〇から始める精霊学

 リンゴーン、リンゴーンという聞く人によればけたたましい音と共につんつん、と頬を枝か何かでつつかれるような感触。いや、それにしては感触が柔らかい。


 何事か? と身体を起こすと、ニアがにこにこといたずらが成功した子どものような無邪気な顔をしていた。タイミングが良かったのか悪かったのか彼女の人差し指が起き上がった俺の頬に浅くめり込んでいた。


「おはよう、スレイ。ふふ、びっくりした? 昨日僕を散々からかった罰なんだよ」


 おはようございます。今朝、世界で最も幸せな朝を迎えたスレイ・ベルフォードこと鈴木康太郎です。こうして目が覚める、ということはどうやら昨日の出来事は特に俺の暴走した自意識が見せる幻覚でも何でもなかったってのが証明されちまいましたね。


 まぁ夢の中で睡眠を取るとかわけのわからない状況のような可能性もあるわけだが。終わらない明晰夢とかだったら割と悪夢だ。


 しかし本来は女子と一緒に寝るという素敵イベントだったはずなのに昨日はお互いに疲れが溜まっていたらしく特にドキドキハプニング(おそらく死語)もなく二人して熟睡してしまったのだった。これは主人公的にどうなんですかねぇ?


 やっぱりこうして接近したからにはなんぞラブでコメコメなことしとかないと沽券に関わると思うんですわ。だから今夜はどうなるかわかんねぇよなぁ!?


 まぁそれは置いといて。


「おはようニア。今日も可愛さがとどまるところを知らないな」


 さすがテンプレラノベヒロイン。寝癖も完備。豚のツボを押さえた小憎らしい演出だ。昨日から全然テンション下がらんわ。


「も、もう! すぐそうやってからかう! 僕は今男の子なんだよ! 学園でそんなこと言ったら、えっと困るんだからね? わかってる?」


 どうですかこのヒロイン力。テンプレラノベ(笑)とかもう言えませんよ。しかもこの子実体があって触れられる上に自分で考えて行動するんですよ。凄いでしょう。


 とりあえずニアの頭をこね回すように撫でる。いやぁ、いけませんねぇこの感触。髪ふわっふわ。何時間でも愛でてられるわ。


「どうして頭を撫でるのさ!」

「いや寝癖がついてたみたいだったから」

「え、ほんと? ごめん。ありがと」


 断言しよう。人生で一番幸せな朝であると。そうして俺は役得を噛みしめながらニアの寝癖をなんとか寝かしつけた。


「それじゃあ、ぼちぼち支度しますか」

「うん。じゃあ着替えてくるね」


 寝癖が直ったニアは「お着替えしてくる」と言ってトイレに籠もった。俺がトイレに籠もろうかと提案しようとしたがよく考えたら俺の任意のタイミングで出て行けるな、と思い直し断念した。彼女に窮屈な思いをさせるね。


 まぁでもやっぱり隙あらばちょろっと覗きたくなるのが男のサガだよねぇ。スカートがヒラヒラするのを目で追いかけちゃったりするのは男にとってもう習性みたいなもんだから女子の皆々様には是非寛大な理解をして頂きたいところですな。


 とりあえずトイレの扉を眺めてみるが特になんとかなりそうな都合のいいのぞき穴的なものはなかった。もちろんここまで一連の行動は冗談だが。


 自重しろって? それは無理よ。思春期男子の身体を得て俺の、いやスレイのボディーが女体を求めているのだ。(なすりつけ)


 結局自制してるんだから許してくれるよなぁ!? というかそもそも俺もスレイもそう年齢変わらんわ。一番エロい時期だわ。


 ちなみにこの世界のトイレ、元いた世界でもよく見た白い陶器製の水洗便所です。寮までの道すがらに溝もマンホールも見かけたので下水等はバッチリのようだ。


 それはおいといて、俺も着替えるとしよう。


 昨日、ドジャーと別れて部屋に戻る最中に実家から送られてきているという日用品が入ったアタッシュケースをやたらとふにゃふにゃ喋る寮長から受け取った。ケースの数は二つで、中には歯ブラシや櫛、学生服二着にその他諸々が入っていた。おそらく私服であろう服も数着入っている。


