エピローグ

3-4-1 エピローグ その1



「俺は生き残った……生き残ったんだ……!」


 荘厳な鐘の音が響き渡る合流地点にて待機していた他の魔術師の目も憚らず、[しらかげ・wilde]は己が身をギュッと抱きしめた。大事な大事な命はまだここにある。脈打っている。そんな当たり前の事がどれだけ素晴らしい事なのか思い知った。

 少し遅れて、鐘の音を聞きつけた魔術師たちが次々と[転移]してくる。その一団の中には、[Filthフィルス・wræcca]と[祝融zhùróng・lieg]の姿もあった。

 彼等は互いに健闘を称え合い、生存の喜びを分かち合った。これで出世もできよう。

 戦いの余韻さめやらぬ彼等の元へ、一人の幼子が大物然とした面持ちと態度で歩み寄る。


『よぉやった、よぉやった』

『あっ――[やまなみ・treow]様!』

やまなみ様!?』


 ある者が耳ざとくやまなみの存在に気付くと、その情報は瞬く間に漣のように広がった。彼等は、戦闘の疲労も忘れて一糸乱れぬ最敬礼で敬意を表す。大の大人が年端も行かぬ幼子にへいこらするという傍目には異様な光景だが、当のやまなみは慣れた様子ですぐに止めさせた。

 恐縮しきった態度も無理はない。彼女こそ、現代魔術聯盟の設立メンバーにして尚も『七賢人』の末席に君臨し続けている、謂わば「生ける伝説」である。魔術の腕前に関しては今はさておき、こと肉體時間の操作に関しては、現代魔術聯盟の長である『真なるアーシプ』に次いで秀でているとまで評されている。

 つまり、やまなみの不評を買うという事は、彼女に比して遥かに短い己の一生涯にわたって冷遇されかねないという事。

 ある者は私欲の為、またある者は国の為、家族の為、個人神の為……動機は様々あれども、皆一様に現代魔術聯盟で身を立てようと目論む野心家であり、そしてだからこそ、彼等はこの戦いに参加している。させられているのだ。

 そんな事情を抱える彼等にとって、やまなみに媚びぬ選択肢はないという訳だ。そして、やまなみの方もそれを分かっているから、ある程度は同情的なのであり、また無関心なのである。


『治療用に魔力素マナ結晶を少し用意してある。自分で動けるもんは自分で、動けんもんは誰かにやってもらうとええ』


 そう言うと、やまなみは自らも負傷者の治療に加わった。まさかの行動に驚き、反射的に遠慮する負傷者たちをなだめすかし、彼女は黙々と治療を施してゆく。ここまでされては、強い拒絶もまた無礼となるだろう。負傷者たちは気まずそうに治療を受けた。

 先程の喧騒が一転、辺りは厳粛な静寂に包まれる。そんな中、もっとも先に帰還していたしらかげが、治療を受けているFilthフィルスを発見した。


Filthフィルス隊長!』

『ん……[しらかげ・wilde]か……よく、やってくれた』


 外から見ても明らかな疲労困憊にも関わらず、Filthフィルスは歩み寄ってきたしらかげの働きを労った。これには、若干ばかし浮かれていたしらかげもむず痒そうに礼を言うしかない。


『隊長の的確な指示があったお陰ですよ』

『ふ……隊長は止めてくれ。ただ、Filthフィルスと呼んでくれればいいさ』


 治療により幾らか余裕の出てきたFilthフィルスの語り口は、段々と饒舌になってゆく。


『それに、こんな事も今回ばかりにするつもりなんだ。出世を目指すにしても性急過ぎた。もう懲りたよ。これからは着実に研究でもして能力を認めてもらうさ』

『……そう、ですね』


 しらかげとて、Filthフィルスの抱えている事情を知らぬ訳ではない。今回のような貧乏クジを進んで引かねばならぬ境遇には同情を抱いていた。そして、自分と違ってFilthフィルスが今後もこういった事を続けなければならない事も知っている。けれども、今だけは忘れたフリをして共に笑いあった。

 治療が大方終わる頃、辺りを見回したしらかげはもう一人の貢献者の姿が何処にも見えない事に気付く。


Filthフィルスさん。몽염夢魘……[몽염夢魘・swefn]は何処です? いくらFEORÞAの隊長といえども、一人で二人を相手するのは厳しかったんじゃないですか? 彼女も生きているんでしょう? あの時、敵が「峰打ちダ」ってカタコトの日本語で言ったのを聞いていたんですよ』

『……しらかげ……彼女は……』

「え……?」


 煮え切らない態度、浮かない顔、沈痛な雰囲気。

 そのどれかという訳でも、その全てという訳でもなく、漠然とした印象からしらかげは悟ってしまった。そして、追い打ちをかけるように覚悟を決めたFilthフィルスが明言する。


