凶刃が迫る。

 風来坊は勘で背後からの攻撃だと察知して振り返るも、男を視認するのが精々で【六角の金剛杖】を盾にする事もできず。須藤史香は女の認識を《逸らし》て新たな幻覚を見せるも、先程と同じ様に攻撃を止められず。

 万事休す。二人の足元を濃密な死の気配が包む。

 この時、ようやく他の交渉部レッドチームの面々も二人の窮状に気付いた。しかし、既に事は干渉できる状態になく、虚を突かれたというような間抜け顔で「あ」と大口を開け、事の次第を横から見ているだけしか出来なかった。二人の命が寸断される……その瞬間を予想しておきながら。

 しかし――またしても現実は彼らの予想どおりにはならなかった。

 異変を感じ取った須藤史香が瞑っていた目を恐る恐る開くと、凶刃が触れるか触れないかという所で、何処からともなく唐突に現れた二つのが、【斧】を絡め取っていた。風来坊の方に迫っていた【金棒】も、同じく絡め取られていた。

 そして、【武器】ごと動きを封じられた傍観者二人の脳天に、横合いから飛んできた[]が突き刺さる。それでも、傍観者二人はなおも戦おうともがいたが、更に二、三本と突き刺さる内に敢えなく息絶えた。

 望外の光景。予想だにせぬ援護。

 それは、紛うことなき援軍の到着を示唆していた。


「――援軍デス! 第六歩兵小隊ハ機ヲ見テ撤退シテクダサイ!」


 レヴィ少尉が叫ぶと、須藤史香を助けた水の塊がうにょうにょと気色悪く蠢いて人形ひとがたを取り、未だ形成途中の声帯を震わせて、聞く者の心を落ち着かせるような中性的な声を響かせた。


「お前たちREDも下がれ。後は私とそいつでケリを付ける」

「天海、支部長……」


 呆然と見上げるしかない須藤史香の脇腹へ天海の分体は己の一部を差し向け、止血した。

 時を同じくしてレヴィ少尉の背後から、天海祈あまみ いのりの操る無数の分体が次々と現れる。地下直通エレベーターのある方角だ。恐らく、地下のワープゲートを通じて駆け付けてきたのだろう。

 同一人物が群れをなして溢れかえる光景は、通常であれば心胆を寒からしめるに十分なものだが、今だけはとてつもなく頼もしかった。第六歩兵小隊、交渉部レッドチームの双方に安堵が広がる。


「ほら、お偉いさんがこう言ってんだ。さっさと行こう!」


 皆が徐々に天海の分体と入れ替わって撤退を進める中、ただ一人、這いつくばったまま動けない須藤史香を、風来坊が担ぎ上げた。その衝撃が脇腹の傷に響き、須藤史香は「うっ」と呻いたが、いつものように文句は言わなかった。それよりも気になる事があったからだ。

 Εエイフゥースとは、こんなにも強大なものなのだろうか。ここにいるのは分体のようだが、本体は……? 確か、アフリカ大陸に居ると聞いていたような……。

 そうまで考えた途端、須藤史香の思考は突如として霞がかり、やがては様子を心配した風来坊の呼びかけにかき消された。



    *



 ガタッ、と椅子を蹴っ飛ばすようにして、北條嘉守は勢いよく立ち上がった。


「レヴィが宮城支部に……!?」


 さっきまで鬱陶しいほどに頭の中を支配していた眠気も一気に吹っ飛んだ。けたたましく鳴り響いた警報に叩き起こされて身支度もそこそこに出て来てみれば、寝耳に水とでもいうような目も覚める驚くべき報告が待っていた。

 そんな反応を予期していた弓削清躬は、頭痛のし始めたこめかみを押さえつつ声を振り絞る。


「MCG機関の要請でな。MCGこちらから離叛した四藏匡人が絡んでいるとはいえ、大元は蕃神信仰の兵。奴等を滅する目的で来ている以上は近衛旅団が協力しない訳にはいかない。儂やお主の能力は避難の済んでいない市街戦には向かぬという理屈で、レヴィ少尉の出動を求められた故、彼女を派遣した」