 昨日はシャワーを浴びてケースに入っていた星柄のパジャマに着替えて寝た。ニアからかわいいとお墨付きを頂いた一品だ。まぁパジャマに対しての発言か、それを着こなすスレイがかわいいかは定かではないが。俺としては後者に一票投じたいところだ。


 そういえばシャワーやら蛇口やらは現代日本の一般常識的な形状だったな。やはりこの世界の技術力水準は結構高そうだ。


 ちなみにニアの昨日のお着替えはシャワー後のまったりタイムだったらしくシャワー音にドキドキイベントはありませんでしたっ……!(血涙) 


 ぶっちゃけネット・ゲーム・テレビがない点以外は日本にいた頃の俺よりいい暮らしができるレベルである。なんだこの学園……。


 そんなことを考えながら俺は着ていたパジャマを脱ぎ、アタッシュケースから取り出した制服に袖を通す。高校を卒業してまた学生服姿になろうとは思いもしなかったな。


 そういえば俺も寝癖ついてたりしないだろうか。ニアに指摘しておいて自分が粗相するとかちょっとかっこわるいしな。俺は備え付けかニアが持ってきたかは定かではない姿見に自分の全貌を映す。


「……誰だこの美少年?」


 透き通るような空色の瞳、少し伸びた亜麻色めいた艶のある髪、少しだけ垂れ気味の目元が母性をくすぐるようだ。顔の線は細く、それなりに着飾れば女性に見えるであろう線の細さを醸し出している。


 姿見に映るそいつは当たり前だが俺の動きを寸分違わずに真似た動きをする。当然だが、そいつは俺だった。アニメのスレイを3次元化した姿と言った方がいいか。いずれにせよ鈴木康太郎の顔面偏差値を大きく上回ることは間違いない。


 というか、この顔で俺ってば昨日からはっちゃけてんのか。でも確かに俺が女子ならこの顔で持ち上げられたりからかわれたりしたら惚れてしまうかも知れない。


 原作どおり優柔不断な振る舞いをすれば母性をさらにくすぐり、俺のような魂が入っても見た目と雰囲気のギャップで女子はやられちまうわけか。やっぱイケメン最強じゃねぇか。顔面偏差値低ランカーに慈悲はないですか。そうですか。


 顔面の格差社会にいずれ救いが訪れることを祈りながらパジャマのズボンも脱いで新しい物を穿こうとしたところでカチャ、と短い音がして戸が開く。


「着替えた……よ?」


 もちろんニアである。既に支度を済ましてトイレから出てきたらしい。着替えるの早いな! よし、とりあえずあれだ。


「きゃあああ! ニアさんのえっち! すけっち! わんたっち!」


 俺は露出度が上がっている下半身はそのままに胸を掻き抱く格好で羞恥に悶えるフリをする。こんな仕草もイケメンに映るのだろうか。もう少しイケメンらしく振る舞うべきだろうか。


「君にだけは言われたくないよ!? じ、事故だから! 他意はないから! は、早くズボン穿いてよぉ……」


 顔を真っ赤にしながら目を逸らす美少女。えぇなぁ! たまりませんなぁ! 俺がイケメンだとかそんな話が如何に女子の愛らしさの前に無意味かがよくわかる。


 しかし本当に朝からいじりがいのあるルームメイトである。


☆☆☆


 食堂で朝食をニアととって、支度を済ませて外に出ると既にネーシャとフィーネが待っていた。これでも結構急いだつもりだったが彼女らの熱意が勝っていたようだ。


「もう、弟君ったら。女性を待たせるなんてどこでそんな駆け引き覚えてきたの?」

「そうよ。あたしたちを待たせるなんて随分偉くなったものじゃない」


 のっけから熱烈歓迎である。表情は二人ともいたずら好きそうな可愛げのある笑みだ。スレイってばいつもこんな調子でいじられてんの? ひょっとしてドMだったんだろうか。ちょっと気が合いそうね。


 いや美少女にからかってもらえるとかいたずらしてもらえるとか凄い役得だぜ。今朝のニアのいたずらと合わせて三人分。朝だけでこれだけの役得感とか、俺の未来はバラ色かも知らんね!


