剣なぞいらぬ! ~なんかカチャカチャうるさいし微妙に重いし~

 一方その頃。


「くそくそくそ! なんでだ!? どうして半分以上の魔物が進行ルートを外れてどっかいっちゃうんだ! まっすぐ進むこともできないのかアイツらは!」


 ハンチング帽をかぶった少年のような魔人、リーブラは手元の水晶玉を見て頭を抱えていた。王より借り受けた魔道具の一種で範囲内のどこにでも視界を展開してその場を視ることができるという代物だった。王国軍にも遠見の魔道具はいくつか存在するが、すべてこの水晶玉の魔道具の下位互換程度の能力しか備わっていない。


 現在、この世界で唯一上空から戦場を俯瞰できるアイテムである、と言えばこの魔道具の重要度を理解してもらえるだろうか。とんでもない貴重品である。


 王や仲間と共に今回は作戦を詰めている。いつもの突撃一辺倒ではない「戦争」のための作戦をだ。作戦に合わせてこの魔道具を借り受けてきた。視界の有効射程はこのゼルヴィアス学園の森林地帯の半分以上が視界の範囲内である。


 リーブラは軍人の卵を強力な魔獣たちで蹂躙しながら育成機関にもダメージを与える魂胆だった。最初は順調だった。水晶で見る限りでは、指示を聞かずに群れからはぐれる連中は順に淘汰されたが足の速い中級魔獣たちの群れは一定の成果を上げていた。重畳だ。


 いや、重畳だった。


 現状を細かく確認し、不測の事態に素早く対応するために準備してきた。当然だ。


 ところが、連れてきた魔獣の内、実に七割がなぜか自分の制御下を離れて一方向へ一目散に移動し始めた。列、というよりは群れを成している。明らかにはぐれるとかそういうレベルの話じゃない。これでは作戦も指揮もあったものではない。


 進行方向の先頭にその原因は存在するはずだが、残念ながらそこは視界の範囲外だった。リーブラは歯ぎしりして地団駄を踏んだ。


「強い生徒や教員が出てきた時のために強力な魔獣をあてがう計画が、おじゃん!? うっそでしょ……。 くそっ、なるべく姿を見られるなって言われてるのに僕が出向くしかないじゃないか」


 学園が誇る英知の結晶たる『結界』を何の痛痒もなく素通りしながら、リーブラは地面に置いていた水晶玉を大切にバッグにしまい込んだ。この魔道具の数少ない欠点は静止状態でないと起動しないことだ。走りながら視界を飛ばすことはできない。それにもう、指揮どころの話ではない。水晶の出番は半ば終わっている。


「しかし遠いなぁ。どこに向かってんのコイツら……」


 ため息交じりにリーブラはそうつぶやくと肩に乗せていた相棒の小鳥のちーちゃんを左手の人差し指にとまらせて魔獣が向かった方へ向かい始めた。原因を突き止めて、排除するのだ。


☆☆☆


 さかのぼること数分前、俺はリッキーを聖霊石に送還した後、した。


 すなわち、今の俺は超異臭系主人公。他にいるのかどうか知らんがとにかく俺に与えられたアドバンテージを活かすしかない。俺の数少ないアドバンテージと言えば有り余る魔力と、聖霊は気絶し、魔物は寄せ付けるという俺の魂の臭い、そして消臭効果。


 これらを余すことなく使うことで今回の作戦は成立する。


 俺の魔力強化は未完成もいいところで、師匠のフィーネをして「魔力効率が悪い」だの「操作が未熟」だのと言われているが、実は今のところ魔力強化の訓練中に俺は魔力切れに陥ったことがない。思い付きでやった10時間魔力強化垂れ流しでも魔力は体感二割くらい余った。


 俺は魔力操作が未熟なため出力を上げて移動速度を劇的に上げることはできない。ただし、一定速度で延々走り回ることはできる。


 まぁ、つまり森林地帯をガーッと端まで突っ切ってハーメルンの笛吹き男よろしく闊歩する魔物どもを俺の異臭で引き付けようって魂胆だ。


 もちろんこのままでは問題がある。なるほど俺が引き付けていれば他の連中は避難できるかもしれん。では肝心な俺は? このまま時間を稼いで魔物のおやつになって後世まで語られる系の主人公ではないキャラを目指すか?


 馬鹿お前、俺は生きてるの大好き野郎だぞ。必要ならスレイのボディを人質にするくらいには生と自由を愛している。そんな俺が献身? ないない。俺の器の小ささは俺が一番知ってる。俺にラノベの主人公とか土台無理な話さ。


 ドドドドドド……!


