第077話 魔の人と獣と

 七月某日――竜牙城、軍議の間の扉の前。


 思考の世界から帰ってきたオフェリアは、顔を上げて再び軍議の間の鉄扉を見据える。

 後ろに控えていたクロニカが衛士のリザードマンに頷いて合図を出す。


 身の丈三メートルはある屈強なリザードマンが、四人掛かりでその鉄扉を押し開けていく。


 オフェリアは、その鉄扉が完全に開ききる前に軍議の間へと進んで行くが、すぐにその歩みを止めた。


 一族の者が勢揃いしていると思っていたのだが、その部屋には祖父であるネロしかいなかった。


 意表を突かれたオフェリアがその場に突っ立っているとネロが声を掛けてきた。


「久しいな、オフェリア。何をしておる。そんなところに立ち止まっておらんで、こちらに参ってはよその顔をよく見せてくれんかのう」


 ネロの問い掛けにオフェリアは目を細めた。


 少しおやつれになったか?


 人化しているネロの顔には深い皺が刻まれ、覇気がない。

 元々黒髪だった髪は、今では完全に白髪と化していた。

 目元が皺くちゃになったマリンブルーの瞳には陰りが見え、口元の長く伸ばした竜の髭だけが竜人らしさを辛うじて残していた。

 

「これは……一体どういうことでしょうか?」

「うむうむ、ますます美しくなったのう。魔力も大分増えたようじゃな」


 オフェリアの質問には答えない。

 ネロは、オフェリアが近付くなり両頬に手を添えてオフェリアの顔を観察してから全身に目を配った。


「あ、ああ、そんなことより。事情を説明してくださいませんか?」


 普段クールに決めているオフェリアは、ネロに子ども扱いされて照れていたが、それを隠すように、鬱陶うっとうしそうに仰け反る。


「せっかく久し振りに会えたのだからおじいちゃんに甘えても良かろう」

「なっ、甘えるなんて私はもう子供ではありません!」


 オフェリアは、たじたじになりながらクロニカの方を盗み見る。

 威厳の欠片も無い姿を見られて笑われているのではないかと、急に心配になったのだった。


 だが、クロニカは、すまし顔でオフェリアの心配は無駄に終わった。


「それは悲しいのう……でも」


 そう言ってネロはオフェリアを担ぎ上げて高い高いをした。


「い、いやあああー!」


 途端、轟音が鳴り響き、軍議の間にあった机や椅子などが木っ端になって悲惨な状況を作り上げた。


 オフェリアがあまりの恥ずかしさに爆裂魔法を発動させた結果だ。


「お、おじい様ぁぁぁあー?」


 咄嗟に魔法を使ったとはいえ、ネロがその程度でダメージを負うとは思わなかったのだが、ネロが血みどろになって倒れていた。


「さ、さすがはわしのオフェリアじゃ……孫に止めを刺されるなら悔いはない……ぐ、ぐふっ」

「だめぇぇぇえー!」


 オフェリアが治癒魔法を施さなかったら、本当にネロの生涯は幕を下ろされていただろう。

 ネロは、孫であるオフェリアをとても愛しているのだが、愛にも色々形があるようだった。


「えっと、どこまで話をしたかのう?」

「何も聞いていません!」


 終始ネロにペースを握られオフェリアは、柄にもなく声を荒げる。


「そうじゃったか? ふむ、おかしいのう」


 まさか、ついにボケたのかしら? と心配したりもした。


 が、


「今のブラックフレイムエクスプロージョンは、わし以外でどれだけの人間が耐えられたかのう?」

「そ、それは……」

「みなのもの、そろそろいいぞ」


 オフェリアが返答に詰まっていると、入口の鉄扉が開き四人の竜人が入場してきた。


「やあやあ、久しいな妹よ」


 オフェリアを妹と呼びながら陽気に声を掛けてきた男は、上下真っ黒なスーツ姿の優男風のランバート。オフェリアの実の兄である。


「お久し振りです、オフェリア様」


 アーガンがそう言って跪くと、残りの二人も跪いた。

 ランバートは、それを見て慌てて跪くも、太々しい笑みを浮かべていた。


 この雑魚は一体何がしたいのかしら?


