第2話 契約
圭吾から提案された仕事は彼の作っているゲームをすることだった。
ゲームなんてした事が無いのに出来るのかしらね。
でも、何か出来るということは私の生きる目標になりそう。この身体では迷惑をかけることしか出来ないと思っていたのに、お仕事ができるなら、少しでも負担を和らげることが出来るかもしれない。
そう思って彼の提案にのってしまった。
彼はすぐに会社に連絡を入れると、すぐ戻ってくるから待っててって言いながら病室をでた。
ヘルメットのようなものを被ってゲーム……少しだけワクワクもする。今までやった事の無いものは不安もあるけど、それ以上に興味が湧いてくる。
でも自分のこの身体で何ができるのか……
白い天井を見る。横を向くと白い壁。何とか持ち上げてみた右手。握ろうとしても僅かに指が動くだけ。
上げた手を下ろすと……疲れたのか眠気がくる。毎日こんなに寝ているのに。おかしなものだわ。
前は眠くてもするべき事がたくさんあって、眠れなかったのに。
すぅっと、意識が遠のいていくのがわかった。
こんこんこんとノックの音がする。ああ、これはいつもの圭吾のノックの音。ふわっと意識が戻ってきたようだわ。
音でこんなに反応するのね。
「ばあちゃん、具合はどう?」
ああ、やはり圭吾だったのね。大丈夫よと言おうとしたのだけれども、彼の言葉で他の方も一緒にいることがわかった。
「ばあちゃん、この人が僕の直属の上司の神谷さん。課長、ばあちゃんです」
ああもう!そんな紹介の仕方があるものですかっ!
怒ろうとしてすぐに他の方がいるのを思い出した。まずは謝らないと。
「すみません。孫が挨拶一つまともに出来ないようで。私は祖母の藤野江雪と申します。このような格好で挨拶をするのは大変失礼だとは思いますが、不自由な身体ですので寛恕下さいますようお願い致します」
ベッドの上から寝巻きのまま話さないといけないなんて。なんて恥ずかしいこと。
課長と呼ばれていた方は、スラリとした……あらまあ、ハンサムさんですこと。じゃなくて、苦笑いしながらも孫の無礼を許しているようだった。
「いえ、こちらこそ無理を強いてしまったのではと。神谷次郎と申します。開発二課の課長をさせてもらってます。仕事について少しお話させていただいてもよろしいでしょうか?」
声も渋くて聞いていて心地良いわ。神谷次郎さんていうのね。圭吾のいつも言っている上司さんてこの方なのかしら。
圭吾を見ると不貞腐れたような顔をしていた。
この子はもう。
でもその姿で凄く懐いている方なんだとわかった。
昔色々あってこの子は人に懐くなんてあまりしない。
どちらかというと人見知りするほうなのだけど。
神谷さんが説明をして下さるというのでちょうど良かったとおもったわ。
「ええ、私もいくつか質問があったので。よろしくお願い致します。圭吾、椅子をお出しして。どうぞそちらに」
気がきかない孫にいろいろ指示を出すときょろきょろして……
ご自分で椅子を持ってこられました。情けない孫だこと。仕方ないわ、三文安なのだもの。それは私のせいね。
棒立ちしている孫に声をかけるとまたきょろきょろしている。
はあ。やはり孫育てを失敗したようだわ。
「圭吾、お茶をお出しして。あ、コーヒーの方がよろしかったでしょうか?」
しかし彼の上司はすぐに仕事をはじめた。
「お構いなく。藤野、おばあさんのベッドは少し起こせるか? 書類やこれからの契約に必要な説明をしたい」
圭吾は指示をされ私のベッドの横のレバーで上半身をほんの少しだけ起こす。
普通の人みたいに背もたれのようには起こせない。ずるずると身体がずれてしまうの。力が全く入らないから座る事さえ無理なのよ。
少し身体を起こすと神谷さんは私が見やすいように書類を目の前にひろげて見せながら説明をはじめた。
まずは仕事の内容。
このベッドのままヘッドギアをつける。
(ヘルメットじゃなくてヘッドギアね)
その時、身体の状態を見るために色々な計器をつけること。
(今もいろいろついてるけど、これ以上つけるのかしら)
身体が睡眠状態になること。
(圭吾が夢に入るって言ってたわね)
ただし、脳内でいろいろ活動させるのでかなり疲れること。
(疲れても横に既になってるわ)
仕事中は看護師と会社の人間がそばにつくこと。
(えっ? 看護師さんもつけてくれるの?)