 走り始めてしばらくになる。速度を緩めずにチラッと後ろを振り返る。


 あー、もう地獄絵図ってこれじゃん。なんなら駆け足百鬼夜行。年始にデパートで福袋に群がるおばちゃんがごとし。迫力は伝わったかな? 正確な数はわからんが等級関係なしにざっと200くらいいるかもな。いやもっといるかも。やだなぁ……。


 俺は咽ないように気を付けながら水筒の水を飲む。額に浮いた脂汗を拭って地図を見る。


「えーっと、さっき走り始めたのがここで、さっき注意書きの看板を見たから……『来たれ、リッキー』」


 もう三分も走れば目的地だな。どの辺りから影響があるかわからないので、ここいらでリッキーを召喚しておく。


『リッキー参じょ……う、うわわわわわ! スレイ、後ろ後ろ! すごいことになってる!』

「あれ全部、俺らでなんとかするぞ」

『は、はは……冗談、だよねー?』


 それ言い始めればそもそも俺がラノベの世界に転送されたのが何かの冗談なんだよ! 何、アニメ一話分の知識しかないやつがその主人公に憑依って! アホ! おかげで早々に決闘で死にかけるわ、小学生からやり直しになるわ。周りに白い目で見られるわ、挙句に魑魅魍魎引き連れるわ!


「ちくしょう、俺はこんなとこで死なねーぞ! こうなりゃ意地でも日本に帰って『摂理破壊の聖霊使い』の二話を見てやる! リアルタイムでなぁ!!」


 ああ、でも日本に帰る前にこの世界で思うさま美少女たちにメガネをかけさせねば。メガネ美少女のみのミスコンとかやりたい。おいおいやること山積みじゃねーか! こんなとこで死んでられねぇぞ!?


 目的地まであと300m……!


☆☆☆


 魔獣たちは夢見心地で走り続けていた。最初からいい匂いを振りまく人間を追いかけていた魔獣は足がもつれて倒れ込んだ。それに躓くもの、それらを踏みつけて進むもの、様々な突発的な事故が起こったが魔獣たちの足を一瞬でも止める要素にはならなかった。


 ああ、本当になんてかぐわしい匂いで走るのか。追いつけなくてもどかしいのに、永遠に走っていられるかのような高揚感がある。


 もし、あの人間に追いついて、思うさま香りを楽しめたらどうなるだろう。きっと最高の絶頂を味わえるだろう。


 では口に含むのはどうだろう? 噛まずにむしゃぶり、芳醇さを味わうのだ。おそらく永遠の快楽を感じられるだろう。


 では、では、もしあの人間を食べられたらどうだろう? あれだけ幸福をまき散らす匂いを、永遠に己の血肉として保管するのだ。 多分、天に召されるだろう。


 ああ、ではもっと早く、もっと速く、もっとハヤク、足を動かさねば!


 足がもつれて転ぶものがいる。邪魔だ! 踏み越えて進む。


 魔獣たちの口から涎が信じられないほど分泌される。もう全身の水分がなくなるほどに一心不乱に追いかけたかもしれない。普段の彼らならひと一人を食べたくらいでは絶対に満足しないであろう運動量を優に超えてなおも追いすがる。


 待って、待ってくれ! 俺は追いつくまで永遠に走るから!


 天国が、あるいは愛か、恋か。いずれかの概念が形を成して駆けていた。


 魔獣たちはもうメロメロ。スレイしか見えていない。


☆☆☆


 ああああああぶねぇぇ! くそ、味方もろとも聖霊術ぶっぱするとかなりふり構ってねぇなぁ! そんなに俺のこと大好きか!?


 俺は後ろから飛んできた氷塊を間一髪で避けながら必死で駆ける。


 時たま聖霊術が飛んできてヒヤッとするが、そういう魔獣は他の連中にとって走るのに邪魔で処理されているのか続けて飛んでこないのはありがたい。


 さらに追いかけてくる魔獣の中でスピードを上げてくる者がいたので少しでも追いつかれないように水筒は空にし、荷物も軒並み捨てた。リッキーは後ろの光景に耐えられなくなって空の水筒の中に隠れた。インスタ映えするやつな。あざといあざとい。俺インスタやってなかったけど。


 しっかし、俺より早い魔物がいる可能性を失念していたが、どうにかなった。そんな魔獣がいたら下手したら詰んでたぞこれ……。どうやら上級魔獣ほど体躯が大きく、鈍重になる傾向があるらしい。例外もいそうなもんだがとりあえず今のところはいないみたいだ。ありがたい。


