第14話フランケンシュタインの乙女・外伝Ⅳ

●土方殿の身の上話


「ムッシュー・アグリッパ、今度は少し御身おんみのことを話して貰えないか」

 明日未明には横浜港に着くという日の午後のこと。

 甲板の手擦りにもたれ、遠くで白波が崖に当たって砕けるのを眺めていると、前日同様、土方殿が現れて、並んで手擦りにもたれた。

 前日同様、空には薄い雲がかかっているが、風はなく、それほど寒さは感じない。

 「フジヤマは今日も見えないのでしょうか」

 わたしは、北に連なる山脈の上辺が雲に隠れているのに目をやって、問うた。

 「ウム。ちょっとばかり雲がかかってるな。多分、明日になれば見え出すだろうさ」


 それから土方殿は、武蔵野国の故郷の村、八王子でも富士山はよく見えたといい、ボツボツと、自分のことを話してくれた。

 薬問屋をも兼ねた豪農の家の7男坊として生まれたこと。武士にあこがれて剣を学び、近藤勇殿が師範を務める試衛館では師範代を務めるほどの腕前になったこと。新選組に入隊したのも、それが武士になる唯一の道だったからということ。故郷の村にはお千代という名の許嫁がいること。

 許嫁がいることを聞いて、胸の奥にかすかに痛みが走ったような気がした。

 けれども、ぜんたいが早婚のこの国では、土方殿は妻がいてもおかしくない齢なのだ。


「ムッシュー・アグリッパ。その若さではるばるこんな、ちっぽけな島国まで来るなんて。考えてみればふしぎな話ではないか」

「ムッシュー・土方。実は‥‥」

 わたしは口ごもった。それは、こんな時のために用意している、嘘の身の上話というものが、あることはあった。

 けれども、土方殿の前では、作り話はしたくなかった。

「ある人を探しているのです‥‥」

「ある人‥‥」

 作り話はしたくないといっても、130年も未来に現れるという、マドモワゼル・ユキ・ナガトに会いにきた、などと言えるわけがない。

「ああ、ムッシュー・土方。今は言えません。でも、いつかお話しようと思います」

「なにやら事情があるようだな。もし俺でも力になれることがあるなら、遠慮なく言ってくれ」

「ありがとう‥‥」答えながら、わたしの脳裏に天啓のように閃いたものがあった。

「ムッシュー・土方。わたしが日本に来たのは、もうひとつ、あこがれのためです。」

「憧れ‥‥」

「遠いもの、はるかなものへの憧れです。そう、その憧れをわたしに教えてくれた、ある人との出会いのお話をします。その人は、わたしが学んだ寄宿学校の、英語の先生でした。」


●シャーロット・ブロンテ先生


 わたしが寄宿学校に入学したというのは、事実だった。もっとも、今から60年以上まえのことだったけれど、土方殿には、軍隊に入って日本に来る直前の話ということにした。

「フランスの北側に、ベルギーという小さな国があります。その王都、ブリュッセルの寄宿学校に、1年間在学していろんなことを学んだのです。なかでも大きな影響を受けたのが、シャーロット・ブロンテというイギリス人の先生でした。」

「シャーロット‥‥。おなごのような名だな。ベルギーという国には、男児ばかりの寄宿学校に女の先生がいるのか」

 さすが土方殿は鋭い。わたしは、事実と創作を織り交ぜながら、話を続ける。

「女生徒もいたのです。もちろん、寄宿舎も教室も別ですけど‥‥」事実はその学校は、女性教育者が私財を投じて設立した、60年前にはまだ珍しかった、女子教育のための専門学校だったのだけれども。

 土方殿は、「ほう‥‥」と感心した様子。西洋のことなら何でも感心してくれるから助かるというもの。わたしは話を続ける。


「ブロンテ先生は、わたしが入学する前の一年間、生徒としてフランス語を学んでいました。そして次の一年、今度は先生として英語を教える立場に回ったのです。

 イングランドの北の方の、風吹きすさぶ丘の上に建つ、牧師館の娘でした。フランス語と学校経営のノウハウを身に着けて、帰国したら故郷で私塾をひらくというのが、先生の夢でした。

