コールドスリープ

phyeom

コールドスリープ

 病院の廊下の窓からギラギラと太陽が照りつけている。中庭の木々ではセミが喚き散らかしていることだろう。この景色を見るのも今日で最後だと思うと感慨深いな、と思いながら、翻って廊下の一室に向かう。そこは外の様子と対称的に、冷たく、暗く、静寂に包まれている。今日からぼくは、ここでコールドスリープに入る。




 ちょうど一ヶ月前に、ぼくはとある病との診断を受けた。今の医療技術ではどうにもならず、余命は半年だと告げられた。高校一年生になったばかりの夏に、こんな不幸が降りかかってくるなんて、とぼくは絶望するしかなかった。


 そんな中、お父さんが見つけてきてくれたのがこのコールドスリープの案内だった。ぼくの身体は現状のまま何年も冷凍保存されて、ぼくの病を治療する技術が見つかった未来に解凍され、治してもらうことができる。


 もちろん、コールドスリープには多額の費用がかかる。ぼくの病を治せる技術を待たないといけないから、いつ終わるかだってわからない。


 でも、お父さんは

「いくらお金や時間がかかっても、お前が生きていることが一番大事なんだ」

と言ってくれた。お母さんも

「将来またお前の元気な顔が見られるなら、私たちはそれだけで何もいらないの。大丈夫よ」

と同意してくれた。ぼくは恥ずかしくもボロボロと泣きながら

「ありがとう……お父さん、お母さん……」とお礼を言ったことを覚えている。


 死ぬのは怖かった。生きて美味しいものを食べたい。生きて友達と遊びたい。生きて旅行をしたい。生きて恋愛をしたい。やり残したことがいっぱいあるぼくにとって、まだ生きられる、また未来で生きられるというのはこの上なく嬉しい。




 お医者さんの指示に従って、ぼくはコールドスリープ装置に入る。これがしばらくの間はぼくの「棺桶」だ。


 お父さん、お母さんと、弟の亮が見送りに来てくれている。

「お兄ちゃん、未来で会おう!また会うときはもう俺の方が身長勝ってるかもね〜〜」

とおどける彼は、まだ中学一年生だ。しばらくこいつの生意気を聞くこともないのか、そして将来、目覚める頃にはこいつの方が年上になっているのか?そう考えてしまうと、何だかむず痒いような悲しさを覚える。亮の隣に立っているお父さんやお母さんからは、かすかに涙がこぼれている。

「おう、じゃあな!また未来で!」

感傷的な気分を吹き飛ばすように叫んで、ぼくは家族に別れを告げた。


 ぼくは装置に入り、目の前が真っ暗になる。「それでは、麻酔を始めます」という声が聞こえる。このまま、ぼくは何年眠ってしまうのだろうか……



と、ここでぼくの意識は途切れた。






 ――――目が覚めると、そこは綺麗な病室だった。窓から眩しい日が差して、ベッドを照らしている。長い時間眠っていたようだ。記憶はある。自分の名前も、年齢も、趣味もわかる。今日の日付…はちょっとわからないけど、なぜ自分がここにいるのかはわかる。


 ベッドの脇に、穏やかな顔のおばさん、いやおばあさんが座っていた。

「おはよう」

そのおばあさんは、はらりと涙をこぼしながら口を開いた。

「お母さんだよ」


 すぐにお医者さんと看護師さんが入ってきて、説明を受けた。ぼくは20年間コールドスリープ状態だったこと。3日前に解凍されて、手術を受けたこと。病は完治し、もう5日ほど安静にしていれば退院できること。


 説明を受けて、生きているという実感が湧いてきた。20年も空白があったけど、ぼくはこれからまた人生を歩んでいけるんだ。もう、あの病気に悩まされることもない。生きているって、なんて素晴らしいんだろう。


 お医者さんと看護師さんは出ていって、病室はぼくたち二人だけになった。

40歳だったお母さんは、もう60歳だ。時間の流れを深く実感する。ぼくは、何気なく母に話しかけた。


「お母さん、今お父さんはどこ?」

「お父さんはね……出ていったわ。もうあれから10年になるのかしら」

「出ていった?」

「そう……私たち、離婚したの」

「離婚……どうして?」


「10年前にね……あの頃、高いコールドスリープ費用もあって、家計を切り詰めて生活してたの。そんな時に、お父さん、事業に失敗しちゃって……会社が傾いて、家計もますます苦しくなって……そんな中、お父さんの矛先があなたに向いたの。」


「こんなに金を払ってまであいつを生かしておいて何になるんだ、なんて言って……それで私と亮と喧嘩して、結局お父さんは出ていったの。今どうしているかは、全然わからないわ……」


