死神と運命の女12

「ああマリアしゃんアリアしゃん、駄目デスよ。今日は一日ゆっくりしていてもらわないとワタシがあの人に怒られるデス」


 ロア達を見送ったあと、マリアが早速屋敷の掃除を始めようと箒を手にしたところで、カメリアが止めに入る。


「まあ。ミス・ロビンソンは私の目付としてあなたを置いていったんですね」


 そう微笑みながらも箒をかけ始めるマリアに、カメリアは慌てて箒の柄にぶら下がる。


「いいから休んでてください!」

「でも何かしていないと落ち着かないというか。あまりじっとしていられる性分ではないので」


 マリアはひょいとカメリアの両脇を抱えて地に下ろす。


「ええー、ワタシは何もしないでいるのが一番好きデスよ? お日様の匂いのするぬくぬくのオフトゥン大好きデスもん」

「そうですね、掃除より先にシーツを洗濯しましょう。今日はいいお天気ですし」


 閃いたように手を叩き移動するマリアのエプロンに、カメリアはしがみついた。


「だからお仕事はダメなんデスってばあ!」

「あなたも結構意固地ですね」

「マリアしゃんに言われたくないデス」

「そうですか」


 仕方ないですね、とマリアはカメリアを抱え、居間のテーブルに置きっぱなしにしてあった籠を手に取る。そしてそのまま、中庭に面した日当たりの良い窓際に移動し、座った。


「編み物デスか?」


 籠の中に入っていたのは、編みかけの、少し歪な深緑のマフラーだ。


「これは仕事ではなく趣味ですから、邪魔しなくていいですよ」


 膝の上のカメリアにそう告げて、マリアはマフラーを編み始めた。

 編み物をしているマリアの顔は、それを贈る相手のことを想っているのかどこか楽しげで、カメリアもつられて上機嫌に尻尾を揺らす。


「良い色デスね。ロアしゃんの髪色にとても似合うと思います」

「ありがとう。私もそう思ってこの色にしたんですよ」


 すると、先刻まで楽しげだったマリアの表情が少しだけ曇った。


「どうしたデスか?」

「いえ。なんだか改めて考えると不思議な気分で。以前私はあなたの名前のもととなった方を根無し草と喩えたのですけど、私も実際そうなのです、結局は師の拾われ子ですから。けど今はここで女中としてお留守番をしていて、あの人は悪魔になってしまったけれど領主として都に行って、国王主催のパーティーに出るんですよ? そして私は今マフラーを編んでいる。この大変な時に」


 カメリアは首をもたげ、マリアの様子を覗いながら尋ねる。


「……マリアしゃん、地味にパーティーに行けなかったこと怒ってるんデス?」

「いえ、乗り気でないロアを送り出したのは私ですし怒っているわけではないんですが、なんというか」


 なんとも言い表せない、漠然としたもやもやがマリアの中にあった。いや、口に出してしまえば案外簡単なことなのかもしれないとマリアは自嘲する。


「置いていかれて寂しい、のかもしれません。今まであまり、意識していなかったから。あの人、もともと引きこもりですし、まったく貴族らしくないですから、こういうことってあんまりなかったんですよ」


 すると、カメリアが慰めるようにマリアの手に頬を寄せる。

 くすぐったいと、マリアは笑みをこぼした。


「これはもうすぐ出来上がるので、終わったらあなたのも編んであげますね」

「ほんとデスか!? ワタシのはオレンジのように赤い色でお願いしゃず!」

「赤ですね。わかりました」


 カメリアはふふ、と嬉しげに笑みをこぼし、マリアの膝の上で猫のように丸まった。


「マリアしゃんの膝の上、あったかくて落ち着くデスもん……」

「私もあなたが膝の上にいてくれるとあったかいです」


 その日、ふたりは日が傾くまで窓際に座って穏やかに過ごした。


 ** *


 時刻はちょうど正午前。首都ロンディヌスの南にある王城敷地内のホール前には、礼服を着込んだ人々が列をなしていた。その列の中に佇みながら、アルフレッド・ルクルスは空虚な目で天を仰ぐ。


 君主制度こそ廃止されたものの、いまだ政治的影響力を持つ王家が毎年、諸侯や著名人などを王城に招く大規模な招宴。

 今年ははじめて、ルクルス家もロンディヌスを代表する財閥のひとつとして招待された。それ自体は大変名誉なことで、昨年逝去した父ジョンソンも草葉の陰で喜んでいることだろうと家族の皆が口を揃えて言った。しかし不運なことに、本来なら家長である長兄が参宴するところ、風邪をこじらせてとても出席できる状態でなくなり、次男坊は遠方に出張、結果三男であるアルフレッドにそのお鉢が回って来たのだ。


『どうせそんな宴、出席したところで生粋の貴族様方に成金だのなんだの陰口叩かれるに決まっているぜ』と歯に衣を着せず言ったのは次男。

『あなたなら嫌味がないし、大丈夫じゃないかしら』なんて言ったのは母。

 要するに本当は誰も行きたくなかったのである。


(……胃が痛い)


 アルフレッドは腹部をさすりながら、受付を済ませエントランスをくぐる。

 しかし次の瞬間、現金なほど彼のテンションはぐんと上がった。

 会場の入り口付近で、見覚えのある後姿が目に入った瞬間、心臓がドキリと跳ねたのだ。


「……あ、あの、領……ミス・クロワ!」


 彼の上ずった声に、その人が振り返る。

 貴婦人のドレスを纏い、特徴的な大地色の髪を編んで結い上げ、社交界用に化粧を施したその姿を彼は初めて目に入れる。正直眩しすぎて一瞬眩暈がした。


「おや、ルクルス殿じゃないか」


 一方、振り返ったその人、ボルドウ領主ロア・ロジェ・クロワは、以前会ったときと変わらぬ穏やかさと余裕をもって、彼に微笑んだ。


「こんなところで会うなんて奇遇だね」

「こ、こちらこそ、お会いできて光栄です」


 彼女のそばに駆け寄り、アルフレッドは俯き加減に微笑んだ。


「このなりでよく私だと分かったね? 貴殿の前ではずぼらな格好しかしていなかっただろう?」


 いえ、後姿でも一目見て分かりましたよと言おうとして、アルフレッドは口ごもる。言ってしまうとただの気持ち悪い奴になってしまいそうだったからだ。そこで彼はようやく、彼女の傍らに立つ人物に気が付いた。

 モーニングをよく着こなしている、見事な銀髪の紳士だった。


「失礼、はじめまして。商いをしていますルクルスと言います。クロワ様には以前からお世話になっていまして」


 アルフレッドが頭を下げると、その人はいやいやこちらこそ失礼、と会釈を返した。


「男嫌いのこの子にまさか男性の知り合いがいるとは思わなくてびっくりしてしまったヨ」


 はは、と笑う彼を、彼女は軽く肘で小突いた。


「先生、余計なことは」

「失敬。私はこの子の元教師でロビンソンといいます」

「え、お若いですね?」


 アルフレッドは思わず率直にそうこぼした。


「はは、よく言われるんですヨ。見た目より歳はとってるんです」

「そ、そうなんですか」


 そこで、アルフレッドは他の客が会場のホールへと続く回廊に抜ける邪魔になっていることに気付いて道を譲る。道を塞がれていた髭の紳士はわざとらしく彼に咳払いして目の前を通っていった。


「こんなところで足を止めてしまい失礼しました、また後程、お時間があれば!」


 アルフレッドはそう言って首を下げた。

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