4-2-4 盗み聞き



 夜――昼間の担当者が業務を終える頃。

 この日は、北條嘉守にだけ特別に与えられた個室に、来客としてレヴィが招かれていた。別地球αでは、暇さえあれば共に居た二人だが、ここの所は多忙からすれ違ってばかりだった。

 久方ぶりの水入らずの閑談という事で、北條嘉守の顔色は目に見えて明るい。レヴィを部屋内へと案内した後は、間髪入れずに「お茶を淹れてくるわ」と台所へすっ飛んでいった。背後のレヴィが「オ構イナク」と呟いたのも聞かずに。

 どうやら、あの様子だとレヴィがMCG事はバレてはいないようだった。レヴィは人知れず胸をなでおろした。

 北條嘉守は『名家の息女』としてよりも『纏骸者てんがいしゃ』として育てられた期間の方が長い。その所為か腹芸には疎い面があったので、元よりそれほど心配はしていなかった。けれども、万が一という事もある。北條嘉守はまだ弓削派に取り込まれてはいないように見えるが、いつ触手を伸ばしてくるかわかったものじゃない。情報は何処から漏れるか分からないから、警戒するに越したことはない。残されたレヴィは再び気を引き締め、北條嘉守が戻ってくるのを大人しく待った。

 この部屋には前にも一度来た事がある。その時と内装はそう変わっていない。北條嘉守も忙しい為、別地球αの自室のように内装を凝る事もなく、仕事の資料と最低限の家具だけが置いてある。

 ――と、そんな中にあって、一角だけ華々しく飾られている箇所があった。シンプルな棚の上。そこに、最近よく見かけるようになった『ぬいぐるみ』が何体も並んでいたのだ。唯一の変化ともいえるそれにレヴィは目をとめ、ひとつ手に取って眺めてみた。


「此処ニモぐるミ……」

「あっ、それはね。萌禍もえかちゃんが置いていったのよ」

「萌禍チャンガ?」


 戻ってきた北條嘉守からお茶を受け取りつつ、レヴィは引っかかった部分を復唱した。いくらぬいぐるみに執心といえども、普段くる事もそうないだろう他人の部屋にまで置く必要があるだろうか? 傷心を癒やす目的ならば、もっと自分の目に触れやすい所に置くはずだ。すると、北條嘉守は「ええ」と可憐に答えた。


「急にやって来て、こう……ドサッと、ね。なんだか、様子がおかしくて気になったわ。やっぱり、お兄ちゃんが心配なのかしら……」

「……オカシイ?」

「うん、何ていうのかしら、挙動不審?な感じで落ち着きがなかったわね」


 それを聞いてレヴィの違和感が増大する。挙動不審……やはり、何か引っかかる。もちろん、これはただの勘だ。何ら明確な根拠を持たない、何となくの疑心。分かってはいるが、抑えられなかった。突き動かされるようにしてレヴィの喉が「ググ」と鳴る。


「ソノ時ノ萌禍チャンニイテ、モウ少シ詳シク聞イテモ良イデスカ?」

「いいけど……うーん、他に何か特筆するような事があったかしら?」

「何カ、些細ナ事デモ」

「う~ん……」


 北條嘉守は、レヴィも萌禍を心配しているのだと好意的に解釈して、あの日の事を出来る限り思い出そうと試みる。

 あれは自室で書類に目を通していた時だった。不意に部屋の扉がノックされ、萌禍の声が響いた。「入ってもいいか」と。中へ通すと、萌禍は腕一杯にぬいぐるみを抱えており、開口一番に「ぬいぐるみを置かせてくれ」と来た。北條嘉守も少々面食らったが、萌禍に対する心配が勝り、快く受け入れた。そして、確か、ぬいぐるみを棚の上に並べている時に……。


「私、『そのぬいぐるみは何処で買ったの?』と聞いたのよ。MCGの購買の品揃えにはなかったような気がしたから、ちょっとした雑談のつもりで。そしたら、急にきょろきょろしだして……」

「ソレデ、萌禍チャンハ何カ答エタノデスカ?」

「うん、『兄ちゃんがくれた』って」


 ぞわり、と寒気がレヴィの全身を襲う。鳥肌が立った。横隔膜が勝手にせり上がり、肺腑を引き絞って呼吸を圧迫してくる。額からは脂汗がにじみ出てきた。

 まるで、その時の萌禍のように様子がおかしくなってしまったレヴィを、北條嘉守は「大丈夫?」と心から案じた。しかし、それどころではないレヴィは心配を無視して持参した袋の中に手を突っ込んだ。