 ああ、生きていても、未来にお父さんはいなかった。「いくらお金や時間がかかっても、お前が生きていることが一番大事なんだ。」そう言ってくれたお父さんは、もういない。


「そうだ、亮、亮は?あいつはどうしてる?」

「亮はね……亡くなったわ。もう8年も前にね」

「えっ…」


「お父さんがいなくなってから、やっぱり家計も苦しくて……亮は、私たちの生活のためにも、あなたのコールドスリープ費用のためにもって、頑張って働いてたの」


「でも、頑張りすぎていたのかしら……不注意で、工事現場から転落して……そう、ええ、もう8年も前のことなのよ」


 母は自分にも言い聞かせるかのように言葉を放った。

 ぼくはもう、言葉が出ない。未来に、年上になってもぼくに生意気を言ってくる、そんな亮はいなかった。


 改めてよく見ると、母の顔はすっかりやつれている。この人は、まる8年間、一人で生きてきたのか。たった一人で多額のコールドスリープ費用を稼ぎながら。

「何だか悲しい話になっちゃったわね……ごめんなさい。お母さん、これから仕事に行かないといけないから」

そう言って、母はふらふらとしながら病室から出ていった。




 はあ……ぼくはベッドに寝転がって、天井を見つめる。看護師さんに病室から出てはいけないと言われたけど、この気分だとなんだかここに居たくない。そろりと起き上がり、ぼくは病室から抜け出した。


 廊下をこっそりと歩いていくと、看護師さんたちの話し声が聞こえる。ナースステーションだ。部屋を出ているのを見つかったら怒られるかもしれない。ぼくはあちらから見えない場所で様子を伺う。


「……でさあ、20年眠ってたあの子、目覚めたらしいわね」


「そうらしいね。あの子ってあの病気だったのよね?でもあの技術って10年前にもうあったじゃない。なんでこのタイミングで解凍したのかしら?」


「それはね、一般人は医療技術のことなんてわからないから、わざとプラス10年眠らせているのよ……維持費・設備費って言って、毎年高額をふっかけて。院長も悪知恵が働いてるなあと思うけど、可哀想な話よね。」


…………頭の血の気が引いていき、憎しみとも悲しみとも形容できない感情が湧いてくる。ぼくは走り出して、病院を飛び出した。




 街をあてもなく歩き回り、気づいたら駅前のビルの屋上広場に立っていた。いつの時代も、ここは家族連れで賑わっている。頰に少し冷たい風が当たる。もう、夏の終わり際なのだろうか。ぼくは、彼らの間をとぼとぼ歩きながら考える。


 そう、ぼくは16歳で死を迎えるはずだったんだ。そう定められていたんだ。しかし、ぼくは自然の摂理に逆らった。コールドスリープを選択した。そこから、この世の全ての歯車が狂った。


 ぼくが運命の定める通りに死んでいたら、お父さんは出て行かなかった。亮も死ななかった。お母さんもあんなにやつれることはなかった。そして、未来でぼくがこんなに苦しむこともなかった。


 未来には何があった?そう、何もなかった。そして、何もないのは全て、ぼくの責任だ。


 これからも、未来の知識もなく、身体も弱いぼくは、母にすがって卑しく食いつなぐことぐらいしかできないだろう。そんなぼくの生に、一体なんの価値があるというのだろう。


 そう、ぼくはこの世にいてはならない存在なのだ。ぼくの生は他人にも自分にも害でしかない。どうして昔のぼくは、こんなものに固執していたのか。生きているって、なんて醜く、苦しく、惨めなことなんだろう。



 屋上の手すりを乗り越えた。前を向けば、20年前よりはるかに多いビル群が見える。下を向けば、米粒のように小さい人間が見える。これから、ぼくはあそこに落ちていく。

 ……いざこの光景を目前にすると、今までの思考に対する違和感が生じてくる。ぼくが死んだら、家族の頑張りはどうなるのだろうか。本当に、ぼくは死んでもいいんだろうか……


『うるさい!』


 雑念を振り切るように、地面を蹴った。空に飛び出した。フッと浮く感覚。おびただしい数のビルが、下から上へ流れてゆく。


 刹那、圧倒的な後悔の念が沸き起こる。ぼくは死ぬ必要はなかったんじゃないか。お父さんは出て行ってしまったとはいえ、ぼくを生かすきっかけを作ってくれた。お母さんと亮は、ずっとぼくが生きるために頑張ってくれた。

 ぼくの生こそが、彼らの一番の願いだったのではないか。


 生きて美味しいものを食べたい。生きて友達と遊びたい。生きて旅行をしたい。生きて恋愛をしたい。生きたい。生きたい。20年前、ぼくはそう思って生を選んだのではないか。

 ぼくの生こそが、ぼくの一番の願いだったのではないか。


 今は苦しくて、生きる意味が見つからなくても、あの病院に復讐することを拠り所にしてでも、生きていた方が、家族も報われるのではないか……どうして、どうしてぼくは死を選んだ?死にたくない、生きたい、でも、もう避けられない……あれ、このまま落ちるとあの屋根に……



と、ここでぼくの意識は途切れた。




「……はい、そうですね。柔らかいところに当たって、一命は取り留めたんですが、脳のこの部分がダメになっちゃっててね、今の医療技術ではどうにもならないんですわ。植物状態のまま、いずれ死に至ることになりますね。ということなので……」


「……ええ、はい。では、コールドスリープということで、よろしくお願いします……」








――――医師はニヤリと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コールドスリープ phyeom @phyeom

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