「いや、普通に支度してたら既に二人がもう待っていたんだよ。そんなに早く俺と会いたかったってわけだ?」


 お返しとばかりにそうからかってやるとフィーネは面白いくらい取り乱す。


「は、ハァ!? 何言っちゃってんのあんた! べ、別にあたしそんなつもりはな、くはいんだけど!?」


 フィーネがツンだかデレだかわからん対応をしてくる。顔は言わずもがな赤い。


「フィーネちゃんって心の葛藤が口に出ちゃって逆ギレ気味になるときあるよね。お姉ちゃんは会いたかったよ弟君!」

「俺もだぜねーちゃん!」


 ネーシャが俺を抱きしめる。俺も彼女の背中に手を回す。相変わらず胸は餅つきしてるような音みたいだが包容力は聖母級だ。あーめっちゃいい匂いするわー。やわこいわー。役得だわー。


「えっとお姉さんと仲がいいんだね、スレイ」


 少し遠巻きで俺の様子を見守っていたニアがそう言う。何、うらやましいの? あげないよ? この姉は非売品です。


「あなたはひょっとして、弟君のルームメイト?」


 ネーシャは俺を解放してニアに向き合う。あぁ、もうちょっと味わっていたかった。なんか常習化する甘い毒めいた魅力があのハグにはあるぜ……。


「はい。僕はニア・セルリアンといいます。あなたはネーシャ・ベルフォードさんですね? お噂はかねがねお聞きしております」

「これはどうもご丁寧に。私がネーシャです。弟君がお世話になります。どんな噂が流れてるのかは気になるけど先に紹介を済ませちゃいましょうか。こっちが私たちの幼なじみのフィーネちゃんです」

「フィーネ・ルナマルソーよ。ネーシャさんの説明どおりこの濃い二人の幼なじみ。よろしくね!」

「よろしく。フィーネさん」


 和気藹々と自己紹介が行われるがどちらも知ってる俺としては微妙に入りづらい話題ではある。てかフィーネってそんな家名だったのね。ん? 家名?


「なぁニア、お前家名とか伏せなくて大丈夫なの? どこぞの貴族から隠れるために学園に来てるんだろ。家名が漏れると面倒くさいんじゃね?」


 俺はニアに小声で訪ねる。これで実は未対策でした、とかだったら今のうちになんぞ対策を考えねば彼女は安寧から一歩遠のく。昨日知り合ったばかりだが俺はニアのことを大層気に入っている。だから彼女が痛手を被るなら力になってやりたいとは思う。


 それはネーシャでもフィーネでも会長でもドジャーでも、あとほんの心の片隅で馬鈴薯でも同じことが言える。やっぱちょっとは主人公らしいことをしないことには導かれた甲斐がないってもんだしな。うん。


「あぁ、大丈夫大丈夫。セルリアンは偽名だよ。元々僕は五女で末っ子だったし社交会にも滅多に出なかったし家名を伏せるだけで効果は抜群なのさ」


 俺に習ってニアも小声で耳打ちしてくる。どうやら俺の心配は杞憂で済んだらしい? いや、俺が言うのも何だがニアはちょっと世間知らずのきらいがあるように思う。


 貴族社会のことはいまいちわからないが彼女の言うことを鵜呑みにするだけで何もしないって選択肢は悠長かもしれない。そもそもこの国の貴族がどんなものなのかちょっと見当がつかない。この世界の貴族についても勉強した方がいいかもなぁ。


「ネーシャさんネーシャさん、ニア君ってすっごい美少年ですね。女の子かと思いましたよ」

「そうだねフィーネちゃん。弟君を越える線の細さの美形だね。総合的な美少年度は同じくらいだけど」

「なんか内緒話してますよ。かわいいですね。美少年同士の耳打ちって凄く絵になりますねネーシャさん!」

「そうだねフィーネちゃん。私今とってもキュンキュンしてるよ!」


 俺の心配を余所になにやら二人が盛り上がってる。あれか。ホモが嫌いな女子はいませんってやつか。だが残念。いたって健全な性別ですよ我々は! あ、でもニアの顔が近いのは確かにドキドキするわ。


「だから心配いらないよー……ってスレイ、聞いてる?」

「聞いてる聞いてる」


 彼女の可愛さは性別を問わないということはよくわかった。守りたい、この笑顔!


