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 来客の対応を終えると、それなりに遅くなっていた。気晴らしに妻に、今晩映画でも見ないかと誘いをかける。彼女からはうれしそうな返事が戻る。私は、冷蔵庫の中身を端末で確認して、食材を追加する。せっかくだから、少しばかり食事の内容をグレードアップしようと思った。もちろん私の小遣いでだ。一人暮らしが長かったので、料理は彼女よりもうまいと自負している。

私は帰宅し、妻の帰りを待ちながら、手早く夕食を作る。一世代前の人々にはなじみのない食材も加える。ちょうど狙った頃に妻が帰宅する。ベーシックインカムがかなり充実した社会の中、夫婦がともに働いているのはエリートである証なのかもしれないし、酔狂なふたりなのかもしれない。あるいはそうした似たもの夫婦だからこそ、長続きしている面もあるのだろう。

夕飯の後、夫婦で横になりながら、大きな画面に見入っている。わが社の家族向け映画生成プログラムだ。こうして正式にリリースされる前の製品を貸し出してもらえるのは、役得というものだ。

 二人で楽しめるような映画を設定できるのは本当にありがたい。夫婦で映画の趣味が合わないなんてことは、昔はざらだった。私も告白するが、配偶者の好きなタイプの俳優がどうしても好きになれない、むしろ嫌悪しか覚えないなんてこともあって、こうして一緒に時間を過ごすことが減った。けれど、それは昔の話だ。今は二人とも満足する作品が生成され続ける。二人の間には共感しか存在しない。いずれは、どの夫婦仲も昔と比べてずっと良好になることだろう。

 あらすじについては細かくは述べない。ただ、私たち夫婦の趣味に従い、洗練され、暗喩が多く、無意味な裸体が出てこないと述べるにとどめよう。あの時代の映画の最善の要素を抜き出したものだ。

 エンドロールが終わり(もちろん出力したのは人工知能だが、映画の終わりの余韻が私たちは好きなので、それらしい文字列を真黒な画面を背景に流すように設定している)、私は今日の出力された映画の出来が思いがけずよかったのに満足する。そして、これを保存しようかと妻に振り向く。アウトプットされた物の出来が良かったのは、もしかしたら妻の趣味の良さも反映されたのではないかと思いながら。言いかえれば、私一人ではこの映画が完成しなかったのではないかと。

 しかし、先に手を触れたのは、彼女の方からだった。

「ねえ」

「ん?」

「私たち、そろそろ子供が欲しいと思わない?」

 何を言いだすのかと思い、それでも戸惑うというよりもそれを受け入れるような感覚になっている私がいる。その映画の内容は、表立ってそれを推奨するようなものではなかったのだけれど、確かに私もそんな気分がしていたのは事実だった。もしかしたら巧みにそんな気分になるような要素がちりばめられていたのかもしれないし、様々な要素の総和なのかもしれない。そのひとつひとつはあまりにも微細で、人工知能でないと見分けることはできないのだろう。

 しかしながら、私はそれで構わなかった。こうして人が幸せになるのに、技術の助けを借りることの何がいけないというのだろう。それがだめなら、寒ければ寄り集まり、火を起こした原始人たちのしたことが間違っていたことになる。そんなことはあり得ない。

 ベッドルームで流れる音楽も、私たちの趣味に応じて常に生成されている。古代の王族の寝所の楽師のように。しかしそれは二人の趣味の奏でるハーモニーであり、そこには私と妻を象徴する主題が常にある。だからここで過ごす時間は常に細やかで甘い。もしかしたら、こうして夫婦間のムードを調整しているシステムのせいかもわからない。ありえない話ではない。

 構わない。人口は爆発せず、かといって減りすぎもせず、安定の時代に入るように調整されていくのだとしても、世界が穏やかなものになるのならそれでいい。

 きっと私たちの子どもは、さらに恵まれた世界で生きることになるだろう。子供を交えたら映画はどのように変化するのだろうか。そんなことを思いながら、静かに夜は更けていった。

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