2-2-A1 一次調査と屍体(肉)



 増えた業務にも慣れる頃、何時しかたまさかの閑散期は過ぎ去り、以前と同様の多忙がやって来ていた。最初はどうなる事かとも思ったが、人間は順応する生き物。今じゃ漫画を読みながら書類整理だってできる。


「お、今日も通報がこっちに回ってきたぞ。次は誰が行くんだっけか」


 名実ともにリーダーシップを発揮し始めた灰崎さんが、手元の端末を眺め、そんな風に呼びかける。部屋で待機していた俺含む数人の視線が上がり、ローテーションを記したホワイトボードの名札を確認する。

 えーと……さっきは神辺さんと六道さんが出て、戻ってきた所だから――


「あ、俺です。俺と――!?」


 現場へは二人一組で向かう。当初は、予め決まった二人一組を作っておこうかという話も出たのだが、神辺さんの「互いに親交を深めましょう!」という言葉で、毎日、ランダムに組み分けられる事となった。

 だから、俺は自身の名札の隣に貼り付けられていた名札――今日のパートナーの名を読み上げようとしたのだが、志半ばで途絶してしまった。因果は明白。そこにあった「名」が、俺の心を揺さぶり、閉口させるのに充分な力を持っていたからに他ならない。


「も、望月要人もちづき かなめ……? 誰が、何時の間に名札を……」

「――わたし。さっき」


 答えたのは、自席で仕事も手伝わずに、ライトノベルを読み耽っていた六道さん。どういう事なのか、とその説明は、唐突に現れた天海の分体が受け継いだ。


「些か強引だが……ま、新人研修といった所だ」


 前触れ無い登場に他の皆はさっと視線を逸した。仕方ないので、渋々ながら、俺が応対する。


「新人研修って、望月さんは動けそうにないですけど……?」


 部屋中の視線が部屋の隅っこへと向けられる。そこで、ホコリにまみれ、虚空を見つめる望月さんの無気力ぶりは依然として変わらず、快方の兆しは全く窺えない。更生を諦められたのが“RED”な訳だから、適当に世話を押し付けられたのだとばかり思っていたが、天海の考えは違うらしい。

 不敵に笑む天海は、懐から小分けにされた複数のポリ袋と一葉の便箋を取り出して、部屋の隅っこへ歩み寄り、彼女の耳元にて何やら囁き始めた。


「この便箋は井手下椛いでした もみじ直筆の――」


 すると、言い切らぬ内に、望月さんはビーチフラッグも斯くやという反応速度を見せ、瞬く間に便箋を奪い取った。その形相は必死、虚ろの瞳は血走り、開いた便箋の上をキビキビとなぞっている。

 あまりの豹変ぶりに、さしもの天海も動揺を隠せない様子。珍しい苦笑いを浮かべながら、望月さんの口に、ポリ袋から取り出した一粒の錠剤を押し込み、残りを俺に投げよこした。


「望月が常用していた『外宇宙アウター・スペースの呼び声』を限界まで稀釈した舌下錠サブリンガルだ。口中に含めば溶けるから、意識がぶっ飛んでようが問題なく摂取できるだろう。貴様らに渡しておく。上手く使えよ、無くなったら事務員にでも言え」


 そうは言われても。

 市販の錠剤と何ら変わりない重量感を前に、俺がここ一ヶ月余で培ってきた偏見混じりの常識が思考を鈍らせてくる。

 要するに驢馬ろばの鼻先に人参を吊るせ、と? 俺は、天海の瑞々しい瞳を見上げた。


「ふんっ、麻薬依存を治療してやる義理はなく、また治る見込みもない。ならば、いっそのこと利用してやろうという訳だ」


 実に合理的な判断。それで、望月さんが一人分の働きをするのであれば、文句はない。というか、既に通報が入っているという時に押し問答をするほど状況が見えていない訳でもなし。