「アア……忘レテマシタ。今日ハ手土産ヲ持ッテキテイタノデシタ。コレ……」


 袋から出てきたのは四角い箱。促されるままに北條嘉守が箱を開けて中を覗くと、暗がりの中に豪華なホールケーキが鎮座していた。


「前ニ『食ベタイ』ト言ッテイタ有名店ノケーキ。今日ハ丁度ソノ近クヘ行ッタノデ、手ノ空イタ隙ニ買ッテキマシタ。切リ分ケテ、貰エマセンカ?」

「そ、それは構わないけど……レヴィ、ほんとうに大丈夫?」

「……ハイ、大丈夫デス」


 当人がそうまで気丈に振る舞うのならば、無理に「気遣い」を押し付けても仕方がない。慰めるのはケーキを切り分けてからでも……。北條嘉守は後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、再び台所へ向かった。

 北條嘉守の背中が角の向こうへ消えた瞬間、レヴィは勢いよくぬいぐるみに手刀を突き刺した。そして、綿の柔らかな感触にまじる硬質な手触りを引き摺り出す。


「――ッ!」


 今度こそ、レヴィの呼吸が止まった。

 油断していた。もう、草部兄弟を警戒する必要性は薄いと軽んじていた。兄は単身、宮城支部に飛ばされ、妹は言わずもがな無能で最初から警戒に値しない。

 宮城から東京という長距離を挟んで一体何が出来るというのか。

 そう思っていた。

 しかし、それは間違いだった。

 この東京支部で真に警戒すべきだったのは、北條嘉守でも、弓削清躬でも、佐藤誠でもなく……草部萌禍だったのだ。

 千切れた綿の断片にまみれながらも、それは紛うことなき――『盗聴器』だった。一体、何処から手に入れたのか。

 ピシリ。小さな軋音と共に『盗聴器』がレヴィの手中で握り潰された。


草部仍倫くさかべ なおみち……! アノ野郎、既ニ仕掛ケテヤガッタ……!」


 この小声も拾われただろうか。そんな事を考えながら、レヴィは急いで残りのぬいぐるみの中も探り始めた。



    *



 六道鴉りくどう あから二宇じうに託された情報が、十二林杣入じゅうにばやし そまりعَشَرَةアシャラの手を経由して俺の所に回ってきた。それによると、『神辺梵天王かんなべ ブラフマーが俺の周囲を嗅ぎ回っており、昼休憩に合わせて事務三課へ向かったらしいのだが、誰と何を話したかは分からない』との事だ。

 率直に言って驚いた。まだ、神辺さんが俺の事を気にしてくれていたとは。

 ありがたい……が、ありがたいだけだ。俺の道程は揺らがない。

 俺は、決行の時刻にはまだまだ余裕がある事を確認し、ここの所の日課となっている事の一つ、『拡張領域の散歩』をする事にした。浮足立つ気分を鎮めるためだ。

 木鐸リーダーの役職は、いざ成ってみると想像していたよりも暇なものだった。蕃神信仰としてやっている事にしろ、クローンとしてやっている事にしろ、大概は「果報は寝て待て」を地で行く。

 拡張領域内での自給自足は【靈驗れいげん】によって容易く成り立っているし、価値観や文化の相違から生ずる揉め事なんかも、中間管理職的な役職を与えている者たちによって勝手に解決する。

 クローンの方に関しては、今は準備の準備という段階に過ぎず、経過を見守って偶に修正を加える程度でいい。

 とにもかくにも、俺は暇を持て余していた。MCG機関内に残してきた奴等は簡単な偽装工作で出入りできるが、俺なんかはド派手に訣別を叩きつけた上に仮にも木鐸リーダーを務めているものだから、拡張領域から出るにしても慎重の上に慎重を期して逐一段取りを決めねばならず、くだらない用事では皆に申し訳ない気持ちになってしまう。

 そんな訳で、散歩の他にも伍子胥wǔ zǐ xūと一緒にボトルシップを作るとか、Третийトレーチィくんと意味もなく世界地図を四色で塗り分けてみたりとか、そういった適当なことで時間を潰す日々だった。

 散歩に行く前に、『銀冠の小部屋』にいた伍子胥wǔ zǐ xūТретийトレーチィくん、そして忌術師への尋問を終えてダウンしている艶島九蟠つやしま くばんに別れを告げ、『右上隅みぎうわすみの間』から順に各部屋をまわり始めた。

