特別短編『もしも○○○が幼なじみだったら』 第一話
第一話「もしも大町花楽が幼なじみだったら」
「せんぱーい。朝です。起きてくださーい」
寝起き特有の倦怠感を覚える平日の朝。
自室のベッドで眠っていた俺は、目覚ましより先に聞こえてきた幼なじみの声で目を覚ました。
ぎぎぎ、と油の足りてないロボットみたいな動きで、声のしたほうに顔を向ける。
ベッドの横には、後輩で幼なじみの大町花楽が立っていた。
花楽はすでに制服に着替えていて、登校の準備はばっちりのようだ。
「……おはよう。花楽」
「はい、おはようございます。先輩は相変わらずのねぼすけさんですね」
「昨日はちょっと夜更かししちゃったからなあ」
「わたくしを想って?」
「いや、気まぐれでダウンロードしたスマホゲームが思いのほかおもしろくて」
「もう、困った先輩ですね。そこは冗談でも『もちろんだよ、花楽』と返してください」
「幼なじみを勘違いさせるわけにはいかないからな」
「ふふっ。あ、寝癖すごいですよ」
「うわっ、本当だ」
俺は鏡で自分の髪を確認する。いつの間にか主張の激しいアホ毛が生まれていた。
手ぐしでささっと直してみるが、ぴょんと跳ねた寝癖は簡単には元に戻らない。
水で濡らさないとダメかな、などと考えていたら花楽が手を伸ばしてきて、同じように手ぐしで直してくれた。俺がやってもまるで直らなかったのに、どんなマジックだろう。
「なんか恥ずかしいところ見られちゃったな」
「いえいえ、可愛いところも拝見できたのでノーカンです」
「え、可愛いところって?」
「もちろん寝顔ですとも」
花楽はスマホを取り出し、自慢げに画面を見せてくる。
……可愛いかどうかは置いておくとして、そこには俺の寝顔がばっちり写っていた。幼なじみに盗撮されていたようだ。
「いったいいつの間に……」
「何年わたくしが先輩の幼なじみをやっていると思っているんですか? わざわざ部屋までお邪魔して、何もせずすぐに起こしてしまうなんてもったいないこと、するわけないじゃないですか」
「というと?」
「じっくり先輩の可愛い寝顔を堪能してから起こさせていただきました。およそ十分くらいでしょうか」
俺は自分の顔を掌で覆う。赤面を隠すためだ。
そんな俺には構わず、花楽はにこにこ顔でぱんっ、と手を打った。
「先輩。朝は忙しいんですから、照れている暇はありませんよ。はい、まずは着替えましょう。バンザイしてください」
「ん」
俺は言われるがまま、両腕を上げる。
花楽は俺が寝巻きにしているティーシャツを掴み、バンザイ状態の両腕から抜き取った。
まず脱衣を済ませ、上半身裸になった俺は――って、いやいやいやいや!
「なぜ脱がす!?」
「脱がないと制服が着れませんよ?」
「そんなあたりまえのことを聞きたいのではなく!」
「お着替えを手伝おうかと。幼なじみなので」
「どこの幼なじみが異性の着替えを手伝うんだ!」
「ここに。あ、もしかして先輩もわたくしの着替えを手伝いとかですか? それはちょっと、さすがに……も、もう! 先輩のえっち!」
「お約束みたいなセリフを言うなし! そうじゃなくて、自分で着替えるからいいって!」
「あーん、いけず」
俺は追いすがろうとする花楽を制し、学校の制服に手を伸ばす。
ワイシャツを着て、ネクタイを結び、ソックスとスラックスを履いて完成だ。あ、着替えるときはもちろん花楽の視界を封じた。抵抗したためちょっとだけ見られたが、破廉恥な部分は見られてないはずだ。たぶん。おそらく。
「……着替え、終わったぞ」
「先輩、最近たくましくなりましたよね。筋肉も昔よりついてきたみたいで。わたくし、少しどきどきしてしまいました」
「感想とかいいから」
「あ、でもそこ。ボタンをかけ違えていますよ」
「えっ。あ、ホントだ」
花楽に指摘されて、ワイシャツのボタンが一箇所ずれていることに気づく。目の前の幼なじみに動揺させられたせいだ。
