第35話 vs東専、煙と炎の砲撃戦Ⅲ
燃え盛る爆炎の中、木の焼け焦げた臭いが辺りに充満しバチバチと樹木が音を立てる。
「まさか、ここまで出来る人が居るとは思わなかったよ」
黒煙を炎の舞う一画に向かい立つ二人と、その上空にさらに一人。魔砲を構え向かい立つ紫銅に向けた伊沢は、二対一の状態でも攻撃を凌ぎ切る相手に賞賛の意を表していた。
「ショウ、お前と二人掛かりでも中々打ち取れないなんてコイツ……」
「ああ、はっきり言って手強いな。弾道を逸らす為のナイフに、どんな強力な魔砲も切り裂く銃剣。俺の炎すら両断してろくに届かない。二刀一丁流、考えていたよりも隙が無い」
二人の敵を相手に健闘する紫銅。その足元には、紫銅を避けるように周囲だけが焼けたような跡。敵を仕留められずに攻めあぐねていたのは、双方同じことだった。
「でも、遅かれ早かれもう勝負はつくよ。ミサキは彼の間合いに入らないようにだけ気を付けてくれ」
伊沢は警戒を改め、仲間に注意を促す。紫銅の間合いに入らぬよう距離を取る東専メンバーに対して、だんだんと息が切れ始め、肩で呼吸をする紫銅閃。
「俺たちが勝つのは、時間の問題だよ」
この戦場でただ一人、伊沢の眼にだけはは既に紫銅の限界が見え始めていた。
純白の煙が立ち上がり、目の前が一面の真っ白になっていく。
「発煙筒……、いや、これは!」
僕はとっさに口を塞ぎ、煙を吸い込まないように手で口元を抑える。
白燐弾、まさか竜胆の魔砲までもが焼夷弾とは。白燐弾もナパーム弾と同じく、焼夷弾の一種ではあるが、直接的な攻撃力よりもこの一気に膨れ上がる煙が特徴的だ。ナパームが一気に広範囲を炎上させるのに対して、白燐弾は瞬時に広範囲を包み込む煙を発生させる。
ならば、この煙はあまり吸い込んではいけない。ある程度時間が経てば、煙は自然に拡散していくはずだ。それまでの間は呼吸を止めておく。
これだけ濃い煙幕じゃ、こちらからは勿論、あっちからも僕の姿を視認する事は出来ない。おそらく、僕が動揺してこの煙から飛び出してきたところを撃つ算段なのだろう。つまり今は、派手に動くのは得策じゃない。逆に敵から突っ込んでくる事も考え辛いこの状況だからこそ、僕は木陰に隠れたままじっくりと様子を見て、白煙が拡散するのをじっと待つ。
うさぎはもう紫銅と合流出来ただろうか。時間的には十分な頃合いだ。
この戦い、理想としてはうさぎが紫銅と合流して敵を二人倒す。その後、うさぎの連絡を待って空砲で紫銅を呼ぶ。他力本願な作戦だけどこれが一番現実的な方法だ。
もうあれからしばらくの時間が経った。煙も大分薄くなってきたし、そろそろ息をしても……。
「っ! なん……で……」
息が出来ない。何故だ、もう周囲の煙は拡散し始めている。だというのに呼吸が出来ない。その時、僕の頭に昨晩の会話がよぎる。
そうか、しまった。原因は酸素か。昨日話に出たばかりだったのに、目に見える煙に惑わされて頭から完全に抜け落ちていた。
竜胆の白燐弾は、伊沢の魔砲と同様に焼夷弾の一種。大気に自然発火して、周囲の酸素を急激に燃焼する白燐弾は局所的酸欠状態を作り出す。その結果が今の状態だ。目に見えるもの、目の前の敵を意識するあまり、警戒を怠ってしまった。動けばリスクがある状態ではあったものの、一か所に留まる事が愚策になるとは考えもしなかった。
くそっ、反省は後だ。そう自分に言い聞かせるも、だんだんと思考が回らなくなってくる。今煙の中から飛び出せば、息継ぎは出来る。しかし、相手もそれは想定済み。ならば煙から飛び出た瞬間に撃たれて終わりだ。駄目だ、酸欠で思考がまとまらない。打開策も何も思いつかない。
ここで僕は負けるのか。敗北の予感が脳内に浸透し、生じ始めた諦めがさらに思考を鈍くする。
「まだだ……」
未だ諦めるわけには行かない。僕の弾は三発も残ってる。撃たずに倒れたら、僕が今ここに居る意味は無い。敵の立っていた方向は分かっている。最後の悪足掻きでも、せめてこの銃弾だけは……。
バンバンバンっと、三回の銃声が辺りに響き渡る。銃弾は煙幕を貫き外に飛び出す。しかし、残念ながら手応えは無い。まったく回らない思考で、何の策も無くただ適当に撃っただけの銃弾だ。
やはり、白燐弾を放った時とは立ち位置を変えて居るのか。当然、東専の選抜ともあろう者がそんな事ぬかるはずも無い。いよいよもって万策尽きた。もう銃弾も無い、結局無駄撃ちなってしまったが、弾を撃たずに倒れるよりはマシだろう。
少しずつ視界が霞んでいく。次第に足も力が入らなくなり地面に倒れ込む。視覚、聴覚と過度の酸欠で脳はどんどんと機能を低下していく。
『暮人っ!』
うさぎが僕を呼ぶ幻聴すら聞こえ始め、僕は瞼の重みに耐えかねて瞳を閉じた。