 オフェリアは、ランバートの不可解な行動にうんざりしつつ、他の三人に目をやる。


「アーガン、マリア、そして……ペールも……元気そうね」


 ペール・グルブランソン――ネロの腹心であるインターミディエイト。

 無口な上に真っ黒なローブのフードを目深に被っており、オフェリアは声を聞いたこともなく、素顔さえ知らない。


 他の二人が返事をするも、ペールはやはり一切言葉を発せず、小さく頷くのみだった。


 そこでアーガンが立ち上がり、恭しく一礼した。


「不肖の我が愚弟は、オフェリア様のお役に立っているでしょうか?」

「ん、ああ、頑張っているわよ。丁度命令を出しているけど無駄になったわね」


 アーガン・シュミット――インターミディエイトのシュミット家の当主で、オフェリアの手足となり働いているファーガルの兄である。


 アーガンは、白銀の髪にスカイブルーの瞳。

 金糸で飾られた白いサーコート姿でヒューマンの騎士のような出で立ちをしており、全身黒ずくめのファーガルとは正反対の服装だった。


 オフェリアは、アーガンにそう言われるまで、ファーガルをテレサのダンジョン周辺で暴れるように指示したままであることを忘れていた。


 ファーガルが不憫でならないが、既にオフェリアの計画は破綻しており、既にどうでもよくなっている。


 次に、妖艶な雰囲気を纏った女性が一歩前へ出た。


「オフェリア様もお元気そうでなりよりですわ」


 オフェリアの機嫌を窺うように言ったのは、マリア・パオレッティ――

 ネロの娘であり、オフェリアの父の妹でもあるアドヴァンスド。


 彼女は、オフェリアの叔母にあたるのだが、オフェリアは当主であるため様付けで呼ばれている。


 真っ黒なアーマービキニ、真っ赤なショートローブという派手な服装。

 目のやり場に困るダイナマイトボディーで、見た目は二十歳ハタチそこそこで全然現役だった。


 尤も、マリアのその挨拶には嫌味も含んでいる。


「あらあら、それは本心かしら?」


 オフェリアはそれに気付いているから、そんな返答をした。


「こらこら、何をはじめようとしておるのやら……」

「「何も!」」


 ネロが嫌な雰囲気を感じ取り声を掛けると、オフェリアとマリアの答えが重なり、目線を結び火花が散った。


「いい加減にしないか!」


 さすがに、そこは元当主。

 ネロも好き勝てやられる訳にはいかなかった。


「オフェリアのその短気はいつになったら治るのだ。それに、マリアもいちいち突っかかるでない!」


 ネロは、自分の寿命がもう間もないことに気付いており、あまり時間がなかった。


「さっきの続きじゃが、オフェリアは感情に身を任せ過ぎじゃ。もう少し思慮深く行動をせいと何度も言っておるじゃろう」

「そ、それはみなが弱いのが悪いです」


 子供が駄々をこねるように言い訳するオフェリアに、ネロは重いため息を吐く。


「先ずは、その考えを治すのじゃ」

「何故です! この世は力が全てではないですか!」


 オフェリアが言ったことは、魔族界では常識も常識。

 力が正義であり、弱い者は力ある強き者に従う外ない。

 それが嫌であるならば、死を覚悟しなければならない弱肉強食の世界。


 ネロは、十分に間を持たせてからオフェリアをたしなめるように話し出す。


「それは間違ってはおらん。じゃが……それが故、わしら起源の魔人と呼ばれる者たちがこの地に渡ってきた歴史を知っておるじゃろう。争いは何も生まない。あえて言うなれば、破壊に、死……無を生み出すだけで何も残らん悲しい結末じゃ」


