悪魔祓いと魔女2

 小屋で一夜を過ごした次の日、ロアとマリアはリーシャの案内で村のはずれの丘へと向かった。


「この坂を下っていくと、アンジェラさまのお屋敷があるの。リーシャは行かなくてだいじょうぶですか? お屋敷の前まで行きますけど」

「ありがとう。でも大丈夫だよ。昨日も遅かったのに、朝早くから道案内してくれてありがとう。リーシャはしっかりしてるね」


 そう言ってロアが微笑むと、リーシャも照れ臭そうにはにかんだ。


 手を振るリーシャと別れ、ロアとマリアは坂を下る。

 雑木林を抜けると、リーシャが言った通りの、レンガ造りの立派な館が待ち構えていた。


「随分立派なお屋敷ですね」


 あの村は控えめに言っても裕福ではない。

 ロア達が借りた一夜の宿も非常に簡素だったが、今朝通りがかりに見た村人たちの住居も似たようなものだった。

 ここまでしっかりとしたレンガ造りの屋敷となると、もともとはこの辺り一帯を治める名家の屋敷だったのではないかと思うほどだ。


「リーシャの話だと、ここにその魔女様がひとりで住んでるって話だけど」


 あまり人の出入りがないのか、他に勝手口があるのか、正門には枯れた薔薇の蔦がしっかりと絡みついている。

 マリアが門に手を掛けようとすると、ロアがそれを止めた。


「棘で手を切るといけないから私が開けるよ」

「過保護に過ぎます」


 眉をひそめるマリアに微笑みだけ返しつつ、ロアは皮の手袋を履いた手で、蔦を引きちぎった。

 違和感を覚え、ロアが掌を見ると、薔薇の棘が手袋に刺さっていた。


「もう! 貴女が怪我してどうするんですか! 大丈夫ですか?」

「これぐらい平気だよ。さあ行こう」


 錆びた黒い鉄の門をくぐり、ふたりは屋敷の玄関へとたどり着く。

 すると、重厚そうな扉がひとりでに開き、ふたりは目を丸くする。


「すごい。本当に魔女だったんだねえ」

「茶化さない。テレキネシスの特異能力者である可能性があります。注意してください」


 そこに、くすくすと微かな笑い声が聞こえた。

 見ると、開いた扉の先、屋敷のエントランスホールの奥から、木製の車椅子に乗った人影がゆっくりと現れる。


「ようこそ魔女の館へ、可愛らしい聖女様と美しい使い魔さん。でもその扉は、からくりで開くようになっているだけですのよ」


 現れたのは、ゆるくウェーブがかかった長い黒髪と、黒曜の瞳を持つ、清楚なのに妖艶な雰囲気を持つ不思議な女性だった。

 髪色、瞳の色から、この地域の土着の人であることは分かるが、その身に纏う高貴な雰囲気は、丘のふもとの村人たちとは一線を画していた。

 ロアよりも恐らく年上ではあろうが、外見だけでは正確な年齢は図れない。

 マリアが一歩前に出て礼をする。


「突然の来訪、失礼します。ふもとの村で貴女のことを耳にしてやって来ました」


 その言葉に、館の主人は頷いた。


「貴女方がここに来ることは分かっていましたよ。私の名はアンジェラ・シーラー。ここでまじない師や薬師の真似事などをやっております」

「私はマリア・マグナスです。……貴女とは、ここで初めてお目にかかったと思うのですが。どこかで私たちのことを?」


 マリアが訝しげな眼を向けても、彼女は動じず、むしろにこりと笑ってみせた。


「立ち話もなんでしょう、せっかくですから上がってくださいな」




 客間に通されたふたりは、促されるままにテーブルの前のソファーに並んで座った。

 テーブルの隣、マリアの傍らに位置するほうにアンジェラが車椅子を止めたので、ロアはむ、と彼女を一瞥する。


「少し前に足を下手に捻ってしまってこの様ですの。せっかくのお客様だから、お茶をお出ししたいところなのだけど使用人もいなくて」

「いえ、お気遣いなく。お茶をいただきに来たわけではないので」

「まあ聖女様、そう堅くならずとも、何も悪いことは致しませんわよ? その可憐なお顔にはきっと笑顔のほうが似合いますわ」


 後方でロアの身体がぴくりと動いたのを察して、マリアは慌てて彼女の左手をつねって制止する。

 それすら楽しげに微笑んで受け流すアンジェラに、マリアは軽く咳ばらいをした。


「貴女の予言のことを、リーシャから聞きました。『村の少女たちの心臓を食らう鬼を、聖女と、その使い魔が退治しに来る』と、貴女が彼女に告げたのは数週間も前のことだったと。我々がこの件を教会から引き受けたのはつい先日のことです。貴女には予知能力があるのですか?」


