第076話 オフェリアの戯れ

 静々と後ろをついて来ていたワイバーンたちに向き直ったオフェリアは、


「あなたたちとは、ここまでよ」


 と、自分の飛行スピードについてこれないと思い、別れの言葉を告げた。


 尤も、そんなことを伝えずに飛び去れば良いのだが、何故かそのときのオフェリアは、背中に乗せてくれた一回り大きなワイバーンの頭を撫でたりもした。


 そのワイバーンは、その言葉を聞き、はっと目を見開いたが、一転気持ちよさそうに目を瞑り、喉を鳴らした。


 それは、血染めのオフェリアと呼ばれる彼女にしては、全然らしくない行為だ。

 しかも、慈愛を含んだとても優しい微笑みは、女神もかくやと可憐だった。


 そのワイバーンに愛着でも湧いたのか、はたまた下位ではあるが竜の眷族でもあるワイバーンに仲間意識でも感じたのか――


 オフェリアの予定通りに行かないことに対する現実逃避や単なる気まぐれ、という線も捨て難い。


 それはオフェリアにしかわからない事だろう。


 別れの挨拶に満足し、手を放したオフェリアがその場を飛び立とうとしたとき。

 そのワイバーンが翼を広げて回り込み、その行く手を阻んだ。


 その瞬間、先程まで穏やかだった空気が、一気に張り詰めた空気へと変化した。


 オフェリアは、睨みつけて、「退きなさい!」と魔言を発した。


 が、そのワイバーンは数歩後退ったものの、その場に踏み止まってみせた。


「へぇー、やるじゃないの」


 オフェリアは、右の口角を少し上げてニヤリとした。


「下級とはいえ流石は竜の眷族と言ったところかしら?」


 ワイバーンは、ヒューマンや亜人たちからしたら、中級魔獣に分類されている。

 それでも、群れを成して襲ってくるため厄介な魔獣と認識され、空の悪魔とも呼ばれている。


 しかし、カラードラゴンのオフェリアからしたら、リトルドラゴンよりも格下の劣等種のワイバーンなんぞを相手している暇は無い。


 とは言え、オフェリアの威圧を耐えただけではなく、目を逸らさず真っ直ぐオフェリアの双眸を見つめ返してきたそのワイバーンのことを、オフェリアは何故か無視できなかった。


 オフェリアもまた、目を細めてそのワイバーンを見つめ返す。


「もしかして、一緒に行きたいのかしら?」


 オフェリアのその問いに、そのワイバーンは、彼女のプレッシャーに身を強張らせながらも、コクコクと平べったい顔を上下に振り同意を示した。


「うーん、そう……じゃあ、今回は特別よ」


 何の気まぐれなのか、オフェリアは、少し考えてからそのワイバーンを連れて行くことにした。


 それから、オフェリアがおもむろに右手をそのワイバーンにかざすと、彼女から光の塊が飛び出し、そのワイバーンの身体を駆け巡った。


「そうね……あなたは今、このときをもって、クロニカと名乗りなさい」


 その瞬間、ワイバーンの心臓にほど近い魔石を中心にして光が放たれ、そのままワイバーンを覆った。


 岩肌のような灰色の丸みを帯びた鱗が黒色クロムメッキナイフのように真っ黒で鋭利な鱗へと変化していく。

 丸太のように太くて短足気味だった後ろ脚は、スレンダーになり、その爪は長く尖鋭な形に、そして翼と身体が二周り以上大きく変化した。


 一〇メートル程度だったその身体は、今では優に三〇メートルを超えていた。


「ふむ、これは儲けものかしら……私が力を与えたのだから当然だけど、まさかいきなりカラードラゴンに進化するとは思わなかったわ」


 オフェリアの威圧を耐えたことから、ワイバーンの中でも進化を目前にした強い個体だったのだろう。

 そうでなければ劣等種のワイバーンが、リトルドラゴンやフライングドラゴンをすっ飛ばし、ドラゴンの中で上位種とされるカラードラゴンにいきなり進化できる訳が無いのだった。


