第028話 勘違い

 僕は金縛りにあったかのように身体が動かなかった。

 武人を思わせる雰囲気を身に纏った壮年の男に、カウンターの奥から見つめられていたのだ。彼の双眸そうぼうは鉄のようなグレー。冷たさと共に煌めくようなその様が温かい印象をも与えてくる。


 威風堂々とした壮年の男は、僕たちの方に向かってゆっくり歩き出して目の前で立ち止まった。


 力のこもった眼差しを向けられ、ファビオが慌てた様子で剣を鞘に納めた。


「こ、これはラルフ様!」


 どうやら、この壮年の男、もといラルフさんはギルドのお偉いさんのようだ。


「ファビオ、きみたちが剣を抜いてこの若者たちを襲おうとしていたように見えたのだが……どういうことか私に説明してくれるかね」


 ラルフさんがファビオを問い質す。


「そ、それは、こいつらがバカにしてきたので……」

「ほう、バカにされたから剣を抜いたと……それで? 冒険者はいつからそんな暴漢紛いのことをする存在になったのだね」


 ラルフさんは、僕たちの方をチラッと見てからまた直ぐにファビオさんへ視線を戻して詰問していく。


 ラルフさんの口調はとても落ち着いているのに凄いプレッシャーを感じ、僕は感心してしまう。


 そう思うとファビオたちのことが不憫に思えてきた。


 実際、彼らは完全に酔いが醒めたのか、赤ら顔から真っ青にさせて身体を縮こまらせている。しかも、先程まで飲んでいた酒が、全て汗となって出たかのようにびっしょりと顔全体に滝のような汗をかいていた。


「いえ、酔いすぎたようで……申し訳御座いませんでしたあー」

「「「申し訳御座いませんでしたあー」」」


 はじめてこんなお辞儀を見たよ、というくらい直角の姿勢でラルフさんに謝りはじめる。


「違うだろ。私に謝ってどうするんだ」


 ラルフさんは身を引いて僕たちの方を向き、ファビオたちを促す。


「兄ちゃんたち、悪かった。この通りだ」


 ファビオが頭を下げ、残りの三人も僕たちに向かって謝罪をしてきた。

 彼らは、汗なのか涙なのか判別不能なまでに顔をぐしゃぐしゃに濡らしている。


「えーと、ま、まあ、僕たちも大事にするつもりは無かったので、べつにいいですよ」


 本当はもう少し強く言っても良かったけど、その気はどこかへ失せてしまったのだ。


 それにしてもこのラルフさんは、ギルドマスターだろうか。


 冒険者のこの怯えようもさることながら、周りの冒険者たちが向けるラルフさんへの視線に、「この人が来たからもう安心だ」とでも言いたげな、全幅の信頼を寄せているようなモノを感じた。


「そう言ってもらえて助かる。お詫びを兼ねてどうかね? お茶の一杯でも出させてくれないだろうか」

「あっ、いえ、お気になさらず――」

「まあ、そう言わず、ちょうど話したいこともあるんだよ」


 指名手配の件を確認できていないため断ろうとしたけど、結局、押し切られてしまった。


 話って何だろう? まさか、もう僕の素性がバレたって訳じゃないよね?


 そんな不安を抱きながらも促されるままラルフさんの後に着いて行き、案内された部屋の中へと入った。


「そうだ、肝心のお茶の用意を忘れていたよ」


 ラルフさんは、後ろの手で閉めかけた扉を再び開けて出て行ってしまう。


 五メートル四方のその部屋には、中央に四角く背の低い長机が置かれており、机を挟むように四人掛けのソファー。打ち合わせをするだけの部屋なのだろう。それ以外何も置かれていない寂しい部屋に僕たち三人だけが取り残された。


