龍との出会い

 僕はその場に荷物を降ろしてもう少し龍に近づいてみることにした。

 龍は体を丸めていたが頭から尾の先までは十五メートルくらいありそうだった。体の光沢は実際には鱗によるものではなかった。全身が白っぽい、やや赤みがかった、鴇色、あるいは桜色の緻密に生え揃った軟らかい羽毛で鱗状に綺麗に覆われていた。あるいはその赤みは単に内側の血色が透けたもので、実は鱗自体は真っ白なのかもしれない。そんなふうに思わせる透明感があった。

 近づくにはどうしても乾いた砂礫を踏んで歩かなければならなかったので、その物音に気付いて龍は白鳥のようにゆっくりと長い首を擡げた。まずは辺りを見渡して注意すべきものがないか確かめているのだった。龍の頭の形は鷲に似ていた。鼻先があの厚く鋭い嘴のようなカーブを描き、口の周りの羽は爪のように硬化している。目は相対的に小さく見えるがいかにも視力のよさそうな光を湛えている。虹彩が綺麗な菫色だった。そして顔の後端には角の代わりのような尖った冠羽が左右四本ずつ後ろに伸びていた。首の下には三角形に張り出した胸骨があり、肩は高く、長い強靭な腕の先に六本指のしなやかな手がある。親指が一本多いもののその造形は不思議と人間の手に似ている。肩の後ろには鶴のような大きな翼が生え、今は背中のくびれに沿って折り畳まれている。腹部と腰は薄く、ネコ科の後脚の形をした脚があり、尾は胴体と同じくらいの長さがあって根元が太くまっすぐ先細り、先端の羽が松毬まつかさのように開いていた。

 その尾を指揮棒のようにゆらりと一振りした後、「ねえ、人間さん」と龍は呼んだ。

「僕のこと?」僕は訊き返した。でもそれは答えたというよりも驚いて声が出てしまったという方がいいくらいのものだった。何しろ初めて見た生き物から日本語で急に話しかけられたのだ。しかもそこはイランの山奥なのだ。いくら憔悴しきってたって驚かないわけがなかった。

「そうよ」龍はどこかおあつらえ向きな女言葉で喋った。

「君は?」

 龍は僕の顔を見た。横顔からイメージするよりも縦に短く横に長い輪郭だった。二つの宝石のような菫色の瞳が僕を見ていた。

「便宜的にいうなれば、人間が龍と呼ぶものよ。人間の文明は一種の模倣で、そのもととなった旧文明をそれ以前に築いた存在があったという説を聞いたことがあるわ」

「ああ、それが君たちなんだ」

「そうね。正確に言うと違うのだけど、でも人間の持っている概念に照らし合わせるとそれが一番近いと思うの。『便宜的に龍と呼ぶもの』って、そういう意味よ。私たちは龍とは自称しないもの」

「じゃあ、なんて」

「自称しないのよ。私たちが同類を指し示す時に共有する概念というものはあるわ。でもそれは言葉ではない。同類と意思疎通するための言葉という様式をそもそも持たないのよ。それは言葉ではないし、言葉に類するものでもない。だから私たちの自称に相当する概念を人間の言葉で表現することは難しい。わかるかしら」

「わかると思う。でも君は言葉を操る」

「そうね。私は人間の言語を話す」龍はそこで首を下げて僕に目線を合わせた。僕を見下すような具合だったのが気になったようだ。「それは人間に合わせているから。人間を知ることによってその機能を身につけてきただけ。言葉だけじゃない。こうして話をするのに不自由しないように、人間の感覚に無理なく認識されるような細かな努力を私はいくつもしてきた。そうでなければ私たちはお互いをまるで認識できないでしょう。そこにいることもわからない、声も聞こえない、姿も見えない。それは重なり合った別々の宇宙に存在しているのと同じことだわ」

 僕は脇の下に両手を差し込んで温めながらしばらく考えた。

 龍の顔が目の前にある。体のバランス的には小さく見えた目も占い師の水晶玉のような大きさだった。嘴の上に一対の鼻孔があるが吐息のようなものは感じられない。

 僕の息は白く凍る。

「まるで全然別の次元の世界からやってきたみたいだ」僕は言った。

「それはかなり正鵠を射た解釈だと思うわね」

「生き物は各種の感覚のレンジが互いに重なる部分でのみコミュニケーションすることができる。つまり、君たちが一方的に人間の多くを知っているが故に、僕は君を実際よりも人間的なものであるように誤認しているんだ。そういうことか」

「ええ、概ね」

 僕はまた少し考えた。

「龍という種族、いや、単に『存在』と言った方がいいのかもしれないけど、龍という存在はとても高い技術を持っているのかな。それほど隔たりのある人間という存在の、いわば、コードやプロトコルのようなものを知り、再現できるようにするのは並大抵のことではないような気がするんだけど」

「技術」龍は呟くように言った。「私はただ、長い時間をかけて自分のあらゆる器官を人間のコミュニケーションに適応させてきたのよ。それは技術というよりも技能というべきものじゃないかしら」

「適応させてきた?」

 僕が質問すると龍は軽く瞬きをして頷きに代えた。瞼には羽毛は生えていない。それはやはり鳥を思わせた。

「自分の身体を変化させるの。例えば、声帯。こうしてあなたと話ができるのは声が出せるから。でもそれも他の龍にはないの。私は自分の身体の中に声帯を生成したのよ。手術のような外的手段によらず、時間をかけて、自分自身で。もちろん人間の声帯と同じ構造ではないけれど、声を出すための器官という意味においての声帯ね」

「自分で自分の身体を変化させる。自己変化」僕は声に出して情報を整理した。「それが君の言う技能なのかい?」

「そう。周りの環境を変えることなく、自分自身を適応させていく。それが龍という存在なのよ。あくまで、簡単に言えば。だから私たちは道具を使わないし発明することもない。身体の進化を待たずに道具の開発によって進歩を遂げた人間とは全く違う」

「全く違うというどころか、対照的にすら思える」

「そう。面白いでしょう。でも他の龍たちにはその面白さがわからないみたい」

「なぜだろう」

「きっと龍というものが最初に否定したのが人間のような在り方だからでしょうね」

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