 そうこうしている内にも、部屋の何も無い空間に二宇じうさんがやって来ている。多分、灰崎さんが話の間に呼んでいたのだろう。

 これ以上、この場にとどまる事に意味を見いだせない。

 俺は、望月さんと共に二宇じうさんの花柄の手を取り、現場へと急行した。



 通報は外れ。

 黒衣は黒衣であったが、単に風呂に入ってない所為で汚くなっていただけの、ごく普通の普遍的な不審者だった。規定に従い、後の対応は警察の方々に投げた。

 徒労の感を抑えて、背後のヤク中へと振り返る。


「次は、近所に『一次調査』案件があれば、ついでに片付けます」


 一応、新人研修と言われているので、そのつもりでアレコレと仕事を教えているが、果たして、聞いているのかいないのか……医学なんぞにはとんと縁遠い俺には狂気じみた話に思えるのだが、さっきの麻薬によって自立して歩ける程度には恢復した彼女は、胸元に便箋を抱えてじっと押し黙っている。

 気を取り直して、タブレットに入っている『一次調査』のリストを眺め、近場の三件を抜き出した。

 一件目は空振り。一般人だった。

 二件目。立派な門構えに気後れしながらも、雨風にやや劣化しているインターホンを鳴らすと、金銭的な不自由を一切した事なさそうな人当たりの良い、品の良いオバサンが出て来た。


「私は第三次元宇宙機関の四藏匡人と申す者です。こちら――天土あまつちさんの御宅で宜しかったでしょうか。――あ、あってる。はい、それでですね、今、お子さんの方、ちょっと、いらっしゃいますでしょうかぁ? あ、不在……。――ああ、いえ! 先程、通報があった場所の付近にですね、御宅のお子さんらしき目撃情報がありまして、注意喚起を、と――」


 彼女は、この「天土あまつち家」に於ける“母親”だった。

 しかし残念。目的の人物――天土あまつち家のお子さんは、生憎の不在であった。なんでも、最近は頻繁に外出を繰り返していて、夕暮れ時まで帰ってこない事が多いんだとか。「友人が出来たらしい」と、嬉しそうに語っていた。

 会えなかったのはガックシだが、全くの無駄足でもない。時刻を少しズラせば、接触は容易だろう。得た情報をしっかりとリストに書き留めた俺は、「また、日を改めてお伺いするかもしれません」と伝え、形式的な言葉を適当に述べてから立ち去った。

 ここまでは、大きなアクシデントもなく「順調」の一言に尽きたのだが、最後の三件目、これが実に難航してしまった。


「――ふざけるなッ! MCGだか、第三次元……なんたらだか知らんが、一体、何者だろうと、そんな権利があるものかッ! 俺の会社! 俺の金ッ! 俺は! この資本主義社会で法を犯す事なく真っ当に生きてきたんだ! そんな仕打ちを受けるわれはない!!」


 彼は、情報部の誰かさんが睨んだ通りに『変異者ジェネレイター』だった。その人当たりが随分と良く、「異能の事は、他の誰にも話していない」というので、望月さんも居ることだし研修の為に先の交渉はなしまでしておこうかな、と軽い気持ちで踏み込んだのが大失敗だった。

 彼は、自覚した異能を大々的に商売に利用していたのである。具体的には、処分するのにも費用がかかる産業廃棄物や単なるゴミ、不用品などを企業、個人を問わず有料で回収し、能力で処理していたらしい。

 はやった。家と内装が貧相だったから社長なんて役職だとは見破れなかった。家族が居た事も分からなかった。

 確かに、それらの情報は不親切極まりない事にリストには書かれていなかったが……よく観察すれば分かった事だ。車も年季は入っているが維持費の高い輸入車が数台もあるし、調度品も薄汚いんじゃなく、たぶん骨董品アンティークなんだ。

 後輩にイイとこ見せようと、視野が狭まっていた。素直に俺が未熟であった。

 本来、こういう難しい案件は『本職』の交渉員に任せるべきだ。俺の様な“社会のはみ出しもの”の手には余る。

 何故ならば、資本主義的には正義は彼にあるのだ。形はどうあれ、経済を潤しているのだから。更に言えば、彼は、彼自身が言う通り法を犯すでもなく、合法的に成功者となっている。妻と子を何不自由なく養い、社員たちへ働き口を提供している。