「まさか僕のことがバレて閉じ込められたってことはないよね? その間に兵士を呼びに行っているとか、あ……」


 急に不安になった僕が扉のレバーハンドルに手を掛けると、すんなり扉が開いた。


「大丈夫じゃろ。チラッと掲示板を確認しておいたが、コウヘイの人相書きはなかったぞ」

「え、本当? それならどんな話だろう」


 イルマの言葉に安心すると共に目的が気になった僕がイルマに尋ねると、エルサが先に口を開いた。


「怒られることはないよね?」

「お詫びって言っていたくらいだから、それはないと僕は思うけどな。そんな雰囲気じゃなかったと言うか、それならあの場でも良さそうだし」

「じゃあ、わたしにはわかんないかな」


 エルサは特に興味がないのか、ソファーの方へ歩いて行く。手触りを確かめるように背もたれの部分を摩り始めた。


「ふつうに考えて、新顔だと思って話を聞きたいだけかもしれんぞ。わしらの装いを観察するように見ておったからの。装備品からして上級冒険者とでも思ったんじゃろ」

「ああ、確かにそうか。それじゃあ、僕たちがアイアンランクだと知ったら残念がるかも。それに、イルマに至っては――」


 これから冒険者登録だもんね、と言おうとしたところで扉が開かれた。


「なんだ、座って待っていてくれて構わなかったのに」


 本当にお茶の準備をしに行っていたようだ。ラルフさんの後ろには、ティーセットを乗せた台車と共にギルド職員らしき女性の姿があった。


 閉じ込められたのかと疑っていたとは言えず、僕は苦笑いで返した。


「いえ、勝手に座るのもどうかなと思いまして」

「そうだ、ちゃんとした挨拶がまだだったね」


 僕の返事から思い出したように、ラルフさんは佇まいを正して自己紹介をはじめた。


「私は、ラルフ・フォン・ローランナイト。テレサ冒険者ギルドでギルドマスターをしている」

「え?」


 ラルフさんがギルドマスターなのは予想通りだったけど、彼の名前を聞いて驚いてしまう。

 僕が勇者パーティーとして行動してきた国々では、と名前に着く場合は、みな貴族であった。


 貴族が冒険者ギルドに出資することがあっても、そこに所属するなんて聞いたことがない。


「ふふ、これには色々と訳があるのさ」


 驚いた僕の表情から、ラルフさんは僕の考えを読み取ったのだろうけど、説明してくれる気はなさそうだった。


「それから、お茶の用意をしているのが、アリエッタだ。受付嬢をやっているから、これから色々と顔を合わすことが多いと思うから宜しく頼む」


 そう紹介されたアリエッタさんはお茶の準備をしていた手を止めて前に出てきた。


「アリエッタと申します。宜しくお願いします」


 微かに揺らした長めで癖のある金髪から、女性特有の良い香りがする。

 アリエッタさんのカーテシーはとても優雅でしなやかだった。


 まさに貴族の洗練されたそれを思わせるほどだ。

 こちらを見てくる瞳はラルフさんと同じようなグレーだけど、目尻が下がっ瞳が穏和な印象を与えてくる他に、ぽってりとした血色の良い唇からは色気をも感じさせる。

 年のころ二〇歳になるかならないかくらいの、幼さを残しつつも女性を感じさせる美人だ。


「もしかして……」


 アリエッタさんにラルフさんの面影を感じて僕が言うと。


「さすがだね。そう、私の末の娘でもあるんだよ」

「へーやっぱり。とても似ていますね」


 似ていると言われたラルフさんは、嬉しそうに頬を緩めている。先程の戦士のような厳しい表情から完全に父親の顔になっていた。


「マスター、仕事中ですよ。私のことよりも、べつのお話があるでしょうに」


 そう言うなりアリエッタさんはお茶の準備に戻る。


「ああ、そうだった。この子は仕事のときは、父と子の関係を嫌がってね」


 ラルフさんは頬をかきながらわざわざ説明を加えてソファーに腰を下ろす。僕たちもそれに倣いソファーに座る。


 アリエッタさんは、僕たちの方からお茶で満たしたカップを置いていき、反対側のラルフさんの方にカップを二つ置いて彼女も腰を下ろす。

 どうやらアリエッタさんも同席するらしい。


「早速だが、先程は申し訳なかったね。ファビオたちは、この前のダンジョン探索で魔獣たちにこっ酷くやられて、少し荒れているんだ」


 なるほど。やけ酒でも飲んでいたんだろう。それでも、そんな理由で絡まれる方はたまったもんではない。


「とはいえ、褒められた行動じゃないのはわかっている。本来であれば犯罪奴隷落ちなのだが、このテレサの町が二〇〇人足らずの村のときから、自警団としてここを守ってきた気のいい奴らなんだ。だから、ファビオたちへの罰則は、ギルドに任せてくれないだろうか」


