死神と運命の女22
同日、教会ロンディヌス支部のフロントにて。
「本部への船を出してほしいだぁ?」
数日ぶりに再会して早々、散々嫌味を言われ続けた相手に突然頭を下げられたエレンは、目を丸くした。
「海に怪物が出るとかでどこも船を出してくれないんだ。ロンディヌス支部なら本部に行くための船ぐらい持ってるよね!?」
掴みかかる勢いで迫るロアに、エレンは一歩引く。
「も、持ってなくはないと思うけど、船レベルの備品を今すぐ持ち出すのって結構難しいっていうか、私そっち方面にコネとかないんだけど……」
エレンがそう言うと、ロアは涙ぐんだ。
「ちょ!? そんな顔しないでよ、私がいじめてるみたいじゃない!? ていうかあんたいつもと雰囲気違くない!?」
エレンがたじろいでいると、
「あ~、エレンってば年上の女の人泣かせてる~。いけないんだ~」
ふわふわとした男の声が闖入した。
見れば、くたびれた白衣にぼさぼさ頭の青年がひとり、緊張感のない顔でキャンディ棒をくわえながらこちらを見ていた。エレンは彼を見るなり勢いよくその胸ぐらを掴む。
「トーマス! 便利屋のあんただったら顔が広いでしょ! 船借りてきなさいよ船!」
「へ?」
トーマスはキャンディを口から落とした。
水飛沫を上げながら、水上を駆ける船が一艘。
トーマスを脅して出してきた、教会が持つ船の中で一番速度がでる小型艇だ。
「エンジンボートが出てくるなんて、トーマスの奴やるじゃない!」
船の小さなハンドルを握りながらエレンはそう叫んだ。
「ちょっとこの船スピード出過ぎじゃないデスもん!? 涙が勝手にちょちょぎれるんデスけどぅ!?」
カメリアがロアの胸にしがみついて叫ぶ。
速度は出るが大人が二人乗れて精一杯の船で、大波に煽られると転覆する恐れがある。他にも船の候補はあったが、ロアは速度を優先した。
「入り口が見えてきたわよ、あれが本部! 入ったことないけどね」
それは遠目から見れば、空を突く針のような建物。
これまでロアの人生の中で見てきたどの建物よりも非現実的な形状をしていたが、近づけばようやく、それが現実にある城なのだと実感できた。
あともう少し走れば到着、というところで
「!?」
海が大きく揺れ、割れた。
「なになになに!?」
船は進行方向から大きく押し戻され、転覆しないよう耐えるのに精いっぱいだった。
「あれは」
前方に、赤い目をした巨大な鯨が現れる。
「鯨の悪魔デスもん!?」
「ちが、悪魔の匂いじゃないわよ!? 何こいつ何なの!?」
「こんなの丸呑みされたらおしまいなんデスけどぉぅ!?」
そうこうしている間に鯨は大口を開けてこちらに向かってくる。
エレンが悲鳴を上げかけた時、ロアがその口を押えた。
「口閉じて」
ロアは早口でそう言うと、エレンを素早く抱き抱えてボートから跳んだ。
「!?」
突如襲う絶望的な浮遊感にエレンは身を強張らせてロアの身体にしがみついた。
ロアは動じず、そのまま鯨の頭部に降り立つ。
そして間髪入れず猛スピードで鯨の背を駆けた。
嫌悪感からか鯨は大きく上体を反らしたが、それと同時にロアは再度、大きく跳躍する。
上がる水飛沫。
脚力と反動を利用して、ロアは見事に岸へと降り立った。
「……、……」
エレンは呆然として何も言えないまま、砂の上に下ろされる。完全に腰を抜かしてしまってエレンはその場にへたりこんだ。
「ロアしゃんの胸、掴まりやすくて助かったデスもん」
「うるさいわ」
ロアはいつまでも胸に掴まっているカメリアを引きはがし、城に向かって歩いていく。
「ちょっと、あんたひとりで行くの!?」
「足が治ったら君には帰りの船を探しておいてほしい」
ロアはエレンにそれだけ言って、走り出した。
* * *
目を開けると、彼女は木陰に寝かされていた。
身を起こすと、男物の上着が肩からずり落ちる。