 知り合って半年もすると、わたしたちはすっかり親密になりました。緑濃い中庭のあずまやで、放課後、日が暮れるまで色々と語り合ったものでした。

 といっても話すのはもっぱらブロンテ先生の方で、わたしは聞き役なのでしたけれど。

「ユッキー、あなたって不思議な子ね。どんな話をしても海綿のように吸い取って、一語とたがわず覚えていてくれる。まるでジュネーブ製の時計のように精密な頭脳なのだわ」

 そう言いながら、それまで読み漁ってきたたくさんの本から得た驚くほど広い知識を、惜しげなく披露してくれたのでした。

 ブロンテ先生はまた、自分の家族の話もしてくれました。妹がふたりと弟がひとりいて、そろって子どもの頃から、詩を書いたり物語を作ったりするのが好きで、兄弟姉妹で私家製の作品集を編んで、両親の牧師夫妻を始め友人たちに、見せて回っていたことなど。 

「私にも、夢があるの。故郷の町で私塾をひらくという計画以外にも。そう、いつか小説を発表して、ジェーン・オースティンやフランスのラファイエット夫人やスタール夫人のような有名な作家になりたいという。」

「なにかお書きになったものがあれば、読ませて貰えますか?」 

「あることはあるけど、あなたには恥ずかしくて見せられないわね。でも、次はきっと傑作を書くつもりだから、構想がまとまったら話してあげる。」

 そしてポツリと、こんなことを付け加えたのでした。「すぐ下の妹のエミリは、たぶん私よりも才能がある。最近も手紙で、新しい小説の構想を書き送ってきたけれど、読んでいてこわくなったわ。『嵐が丘』というのだけど、これが出たら文学史上に残る名作になる。だから私も負けないものを書かなくちゃね」


●地平線の山並みを望み、ジェーンは旅に出た


 数日後。今度は中庭に面した二階のバルコニーで、ブロンテ先生の構想を聴くことになったのでした。

「ヒロインの名前はもう決まっているわ。ジェーン・エアというの。それが小説のタイトルにもなるわね」

「ジェーン・エア‥‥」

「でも、孤児院で付けられた名なの。本当の名前はだれも知らないの。ほんの赤ん坊の頃に孤児院に連れてこられて、だれも親のことを知らない、かわいそうな子なの。イギリスには今でもそんな孤児が、大勢いるわ。

 でも、ジェーンはとても聡明で活発な子だった。孤児院のなかの学校を卒業して、そのままそこの教師になったわ。

 ある日、授業の終わった午後のこと。ジェーンは二階にある自分の部屋の窓から、ぼんやり外を眺めていたの。地平線に山並みが連なっていた。このベルギーは平らだけど‥‥」

 とブロンテ先生は、中庭の木立の向こうに連なる街並みと、その向こうに霞む地平線に目をやりながら、「私の故郷の町では東側にヒースの原野が広がって、その果ての地平線は山並みになっているの。そんな地平の山並みを眺めながら、ジェーンは思ったの。あの山の向こうにはどんな世界があるんだろう。一生孤児院の中で過ごすのはいやだ‥‥と。」

「それから?」

「それでジェーンは旅に出るの。でも、若い娘だからーーそう、ユッキー、あなたと幾つも違わないほどのーー男の人みたいにフラフラと一人旅にでるわけにはいかなかったから、新聞に三行広告を出したの」

「三行広告?」

「求職の広告よ。住み込みの家庭教師します、てね。当方、現職の小学校教師。英語の読み書き、算数、歴史地理、そのほか礼儀作法、家事経営、何でも教えます、て。ジェーンは大変頭がよくて、学校で習ったことはぜんぶ頭に入っていたし、学校の図書室の本は読みつくしていた。だから教えるのは自信があったのよ。

 そして待望の求人手紙が来たわ。ロックウォール卿という貴族からだった。何でもパリに遊学中に踊り子と仲良くなって、娘を生ませていたの。よくある話ね。母親が死んだので6歳になる娘を引き取った。英国式の教育を施していただきたい、という内容だった。

 ジェーンは喜び勇んで、馬車を呼んで、生まれて初めて外の世界に踏み出した。そして、お城のように大きなロックウォール卿の館を舞台に、大冒険とロマンスが始まるのよ。」


 続きはまだ構想が熟していないということでした。

 でも、ブロンテ先生の話を聞いているうちに、わたしはまるで自分が、孤児院で育ったイギリスの少女、ジェーンのような気がしてきたのです。そして、ジェーンの目で二階の窓から地平線に山並みが連なるのを眺め、「あの山の向こうには何があるのかしら」と憧れたのです。そう、わたしがブロンテ先生の話で教えられたのが、あ・こ・が・れ・でした。だから遥々と大海原を幾つもこえて、日本にまでやってきたのも、あこがれのためなのです。」

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