 オフェリアは、実の両親を自分の手で殺している。


 オフェリアが幼いころ、感情を爆発させて魔力を暴走させることがあり、それで数多くの魔族が命を落とした。

 それをどうにかしようと考えていた両親の話を聞き、殺されると勘違いした。


 殺られる前に殺る――それがオフェリアが出した結論だった。


 躊躇なく殺した。


 それは、見知らぬ世界に渡ってきた起源の魔人たちが、生きるために推し進めた強者至上主義の元育った弊害であった。


「わしら起源の魔人たちが居た世界のことは以前に話したと思うが、あのときはわしもそれが正義だと思っていた。襲ってくるのが悪い。弱いのが悪いと」


 ネロたちが居た世界は、このファンタズムより遥か高度に発展した文明社会であった。


 科学の発展に伴い病気とは無縁、全てオートメーション化され、事故も無くストレスレスで人間の寿命が延び、人口は増加の一途を辿った。


 それ故に、人間が住める土地が無くなり、領土戦争が勃発した。


 その世界大戦は、AI兵器による戦闘が主であったが、数十年続いた戦争の終盤では互いに資源が枯渇し、前線は化学兵器に因り生身の人間が耐えられる環境ではなかった。


 その結果、生み出されたのが遺伝子操作により生み出された強化人間とキメラであった。

 その開発に成功した国家が最終的に領土戦争を終わらせたのだが、問題は終戦後だった。


 終戦当初は、その国に勝利をもたらした英雄ともてはやされた強化人間たちであったが、ふつうの人間とは違う見た目や異能が災いとなり、迫害されることとなった。


 遺伝子操作されているとはいえ、心を持ったれっきとした人間である。

 祖国に裏切られたと感じたその強化人間たちは、団結して戦ったが、数の暴力に負けてしまったのである。


「結局、争いは終わらず、わしらは逃げることしかできなかった」

「でも、この世界のヒューマンや亜人には、その科学とかいうすべは無いではありませんか。それに、脆い」

「科学が無くとも彼らには、魔法がある。今は、それらしい行動を取っていないが、あの者たち全てが魔族領に押し寄せて来たらいずれ負けるのはわしらじゃ」

「そ、それは……」


 オフェリアは、ヒューマン相手に負ける気はしなかった。

 それでも、流石のオフェリアも何カ月も戦い続けることはできない。

 魔力は無限ではないのだ。


 ヒューマンは無駄に数が多く、全てのヒューマンが全てを投げうって攻勢に出たら魔族は負けるだろう。


 そんな事態が発生する可能性は限りなくゼロだが、最悪の可能性の結果としてはあり得る話だった。


「そもそも、何故ヒューマンが今もいるのじゃ? わしらがこの世界にやって来たのは約千年も前の話じゃ」


 ネロからそう言われ、オフェリアは唾を飲み喉を鳴らした。


「もしかして……一度負けて……」

「そういうことじゃよ」


 まさかの真実にオフェリアは押し黙る。


 魔王様は全てわかっていたんだわ。

 だから、私にあんな命令を出したのね。


「そこでじゃ、ガブリエルの話に乗り、あやつを監視してほしいのじゃ」


 話は少し遡る。


 ウバルドに会ってから更に一日飛び続け、ガブリエルの居城であるサックス城に到着したときのこと。


 オフェリアはドランマルヌスを凌ぐほどの力の波動を感じ、そのことをネロに報告するためにクロニカを先に竜牙城に向かわせた。


 完全に魔力が回復していないオフェリアは、戦闘になったら勝てる気が全くしなかったため、戻らなければ死んだとし、仲間に誘われたら一旦戻ると伝えた。


 現在、オフェリアが竜牙城にいるということは、つまり、仲間に誘われたことを意味しており、クロニカから事前に話を聞いていたネロもそれを理解していた。


「よろしいのですか? ガブリエルはヒューマンを皆殺しにするつもりですよ」

「じゃから監視をしてほしいのじゃ。既に、ヒューマンの方にも手の者を忍ばせておる」

「わ、わかりました」


 当主であるオフェリアであってもネロには逆らえない。

 単純な力ではオフェリアに分があるが、経験差が大きく勝ち目が無かった。


「わかってくれるか。わしらは難民らしく大人しくすべきなのじゃよ」

「はい……」


 そう答えつつもオフェリアは、ガブリエルを出し抜く算段をはじめる。

 直接相対したため、間違いなくあの力の波動はガブリエルから発せられていた。

 それでも、数年でここまで力が上がるとは思えなかったのである。


 何か仕掛けがあるはず、とオフェリアは考えていた。


 いくらネロから言われても、そう簡単に引き下がるオフェリアではなかった。


「それでは、クロニカと共にガブリエルの傘下に入ります」

「ああ、それと……」


 出発しようと身を翻し、鉄扉の方へ歩いて行くオフェリアをネロが呼び止める。

 クロニカの件を聞かれるのかと思ったオフェリアは、何の気なしに振り返る。


「あやつは、わしらの仲間じゃから、くれぐれも手出しはしないように」

「あやつ?」


 脈絡無く言われたものだから、オフェリアは誰のことを言っているのかわからなかった。


 真剣な眼差しをオフェリアに向けて、ネロが言った。


「その名は、コウヘイ……わしらの希望じゃ」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 【あとがき】

 これにて第三章動乱と日常の完結となります。

 次話から第四章と言いたいところですが、一旦外伝を一〇話挟みます。

 外伝は、エルサの幼少期からコウヘイに出会うまでの話です。

 そのため、そちらを読まなくても本編には支障はございません。


 が、


 読んでいただいた方が、よりファンタズムの世界を楽しめると思います。


 フォローしていただいている皆様、いつもお読みいただき感謝しかございません。

 第四章開始まで、今しばしお待ちいただければと思います。

 合わせて、気になる点や、感想がございましたら遠慮なく仰って下さい。

 引き続き、コウヘイたちの応援をお願いします。

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