乞丐 交錯する世界線

2-2-1 乞丐 交錯する世界線



 乞丐こつがい 交錯する世界線



「――おおっとぉ――!?」


 時は少しばかり遡り、方舟来航の直後、首都東京に降りた光柱が消えようかという間際、漆黒を纏う方舟の外壁に、こっそりとへばり付いていた旅装束の者が、一時停船の衝撃によって足を踏み外し、宙に放り出された。

 頭に被る三度笠をおさえる旅装束の者は、横目に映った急激に迫るコンクリートの地面と、槍先の如く林立するビル群に肝を冷やしながらも、偶然の巡り合わせによって知り合った“他の連中”を慮る。


「ま、参ったなこりゃ! 他の連中は大丈夫か――ねぇ!」


 ――励起!


 旅装束の者が、すれ違うビルの壁面から突き出た六角の金剛杖を、一瞥すらせずに引っ掴む。瞬間、壁面から大小様々な枝葉が怒涛の如く伸び上がる。それら枝葉は、大半を落下物である旅装束の者にぶち折られながらも、地面スレスレの所でしなやかに受け止めた。


「イテテテ……しかし、ま、これも定命。連中は連中なりに上手くやるだろね」


 一期一会、袖すり合うも多生の縁とはいえ、何時までも頭を悩ましてやる程に蜜月の関係だった訳でもない。草鞋わらじがコンクリートに接地する頃には、旅装束の者は毛程の後腐れすら感ずる事なく意識を切り替えていた。

 朝方故、人目は少なく、数少ないそれも、今は空の方舟に惹き付けられている。悪目立ちはしていなかった。

 辺りの状況を把握し終えた旅装束の者は、朝の爽やかな開放感と達成感とを余す所なく噛み締めた。

 ここは別世界。鬱陶しいしがらみなどない、と。


「さーて……こっちには、どんな出会いが待ってるのかねぇ……」


 旅装束の者は、右手に【六角の金剛杖】を携え、軽々とした健脚を当て所なく繰り出した。風の吹くまま気の向くままに。



 同日、時刻は晴天の昼下がり、もう暫く日の陽気を感じていれば、幾許もなく夕刻になろうかという頃。


「ゔぇーん、ゔえぇぇぇー」


 泣き喚く幼子の声が、閑散とした住宅街に木霊し始めた。万国、万人に通ずる、原始的な不快の感情表現エモーショナル・エクスプレッション

 良識ある者であれば、意識の一端でもそちらへさし向けたであろうが、幼子の周りを取り囲む幼子の同輩らは手元の携帯端末に夢中になっており、幼子を足蹴にして全く取り合わない。


「チッ、うっせーなー!」

「今、イイトコ!」

「……黙っとけや!」


 昨今の流行りはゲームアプリ。幼子のまた、同ゲームに熱を上げているのだが、同輩らとの間にある一年の「年齢差」と、そこからくる「力量差」、そして「課金アバター」を持っていない、という理由から仲間はずれにされていた。


「なーんーでー! 入れてよおお!」


 涙と鼻水で顔を汚した幼子は、遂に同輩らの腕を掴んで揺すり始めた。指先で操作する端末、寸秒を争うアクション性の高いゲーム内容……更には、折悪しく、仮想空間内は修羅場の真っ只中にあった。必然、同輩らの操作する課金アバターによって着飾られたPCプレイヤーキャラクター達は、瞬く間に力尽きていった。


「あっ、てめっ――チッ、ミスっただろが!」

「つまらん事すんなよ!」

「最っ悪だわ、あとちょっとでドン勝だったのに……!」


 同輩らの怒りは、けして正当なものでは無いが順当ではある。例えると、道行く者がアリに蹴躓いた様なもの。で、あれば、ゲームに向いていた同輩らの昂ぶりが、幼子に向くのは道理なのかもしれない。

 たちまち、同輩らの一人が勢いに任せて拳を振り上げる。慌てて、幼子が身構えるが、結果から見るとその必要はなかった。拳は、振り降ろされる直前に停止からだ。


「その辺にしときな、ガキ共。ガキが程度の低い喧嘩に“そんなもの”を持ち出すなんて……世も末だ」



 同日、朝方。

 うっかり手を滑らせて落伍した旅装束の者とは違い、方舟の外壁にへばり付き続けていた者たちは、ある転移系の【ずい】を持つ者に導かれて人気の無い山中に降り立っていた。

 彼等は、何れも別地球αに居場所の無い者である。でなければ、故郷たる地球を捨ててまで、成功するかも分からない「外壁にへばり付く」なんて原始的手段を講じたりはしない。