 恭しく挨拶をしてくるひら信者たちに応えつつ南方の『右辺の間』へ向けて歩いていると、水将デイネーㇽ(本名:ニャンデ・ムワレ)とバッタリ出くわした。彼女はザンビア生まれの纏骸者で、拡張領域内の水供給を一手に担っている。因みに、ニャンデとは『期待はずれ』の意。親は男児を望んでいたらしい。

 他のひら信者がそうするように畏まるデイネーㇽに、他愛のない雑談を持ちかけた。こういうコミュニケーションはよく取っている。蕃神信仰に昔から居る者の目線から、俺や他の連中がどう映っているのかを知る為でもあり、暇潰しでもある。

 あの蕃神信仰の信者という事で、俺も最初は警戒していたのだが、話してみると存外に普通の人が多い。REDよりはマトよりだ。勿論、多国籍かつ別地球αの者たちである為に多少の温度差は感じるが、それぐらいの事だ。


「どうだ、デイネーㇽ。変わりないか?」

『はい。最近は戻ってくる人が増えていますが、問題ありません。私一人で充分に賄える範疇でございます』

「そうか。それは実に頼もしいよ」


 こうして、彼等の直向きな生き様を見る度に思う。俺たちは蕃神信仰を利用する為に来たが、けして彼等を見殺しにする事は出来ない、と。

 彼等は、神辺さん風に言うと『迷える仔羊』なのだ。いやしく木鐸リーダーを務むる俺には彼等を導く義務があり、良き『羊飼い』たるべく気張らねばならない。

 ところで、彼女の言う「戻ってくる人」とは、アフリカ大陸から徐々に引き上げさせている人員の事を言っているのだろう。今は現代魔術聯盟との擦り合わせ中とか言って、拡張領域内に待機を命じている。どうやら、暴れ足りなそうな連中が結構な数いるようで、そういう者には志願制で再び別の戦地へ戻してやったりもしているが、何処も撤退戦ばかりなので却ってストレスがたまっているようだ。まだ表にまでは不満は出ていないが、それも時間の問題かもしれない。

 まあ、そういうキナ臭い者たちは邪魔なのでさっさと死んでもらおう。さっき、「良き羊飼いたるべく」とか何とか言った直後にこんな事を言うのもなんだが、背に腹はかえられない。

 デイネーㇽに別れを告げた俺は、そのまま『右辺の間』を通過し、『右下隅の間』に踏み入った。ここから『下辺の間』『左下隅の間』までは居住スペースとなっている。

 さっき伍子胥wǔ zǐ xūに聞いた話では、ここらに連中が居る筈なのだが……と、いたいた。


「やあやあ、諸君。準備は出来ているかい? 心の、そして身体の準備は」


 俺の声に振り向いた彼等は、『宮城支部襲撃作戦』に参戦予定の纏骸者てんがいしゃの皆様だ。よしよし、殺気は充分のようだな。


『どうもどうも、もしかしなくてもアンタが奔獏ほんばくサマ?』

『聞いてた以上にガキんちょだな。ハッハハハ!』

『報酬はちゃんと払えよ~。足りなかったら、ママに相談するんだぞ!』


 口々に俺を囃し立ててくるこのぼうぞく的な彼等は皆傍観者ぼうかんしゃだ。部外者である為、蕃神信仰の連中のように俺を敬ってはくれないらしい。

 どうしてくれよう。ここは、権威ある立場の者として、その鼻っ柱を叩き折っておいた方がのちのち良いのだろうか? ……いや、別に軍隊じみた統率を必要とする作戦でもないし、今更、上下関係を叩き込んでもな。

 まあいいか、と俺は寛大な心で彼等の無法を看過することにした。周りに蕃神信仰の連中が居ないから体面とかもさほど気にしなくていいし、何より前の奔獏ほんばくもノータッチだったようだから。


「元気が有り余ってるみたいだね。報酬はもちろん払うから心配しなくていい。そのかわり、存分に暴れてきてくれよ?」


 笑顔で手を振り、たちと別れた俺は、その後すぐに本命の二人と出会った。さっきの奴等と違い旧知の二人――ジェジレㇿとネㇾクフだ。

 こちらを見つけた途端、恭しく跪くカワイイ二人に笑みを深めながら、俺は調子づいてスキップなんかしちゃったりして二人に駆け寄った。


「よ、お二人さん。なんか落ち着いていられなくてさ……来ちゃった。二人の顔が見たくて。今の俺の気持ちを例えよう。これは、そう、縁もゆかりもない土地で空きっ腹かかえて飯屋を探している時に、大手チェーン店のファミレスを見つけた時のような……」

