死神と運命の女2

 * * *


「ミス・テンダー。君に直に依頼したい案件があると本部から連絡があった」


 ――一週間前。教会ロンディヌス支部所属のエレンは、彼女の上司であるカーマン・ベネリクト副支部長からそう告げられた。


「本部が、私に?」

「なんでも極秘の案件らしい。明日本部から君を訪ねて来るそうだ」


 そう言う彼も、口の上に生やした髭を触りながら落ち着かない様子だった。


「……その様子ですと、副支部長も内容をご存知ないのですか? 通常であれば本部とはいえ私の上司である副支部長に話を通すはずでは」


 エレンのもっともな意見に、カーマンは曖昧な笑みで応えた。


「君にとって良い話ならいいんだが」


 ――結論から言うと、本部からの話は良い話でもなんでもなく、妙に厳重な緘口令を敷かれた、とある悪魔の探索令だった。この件はエレンの上司である副支部長は勿論、支部長にまで内密にするようにと言われ、気持ちの悪い思いだった。

 それが如実に表情に現れていたのか、本部からやって来たという幹部――それにしては随分若く見える男だった――はエレンにこう投げかけた。


「エレン・テンダー。今回君に与えた任務は非常に重要な仕事です。巡り巡って君の目的を果たすことも出来るかもしれない、ね」

「失礼ながら。私の目的をご存知ということですか?」

「今回声を掛けた精鋭の履歴書には勿論私自ら目を通しています。君は家族の命を悪魔によって奪われその憎悪心から悪魔祓いへの道に進んだ、と。君の目的、悲願は、この世界のすべての悪魔の抹殺――そうでしょう?」


 隙の無い、男の黒い瞳に射抜かれて、エレンの身体は少し強張った。視線を少しだけ落とし、エレンは言う。


「その通り、ですが……」

「分かりますよミス・テンダー。教会に属する悪魔祓いの大半は君のように悪魔への強い憎悪心を抱いている。しかし現実、悪魔を根絶やしにすることは、この世界から羽虫を一匹残さず駆除することに等しいほどに困難なこと。内心諦観している者も多い」

「……それを可能にする、というのですか? この、『死神』というのは」

「ええ。奴は魂食いの悪魔です。ひどく神出鬼没ということですが、何人か接触をした人間の記録が残っています。どれも死刑囚でね、今生きているのはただ一人だけ。君にはまず彼と面会して情報を収集してきてほしい」

「……死刑囚」


 エレンは眉をひそめた。


「ミス・テンダー。これは私の誠意として君の疑念に応えましょう。どうしてこの件を君の上司達に内密にする必要があるのか」


 男はエレンの心のうちを読んでいるかのように続けた。


「この度の死神探索の件、クレセント・J・マグナスに白羽の矢が立っていたんです。しかし彼は、本部の重鎮たちを全員手にかけ逃亡した。お陰で本部のほうは混乱していましてね、今も実はてんやわんやなんですよ」

「……な!?」


 ――あの、魔王マグナスが教会と離反した。

 国内の修道士たちが動揺するであろう一大事を、あまりにさらりと男が語るため、エレンは耳を疑うことしかできなかった。一方で男はこともなげに続ける。


「今まで猫を被っていたマグナスがその化けの皮を脱いだぐらいです。彼は死神となんらかの接点を持っているのでしょう。ロンディヌス支部長及び副支部長は以前からマグナスの擁護派です。そういうわけで今回の件は彼らには内密なんですよ。分かっていただけましたか?」

「……し、しかし、マグナスが在籍していた支部の統括はロンディヌスだったはずです、その件を支部長や副支部長に内密にするのは、」

「ミス・テンダー。君の優れた探知能力に私はとても期待している。どうかこの期待を裏切らないでほしい」


 男は始終にこやかだったが、その黒い目はひとつも笑っていない。半ば脅しともとれるその命に、エレンは従わざるを得なかった。


 * * *


「来ないんですよね」

「何が?」

「訊く前にちょっと離れてくれません? 近すぎて邪魔です」


 屋敷の中にいても吐く息が白くなる、そんな冬の訪れを感じさせる、肌寒い日だった。窓の外はまだ昼間だというのに雪でも降りそうな具合の曇天だった。

 マリアが居間のソファーで編み物に熱中していると、ロッキングチェアで揺れていたはずのロアがいつの間にか隣にやって来ていて、徐々に距離を詰めており、今やぴたりとマリアに触れる形で膝を抱えて丸まっていた。


