第3話 運命が扉を二度叩いた日(前篇)

 運命が扉を二度叩いた日。

 それは、この惑星の暦で7月7日の夜。


 ここ弓状列島に古くからある伝説では、天の川を挟んで別れ別れに暮らすアルタイル(彦星)とヴェガ(織姫)とが、年に一度の逢い引きをするのだという。

 子どもたちは笹の葉に、願いを書いた短冊を吊るして彦星と織女星に祈るのだという。

 これらの星々が、それぞれ17光年彼方と25光年彼方にあるなんて、昔の人類は夢にも思わなかったに違いないけれども。

 そんなことをこの惑星に生を享けて4ヶ月のあいだに、常識豊かな朝倉涼子との会話や書物を通じて、わたしは知るにいたっていた。

 もちろん、わたしには子ども時代というものはない。

 肉体は、16歳の少女として、わずか15分で砂と大気から構成された。

精神は、銀河を統括する情報統合思念体の端末。

仕事は、この地域に住む、涼宮ハルヒという女子中学生の観測。


情報統合思念体とは、銀河系、それどころか全宇宙にまで広がる情報系の海から発生した肉体を持たない超高度な知性を持つ情報生命体。

 それが、銀河の辺境に位置するこの惑星に興味を持ったのは、そこに発生した有機生命体に、ありえないことに知性と呼ぶべき思索能力が芽生えたため。

 情報統合思念体はそこに、もしかしたら自分たちが陥っている自律進化の閉塞状況を打開する可能性があるかもしれないと考えた。

 これら、人類と呼ばれる有機生命体の知性が一定の水準に達した5千年前から、情報統合思念体は、観測と監視のためにわたしのような人型端末を、人類に偽装して送りこみ続けて来たのだった。

 今年に入って、この惑星表面の弓状列島の一地域に、他では類をみない異常な規模の情報フレアを観測した。その中心にいたのが涼宮ハルヒだった。

 情報統合思念体は、彼女こそ情報生命体である自分たちに、自律進化のきっかけを与える存在である可能性があると判断した。

 そして、ハルヒとその身近にいる人類と直接的にコミュニケートしてより精密な情報解析を行うべく、三体のヒューマノイド・インターフェースを送り込んだ。

 それが、朝倉涼子であり喜緑江美里であり、わたし、長門有希だった。


 涼宮ハルヒが東中に入学してからは、比較的に平穏な日々が流れていた。

 ところが、この7月7日の夜。

 児童文学書を読みふけっていたわたしは、突然、時間震を感知して頁から目を上げた。

 何者かが、時間平面連続体を垂直に貫いて、未来からこの時間平面へと移動して来たようだった。

 移動体は二体。

 移動方法は二体の一方が体内に装備しているTPDDによるもの。

 TPDDは、この惑星の人類が未来世界で開発することになる時間跳躍装置。

 つまり二体のうち一体は、この時空世界にも何体か来ている、地球人類にとっての「未来人エージェント」のひとりと推測された。

 二体が実体化した場所は、なんと、このマンションから徒歩5分の距離の駅前公園。

 続けてもう一つの時間震が発生。

 今度は移動体は一体で、やはりTPDDによるもの。ずっと遙かな、何世紀も後の未来からの時間跳躍者。

  これまた、駅前公園に実体化する。

 さらに、第三の時間震が発生。わたしが三年後の入学を期している北高に実体化したようだが、TPDD装備が確認できないので、詳しいことが把握できない。

 駅前公園に注意を戻すと、最初の時間跳躍者二体のうちの「未来人」の意識活動が消えている。

 後から来た「未来人」が、最初に来た二体のうちの一般人類らしき方へと接近する。

 これは、涼宮ハルヒに関係することなのだろうか。

 ハルヒは現在、駅前公園からやはり徒歩5分の距離にある東中の校門の傍にいる。

 生体活動はすべて正常範囲内の値。

 気がかりは、交感神経が正常値ギリギリの高い活動状態を呈していること。

 何かとんでもないことをやろうとして、気が昂ぶっている状態。

 夜の9時に中学生が学校の校門にいるのも異例なことだし。

 わたしは、東中の2年次に在籍している喜緑さんを、体内装備型通信システムで呼び出す。

 「涼宮さんが何か企んでいることは事実です。今、校門をよじ登って校庭に侵入したところです。」喜緑さんの涼やかな声が脳内で応答する。

 どうやら校舎の屋上から一部始終を見届けるつもりらしい。「校門を内側から開けて、時間跳躍者を迎え入れました。一般人の少年で、推定年齢16歳。失神したままの未来人エージェントの少女を背負っています。」