「……つまり」


 徐に、ジェジレㇿが顔を上げた。


「安堵を抱くと共に、我々の有り難みに気付いたという事ですね」

「そう! そういう事! はははははっ!」


 愉快だ。実に愉快だ。こんな気分は生まれて初めてかもしれない。俺は二人を立ち上がらせ、共に連れ立って歩き始めた。もう散歩は終わりだ。

 やはり、こっちは使。大事に、大事に使っていかなければ……。



    *



 ところで、蕃神信仰から逃げ出した忌術師たちは一体、何処へ向かったのか。

 別世界線へ逃げる事はできない。世界線移動は十二段級の神秘なる伍句ゴノクにのみ可能な御業であるからだ。

 では、この世界線に留まり、何処か人気のない土地に隠れ棲んでいるのか。元・奔獏ほんばく含む彼等数名が、大自然の中で身を立てるのは別に然程難しくないだろう。[魔術]もある上、[祈禱咒術]の心得も多少ある。

 しかし、彼等にはそうしない理由、できない理由があった。

 元・奔獏ほんばく――忌名いみな次是瀘ジゼルは、引きつったへつらいの笑みを浮かべて手揉みした。そんな彼の前で、物憂げに頬杖を付いているのは、現代魔術聯盟の[やまなみ・treow]である。

 次是瀘ジゼルは、見た目上は遥かに幼いやまなみへ向けて、おっかなびっくり嗄れ声を響かせた。


『い、言われた通りに拡張領域を脱出して参りやした。。少しでも遅れをとれば、あのクローンの連中に捕えられてしまう所でして……』


 訛りのキツイ共通語。やまなみの周囲に控えるお付の者らは露骨に顔をしかめた。だが、当のやまなみは普段通りにのほほんとした、ある種慈愛すら感じる笑みを浮かべてみせた。


『そら良かった。欠けはないな?』

『は、はい。情報共有をしてた上のモンはこれで全員です』


 次是瀘ジゼルの背後には、不安そうな面持ちの老若男女が身を縮こませながら控えていた。よしよし、と満足気に頷くやまなみ。その好感触をチャンスと見たか、次是瀘ジゼルが意を決して報酬の話を切り出した。


『あの、我々はご命令を忠実に遂行いたしやした。ですので、どうか、この、く……[首輪]から解放して頂けないでしょうか……!』

『くびわ……あ~、[首輪]、なあ。ちょい待ちぃ』


 最初はピンと来なかったやまなみだったが、すぐにその存在を思い出し、ごそごそと小汚いよれよれのメモを取り出した。これは『真なるアーシプ』から直々に拝領した命令文の写しの一部だ。自作の簡単な暗号文を流し読みし、解放しても問題のない事を確認したやまなみは、人の良さそうな幼気な笑みで次是瀘ジゼルの申し出を了承した。


『……よし、解放したるで』

『本当ですか!?』


 喜びに湧く忌術師たち。やはり、御祖師様おそしさまの選択は正しかったのだ、と彼等は口々に称えた。


『えーっと、[次是瀘ジゼル][レイ][我逵ガツジ]――』


 名の列挙が始まると、今度は安堵の色が忌術師の面々に広がる。命を握られ、忌術師の地位向上を餌に、半強制的に協力させられてきたが、それも今日まで。これからは自由で何も気にすることのない生活を家族ともども送る事が保証されているのだ。それも、魔術師の来ない別世界線で。時間稼ぎの為に殿として拡張領域に残してきてしまった者たちには申し訳なく思うが、それは彼等の家族を手厚く迎え入れることで報いるとしよう。

 やがて、名を列挙し終えたやまなみは、一つ呼吸を置いてから最期となる言葉を丁寧に言い放った。


「――[解放]」


 瞬間、「バン!」という爆発音と共に忌術師連中の首元が弾け、何が起こっているのかも分からないというような間抜け顔が幾つも宙に舞った。

 飛び来たる血飛沫を[牆壁しょうへき]で抜かり無く防ぎ切ったやまなみは、一仕事終えた嘆息を漏らしつつ「かたしといてー」と雑にお付の者へ命じた。

 倒れた死体の山は、お付の者たちの魔術によって滅され、跡形もなく消えてゆく。そんな凄惨な光景を背に、やまなみはこの世界線に設けた現地基地局を目指して歩き始めた。


「それにしても、四藏の坊主……一皮向けたなあ。一端の羊飼いとして恥ずかしない異常者の風格を備えとるやないの。これはひょっとするとひょっとするかもなあ。期待して待っとるでぇ……」


 やまなみはククッと一人で笑った。それはそれは楽しそうに。


「やっぱり、ウチらも参加させてもらおうか。件の『宮城支部襲撃作戦』に」

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