 俺の様な“無法者RED”からは余りに程遠い高潔な人物だ。なるほど、「謂われ」など確かに無い。

 そうして合法的に得た成功の数々が、突如として無に帰すと考えれば、彼の怒りもむべなるかな。

 しかしながら、ここまで来てしまった以上、俺は言わなければならない。

 ――いや、俺言わなければならない。


「ですが、異能を用いた商売は処罰の対象となっていまして……」

「俺はこれでも法学部を出ているんだ! そんなキマリはない!」

「いえ! 明文化はされていませんが、これは各国の政府が同意する所なのです。アメリカでも、中国でも――国連に加盟している190カ国以上の国々で同じです。猶予期間は与えますが、その間に事業内容を変更するか、会社自体を畳むかして頂けませんと……超法規的措置も視野に入ってきてしまいます。勿論、ご家族とて無関係ではありません」


 話のスケールが世界に広がると、彼は露骨なまでに顔色を悪くした。超法規的措置。家族。そこまでいくと生半可な病人より蒼白になった。

 彼は、人智を越えた異能チカラを手にしておきながら、遵法精神を微塵も揺らがせなかった人だ。きっと、世界という見えない巨大な怪物が、預かり知らぬ規範に則って動いている事を重んじて、自分本位に乱して良いものかと悩んでいるのだろう。たぶん。

 正直に言って、俺は今、非常に心苦しい。脅す様なやり口もそうだが、彼の背負っている社員たちの事を考えると気が重くなる。路頭に迷う者もでるかもしれない。だが、MCGは、第三次元宇宙機関は、そこまでの責任を持ってくれない。正確に言うと、持っていやる余裕がない。

 彼は、身内の弔事に臨む時の様な沈痛な面持ちで、10分ほど黙りこくっていたが、やがて、唸るように喉を鳴らした。


「……もう少し、詳しく教えてくれ……猶予期間はどれくらいあるんだ。……会社を畳んだらどうなる? 上手いこと、事業内容を変更したらどうなる? それで、俺と家族、稼いだ金はどうなる? ……教えてくれ」


 俺は、滔々と手元の資料を見ながら答えた。

 猶予期間は三年。その間に、異能に依存しない事業内容へ変更してもらう事。それに伴う諸手続き――定款の変更、役所の許認可、税率などに関しては専門家を手配するので心配しなくて良い事。そして、新たな事業に失敗した場合、また最初から試みなかった場合でも、稼いだお金を差し押さえたりはしない事。借金が出来た場合は帳消しにする事。会社を畳んだ場合、再就職としてMCGの事務員職を斡旋する予定である事。公務員あつかいである事。成功した場合は、社長業と兼任してMCGに所属し、要請があった時のみ出頭してもらう事。

 そうして、長々と、しかし、なるたけ簡潔に必要事項を述べ終えた所で、彼は「日も暮れてきたので、今日はこの辺りで……」と言って立ち上がった。

 彼にも考える時間が必要だろう、今日無理に食い下がる必要性も薄い。

 俺は「次に来るのは別の交渉員かもしれませんが」と前置きしてから、彼と別れた。

 古びた一軒家を出て、望月さんの方を振り返る。時計は見ていなかったが、小一時間は話していた筈。さぞ退屈だった事だろう。


「ごめんね、望月さん。初仕事で長々と……」

「……別に」


 謝ると、望月さんは、ボソ――と、息を吐く様なかぼそい声を発して、掌をこちらに突き出してきた。

 ……ああ、クスリね。

 俺の誤った判断で、長時間に渡って付き合わせてしまった負い目もあり、一粒だけ渡す事にした。すると、望月さんは満面の笑みを浮かべつつ、受け取った薬を口に放り込んでみせた。その笑みは、目を見張らんばかりの女子高校生然とした笑みだった。