頭の中で、薄っすらと響くうさぎの声に、僕は何度も「ごめん」と謝る事しかできない。結局、敗因は一人で挑んだ事だ。選抜戦の時と同じ、一人で勝てるはずも無いのに挑んで、そして返り討ちにあう。うさぎは仲間を頼れと言ってくれたのに、今回も僕は一人で大丈夫だなんて、思い上がった指示を出した。
結論、これが今の僕、一角暮人の限界だ。
その時、口元に柔らかな感触を感じ、ゆっくりと重い瞼をこじ開ける。すると、目の前にはうさぎの顔、僕とうさぎは唇を重ねていた。
うさぎの口から僕の中に空気が流れ込んでくる。だんだんと濁り切った頭の中がクリアに、完全に停止していた思考が回り出していく。
人工呼吸だ。そう僕が状況を把握するのは、思考が再び動き出してからすぐの事だった。僕を意識を目覚めさせると、唇を離したうさぎが一瞬微笑んで、今度はうさぎが倒れ込む。僕はそれを受け止めてゆっくりと横に寝かせる。
「……れと、こ……を」
未だ、意識はある。うさぎは最後の力を振り絞り、必死に声を出そうとするが、言葉にはならない。しかし、同時に僕の手に託した彼女の魔砲を見れば、何を言ったかは聞くまでも無い。
今すぐにでもうさぎを安全な場所に連れていきたい。だが、うさぎがここまでして僕に繫いでくれた思いも無駄には出来ない。
二十秒だ。
二十秒で竜胆(アイツ)を倒して、うさぎを連れてここから離れる。
銃弾はうさぎの魔砲に残り一発。あとは空の僕の魔砲が一つだけ。二丁の魔砲と一つの銃弾、それと空砲で僕が敵を倒す。自分の為にじゃない。うさぎを守る為に倒すんだ。
読み切れ、敵の思考を。読み切れ、あの煙の向こう側を。
遅すぎる。もう白燐弾が発煙させてから、それなりに時間が経った。そろそろ飛び出してきても良いはずだ。と疑念を抱きながらも、ぼくはじっくりと様子を伺っていた。煙幕の中から敵が現れたその瞬間、いつでも仕留められるよう魔砲を構えて待って居た。
「もう倒れてしまったのかな?」
ぼくが独り言を漏らした瞬間だった。三回の銃声と、三発の銃弾が煙の中から飛び出してくる。しかし、狙いは的外れ。ぼくの位置とは全く違う方角に銃弾は消えていく。
最後の悪足掻きか。でも、これでもう弾切れ。これ以上は戦う意味もない。そう考えてぼくが魔砲を収めようとした時、ふと、煙幕の向こう側から声が聞こえてきた。
「新手か? ミサキの通信じゃ、あっちには銃剣使いが一人。なら、もう一人はこっちに来たという事かな」
新たな敵の出現に備えて、再び魔砲を握り、敵を待ち構える。
「誰一人逃がさない。ぼくは、ショウ以外には負けない」
小さい頃からそうだった。ぼくはショウ以外には負けたことが無い。ショウ以外には。
魔砲を使う砲術士の名門に生まれた人間にとって、魔砲の能力、性能はアイデンティティにも等しい。ぼくは竜胆家の神童として、随分と大人たちに持ち上げられた。しかし、竜胆家(うち)と縁の深かった、言わずと知れた名門伊沢家。そこには、ぼくの幼馴染にして、さらに凄いと噂されていた天才、伊沢翔威が居た。
ショウの強さが浸透していくにつれ、ぼくへの期待は一瞬にして消えていった。それもそうだ。同じく焼夷弾の能力に、同じ攻撃範囲、唯一違うのは直接の攻撃力。勿論、ぼくの白燐弾も最大火力なら、直接の着弾でやけどくらいは優に与えられる。だが、ショウの魔砲は根本的に威力が違う。
煙を発生させる白燐弾、周囲を燃やし尽くすナパーム弾、似て非なる戦力差は、ぼくと彼の間に明確な差を作った。何をしても「伊沢翔威の劣化」、「伊沢翔威で事足りる」と言われ続け、ぼくは代替品なのだと思い知った。ショウは、ぼくの完全上位互換だった。
そんな時期、腐っていたぼくに手を差し伸べてくれたのは、他でも無いショウだった。ショウだけは、ぼくを唯一の存在として認めてくれた。それからだ。ぼくはもうショウ張り合うのはやめた。負けを認めたんだ。生まれ持って生まれた物が違い過ぎる。
ぼくはショウの次に強い人間を目指せばいい。最強のショウの一番近く。この場所だけは譲らない。
突如、風も無いのに煙が揺らぐ。そして遂にその時が来た。
足音が急激に迫って来る。迎撃態勢に入ろうとした瞬間、依然煙の中に居る敵が先制して引き金を引いた。バァンっと銃声が響いて、敵の予期せぬタイミングでの先制攻撃に驚き、こちらも負けじと白燐弾を射出する。
しかし、そこで違和感に気付く。
「銃弾が……飛んでこない。まさか!」
空砲。それに気づいたのは、引き金を引いた後の事だった。発砲音で位置がバレ、敵がこちらに突っ込んでくる。煙から姿を現したのは、予想通り西砲の空砲使い。
「こっから反撃開始だ!」
煙幕の中から飛び出してきた空砲使いの両手には、左右の手に一丁ずつの魔砲。
「往生際が悪すぎる!」
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