「もう、仕方のない先輩ですね」
花楽は嬉しそうに言い、俺の胸元に手を伸ばす。
か細い指が、俺が来ているワイシャツのボタンをかけ直している。
「か、花楽っ。いいってば」
「やらせてください。幼なじみなんですから」
「世の幼なじみはこんなこと……」
「しますよ。先輩が知らないだけです」
「そうなのか……?」
「そうですとも」
「……そうかも」
流されている自覚はある。でも流されてもいいやって思ってしまったのだから仕方がない。別に……嫌ではないし。
そしてボタンは無事に直ったが、花楽さん、今度はネクタイをじっと見つめ始めた。
「花楽……?」
「ネクタイも曲がっていますね。気になります。幼なじみとして」
「もう好きにしてくれ……」
「はいっ。好きにします」
俺はもう抵抗は無駄だと判断し、花楽にすべてを委ねた。
花楽はこれまたどこで覚えたのか、まったく悩むこともなく俺のネクタイを結び直した。正直、俺が自分でやるよりも上手い。ホントどこで覚えたんだか。
「はあ~っ。いいですね、ワイシャツのボタンやネクタイを直してあげるこのシチュエーション! 実に幼なじみっぽいというか、むしろ新婚さんのような気がしてきます!」
「花楽は昔から人の世話を焼くのが好きだよな」
「それは違いますよ、先輩。わたくしが好きなのは、あくまでも幼なじみである先輩の世話を焼く仕事です。誤解なさらぬようお願いします」
「はいはい」
着替えも完了したところで、俺は部屋を出ようとする。さっさと顔を洗いたい。
「まあ……仮に幼なじみじゃなかったとしても、こういうお世話は大好きですが」
しかし退室しようとした寸前、花楽が俺の背中に抱きついてきた。
俺は足を止め、首だけ振り向いて幼なじみの姿を見やる。
幸せそうな笑顔で、頬ずりをしていた。
「花楽、あの……」
「せっかく起こしに来たのですから、ご褒美をください」
「ご褒美って、何を」
「先輩のフレグランスとぬくもりです」
「あいにくフレグランスと呼べるような良い香りは持ち合わせておりませんのだ」
「問題ありません。勝手に摂取しますので。くんくん」
「犬かおまえは」
「きゃんきゃん」
地味に上手い犬の鳴き真似で答える花楽を、可愛いとか思ってしまう。
まったく、何がフレグランスだよ……いい匂いがするのはそっちのほうだっての。
「……抵抗しなくなりましたね。先輩、デレ期ですか?」
「いや、いつも起こしに来てくれる幼なじみを無下に扱うのもどうかなって思っただけ」
「それはまた。ふふふっ、ありがとうございます」
「ん」
さすがに恥ずかしいので、俺はぶっきらぼうに返す。
実際、こんな風に毎日起こしに来てくれる花楽の存在はありがたいし、大切だ。
感謝はもちろんのこと、他にもいろいろな感情を抱いているのは否定できない。具体的にどんな感情か、と問われると少し……いやかなり困るけど。
「でも先輩……そろそろ『幼なじみ』以外の肩書きをくれてもいいんですよ?」
花楽はそんな俺の心情を知ってか知らずか、抱きついたままの姿勢で言ってきた。
俺ははぐらかすように答えを選ぶ。
「別の肩書きならもう持ってるだろ。ほら、『後輩』とか」
「ですね。先輩ってば照れ屋さんだから、わたくしにもう呼び方を徹底させて」
「いや、だっておまえ……」
「二人きりのときくらい、昔の呼び方で呼ばせてくれてもいいじゃないですか。ほら……『お兄ちゃん』って」
確かに、昔はそんな風に呼ばれていたけれども。俺のが年上だから。だけど実の兄妹でもないのにお兄ちゃん呼びは恥ずかしいだろうよ。嫌いじゃないけど。
俺は嘆息した後、花楽には表情を悟られぬよう、顔を背けて言った。
「むずがゆい」
「もう」
後ろから聞こえてきた花楽の「もう」は、幸せに満ち溢れているようだった。
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