 暫くは成功の喜びを分かち合い集団を形成していた彼等も、やがては、別れを惜しみつつも散り散りに去ってゆく。

 ある者は一人で東へ、ある者は家族連れで西へ。

 そんな中、取り分けて密やかに行動している男が居た。宛ら「夜逃げ」のようにチラチラと背後をうかがう挙動不審な男は、誰よりも早く集団を離れ、そそくさと木々に隠れながら距離を稼ぐ。


「……っふぅ~」


 誰にも咎められる事なく、男の健脚はあっという間に一山を越えた。ここまでくれば一安心と、男も一仕事を無事に終えた余韻に浸り、気を抜いた。そうしていると、懐に収まる大量の蟇口がまぐちの重みか、自然と顔がにやけてくる。

 やってやった! やってやったぞ!

 何も無かった半生これまでのかわりに順風満帆な展望みらいが男の脳内を駆ける。かつての満たされぬ日々とはこれでおさらば、今日からはこれを元手にやり直してやる、と。そんな仄暗い喜びが胸いっぱいに広がる。

 しかし、悲しい哉、長続きはしなかった。


励起レーキ


 背後より響いたそれは、持たざる者、選ばれざる者に取っては災害の前触れでしかない。故に、男はにやけた面をそのままに、蛇に睨まれた蛙の如く硬直せざるを得なかった。

 その内に、男は悟ってしまう。自らの行く先に待ち構えているのは、順風満帆な展望みらいなどではなく、どん詰まりの袋小路である事を。


「ねぇ、そのお金、置いてってよ。どうせ人から盗ったお金でしょう?」


 男の背後をこっそりとけて来ていた女は、小さな【筒】を片手に、場を支配している優越に浸り、ケラケラと笑った。



 同日、夜。

 一人の若い酔漢がフラフラと夜道を歩いていた。この男、芸術を学ぶべく専門学校の門戸を叩いたはいいものの、次第に将来と自己の卑俗さに思い悩み、かつて抱いた情熱も失って、ただ放蕩ほうとうに生きていた。

 自宅であるアパートにも帰らず、覚えたばかりの酒をは道端で酔い潰れる。そんな日々を繰り返す内、男は知らず識らず見覚えのない街中に居た。


「……どこだ……? ……ここは……?」


 意識の揺らぎが順当な疑問を湧き起こす。しかし、酔が常となってしまった脳はすぐに認知を歪めてしまう。


「まあいいか! ……どうでも……」


 そうして、また酒を煽ろうとして、手中の酒瓶が空っぽになっていた事に気付く。「畜生……」と丁寧に吐き捨てつつ、一気に弛緩し始めた身体を路地裏に預け、正面の壁に向かって酒瓶を投げ付けた。

 既に酔は深く、夜通し当て所なく歩き続けた疲労も相まって、新たな酒を調達する気分にもなれなかった。

 ぼーっと放心していると、次第に頭がこくりこくりと船を漕ぎ始めた。


「ねえ、お兄さん。お金、持ってない?」


 意識外から掛けられた女性らしき声音に、ピタ――と、男の動きが止まる。次いで、声を掛けたであろう者の足元を俯いた視界の端に見つけると、わなわなと全身を震わせた。


「この――阿婆擦れがッ!」


 この怒りに意味はない。ただ、そうした方が気が晴れると知っているから、男はそうした。声を荒げ、立ち上がった。


「気安く寄り付いてんじゃあない! 金なんて持ってないから、さっさと――!」


 そこに立っていた声を掛けたであろう女の顔を見た途端、男は再び静止した。同時に、かりそめの怒りは消え失せ、その先を言う必要はなくなった。

 先程の硬直は、眠気を覚ます為の準備じみた硬直だったが、今度は余りの衝撃に思考もままならぬ故の付属的な硬直――。


「――泣かないで」

「あ……」


 女の言葉を聞いて、男は知る。

 頬を伝う涙の感触と衝撃の正体を。

 ああ、これが――その情感は怒濤の如く男の舌先に押し寄せ、言葉とはならず、鼻水混じりの嗚咽となった。


「あ、ああ……ああああ……」


 感涙に咽び、膝から崩れ落ちる頭を、女は痩せてアバラの浮き出た胸で抱きとめた。その光景は、宛らキリストの教会を荘厳たらしむるイコンの如く……。



つねさいはひにしてまったくきずなき生神女しょうしんじょが神の母なるなんじさいはひなりととなふるは、まことあたれり。ヘルヴィムより尊くセラフィムに並びなくさかえ、貞操みさおやぶらずして神言かみことばを生みし、じつ生神女しょうしんじょたるなんじあがめむ。〟


