第12話フランケンシュタインの乙女外伝:さらば土方歳三 Ⅱ

■敗走の幕府艦隊


 薄暗い船倉に下りると、きつい消毒薬の臭いが鼻を衝いだ。

 腕や足や胸を包帯でぐるぐる巻きにされて横たわる負傷兵のあいだを、医師と看護兵の一団があわただしく動き回っている。

 その数は百を下らない。

 それでも、三日前の鳥羽伏見の戦いで大阪城に運び込まれた負傷者の、ほんの一部なのだった。

「ブリュネ中尉、あそこに土方殿が。近藤殿もいっしょです」

 わたしは、同行のフランス軍事顧問団副団長に、船倉の一画を手で示した。

 先方も気がついて、土方殿が手をあげて合図を送る。新選組局長の近藤勇殿が、その傍に大きな体を横たえているのが見える。


「ムッシュー近藤、ムッシュー土方。怪我の方はどうですか」

 ブリュネ中尉がふたりに歩み寄って声をかける。もちろんフランス語だ。わたしがすかさず通訳する。

 軍事顧問団専属の通訳、ジッタロウは、団長のシャヌワーヌ大尉ら本隊に同行してフランス海軍の軍艦で江戸に向かったので、幕府海軍の富士山丸に乗船したブリュネ中尉の通訳の役が、わたしに回ってきたのだった。

 近藤殿があわてて上体を起こし、「イテテッ」と顔をしかめる。右肩から胸にかけて巻いた包帯が痛々しい。

「ムッシュー近藤、ムリしないで。寝ていてください」

 中尉があわてて押しとどめる。

「熱もあるようだ。やはり鉄砲玉のせいだろう。早いとこ抜かなければ」

 土方殿が、代わって説明する。

「明後日の朝早くにはヨコハマに着きます。もう少しの辛抱です。ヨコハマで私もいっしょに下りて、すぐにフランス居留地の病院へ行きます。ほかの重傷者もいっしょです」

「ムッシュー・ブリュネ、なんとお礼を申したらよいか」

 土方殿が覚えたての「ムッシュー」をさっそく使って、こちらが面食らうほど深々と頭を下げる。

「なんの。われわれは戦友ではないですか」

 手を振ると中尉は、こう続ける。「艦長の榎本殿からもメッセージがあります。」

「榎本提督閣下が!」新選組の局長と副長が、口を併せて小さく叫ぶ。土方殿がまたしても頭を下げてうやうやしく伝言を待つ。

「おふたりのような高名な剣客を船倉なんかにザコ寝させて心苦しいが、なにぶん船内手狭ゆえ、許していただきたい、とのこと。」

「なんともったいない。あの幕閣切っての俊才とうたわれた榎本閣下から、そんなお言葉をいただけるなんて」

 異口同音に答えるふたりの様子からも、幕府海軍提督榎本武揚どのの、幕府軍兵士のあいだでの声望の一端が知れた。

「そしてまた、榎本殿は、こうも続けられた」

「なんと?」

「ほどなく薩長軍は、勢いに乗って江戸まで攻め下ってくるだろう。いまや徳川幕府も存亡の危機にある。これからもおふたりには新選組を率いて、幕府のために忠義を尽くしていただきたい」

「もちろん!われら新選組一同、幕府と生死をともにする覚悟でござる」


 またしても異口同音の答えを聞くと、ブリュネ中尉とわたしは船倉をあとにしたのだった。

 去りぎわに土方殿が、なにやらわたしに向けて目配せを送ったのを、視野の隅でとらえながら。


■土方歳三殿の奇妙な依頼


 ブリュネ中尉が士官室に消えた後も、わたしは、しばらく海を眺めていたいからと、甲板に残った。

 往路に望まれた秀峰富士も、今日はあいにくの曇り空で姿をみせない。

 風もかなりあるが、1月にしてはそれほどの寒さは感じない。そう、ここ日本の江戸や大阪は、わたしが長いこと過ごしてきたヨーロッパにくらべれば、ずっと低い緯度にあるのだから。

 ハッチが背後でひらく音がした。ふり向くまでもなく、誰かは分かった。

「ムッシュー・アグリッパ。やはりここに居られたか」

 新選組の「誠」という紋が入った派手な着物をひるがえしながら、土方殿が、甲板の手すりにわたしと並んで立つ。

「ムッシュー土方。何用でしょうか」

「ムッシュー・アグリッパ。折り入ってお願いがある」

 真っすぐに向けられた真摯なまなざしに、わたしは魅せられる。日本人には珍しい大きな二重瞼の目。秀でた鼻梁。いやでも、インゴルシュタットの若き博士、ヴィクトール・フランケンシュタインを髣髴とさせてしまう。

「わたしにできることなら、何なりと」

「そのう、だな」

 言い淀んで少し距離を取ると、なにやら眩しそうな目でわたしの全身に、というかわたしの着ているフランス陸軍の軍服に、サッと視線を走らせた。

 そして、一瞬の躊躇の後、思い切ったように言ったのだった。

「俺も、フランス式の軍服が着たい。もうこんなビラビラした着物を着て刀を振り回す時代じゃない。ムッシュー・アグリッパ。どうやったら軍服を手に入れられるか、教えてくれないか」


わたしは一瞬、絶句した。けれども、この泣く子も黙る新選組の副長が、つい三日前に大阪城内で自分で髷を切り落とした現場に居合わせた身としては、なんとなく、次の一手がこれというのも腑に落ちる気がしたのだった。

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