圭吾がナビゲーターとしてつき、そばでPCのログを確認及びゲーム上の質問を受けること。
(なんかそんな事は聞いたような気がするわ)
不具合や感じたことを申し出ること。
(これがメインのお仕事ね)
時間は午前中は9時から正午までの三時間。
昼の休憩と身体の手当て、その他で三時間。
午後は3時から6時。合計一日六時間、週に四日、月火木金。
(すごくちゃんとしたお仕事だわ)
この病院にかかる費用は全て会社持ち。時給は千円。
(一番気になってた病院代が出るの? その上お金までいただけるの?)
圭吾から聞いていていなかった条件や待遇を聞かされて呆然としたわ。待遇が良すぎるわ。何かあるのね?
一つ一つ丁寧に説明をして下さって、その後質問は無いかと神谷さんが私に聞いてきた。
私は先程から気になっていた事を訊ねた。
「圭吾からきいていると思いますし、見ても分かるように身体が全く動きません。あとゲームときいていますが、このような機械を使ったゲームというものをしたことが有りません。それでもこれだけの設備と看護をしていただいてなおかつ給与というものがいただけるのですか? それで(会社は)成り立つのですか?」
私がきくと彼は真剣な顔でこたえてくれた。
「成り立つんです。中々この状態の方に仕事をお願いする事が出来ませんから。ただし、一つだけ了承して頂きたいことが有ります。不自由な方にいうのは酷かと思いますが。何らかの事故による生命の危険もあると言うことです。その時、異議を申し立てないこと。それを確約して頂きたいのです。先程説明したとおり、脳にかなりの負荷がかかるかも知れません。健康な方なら大丈夫な事でも貴女のような四肢の不自由な、また病気を抱えている方への負担はまだ分かっておりません。その為にこれだけのものを用意しております。いわば人体実験でもあるのです」
彼の言葉に頷きながら、疑問に思っていた事の答えを得た。
人体実験……なるほど。
確かにそれは必要な事だけれども、中々やってくれる人を探すのは大変そうね。
「そう……ですか。ええ、納得出来ました。確約書を書きます」
私はそうはっきりと言い切ってから、圭吾の方を向いて言った。
「圭吾、あなたは分かっているの? 何かあったらばあちゃんは命が無くなるかもしれないわよ」
彼は覚悟をしているのだろうか?
分かっていないならちゃんと分からせないと。後で自分を責めるような事のないように。
すると彼はうなづいてからこたえた。
「分かってるよ。だからそばに僕はいるんだ。それに何もしないばあちゃんは死んだような眼をしてた。今はしっかりしてる。生きてる眼だよ。ばあちゃんにはあんな眼をしたまま、死んだようなまま……そのまま死んでしまうような気がする。身体は病院で見てもらえるし、僕はそれ以外のサポートを頑張る。ベッドにいても生きてるばあちゃんでいて欲しい」
心配をかけてしまっていたのね。
私の不安や絶望感をわかっていたなんて。
圭吾は涙を流しながら、死んだように生きないで、僕と一緒に生きて欲しいと言った。
ごめんね。あなたも覚悟をしているならもう言うことはないわ。
それから彼らは一度会社に戻って正式な契約書と確約書を用意することになった。
彼らが出てしばらくすると大勢の人がたくさんの機械を持って部屋に入ってきた。
机や椅子、テレビのような画面を三つ、何やら箱のようなものをたくさん……ケーブルで繋いています。うちにあった圭吾のパソコンよりたくさんの機械がうじゃうじゃと……
代わりに置いてあったソファやテーブル、介護者用のベッドなどは部屋から出された……
あっという間にそれらを部屋に設置すると、彼らは去っていった。
見てるだけで疲れたような気もするわ。ちょっと眠りましょうか……
圭吾たちは書類とともにやってきた。その後弁護士さんや、担当の医師、看護師さんらも部屋に集まってきた。
ビデオを廻す人もいてびっくりした。
すると神谷さんが契約書を読み上げていく。
私は一つ一つ頷き了承した事を告げる。最後にペンを渡されて契約書と確約書にサインをした。だけどそれは読める字では無い。みみずがのたくったようなもの。ペンを持つだけで精一杯の私に出来るギリギリの文字であった。
撮影は私が自分の意思でサインをした事を証明するものであった。
そして来週から私はゲームの中で生きて行く事となった。孫の手に引かれながら二人でのゲーム生活が始まる事になるのであった。
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