 有無を言わせぬ弓削清躬の口調に取り付く島を見いだせず、北條嘉守は遣る瀬ないを抱えたまま脱力してトスンと再び着席した。


「そう、心配せずとも良い。向こうには草部仍倫准尉率いる第六歩兵小隊がおる上、MCGから護衛が付いている。天海祈の分体が大量に向かったとの報告もある。旅団長はお主なのだから、これしきの事で揺らいではならん。ドッシリと構えておけば良い」

「そう……ですね……」


 表面上は同意を示したが、北條嘉守の心中が迷いの最中にあることは、落ち着きのない指先の動きや貧乏ゆすりを見ても明らかだ。

 弓削清躬の方も血の通った人間。北條嘉守とレヴィの篤い友情に心を打たれない事もないが、『弓削派』としてみれば目の上のたんこぶだったレヴィがここらで死んでくれると極めて都合がいい。

 その結果、北條嘉守が傷心するにしろ、激憤するにしろ、激情に流されて我を失った者ほど取り入りやすく、扱いやすい存在もない。北條嘉守が『弓削派』に転べば、草部仍倫の方も容易く転ぶだろう。妹と引き剥がせているのだから、妹の方をちょいと突けば兄も出張らざるを得ない。まさかその程度の風向きが読めぬ男でもあるまい、と弓削清躬はその点において彼を信用していた。

 嫌な沈黙が流れる司令部の一角に、周囲の慌ただしい空間から抜け出してきた佐藤誠が飛び込み、報告する。


「護衛として駐留していた自衛隊員はほぼ全滅! しかし、増援として付近の基地から自衛隊の戦闘・輸送ヘリが出ており、間もなく到着する模様です!」


 佐藤誠は、詳しい人員が書かれた資料を弓削清躬と北條嘉守へ手渡した。そこには、『CH-47J四機、AH-64D四機、自衛隊員、総勢百十余名』……と書かれていた。その他にも、各地から続々と援軍が集まってきているそうだ。


「成程。また、状況に変化があったら教えてくれ」

「はい」

「――ああ、待ってくれ」


 自席へ戻ろうと踵を返した佐藤誠を、思い出したように呼び止めた。


「草部萌禍の奴は何処にいる。まさか、こんな時にも眠りこけているのか?」

「分かりません。今、部下の者を確認に向かわせている所です」

「そうか。全く……」


 さっきも言ったように、草部妹には利用価値がある。なので、合法的にレヴィに役目を押し付けられたのは良いが、軍として所在が把握できていないのは如何なものか。弓削清躬は、余りにも自由すぎる問題児を思って憂鬱な気分だった。

 一方、北條嘉守は部下たちから次々と挙がってくる報告に目を通すだけの機械と化していた。湧き上がってくる雑多な感情をどうにか押し殺すためだ。少しでも意識をあけてしまえば、必ずレヴィの姿が過り、気が気でなくなってしまう。


「レヴィを助力したいか?」


 唐突に、頭上から声が降ってきたかと思うと、天井から滴り落ちた雫が瞬く間に人形ひとがたした。北條嘉守の口が勝手にその名を発する。


天海あまみいのり……」


 随分なご登場である。面食らう近衛旅団の面々に背を向け、天海の分体は再度、北條嘉守に向かって尋ねかけた。


「レヴィを助力したいか?」

「……はい」

「ならば地下へ行け」


 心は決まっていた。北條嘉守は弾かれたように部屋の出口へ走り出した。


「ちょ、ちょっと待った! 此方としてもいきなり説明もなく旅団長を連れて行かれては困る!」


 当然のごとく、弓削清躬は制止しようとするが、天海の分体が大小二つに分離し、小さな一つは水の塊となって北條嘉守の肩へ、大きな一つは人形ひとがたを保って弓削清躬の進路を塞いだ。


「悪いが少し借りる」


 その少しも悪いと思っていなさそうな声音に閉口し、弓削清躬は言葉に詰まってしまった。その間に北條嘉守は部屋を出ていってしまう。

 去り際、北條嘉守は一度司令部の方を気にして振り返ろうとしたが、肩に張り付いた小さな水の塊に「急げ」とせかされ、緩みかけていた足を早めた。

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