 クスリって怖いな。

 なんて他人事の様に思いながら、二宇さんを呼ぶためにタブレットを取り出すと、既に灰崎さんからの連絡が何件も入っていた。

 俺は、慌てて連絡を取る。


「す、すみません、灰崎さん! 緊急ですか!?」

「おっ、生きてたか! まー、緊急っちゃ緊急だったが……そっちはもう他の奴を行かせたからよ、オメェは取り敢えず戻ってきてくれ。今、何処だ? 二宇を向かわす」

「え、えーと、『一次調査』リストの――」


 ああ、灰崎さんにも迷惑を掛けてしまっていたか……。

 二宇さんの到着を待ちながら、俺は頭の中で反省の弁を捏ね繰り回した。



 翌日。

 通報も少なくて暇である。今日から香椎さんと岸さんが宮城支部に行ってしまったので助かる事は助かるが……と、昨日の三件目に関する資料と手続きを進めていると、灰崎さんの私物の携帯が着信メロディーを響かせた。


「ん……望月のタブレットから? おう、どうした、何か問題か?」


 架電元は望月さんの支給品タブレットらしい。という事は、先程、通報を受けて現場へ向かった神辺さんと望月さんの二人に何かあったのだろう。

 前後の関係を把握し終え、俺の意識はすっかり手元に戻っていたのだが、次に灰崎さんが発した言葉にまたもや取られてしまった。


「――あァ? 俺と匡人を?」


 引っ張り上げられた俺の視線が、灰崎さんの横目とぶつかる。

 気を回してくれたのか、灰崎さんはスピーカー通話に変更した。聞こえてきたのは持ち主である望月さんではなく、神辺さんの声だった。


「ええ、蕃神信仰に関わるかもしれないという事で、『一度、奴等と遭遇している二人にも見てもらえ』――と、天海が」

「天海かよ。……ああ、分かった」


 機関内通信を切り、ゆっくりと立ち上がった灰崎さんは、六道さんに向かって「ちょいと、任せるぞ」と頼んだ。勿論、六道さんは快諾する。親指を立てて。


「オメェ一人だが……留守番ぐらいはできるよな……?」

「だいじょぶ、任せとけ」


 灰崎さんはあからさまに不安の表情だが、ここで時間を浪費しても仕方ないと思ったのだろう、すぐに制服を着直して向き直った。


「匡人、いくぞ」

「はい」


 俺が支給品であるカバンを引っ掴むと同時に、何処からともなく二宇じうさんが現れ、その花柄の手で、俺の手と灰崎さんの手を掴んだ。

 一瞬の暗転を介し、気が付くと俺たちは現場に降り立っていた。

 場所は住宅街、込み入った路地のどこか。とりあえず、目前に騒々しいブルーシートの仕切りがあるので、現場はこの中だろうと当たりをつける。ふと、目をやった時、俺の手を握っていた筈の二宇さんは何時ものように忽然と消えていた。

 無言でブルーシートに向かって歩き出した灰崎さんの後に、俺も続く。すると、側に立っていた警官の人が慌てて制止してきた。


「ちょっと、ちょっと、関係者以外は――」

「我々は第三次元宇宙機関の者です。変死体があると聞いて来たのですが……」

「ああ~……例の……どうぞ」


 灰崎さんが職員証を見せ付けながら所属を名乗ると、その人にも話は通っていたのか、幾許の逡巡はみられたが、割とすんなり中に通された。

 仕切りの中には、警官やスーツ姿の者たち(たぶん刑事)、青色の作業服を着た鑑識らしき人なんかがごった返しており、想像以上の混雑具合だった。休日のセール日以上だ。

 その中にあっても、色鮮やかに着飾った近衛旅団は際立った存在感を放っている。自己主張を目的としているのならば、デザイナーは有能だ。

 ちょうど、向こうも俺たちに気付いた様で、此方へ向けて小さく手招きした。

 細身、長身、無骨な金属縁メタルフレームの眼鏡と、その奥の神経質そうな視線。何処かで見覚えがある風貌だ。


佐藤誠さとう まことだ。階級は少佐。しかし、貴殿らは部外者故、畏まる必要はないと言っておく」


 その名と階級を聞いて思い出した。階級と年齢に見合わぬ若々しい見た目が印象的な彼は、いつぞやに見たニュースで、北條嘉守ほうじょう よみもりの後ろに居た側近、その片割れである。