「だって寒いんだもん。このほうがマリアもあったかいでしょ」

「寒いのは得意なので。ロアは冬の生まれなのに寒がりですね。……いえ、夏も全裸で水風呂に入りたいとか言っていましたっけ」

「……マリアがそこはかとなく冷たい……。やっぱりまだ怒ってるんだ」


 ぐす、とわざとらしく音を立てて鼻をすするロアを、マリアはきっと睨みつけた。


「違います! せっかくいい具合に編めていたのに横でそうじっと見られていると視線を感じてちょっと失敗しちゃったんです! もう……」

「失敗? 素人目には全然分かんないけど」


 ロアは編み物の類は一切しない。マリアも冬の手慰みにと始めたばかりで、それも本を見ながらの独学なので割とよく失敗する。


「ならいいです。どうせ貴女のマフラーになるので」

「え」

「あ」


 ロアは目を丸くする。

 まだ言うつもりはなかったのに、とマリアは自らの口を押えて渋い顔をした。

 途端にロアは破顔する。寒そうだった白い頬も一気に紅潮した。


「そうなの!? 嬉しいな、マリアの手編みのマフラー!」

「あ、穴だらけになるかもしれないのであまりに無残な出来だったら差し上げられないですし今からそんなに喜ばれても困るといいますか」


 編みかけのそれをテーブルに置いて、そっぽを向こうとしたマリアの手をロアがそっと、逃がさないように握る。そしてその手に軽く唇を寄せた。


「それでも嬉しい。ありがとう」


 ロアの笑みとその口づけに、マリアの頬も色づく。


「……、また貴女は軽率にそういうことをする……」

「軽率じゃないよ、ちゃんと考えてるよ」


 そう言うロアは、まだその手を離さずに、少し寂しげに、遠慮がちに目を伏せて笑った。


「……」


 その表情を見て、マリアは察する。あの夜のことをまだ引きずっているのは、ロアも同じなのだ。

 少し前――夏の頃なら、もう少し、お互い遠慮がなかったような気がする。

 例えば、そう。口づけにしても、手の甲以外にだって、何度もした、のに。


「……その、マリアが許してくれるなら。仲直りのしるしに、」


 マリアの手を握ったまま、妙に自信なさげに、ロアがマリアの顔を覗き込む。

 同じことを考えていたのかと、マリアの眉が自然と少し下がった。

 それを見てロアも察したのか、嬉しげに目を細めて、そっと顔を近づけていく。

 すると。


「……?」


 何か黒いもの(それもどこか下卑た表情を浮かべている)が視界に入って、マリアはロアにストップをかけた。


「ハッ!」


 黒いソレはひょうきんな声を上げて、尻尾を巻いて逃げようとしたが、ロアに秒で捕まった。


「……やあワンちゃん。ひとの屋敷に入り込んで一体何をしているのかな???」


 頭を掴まれ四肢を宙に浮かせてバタバタさせている黒い子犬は、器用に長々と弁明を始める。


「いやっお邪魔するつもりはなかったんデスけどッなんかキマシタワ雰囲気だったのでッおふたりのなんとなく初心なチュウからのあわよくばベロチュいいだだだだッ流石に頭割れそうなのでその怪力で握るの止めていただけませんデスもんッ!?」


 ロアは溜息を吐きながら手を離す。すると、子犬を握った手に黒い煤(すす)がついていることにロアは気が付いた。見れば、犬が歩いたらしい床も煤で黒く汚れている。


「毛が黒くて気付かなかったけどなんでお前そんな煤だらけなの?」


 ロアの問いに、思い出したように子犬が手を叩く。


「あっ、そうなんデスもん! 礼拝堂がバーニングして命からがら逃げ伸びたんデスもん! ワタシ、マリアしゃんの匂いを頼りにここまでやってきたんデスもん! 我ながらすごいデスもん?」

「……え?」


 マリアの表情が固まった。

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