すぐ隣には銀髪の女が座しており、どこか遠くを見つめていた。
「……ああ、そう。やっぱりあの人はもう私を助けてくれないのね」
「わかってたくせにそういうこと言うもんじゃないヨ。私じゃ不足かい?」
ライアがそう言うと、アリシアは声を上げて大いに笑った。
口を開くだけでパラパラと、亀裂の入った頬から破片が落ちていく。
「貴女に感謝なんて私は絶対にしないわ。貴女が救えなかった人の数だけ貴女は他の誰かに優しくしたんでしょうけど、その人たちだって皆きっと不幸になってる。貴女は誰かを選べない、誰かだけを深く愛せない、そういう人だもの」
ライアは顔を向けず、頭を掻いた。
「ほんと君は痛いところを突くねエ。ロンディヌスのバーの主人に似たようなこと言われたことあったわ、博愛主義もいい加減にしろってネ」
はっと、アリシアは嘲笑った。
「博愛主義なんてくそくらえよ。愛は一途なもの、私はあの人を一途に愛した。それは間違いなんかじゃないわ、報われなくても間違いじゃないわ」
そうかい、と彼女は言う。
「じゃあ君は、君は笑って逝ってくれるかな」
ようやくライアがアリシアのほうに顔を向ける。
アリシアは言葉に詰まった。
振り返った彼女が今にも泣きだしそうな顔をしていたからだ。
泣きたいのはこっちなのに、どうしてそっちがそんな顔をするのか分からないし、どうしようもなく腹立たしかった。
ひび割れた目尻から、熱いものがこみ上げてくる。
「……そんなわけ、そんなわけないわ。笑えるわけないわ。私が本当に欲しかったのはたったひとつだけ。それすら手に入らないなんてあんまりにも惨めだわ。私はなんのために生まれたの? ねえ、大人の玩具? あの人の駒? 私は一体なんだったの? ねえ、教えてよ」
涙をこぼしながら俯いたアリシアの頭を、ライアは抱き寄せた。
「アリシア。私は君に幸せになってほしかった。君の来世が、君にとって良い人生であることを心から祈るよ」
最期に、アリシアは顔を上げた。ヒビだらけの顔で、彼女は確かに笑った。
「……
涙と共に、彼女の顔が、身体が崩れていく。
まるで最初から砂人形であったかのように、彼女の身体は塵となって跡形もなく消えた。
残ったのは、美しい仕立ての、貴婦人のドレスだけ。
「……」
ライアは深く溜息をついた。
『お前は人間を愛しすぎた。だからもう悪魔たる資格を得られない。魔界の門はくぐれない』
「笑わせるよな。人間にもなりきれねえのに」
ひとりそう毒づいて、ライアは胸元を探った。そして気づく。
「……煙草、結構前にやめたんだっけ」
あーあとその場に仰向けになった。
『私の人生ってなんだったのかしら』
かつて彼女が最も愛した女は、とても哀しい死に方をした。
『幸せになりたかっただけなのに』
その悲しみを繰り返さぬよう、彼女は文字通り東奔西走した。
けれどどうだろう。振り返ってみれば悲しい結末ばかり見ている気がする。
誰かが幸せになれば誰かが不幸になる。そんなことは分かっていたつもりだった。
けれどどうしようもなく抱えきれなくなって、悲しい終わりから目を背けるようになったのはいつ頃からか。
クロワ家のメイドのアリシアも、ろくな死に方をしない女だとライアは薄々察していながら、忙しさにかまけて目を背けた。
けれど。
唯一ひとりだけ、彼女の予想を裏切った女がいる。
マグナス神父から話を貰ったとき、正直顔を合わせにくいなと思っていた。
心の支えを失った彼女は、てっきり、自分のような亡霊になっているものだと思っていた。
けれど、再会した彼女は私なんかよりずっと人間らしく育っていた。
彼女は自慢の教え子だ。
「……お前はちゃんと、見せてくれるんだよなぁ?」
東へと流れる雲に向かって、ライア・ロビンソンはそう語り掛けた。
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