 単刀直入に尋ねるマリアに、アンジェラは躊躇うことなく「ええ」と答えた。


「この能力のことは、公にはしていないのですけどね。今回は、鬼に怯えるリーシャがあまりに不憫で、つい伝えてしまったのですよ」


 能力を隠匿するのは、当然のことだろう。

 ただでさえ特異能力者は利用されやすいのに、予知能力など、その最たるものと言っていい。

 過去の歴史として、予知能力の保有を公言した人間は皆、権力者に利用されて悲惨な末路を辿っている。

 近年では、特異能力の保有を公言する人間は稀だ。その点はマリアも例に漏れない。


「ミズ・シーラー。先ほど貴女は、我々がここに来ることも分かっていた、と仰っていましたが、それも予知で?」

「ええ、聖女様。貴女の胸の内も私には手に取るように分かるのです。貴女、私に頼みごとがあるのではなくて? 星がそう云っていましたわ」


 黒い瞳が、全てを見透かすようにマリアの瞳を覗き込む。

 マリアは少しだけ気圧され、息を呑んだ。

 ――彼女は本物だ、と。


 その傍らでロアが非常に不愉快そうに顔をしかめるのを見て、アンジェラは笑みを濃くする。

 ふたりのそんな応酬に気付いていないマリアは、身を乗り出してアンジェラに尋ねた。


「貴女に本当に予知の力があるのなら、貴女に視ていただきたいのです、ミズ・シーラー。この人が、ロアが、人間に戻る未来の、そのきっかけを」


 その、あまりに実直な言葉と眼差しに、ロアは思わずアンジェラへの警戒心を忘れ、毒気を抜かれたように目を丸くした。


「ふふっ」


 その様を見て思わず零れた笑みを抑えようと、口元を隠すアンジェラ。

 マリアが怪訝な顔をすると、取り繕うように彼女は微笑み、謝罪した。


「いえごめんなさい、貴女を笑ったわけではないの、失礼」


 ロアはばつの悪そうな顔をして腕を組んだ。


「……貴女の気持ちはよく分かりましたわ聖女様。けれど私もこの力を使うのには色々と気力も消費しましてね」


 つまり、相応の対価を要すると言いたいらしい。


「当然、ただでとは言いません。報酬なら払います」


 マリアの言葉に、アンジェラの目がきらりと光った。

 その瞬間、何とも言えない嫌な予感がロアの胸を突いたが、アンジェラの次の言葉は想像を超えるものだった。


「でしたら聖女様、期限付きで私の護衛兼メイドになってくださらない? そうしたらその報酬として未来を視てさしあげますわ」


 ……。


「「――は?」」


 あまりの突飛な申し出に、ロアとマリアは口を開けて固まってしまった。

 マリアがぱちぱちと瞬きをする間、あえて無言に徹していたロアが遂に立ち上がって口を開いた。


「どういうことかな、ミズ・シーラー? 意図が測りかねる」

「深い意味はありませんわ、言葉通りの意味です。実は私、明後日にどうしても行かなければならない場所がありまして。この足では一人で行くことは困難……加えて危険を伴いますの。ですから、悪魔を使役できるほどの力をお持ちの聖女様に、是非護衛をしていただきたくて」

「貴女の護衛なら私だけで十分だ。マリアが何故貴女のメイドになる必要があるのかと訊いている」


 ロアの言葉に、「ああ」とアンジェラは首を傾けて


「だって聖女様、とっても可愛らしいんですもの。私、可愛らしいメイドにお世話をされるのが幼い頃からの夢で」


 悪びれる風もなくそう言った。


「貴女の趣味に付き合っているほど我々は暇では」

「ロア」


 声を荒げ身を乗り出したロアを、マリアが腕を差し出して止めた。


「明後日の外出までという条件でしたら、私は構いませんよミズ・シーラー。幸い女中業には慣れています」

「マリア!?」

「まあ本当? 嬉しいわ。早速お洋服を用意しないと。修道服もお似合いだけれど、メイドには不向きよね」


 驚愕し固まるロアを尻目に、アンジェラとマリアの間で契約が成立する。ロアは慌ててふたりの間に割って入った。


「ちょっと待った! マリアが許しても私が許さないから! 絶対許さないから!」

「あらあら」

「ロア、これは私が決めたことです。聞き分けてください」

「マリア、こんな依頼受けないで帰ろう? 未来なんて視てもらわなくても私は――」


 すると、アンジェラがおもむろに右手を掲げた。


拘束バインド


 彼女がその言葉を放った瞬間、ロアの首の周りに光の輪が走る。

 同時に、チリ、と肌を焼くような痛みが走った。


「っ!?」


 ロアが首に手をやり、顔をしかめる。

 見ると、黒い蔦のような紋様がロアの首にくっきりと刻まれていた。


「ロア!?」

「触れたら伝染うつりますわよ」


 マリアがロアの首元に手をやろうとするのを、アンジェラが制止した。

 マリアが初めて、険しい表情で彼女を睨む。


「ミズ・シーラー、彼女に何を」

「どうかお怒りにならないで聖女様。時限で解ける簡単な呪縛ですわ。私、ここで貴女がたに帰られては本当に困りますの」


 少し憂いを帯びた表情のアンジェラが、テーブルの上に飾られていた一輪挿しの赤い薔薇を手に取る。

 ロアは自らの掌、この屋敷の門をくぐる際に怪我をした箇所に目を落とした。

 恐らくあの薔薇の棘に刺されたときから、この呪縛にかかっていたのだ。


「最初から嵌める気満々じゃないか」

「いいえ、この仕掛けはあくまで保険だったのだけど、ごめんなさいね使い魔さん。私の望みは先ほど申し上げたとおりで、それ以上はありません。その呪いはこの薔薇が散る明後日には自然に解けます。それまで貴女には大人しく従っていてほしいの」

「その言葉に嘘があれば私は君に報復する」

「その時はどうぞご自由に。この首を差し出しますわ」


 ロアの殺気立った視線を受け流し、アンジェラはマリアに視線を移した。


「手荒な真似をしてごめんなさい。貴女に似合いそうなお洋服、とってくるわね。妹のものが合えばいいのだけど」


 そう言い残して、アンジェラは客間を出ていった。

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