死神と運命の女3
「礼拝堂が燃えた?」
マリアの表情を見て、ことの深刻さを理解したのか、子犬は慌てて付け足した。
「ワタシの失火じゃないデスよッ! お留守番でお昼寝してたら急に火の手が上がったんデスもん! ……村の人たちが慌てて消火しに来てくれてましたケド、あれじゃ多分全焼デスもん……」
ロアがマリアの様子を覗う。
「見に行く?」
「……いえ、お師匠様は長く堂を空けると言っていましたし、あの堂の近隣に住居はありません。人的被害は恐らくないでしょう」
ただ、とマリアは続ける。
「火事の原因が気になります。あなたの他に誰かいなかったんですか? ホノオは」
「ホノオの兄貴は神父様と先に出掛けてたデスよ。その後兄貴だけが戻って来て、こぞって皆堂からいなくなって、ワタシは兄貴から留守番を命じられたんデスもん。その矢先に火事とかやめてほしいデスもん……」
子犬の態度から、その言葉は嘘ではないらしい。
しかし、あの礼拝堂から神父の使い魔であるすべての悪魔がいなくなることは、そうあることではない。
神父がこの間言っていた、『大きな仕事』と何か関係があるのだろうか、とマリアが思考していると、来客を知らせるベルが鳴った。
「こんな時に。誰だろう」
「見てきます」
マリアが玄関の扉を開けると、そこには、黒いカソック姿の男たちが5人ほど待ち構えていた。彼らの胸には青い石が埋められた、銀の十字架が光っている。
給仕服姿のマリアを見た途端、数人が怪訝な顔をして顔を見合せた。
正面に立っていた男が厳かに口を開く。
「……マリア・マグナス、だな」
初対面にも関わらず、男は決して友好的な態度ではなく、むしろ威圧的なそれだった。マリアも自ずと警戒心が先に出る。
「その十字架、教会本部の神父様方とお見受けしますが、随分と大人数で、何用でしょうか」
「貴様の師、クレセント・J・マグナスが同胞である悪魔祓いを五名殺害した後逃亡した」
毅然とした態度に徹しようとしていたマリアの心が早々に揺れる。それは、耳を疑いたくなる言葉だった。
「あれが拠点としていた礼拝堂はもぬけの殻で、残っていたのはいかにも脆弱そうな犬の姿の悪魔のみだった。その後をつけてここまでやって来てみれば、貴様がここにいたわけだが。貴様、魔王の使い魔を匿っているな?」
マリアがよく目を凝らすと、男達の足元、衣服にも黒い煤が飛んでいる。礼拝堂に火を放ったのは間違いなく彼らだ。
良くない流れだと、マリアは内心脂汗をかく。男がそんなマリアの肩を掴もうと、手を伸ばした。
「マリア・マグナス、貴様の身柄を拘束する」
瞬間、男の手が払われる。
同時に、マリアは肩をぐっと引き寄せられて、すっぽりと背後の人物の腕の中に納まった。
「私の大事な女中に手荒な真似はやめていただけないかな
ロアが出てきた途端、男達は分かりやすく狼狽えた。
ここがボルドウ領主の屋敷であるということは、彼らも分かっていたらしい。
「領主殿、そこな女は大罪人の使い魔――悪魔を匿っている疑いがあります。調査のためにもその女の身柄を引き渡していただきたい」
マリアの女中姿を見て彼らが顔を見合せていた時点で察しはついていたが、幸いにも、彼らはロアがマリアの使い魔だということを知らないようだ。
ある一件から用心深くなっているロアが、常日頃からライア・ロビンソンから購入している悪魔の匂い消しを使用しているお陰でもある。
ロアは余裕たっぷりに続けた。
「悪魔を匿う? この子は休日になれば教会の奉仕活動に出掛ける信心深い子だ。馬鹿げたことを言わないで欲しい」
すると後ろにいた、血気盛んそうな若者が口を開く。
「その娘の大人しそうな外面に騙されているんですよ貴女は」
ロアが冷たい眼で男を睨む。
「無礼だな君は。この子を貶めた上に私を愚蒙だと、そう言いたいのか」
ロアの頑なな態度に男たちは苛立ちを見せ始めた。明らかに辟易とした表情で、正面に立つ男が言う。