「それは助かる、軍人相手の教育なんて受けてないのでな。灰崎炎燿はいざき えんよう――と、後ろに居るのが四藏匡人よつくら まさとだ。待たせて申し訳ない。蕃神信仰ばんしんしんこうに関わるかもしれない変死体がある、とだけ聞いているのだが……」

「……忙しいのは何方どちらも同じか。なら、手早く済ませよう」


 佐藤誠少佐は、俺か灰崎さんの様子から多忙を悟ったらしく、早々に案内を始めてくれた。実際、後が色々と支えているだけに、この気遣いは有り難い。

 道中、灰崎さんが神辺さんと望月さんの行方を尋ねると、「そっちの望月とかいう子供が、当方こちら草部萌禍くさかべ もえか上級曹長と共に嘔吐した為、今は向こうの方で安静にしている筈だ」と遠方を指差した。

 すれ違いざま、蓋をどかしたマンホールの穴を数人の鑑識と刑事らが覗き込んでいる光景があった。果たして、あそこが死体発見場所なのだろうか。


「此処だ」


 案内された先は、また別のブルーシートの仕切り。入れ子構造だな。佐藤誠少佐と灰崎さんに続いて中に入り、俺は変死体と対面した。

 それは、瑞々しいピンクの色合の肉塊だった。骨はなく、雑に、極めて乱雑に、ぐちゃ、ぐちゃ、とブルーシートの上に置かれている。やけにプルプルとしていて、まじりっけなしの均一、煮凝りとしてフランス料理店に出てきても不自然ではないほどだ。その時は疑問にも思わずに食うだろう。悪臭はない。下水の匂いは仄かにあるが、それは最初からだ。

 肉塊の隣には、これまた瑞々しい傷一つない全身分の生皮があり、その更に隣では、見たことのあるガーリッシュな背中が「うーん、うーん」と唸っていた。


「要点だけを伝える。死体発見時刻は今日の13時前後。発見者は下水道局の職員、事件とは関係のない別件でマンホールを開けたところを偶然に発見したらしい。死亡推定時刻は一週間から三週間前。腐敗はみられない。――ああそうだ、発見時は肉だけだったが、其方そちら鉤素累はりす るいという女医が現場、遺体保持も考慮して生皮だけを肉から復元した、死亡推定時刻はその時おおまかに割れた。だが、皮の復元中に外傷は見られず、例の特徴的な刺青は無し……それらの遺骸から、僅かだが靈氣レーキの残骸を検知している事を鑑みると、つまり『此奴こいつ纏骸者てんがいしゃだが、蕃神信仰の手の者ではない』という事になり、やったのは傷付けずに殺せる『能力者ジェネレイター』か『蕃神信仰』だ」


 例の特徴的な刺青とは、ニュースにも報道されていた、アラベスク様式に似た謎の紋様の事を言っているのだろう。蕃神信仰の者は身体の何処かにそれを必ず入れるらしいのだが、目下の生皮に類する形跡は見られない。シミすらなく、まっさらだ。


「その口ぶりだと、この死体が近衛旅団のモノではない事は確認が取れてんだな?」と灰崎さん。

「ああ。近衛旅団の纏骸者が行方不明になったという話もない。従って、此奴こいつは『傍観者ぼうかんしゃ』と呼称される勢力となる。当方こちらにも、蕃神信仰にも属していない纏骸者だ。当方こちらの世界線――別地球αも、けして一枚岩ではないからな。基本的には纏骸者というだけで厚遇を受けられる為に、傍観者は珍しい存在なのだが……ま、何処の世界にも大道を進んではぐれる奇特家きとくかはいるものだ」


 それ以上の情報は、警察や情報部の調査を待たなくてはならないらしい。

 話を終えた佐藤誠少佐が「先に失礼」と抜け出すと、タイミングを見計らったかの様に入れ替わりスーツ姿を着た恰幅の良い初老の男がやって来て、灰崎さんと挨拶を交わし合う。