 その後、ハルヒは自分より年上のその少年を手伝わせて、校庭いっぱいに石灰で白線模様を描いたという。

 ただちに喜緑さんが、体内装備型カメラで撮影した画像を、脳内に送信してくる。


 描き終わると少年は再び少女を背負って東中から遠ざかり、喜緑さんの体内装備型赤外線スコープの視野からも脱した。

 少女は意識を取り戻したよう。

 その後の二人の行動は、まったくわたしの予想外のものだった。

 まっすぐ、このマンションをめざして近づいてくる‥‥

 こんな時、同じマンションに住んでいて頼りにすべき朝倉涼子は、目下カナダに行っている。

 脳内通信ゲートを開くが、通じない。

 情報統合思念体に緊急連絡許可を申請するが、なぜか却下される。

 もとより喜緑さんは、ハルヒに直接関連すること以外には関わってこようとはしない。

 わたし単独で、対応しなければならないようだった。


 インターフォンのチャイムが鳴る。

 「長門有希さんのお宅でしょうか」

 聞き覚えのない少年の声に、わたしは絶句する。

 なぜかわたしの名を知っている。

 「あー。何と言っていいもんか俺にもわからんのだが‥‥」

 「‥‥‥‥」

 「涼宮ハルヒの知り合いの者だ‥‥て言ったら解るか?」

 わたしは一瞬、凍りついたようになって思考を巡らす。

 涼宮ハルヒを知り、わたしのことも知っているらしい未来から来た少年。

 何者だろう。

 とにかく、開錠のボタンを押す。

 「入って」


 扉の陰から現れた見知らぬ少年は、

 「よお」と、親しい相手にするように片手をあげて笑みを浮かべた。

 その背後に隠れるようにして震えている、見知らぬ少女。未来人エージェント。

 「入れてもらっていいか?」

 無言でわたしは部屋の奥へ歩き出す。

向き直り、ふたりが靴を脱いで上がるのを待つ。

 初めてふたりと正面から向き合う。

 少年の身長は172cm。わたしより頭2/3分は高い。

 やはり見知らぬ顔だが、少年の笑みには何か光が弾けるような感覚があった。


 少年は口ごもりながら事情を説明する。

 三年後、少年も涼宮ハルヒも未来人少女も、そしてこのわたしも、北高生としてSOS団なる部活動をしているのだという。

 「‥‥で、だ。三年後のお前はこんなものを俺にくれたんだ」

 少年が差し出す短冊には、先ほど喜緑さんから受信したばかりの、ハルヒが校庭に描いた幾何学模様と同じ模様が描かれている。

 その幾何学模様は、ハルヒが想像上の「宇宙人」に向けて、「私は、ここにいる」と発信したメッセージ。

 当の「宇宙人」であるわたしにとってはそれは、異時間同位体、つまり未来の”わたし”からの、同期指令にほかならなかった。

 わたしは短冊に指を這わせる。


 異時間同位体の当該メモリへアクセス。

 時間連結平面帯の可逆性越境情報をダウンロード。


 今、わたしは、三年後の”わたし”と記憶を共有している。

 そして、わたしは理解した。目の前にいるこの少年が、わたしの「運命」だということを。

 わたしはゆっくり眼鏡をはずす。

三年後のわたしはもう、眼鏡をしていないから。

 目の前にいる少年に、”彼”に、こう言われて以来。

 ‥‥してない方が可愛いと思うぞ。俺には眼鏡属性はないしーー


 わたしは突然、気づく。

 いままで、色のない世界に住んでいたことを。

 わたしはじっとあなたを見上げて、瞬きをする。

 「何で北高の制服着てんだ?もう入学してんのか」

 「してない。今のわたしは待機モード」

 「待機って‥‥あと三年近くも待機しているつもりなのか?」

 「そう」

 「それはまた‥‥えらく気の長い話だ。退屈じゃないのか?」

 首を横に振る、わたし。

 「役目だから」

 そういって、瞳をまっすぐ向ける。

 声にならない声が、歌となってわたしの唇から溢れる。


 ☆☆☆☆☆☆☆


 「眼鏡を外す歌」(produced and song by Yuki Nagato)


 ”‥‥してない方が可愛いと思うぞ”

 未来の記憶のなかから囁くはだれ?

 それはあなた、目の前のあなた

 三年後の世界。激しい戦闘

 体にも心にも傷を負って

 倒れたわたしをあなたは

 やさしく力強く抱き起す


 ”眼鏡の再構成を忘れた”

 ‥‥とその時わたしは言った(言うだろう?)

 ”してない方が可愛いと思うぞ”

 ‥‥とその時あなたは答えた(答えるだろう?)


 未来からの囁きにつられ

 今、わたしは、眼鏡を外す。

 その瞬間、わたしは理解した。

 今まで、色のない世界にいたことを。

 あなたからの目に見えない光を受けて、

 たった今、世界に色が与えられたことを。

 You are star

色のない世界で見つけたの You are star

 I was snow

星のない夜に、ひとひらの雪として

 この惑星に舞い降りた

 I was snow

 You are star

 I was snow

 You are star

         

  ☆☆☆☆☆☆☆


 でも、そのときはまだ、一時間の後に色のない世界が戻ってくるなんて、

 予想していなかった。

 運命はその日、二度扉を叩いたのだった。


 

 (原作: Yuki Nagato /脳内口述筆記: アグリッパ・ゆうき)

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