「……、ならばせめて、屋敷の中を今、確認させていただきたい。逃げ込んだ悪魔を捕獲します」
これが、男たちの最大の譲歩なのだろう。拒否をしても、承諾をしても事態は好転しない。
マリアがちらりとロアの顔を覗う。
きっとそこにあるのは苦渋の表情――かと思いきや、ロアは不敵な笑みを浮かべていた。
「我がクロワ家の屋敷に踏み込むならばそれ相応のものを持ってきたまえよ、公僕風情」
「……!」
空気が一瞬にして張りつめる。
しかし、男たちの剣呑な眼差しにも揺るがず、ロアは彼らに言い放った。
「クロワ家は下流といえど高貴の血。陛下の免状があるなら謹んでここを譲ろう、そうでなければ出直すがいい」
男が歯噛みするのが分かった。
ロアの言う通り、教会が国の機関である以上、悪魔祓いの修道士といえど政府の役人に違いはない。
爵位制度が廃止されてもいまだ根強く残る国王の不可侵領域――貴族特権を持ち出されては、彼らはなすすべを持たない。
「――失礼する」
小さくそう吐き捨てて、男たちが踵を返す。彼らが敷地の外に出るのを見届けて、ロアは扉を閉めた。
「ふう、生れて初めてクロワの名前が役に立ったね」
わざとらしく息を吐いて、ロアは扉にもたれかかった。
しかしマリアの表情は浮かない。それどころか握りこぶしでロアの肩を思い切り叩いた。
「馬鹿!」
「えっなんでここで私罵られるの!?」
茶化すロアとは裏腹に、マリアは顔を真っ赤にして真剣に怒っていた。
「また貴女は無茶をして! 私を差し出しておけば貴女まで目を付けられることはなかったのに! 貴女が悪魔であることが公に知れたら貴女の地位も危ういんですよ!?」
「まあまあ、そこは少し楽観視しようよマリア。彼らは滑稽なほどに私の素性を知らなかった。私自身もびっくりだけど、口の堅いロンディヌス支部の御仁方に感謝しないとね」
先刻の出来事から、ボルドウ領主ロア・ロジェ・クロワが以前から悪魔憑きであったことを知っていたのは、教会ロンディヌス支部の支部長、副支部長のみだったということになる。
両名はマグナス神父を擁護する側だったので、もしかするとその点で教会本部との間に軋轢があったのかもしれない。今回はそれに救われた形なのだろう。
「それにしてもマグナス神父のことは本当なのかな」
「……わが師ながら嘘だとは言い切れません。教会に反旗を翻したとなると、礼拝堂から使い魔たちが全員姿を消したことにも納得がいきます。……まあ、悪にせよ善にせよ、あの人のことですから何かしら考えあってのことだとは思いますが」
マリアは気を落ち着かせるために一旦息を吐いた。
そして冷静に、次に移るべき行動を考える。
「……私はしばらく身を隠したほうがよさそうです。彼らが再びここを訪れるのも時間の問題でしょうし、貴女にも迷惑がかかります」
「そうだねえ。取るものもとりあえず今すぐ屋敷を出ようか。うん、それがいい」
ロアはマリアの手を引いて歩き出そうとするが、マリアは慌てて足を踏ん張った。
「あの、私の言葉をちゃんと聞いていましたか? 貴女までここを離れたら余計に怪しまれる上にそもそも貴女はここの領主なんですよ? いつ戻って来られるかもわからないのに、貴女が私についてくる道理はありません!」
筋の通ったマリアの訴えに、しかしロアは笑みを湛えて答える。
「だって私は、マリアと離れたくないもの」
マリアは呆然とした。口だって唖然と開いていたかもしれない。
「道理でしょう?」
「……馬鹿」
「マリアに罵られるのはご褒美だよ?」
そのロアの手を振り払うべきだと、分かり切っているのにマリアにはそれが出来なかった。
自身の弱さへの歯痒さと、彼女への甘えで涙が溢れてきそうになる。
それをこらえようと、マリアはぎゅっとロアの手を強く握り返した。
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