 手札の少ないオフェリアにとって、これは嬉しい誤算でもあった。


「クロニカ……人化できるわよね? なってちょうだい」


 再びクロニカの巨体が光に包まれ、それが治まると人化形態のクロニカがそこに居たが、呼吸が荒々しく乱れ、その場に膝を着いて座り込んでしまった。


 そればかりは、進化した直後なのだから、仕方がないだろう。


「も、申し訳ございません、オフェリア様」


 クロニカは、なんとか謝罪の言葉を口にし、名前を授かったことに感謝の意を示すため平伏した。


「悪くないじゃない、悪くないじゃない」


 オフェリアは、そう言って満足げな笑みを浮かべた。


 オフェリアの肌をぴりつかせるほどにクロニカから放たれる魔力の波動が強力になっていた。

 明らかに魂の格が数段上がっていた。


 しかも、それだけではない。


 クロニカの見た目は、白銀の髪にくりくりとしたコバルトブルーの瞳をしており、ドラゴン形態とは真逆の新雪のように透き通った真っ白な肌をしていた。

 微妙に大人びてはいたが、整った目鼻立ちがオフェリアによく似ている。


 ここ最近のオフェリアは、ことごとく全ての計画が思い通りにならなかったせいでイライラしていた。

 クロニカのことは完全に予想外だったが、これは結果としてオフェリアを上機嫌にさせた。


「それじゃあ、私の計画を説明するから、今は力が馴染むまで休んでいなさい」

「ありがとうございます」


 クロニカは、素直にその言葉を受け入れたが、冷酷で短気なオフェリアのことを知っている魔人が今の言動を聞いたら腰を抜かすこと間違いない。


 特に、ファーガルが聞いたら、悶絶死してしまうほどに歓喜することだろう。


 それだけ今のオフェリアの機嫌は、すこぶる良かった。


「それと……これを着なさい」


 それから、生まれたままの姿のクロニカに身体全体を覆えるローブを手渡した。

 それは優しさというより、オフェリアより立派な双丘を抱えたクロニカに、少しイラっとしたからだった。


 クロニカは、そんなくだらない理由だとは知らず、それを恭しく受け取った。


「頂戴いたします」




 それから数時間を掛けてオフェリアが今までの計画と現状を説明し、今後の計画をクロニカに伝えた。


 説明をし終えたあとも、まだクロニカにオフェリアの強大な魔力が馴染みきっていなかったため、その日は空き家で一晩休息することにした。


 本来は急いでいるはずなのだが、このときばかりは上機嫌なオフェリアによる完全な気まぐれだった。


 十分休息を取ったあと、ドラゴン形態になった二人は、漆黒の翼を羽ばたかせガブリエルの居城を目指して飛んだ。


 他のワイバーンたちも付いて来ようとしたが、その速度は音速に達し、到底追い付けるものではなった。



――――――



 デミウルゴス神歴八四六年――七月一九日。


 オフェリアとクロニカがガブリエルの居城を目指して飛ぶこと丸一日が過ぎた。


 雲一つない青空を太陽の陽を浴びながら二人は、漆黒の翼を大きく広げ、自由に飛んでいると、


『はっはーんっ、やっぱり! 降りるわよ、クロニカ』

『承知しました』


 上機嫌に笑うオフェリアに、クロニカが恭しく返事をする。


 オフェリアの予想が的中し、魔族の大軍がその方向へ進んでいるのを発見した。

 彼女たちの眼下には、約三万ほどの魔人と五万ほどの魔獣が列をなしていた。


 魔人が少なく、異様に魔獣が多かったが、そのときのオフェリアは、そこまで魔都に住んでいた魔族の内訳に詳しくはなかった。


 その先頭集団の目の前にオフェリアとクロニカがドラゴン形態のまま降り立ったものだから、その場が蜂の巣をつついたよう騒然となった。


 オフェリアが名乗るとその騒ぎが治まり、リーダーらしき魔人がオフェリアたちの前に進み出てきた。


 魔人にしては珍しい褐色の肌に、頭を綺麗に反り上げたシャープな金色の眉毛に真っ黒な瞳が印象的な初老の男だった。


 黒い瞳を認め――忌々しい老害がこんなところにもいたのね、とオフェリアはその男が起源の魔人だということに気が付き、顔を歪めた。


 その魔人は、インターミディエイトのウバルド・ヴィオッツィというらしく、オフェリアの前に跪き、状況を説明し始めた。


 魔獣の攻撃を受けてから数日が経過したある日、ドランマルヌス自ら出撃したと思ったら、ガブリエル陣営の魔人らしき四人の少女と戦闘に突入したらしい。