 やがて、目標地点にしていた立て看板を通り過ぎた俺はリッキーにひとこと言い含めたあと、大きく息を吸い込んで、息を止めて走っていた。魔力強化は内臓にも影響を与えられるので術下なら俺の心肺機能もかなり向上している。しばらく文字通り無呼吸でも走れる。


 道がぬかるみ始めたので転ばないように慎重に走る。ここで転ぶのは本当にやばい。転んだら追いつかれるかもしれないし、下手したら。多少速度を緩めてでも慎重に走ることを念頭に足を動かす。ああ、畜生アスリート気分だ。


 俺は走り始めて何回目かの振り向きを行った。通り過ぎた看板をなぎ倒して、というか周辺の木々を轢き倒して俺に追いすがる。ぬかるみに足を取られて、転んで、踏まれる魔物がダース単位じゃきかないほど現れる。これで何体か脱落だ。だが、それでも意識を保っている魔獣たちは明らかに折れている足をシャカリキに動かして、這ってでも追いすがってくる。


 おーおー、モテる男ってのはツラいねぇ。スレイもこんな気分だったのか? いや、さすがに美少女に追われるのと魑魅魍魎に追われるのとでは天地の差があるわな。まぁこの様子じゃ『恋は盲目』なんて慣用句が生まれるのも合点がいくぜ。


 でも良かったのか? 人間の文字がお前ら魔獣に理解できるかはともかくとして、お前らが跳ね飛ばした立て看板にはちゃーんと書いてあったんだぜ?


 『危険地帯注意』ってな。


☆☆☆


 ぬかるみか、疲労か、それとも別の何かか。また一匹の魔獣同胞が体を横たえた。しかし、彼らはそれを見て歓喜した。これでまた、あの人間を独り占めするチャンスが増えた。もはや彼らに仲間意識はなく、誰があの人間を一番に味わうかという熾烈なレースの様相を見せ始めている。


 確かに先ほどまで仲間だったものの前に立ちふさがり、器用なものは足を引っかけて転ばせた。


 やがて術を行使するものが現れた。それを一頭の上級魔獣が率先して叩きのめした。先頭を走っている個体だ。


 馬鹿め。余計なことをして香りや味が損なわれたらどうするつもりなのか。今のまま食すのが正しい。上級魔獣はぺろりと舌なめずりした。


 また前に出ようとする身の程知らずが現れた。当然倒した。誰が来ようと俺の前を行かせはしない。たとえ主であろうと、だ。


 そして今はチャンスだ。


 ぬかるみの多い地面には辟易するが、それはあの人間も同じこと。現にスピードは落ちている。


 今だ。スピードが落ちた今なら追いつける。大チャンス。


 さぁ、息をいっぱいに吸い込んで渾身の力で地を蹴るのだ。


 捕まえて間髪置かずに飲み込んでやるのだ。そうして、そうして……そうし……て?


 スレイにひと際執着してトップを独走していた魔獣が酩酊したように不意に転んだ。これ幸いと彼を踏みつけてトップが入れ替わった。


 馬鹿、な!? 俺はまだ走れ……る! さあ、体を、足を動かせ……! 今からでもまだ間に、合う! 他の誰かにあ……の人間を渡し、てたま……る、か!


 思考とは裏腹に荒い息とともに体から力が抜けていく。


 ああ……。ああ! と、遠のく! いい香りが……イイニオイガッ! う、薄れ、る……。なんだ、意識、も……。


 先ほどまでの多幸感は駆け離れていくスレイと共に消え失せ、魔獣の脳内を絶望、疲労、徒労、飢餓……あらゆる負の感情が浮かんでは消えていく。それは自信の命の明滅を表す様で、最後にもう一度だけさっきまで確かに嗅いでいた香りを思い出そうとして、それっきり魔獣の意識は浮上することはなかった。


☆☆☆


 そろそろまた息が苦しくなってきた。


 少しでも体を軽くするためにバッグの中身は食料以外は軒並み捨て、腰でカチャカチャうるさいし微妙に重量もある剣も走っている最中に捨てた。荷物に足を引っかけて転んでくれれば御の字だ。


 俺は歯を食いしばって振り返ると、いまだに俺を追いかけている魔獣がいる。しかし、その数はすでに数体にまで減っていた。


 おいおい、魔獣でここまで効果覿面てきめんなら対策なしの人間だとどこまで進むのが限界なんだ?


