【短編】投資のリスクはここにある

伊藤 終

1月8日は冷えている

 ARという短いハンドルネームから、年齢や性別を想像することは出来ない。短すぎてWEBサービスのアカウントにも使えない。

 ひとまずアカウントの作成日を数字として入れる。それでも短いので適当に文字を足す。AR0108CC、これをIDにする。

 名前はARから逆算してつける。Aはアキラでいいだろう。漢字はスマホの変換候補に出てきた晃。Rは龍崎。Eメールアドレスもar0108cc@で始まる。


「なんでARなの?」

「龍崎晃なんで、ふつうにイニシャルっすね」

「へえー。アキラ。1月8日は誕生日?」

「フツーそう思いますよね? でもそれ実は、新規一転アカウント作り直した日なんすよ。俺、次大学3年なんすけど、微妙な人生一回忘れて、後半一気に色々やっときてえなって、心底思った日なんす」

「へええーっ。いいね、そういうの。そりゃ頑張るしかねえよ、一度きりの人生だよ。大丈夫、アキラは絶対稼げるよ。目ぇみりゃわかるもん。で、どう微妙だったの大学は。彼女は?」

「彼女は出来たんすよ、一応」

「へえー、それなら良かったじゃん。なんか、アキラは見た感じユータに比べて地味な感じだし、ちょっと思い切れてないのかなって思ったけど、そこは違ったな。で、どうなの彼女は。可愛いの?」

「まあ……。俺は一応、それなりかなって思ってます」

「ふーん、今度彼女も連れてきなよ」

「あーそれはちょっと、無理なんすよ。いま短期留学してんすよ」

「はあ? どこにいつまで?」

「イギリスにあと半年っす」

「うっそ。長いな? アキラそれは無理だわ多分。そいつ、あっちで男作ってんじゃない? ダイジョブウ? 今クールなイギリス男子とめちゃくちゃんなってんぞ多分」

「まあ多分…」ARは表情を変えずに、黒いセルフレーム眼鏡の中の両目を手元のグラスに落とした。「そうなんすよね。なんか最近、すっげぇ怪しいんすよ」

「やばいな! アキラやばい! いやでもそんなブスのビッチは忘れてさ。儲けようか!」

 大笑いをして、野原はARの肩を叩いた。

「アキラ。これは本当に真面目な話」野原は急に静かな声で言った。「どうせビッチは楽しくやってんだ。アキラはバッチリこっちで稼ごうぜ。貯金は裏切らないからさ。さっきも言ったけど、実際アキラみたいな奴は伸びんの早えのよ。目標をしっかりイメージする、それが最初の一歩だからさ」

 野原はそう言って、更にARに顔を近づけた。

「お前は、俺になる。それで俺より稼ぐんだ。今からそれを全部教えてやるからさ…」

 

「どうだった?」

「まあまあ」

「じゃあ投資する?」

「する」

 ARは右耳に入れたワイヤレスイヤホンで通話をしながら、左手のスマートフォンで手早く「@AR0108IV」としてSNSに投稿を済ませた。

『ゆーたのおかげですげえ店に行けたわ。これから投資頑張る』

 野原のバーのURLを入れて投稿。そこに「@Yuutax0623」がすかさずコメントをつけてくる。

『おれのぶんまで稼いで養ってくれ〜』

 他にも大学生のアカウントが何件かすぐに反応をする。

「6件か」ARは深夜の渋谷の喧騒の中を歩きながら言った。「こんなもん?」

「投稿直後だし、最初はひとケタのほうがリアルっしょ」

「まあそうか。で、このあと増えるわけ?」

「今日中に25件、朝には30件ちょいって感じに持ってくわ」

「ふん…」言いながら、ARはスマートフォンを改札機にあててピッと渋谷駅に入った。「まあとりあえず、そんなもんで最初は釣れるだろうな」

 山手線のホーム上で壁のすぐ近くに立ち、ARは周囲に注目されない程度に通話を切らずに続けておいた。大声で盛り上がる酔っ払い四人組の背後、ここにいる地味なARのことなど誰も気に留めていない。

「きた」

 ワイヤレスイヤホンからそう声が聞こえて、ARはスマートフォンの画面を見下ろした。

『初来店感謝! 次回も宿題よろしくね』

 絵文字の入れ方に、恐ろしいほどセンスが無い。だがそうやって少し油断させるのが上手いとも言える。ARは素早く返事を入力した。

『ありがとうございます! 次までバイト超頑張ります!』

「宿題って、金?」

 イヤホンの向こうの声が言った。

 ホームに滑り込んでくる緑色の山手線の車両を見ながら、騒音の中でARは小さく言った。

「そういうこと。野原も役者だよな」

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