 最初は、長々と会話をしていたようで、ようやく空中で魔法の応酬が始まったと思ったら呆気なくドランマルヌスが闇に包まれて姿を消してしまった。


 それと同時に魔王城と魔都を囲っていた城壁も消滅し、そこの住民は降伏する外なかったという。


 そこには魔王と同じ家系のクロズリー家の当主やその一族も住んでいたが、反撃をすることなく彼らは、ヒューマンの領土の方へ姿を消して、所在がわからない。


 そのため、残っていた魔人で一番格が高いインターミディエイトのヴィオッツィ家の当主であるウバルドが、ハデス家の領地までのリーダー役を担うことになったのだとか。


 オフェリアは、何の抵抗もせず敵陣営に下ったことに魔人の風上に置けないと腹を立て、その首を刎ねようとした。


 オフェリアが魔力を高めたため、ウバルドの褐色の坊主頭から汗が噴き出し、玉の汗が流れ落ちた。


 力の弱い魔族なんかは、失神してしまった者すらいた。


 が、ウバルドに特徴的な竜の髭を認め、オフェリアは思い止まった。


「オフェリア様、感謝申し上げる」

「ふんっ。感謝、ね……たかが魔力を高めたくらいで無様を晒してんじゃないわよ。いつからそんなに竜人族は弱くなったのかしら? それ以前に魔人なら戦いなさいよ。戦いもせずに負けを認めるなんて」

「それには――」

「黙りなさい! 言い訳は聞きたくないわ。弱者に興味ないの」

「失礼いたした」


 ウバルドは、起源の魔人であり年齢でいったらオフェリアより数百歳も年上だが、力で圧倒的に負けているため成す術がなく、言われるがままであった。


「まあ、おじい様との約束を優先させただけよ。正直、あなたなんてどうでもいいんだから」

 

 ヴィオッツィ家は、かなり遠縁たが、オフェリアのパオレッティ家に縁のある家柄で、詰まる所、配下であるため、逆らうことなどできるはずもない。

 

 魔族の世界は力が全て――

 血縁は何の役にも立たないのがふつうだが、オフェリアの祖父にあたる先代当主ネロの言い付けで、オフェリアは竜人族に限り、手を出さないようにしていた。


 そもそもウバルドが親戚だということを、オフェリアは忘れている。

 オフェリアが、「弱者に興味ない」というそれは、存在すら気に留める必要を感じないということだろう。


 そんな扱いをされているとは知らず、ウバルドは提案をする。


「それでは、一度竜牙城に戻られるのがよろしいかと」

「はあ? なんであんたにそんなこと言われなくちゃいけないのかしら。私たちはこれからガブリエルのところに乗り込むわよ」


 案の定、オフェリアはウバルドの提案に乗る気は無かった。


「ネロ様からの伝言にございます。万が一オフェリア様に会う機会があったら、戻るように伝えてほしいと言われておりました故……」

「おじい様が? でも、それは一体いつの話を言っているのかしら……それに何のためか聞いている?」


 ネロは、基本的に魔都に行くことは無い。

 となると、マジックウィンドウでやり取りしたことになるが、魔王城襲撃の前だろうか。


「それはオフェリア様であってもお話しすることはできません。直接お会いして確認していただきたく」


 ウバルドの勿体ぶった説明に、オフェリアは軽く対応する。


「あっ、そう。気が向いたらそうしてみるわ」

「オフェリア様!」


 オフェリアの態度に我慢ならず、ウバルドは声を荒げたが、


「なによ」


 と、オフェリアの魔言に、身動きどころか言葉さえ封じられてしまった。


 その場の空気が凍てつくほど冷めた声音だった。


「たわいもない……」


 オフェリアはそう言って、その場を飛び去った。

 そして、クロニカがその後を追うように空へと舞い上がった。


 青空の彼方に二人の姿が消えるのにそう時間は掛らなかった。


「くっ、もはやここまでとは……」


 ウバルドは、オフェリアのあまりにも強大な力に衝撃を受けていた。


 オフェリアが離れたことで魔言の効果が切れてやっとウバルドは自由になった。


「おまえの言う通り力だけならおまえをも凌駕している……しかし、あれはダメだ。姿形が変化しても、結局人間は同じ過ちを繰り返すのか……なあ、ネロよ」


 ウバルドは、オフェリアたちが消えた空を眺めながら親友の名を呼ぶのだった。

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