 この『黒の森』ってのはよ……。


 そう。ここは黒の森と呼ばれる、ゼルヴィアス学園はおろか、この大陸における『三大魔境』に区分される土地である。ここへ来る道すがら何枚もある立て看板が再三立ち入り禁止を告げるこの地域は木々や沼、果ては空気まで毒で汚染されているとんでもない区域なのだ。


 生えてる雑草も毒。土も多分毒まみれ。そして、漂う空気は毒ガス。以前、前線帰りの有志の風の聖霊使い達がこの地域を調査しようとして道半ばで帰ってきたといえばこの毒ガスの密度の濃さが伝わるだろうか。余談だが、この時の調査で目や口内などの粘膜接触で影響のある類の毒ガスではなく、魔力が変異して発生した異世界特有のガスであることが判明している。


 授業で聞いたガチの逸話だったから俺も影響受けるレベルなら大回りして援軍来るまで走り回る予定だったが、何とかなった。おかげで魔獣もかなり減っている。


 俺がこの毒ガスの中、走り回れる理由はこのちくわウインナー……もとい水筒の中のリッキー君のおかげだ。リッキー君の消臭の力は周囲のにおいを全部さっぱり吸収して浄化し、無臭状態にする能力がある。リッキー君はそれがどんなにおいなのかを把握できる上に、そのにおいから被るバッドステータスを一切受けない。


 リッキーは毒ガスの効果を受けない。そしてリッキーの消臭効果は今『水筒内』だけに縮小指定している。


 つまり、水筒内の空気は浄化された普通の空気なのだ。


 俺の臭いで魔物を引き付けている状況なので、いつもどおりの全体消臭では俺が囮でいられなくため、このように遠回りな手段をとることになった。


 俺は肺の空気を吐き切り、水筒を開けて中の空気を吸い込む。この瞬間はリッキーが気をきかせて浄化した空気を俺の口元に吹き付けてくれる。水筒の空気を吸う際に外気の毒ガスを少しでも吸わないようにするための工夫である。


 毒ガスを一切吸わずに肺の空気の交換が終わった俺は再び息を止めて水筒を閉める。


『がんばれ、スレイ!』


 水筒に入れた小さな相棒が俺を励ましてくれる。全身汗だくだ。魔力はあるが気力が続かない。スレイの身体スペックと大量の魔力で騙し騙しやってきたが、そろそろ限界だ。他人の体でマラソンをやらされる気分ってのは名状しがたいものがあるな。


 こう、体はまだ行ける感覚はあるけど、42.195km走ったことない奴が最後まで気力続くのか? って感じと言えば伝わるかな? 意識的には寝たいんだけど、体が起きてて眠れない状態って表現の方がわかりやすいか?


 そもそも俺は日本じゃ泣く子も黙る運動不足にわかオタク大学生だ。マラソンなんてアニメでちょろっと見た程度だ。駅伝すら最後まで見たことない。年始にそんなもん見る暇あったらシリーズアニメぶっ通しで見るわ。


 だが、やるしかねぇ。だって俺は死にたくねぇ。そんで日本に帰って祐司が言っていた先行PVで一番期待値が高いアニメのついでに『摂理破壊の聖霊使い』の第二話をボロクソに貶けなしながらリアタイ視聴してやるのだ!


 信じられるか? 俺はまだ今期はこのクソテンプレラノベものの一話しか見てねーんだぞ! 死ねないよなぁ!?


 そして何より、まだ見ぬメガネの似合う森羅万象あまねく美少女を死ぬまで愛でるのが俺のライフワークだ! こんなレンズのカケラもない色気のない場所で死ねるわけねぇだろ!


 俺はもう、振り返らずに走った。息が詰まってはリッキー水筒で空気を補給して走り続けた。そんなルーチンワークを一時間くらい続けて走った。いつの間にか黒の森にある山の麓まで来ている。


 俺は足を止めずに振り返った。俺の後ろにはもう何者も存在しなかった。来た道をたどれば魔物の死屍累々が繰り広げられていることだろう。


「は、はははは! やったぞ、生き残ったああああああ!!」


 俺はリッキーの消臭機能を再起動して叫んだ。だって叫ばずにはいられねーだろ? サッカーで自分のご贔屓のチームが逆転シュート決めたときとか声出るだろ? 人間は昂ると声を出すように出来てる感情の生き物だからな。作戦がばっちりハマった達成感もすごい。


 そう、俺はやり遂げてやったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る