『彼女は死んだ』

『……そ……そう、ですか……』


 その後、しらかげは『すみません』と一言のこしてその場から離れた。その時の彼の表情は、悲しみとも哀れみともつかない醜悪なものだった。



 一方その頃、祝融zhùróngが一人こっそりと輪を抜け出していた。手には、

自分の治療用と偽ってくすねてきた魔力素マナ結晶を握って。

 祝融zhùróngの目的は厨川半心軒に渡したナイフの具合の確認である。ナイフへのマーキングはあの時に済ませてある。ならば、後は魔術具インタープリターを操作し、とある魔術術式の中に[tacn_1]を発生源として挿入すれば……。


『――見えた』


 網膜にナイフ視点の映像が投影された。薄暗い景色の中に微かな光が見える。恐らく服の中に入れられているのだろうと当たりをつけ、少しばかり視点位置を操作してみると、戦闘でほつれた軍服の隙間から外の様子が伺えた。


『あの二人は……一緒に居た奴等だな、生きていたのか』


 厨川半心軒の正面に立つ傷だらけの部下は生きていた。思わぬ吉報に、祝融zhùróngの口の端にも笑みが浮かぶ。がしかし、それもすぐに凍りつく事となる。


「た、たい、たた、た……」

「み、三岳……?」

「たい……ちょう……!」


 部下の片方、若い男が急に苦しみ始めた。


『ど、どうしたんだ? 何が……』


 三岳と呼ばれた男が歪み、膨張し、中心に亀裂が走る。その内側から左右に割るようにして伸びる血に濡れた白い手。

 この時、その全容が明らかになる前から、祝融zhùróngにはの正体が分かっていた。


『レヴィ! まさか、復活するのか……!? 巫山戯るな、そんな事があって良いはずがないだろう……!』


 皮肉な事だ。厨川半心軒の名は知らぬというのに、その厨川半心軒が『レヴィ、レヴィ』と頻りに連呼するものだから、そちらの方だけすっかり覚えてしまっていた。

 このままでは戦友が危ない……!

 堪えようのない焦燥に突き動かされ、祝融zhùróngは遠隔操作で援護をしようと魔術具インタープリターを慣れた手付きで素早く操作する。だが、それも間に合わない。


「フフッ……此方ヲ覗キ見テイル不届キ者ガ居ルヨウダ」


 直後、厨川半心軒の身体から明らかに致死量の血飛沫が吹き出し、笑うレヴィがチラリと映り込んだのを最後に、ナイフからの映像はプツリと途切れた。恐らく、體としての役割を果たせぬほどにナイフが破壊されたのだ。見ずとも、聞かずとも、理解できる。そのナイフを懐に抱える厨川半心軒がどうなってしまったのか。


『あ、ああ……!』


 祝融zhùróngの口から嗚咽にも似た悲鳴が漏れる。

 妙な、気分だった。

 ほんの少し前までは敵同士だった筈なのに、どういう訳だか、強敵レヴィを倒す為にぎこちなくも共闘した所為で、得体の知れぬ情が生まれてしまった。あれは、あの言い知れぬ『連帯感』は、今も祝融zhùróngの胸に残っている。そして、それは新たに、感傷と復讐心にも似た感情を生んだ。

 そして、不思議と直感した。レヴィとは近い内に再び相まみえる事になる……。


『妙な因縁を抱えてもうたようやなぁ。[祝融zhùróng・lieg]ちゃん』

やまなみ様……』


 気づけば、祝融zhùróngの側にやまなみが立っていた。

 何時から? 負傷者の治療はどうしたのか、終わったのか? 祝融zhùróngは瞬時に幾つかの疑問を脳裏に浮かべるも、それらを一切尋ねぬまま報告する。


『奴等――近衛旅団には一人の化物がおります。レヴィという[祈禱咒術きとうじゅじゅつ]らしきワザを使う化物が……』

『ほう、[祈禱咒術きとうじゅじゅつ]……近衛旅団に入り込んでいる忌術師か?』

『可能性はあります。それに加えて、Εエイフゥースのような不死性も持ち合わせているようです。詳細は全く分かりませんが、警戒には値すると思われます』


 聞いたやまなみは思案顔で唸った。その幼い見た目では何処か真剣味にかけるが、誰も指摘はできない。暫くして、やまなみは『これは実験段階の話なんやけど……』と前置きしてから、こう言った。


『《異能》と【武装励起】の研究が進んできててな。とある遺伝因子をちょこっと組み替える事で、ウチらも忌術師のようにそれらを会得できるかもしれないんや。……どや、今回は結構苦戦したやろ? 奴等に対抗する力を得る為にその実験に志願してみいひんか?』

『謹んで、承ります』


 祝融zhùróngが即答すると、やまなみは『そかそか』と笑って祝融zhùróngの手を取った。


『名前、ちゃんと覚えとくからな、[祝融zhùróng・lieg]ちゃん。望むなら近衛旅団と事を構える時につこうたるで』

『ありがとうございます』


 厳かに礼を言う祝融zhùróngを背に、やまなみはゆっくりとその場を後にした。


『これで、計画通り……なんやろか? ウチには分からんわぁ……』


 集団から離れた所でポツリと漏らした苦笑交じりの達観した独り言は、発したやまなみ以外の誰の耳にも届かなかった。

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