        ☆☆☆


 学園への並木道を美少女三人と連れ立って歩く。それなんてラノベ? って聞かれたら俺は迷わずタイトルコールしちゃうところだね。摂理破壊の聖霊はどっかいっちゃったけど。


 ここは昨日学園から寮へ帰っている時にも通った道だが。まだまだ自信のない道なので美少女達から一歩引いて俺は歩く。前を歩くフィーネとネーシャは早速ニアと打ち解けたようで好きなデザートの話とか他愛のない話をしている。


 かしましくていいねぇ、なんて考えているうちに校門の前にたどり着いてしまった。


「ん? あれは……」


 校門の前には風に揺れる立派な金髪縦ロールの美少女、生徒会長キャサリン・リリアーノが立っていた。馬鈴薯女ことエイジャもいる。こいつのファミリーネーム知らねーな。


「ごきげんよう。お待ちしてましたわスレイ君」

「あれ、会長とはなんか約束してましたっけ? いやいや、待たせてしまったみたいで申し訳ない。どういったご用件だったんですかね?」

「いえ、そう気に病まずに。わたくしが勝手に待っていましたの。エイジャ」

「はい」


 会長が優雅な仕草で扇で口元を隠してポテトに何事か指示を出すと妖怪身体穴開け女は俺に二枚の書状らしきものを差し出してきた。


「これは?」

「貴様の身を案じて会長がご用意してくださった精霊学実験室と王国病院への紹介状だ」

「魂の臭いについてはこの学園の精霊学実験室で、記憶の件は王国病院で相談をするとよろしいですわ。金銭面はベルフォード辺境伯が負担してくださるみたいですので心配はいらない、とのことですわ」


 ああ、そうだよな。周囲から神童扱いされてたスレイだもんな。そりゃ手厚くサポートしてくれるか。それに辺境伯家か。スレイの実家って凄そうだよな。豪邸でも建ってるんだろうか。俺にとっては他人の家みたいなもんだが。


「辺境伯もさぞご心配なさっているでしょう。一度実家の方に顔を出してはいかがかしら」

「そのうちそうするよ。ありがとう会長。すげぇ嬉しいよ」

「それは良かったですわ。それと……」


 会長はそう言うと何やら気の毒そうな顔をしながら今度は懐からさらに一枚書状を取り出して手渡してきた。


「うひょひょ、会長のぬくもりといい香りが……! これはもう、一種の神器と呼んで差し支えないのでは!?」

「あ、朝っぱらから校門前でなんてことおっしゃりますのあなた!? 内容を読みなさい!」

「おっと、失敬失敬」


 どう考えても会長が懐で温めてたのが悪いよなぁ!? ともかく会長の反応を楽しむのもそこそこに、家名不明のポニーテールがすごい形相をしてこちらを睨んでいるので俺は書面に視線を落とした。えーとなになに?


「初等部授業特別参加許可書……。え、初等部?」

「……言いにくいのですが、今の貴方の常識レベルでは高等部のカリキュラムにはついてこれないだろうという結論が議会で出てしまいましたの。したがって貴方にはしばらくの間、貴族の子息が6歳から12歳までの期間に通うゼルヴィアス学園初等部で勉強していただくことになりましたわ」

「はぇ?」


 そこまで言うと会長は不憫すぎて見るのも耐えられないといった様子で扇で口元を隠しながらそっぽを向いた。エイジャはその後ろで壮絶な笑みを浮かべている。


 えーと、つまり小学生からやり直せってことですかい……?

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