 ――東方正教会 「つねさいはひにして」



 別日、夜半。

 ふと、月明かりが雲間に隠れ、蛍光灯の間隔を広く取る住宅街の影を這う裏路地に、暗黒の帳が降りた。

 これを畏れたのは、折からに帰路として裏路地を選択していた一人のOL。彼女は、目の前に構える不気味な風情に身を強張らせながらも、それを子供じみた恐怖かんじょうと恥じ、頼りなき勇を以て突き進んだ。

 限界まで萎縮し切った一歩、と、一歩。

 それが、着実に黄泉路を辿りつつある事など――


「――誰が知り得ようか」


 突如として、嗄れた声が暗黒の帳より響く。

 そうして、現れ出た、或いは初めから其処許そこもとに存在していたのは、層一層、深い暗黒に見えた。黒衣に身を包む、性別、年齢共に不詳の暗黒は、頻りに判然としない独言を……ぶつぶつ……ぶつぶつ……と繰り返しながら蹌踉めいた。


「俺だ……俺だけが知っている。お前は、お前は知らない……俺が知っている……俺の精神體アストラル……或いは靈氣レーキ……それらに類する器官を通じ……上位者は、俺だけに教えてくれたんだ……俺だけに……俺だけに……」


 ……励起……。


 消え入る様な暗黒の呼び掛けに応じて、その足元から「確然たる死」を連想させる【大鎌】が音も無く幻出した。


「ひっ――」


 一連の出来事は、彼女に取って余りに突然で、非現実フィクションじみた突拍子も無い光景である。しかし、蹌踉めきながらも歩み寄ってくる暗黒、そして、揺れる大鎌の氷刃より絶えず放たれ続けている魔物の如き迫力は、どうにも揺るがし難い現実そのもの。

 必然的に、彼女は気圧され、情けなくも喉を鳴らした。

 アア、何故、こんな事になってしまったのか。どうして、裏路地なんかを選んでしまったのか。そんなもの「何となく」に決まってる。人が歩く道を選定する時、大層な理由付けなんて必要としないからだ。偏に「何時もは問題なかった」からだ。

 何時も、そう、何時もは……。


「ひっ、ひひっ、ひひひゃひぅっ――」


 恐怖は、脳ミソから脊髄を伝わって落下し、四肢の隅々にまで浸透する。交感神経、煥発。噴出した脳内物質が血中を盛んに掻き立てる。

 生きるか、死ぬか。『今はその瀬戸際である!』――と、主に視覚野へ取り込んだ情報によって窮状を感知した本能は、既に「闘争」と「逃走」の二つに一つを選択する段階に入っていた。

 にも関わらず、暗黒が仕掛けるよりも早く選択の体勢を整えてみせた優秀な「本能」をなおざりに、彼女の「理性」が下した答はそのどちらでもなかった。


「ひゃああっははははっははは!」


 彼女は笑ったのだ。大声で、気狂いの暗黒も面食らう程ヒステリックに、甲高く、高々と狂乱を歌い上げた。

 これは「何時も」じゃない。「平常」じゃない。ならば、なるほど、私は、私でなくともいい。そう思うと、笑わずにはいられなかった。


「物狂いか……アワレ……」


 現地点に於いて――流行り病の如く彼女に伝染した暗黒の狂気は、却って、暗黒を相対的正気に追い込んでいた。それ故に、暗黒の眼差しは無責任なほど愚直であり、また、その足元が蹌踉めくことも相対的に有り得ない。


「なんと、なんと、アワレな……成程、これか……! これが、かつての……『託言』であるとするならば……俺が……俺が、今――」

「アヒャヒャ、ひゃひっひぃ!」

「――終わらせてやるッ!」


 正統なる暗黒が構える。

 それが合図となり、「闘争」の火蓋は切られた。

 病に堕つ彼女は、あたかも介錯を求めて首を差し出すかの如く這い蹲り、四足歩行のまま猛然と駆け出した――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る