 面倒な気配を感じた俺は、初老の男の対応を灰崎さんに任せて、話の間も足元で唸り続けていた千覚原さんの隣にしゃがんだ。


「千覚原さん、何か分かりました?」

「うーん……ん? あっ、匡人くん! ちょっとだけ、ね」


 気色の悪い生皮を、いじらしく指先でくりくりといじりながら、千覚原さんは言う。


「體の時間が巻き戻ったお陰で戦闘中の感情がチラッと読み取れたんだけど……やっぱ、生死の境でそんなにごちゃごちゃ考えないよね。分かったのは、強い……いや、常軌を逸した敵愾心てきがいしんと少しの恐怖だけ」


 そして、生皮を離れて、今度はぷるぷるしたピンクの肉片に触れた。ぐちゃっ、と。


「こっちも同様。だけど、こっちは恐怖がかなり強まってる、かな? それと、さっき来た鉤素累はりす るいって人が『生皮に対して肉の量が少ない』って言ってたの。今、見たら確かにそうだなぁ……って」


 すると、何を思ったか、千覚原さんは肉片を素手でひっつかみ、隣の生皮と同じ形になるように成形してゆく。

 おいおい、大丈夫なのか……? そんな心配は彼女にも当然、伝わっていたらしい。


「大丈夫、チビっ子に鍛えられたから」


 別に、そういう心配ではないのだが……背後からも、灰崎さんと男のドン引きする気配が伝わってくるぞ。

 しかし、成形された肉片と生皮を見比べてみると、確かに不足が分かる。骨や内蔵の分だろうか? 一面が均一のまっピンクだから、見ただけでは、何処が不足しているかなど分からない。


「今の所、分かったのはそれぐらい、かなぁ~」

「なるほど……ありがとうございました」


 礼を述べ、立ち上がろうとした所で、ふと思い出した事柄がひとりでに口を衝いた。


「そういえば、大丈夫でしたか? 顔の方は」

「顔?」

「はい。アジトの地下で俺が蹴飛ばして――」


 いや、俺は何を言っているんだ? 俺は千覚原さんを蹴飛ばしてなどいないし、ましてやのアジトなんかにも行っていない。セーフハウスで岸さんと待機していたからだ。確か“―”を“―”する為に――


「……匡人くん? 別に顔を蹴飛ばされた記憶は無いけど……」


 千覚原さんの声にハッと意識を取り戻す。彼女は怪訝そうな顔だ。

 そりゃあそうだ、急に訳のわからないことを言い始めたのだから。


「すみません、俺の勘違いでした」


 違和感を感じつつも、調査の邪魔をした非礼を侘びて、逃げるように立ち上がった。「またね!」という別れの言葉を背に踵を返すと、ちょうど灰崎さん達の方も話を終えた所の様だった。

 恰幅の良い初老の男は、額に伝う冷や汗をハンカチで拭いながら、風のように去ってゆく。てっきり、警察関係者だろうと思っていたので、グロへの耐性は当然の如く備わっているものと認識していたが……彼は警察ではなく、官僚とかの人間だったのだろうか。

 それにしても『傍観者』……ね。また、よく分からない勢力が出てきたな。最近は、全国各地から明らかに“人間業でない変死体”が大量に出ている。それらにしても、変異者ジェネレイター以外の仕業である線が生まれた訳か。


「まーた、複雑になって来たな。別地球の奴等の所為で。蕃神信仰だけでも手一杯だってのに。だから、俺は移民反対なんだ」

「……それは、灰崎さんが単に外国人が嫌いなだけじゃ? それに『移民』って、今回の場合、来てるのは日本人だと思いますけど……」

「似たようなモンだ!」


 会話しつつブルーシートの仕切りから出ると、神辺さんが、顔色の悪い望月さんを支えながら待っていた。


「あの、さっき出ていった彼……遺体の処遇に関して何か言っていましたか?」

「遺体? あー、身柄――ってか、肉塊は、日本政府の方で管理するんだとさ。で、処遇は、MCGの情報部、上層部と近衛旅団の連中とか、おエライサンが直接見てから決めるんだと。警察は今回の件を事件化しないらしい」

「そうですか……弔いは、かなり先の事になりそうですね……」


 神辺さんの言葉によって、しんみりとした空気が流れた。

 その後、現場から離れて人目を断った俺達は、呼び出した二宇さんの花柄の手を握って、二人ずつ東京支部まで運んでもらった。

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