 どうやら、帝都と同じで私闘は重罪のようだ。ただ、身内への情、といったところだろうか。


 法律を曲げていいのだろうかという疑問がありつつも、貴族故の特権だろう。

 本来は、そんな簡単に貴族の特権を行使されても困るけど、ここで貸しを作っておいた方が僕たちの事情を考えると得策かもしれない。それに、ラルフさんがファビオたちを庇う理由も理解できる。


 僕が考えるように黙っていると、ラルフさんがグレーの双眼に不安の色をにじませる。先程垣間見た煌めくほどの輝きは鳴りを潜めていた。


 僕としても怪我は無かったし、元はといえば僕たちが発した言葉が原因の一端でもある。一先ず、僕はそれっぽい理由を述べた。


「それは構いませんよ。先程も言った通り、大事にしたくはないので……僕たちみたいな被害者がまた出ないようにしてくれれば、それで良いです」

「おお、助かる。うむ、それは私の名に誓って任せてほしい」


 ラルフさんは、騎士の誓いと言わんばかりに真剣な面持ちで力強く頷いて約束する。貴族にしては珍しく、情に厚い性格なのかもしれない。


「ええ、よろしくお願いします。それで、話というのは、そのことで良いですか?」

「いや、それとは別にあるんだよ。先程ファビオたちがダンジョンでこっ酷くやられたと言ったと思うが、近ごろ魔獣たちが活発化しているようなんだよ」


 魔獣が普段と違う行動を見せる理由は、基本的に限られている。

 平原や森の場合は、増えすぎた魔獣が縄張り争いで生息地を移動するのが有名な話だ。ダンジョンであれば、ボス級の魔獣が誕生した影響で魔獣の行動が変わると言われている。


 ただし、活発化している場合は、魔王の力が強まっているか、魔族が操っている可能性の二つ。

 後者の場合は、魔獣災害が必ず発生するため注意が必要だ。


 もし、イルマの予想が正しいとすると、魔獣災害の対策に手を貸してほしいのかもしれない。それでも、ラルフさんから頼まれた訳ではないため僕は先を促した。


「それで?」

「うむ。見たところ、きみたちは高価な装備に身を包み、ローブをお揃いにしていることから、高名な冒険者パーティーではないのかね? 私が予想をするに、この町のダンジョン探索を目的に帝都かガイスト城塞都市から来たのではないだろうか」


 ラルフさんは、「どうだ、そうだろ、そうだと言え!」とでも言うように身を乗り出して目をギンギンにさせている。


「えっと……」


 僕は、どう返答したものか言葉に詰まる。


「うん、そうなんだろ」


 ラルフさんは、自分の予想が当たりだと言わんばかりに待ちきれない様子だ。


 僕は、そのプレッシャーに耐え切れず、左隣のエルサとイルマに助けを求める意味で視線を送った。


 イルマが背筋を伸ばすのを見た僕は、代わりに答えてくれるだろうとホッとする。が、イルマはカップへと手を伸ばしたのだった。

 目を瞑って優雅に香りを楽しみながらお茶をすするイルマは、右目だけ開け僕の方を見て顎をしゃくる。


 これは、「コウヘイの仕事じゃ」という意味だろう。


 沈黙が耐え切れないのか、ラルフさんがまた催促するように言った。


「それでどうなんだね?」


 アリエッタさんはアリエッタさんで、お茶を飲むことで持て余した時間を過ごし、両手で持ったカップに口をつけながらその双眸で僕の方を注視している。


 観念した僕は、正直に話すことにした。


「はい、確かにダンジョン探索を目的にやってきました」

「やはり!」

「で、でも、僕たちは駆け出しのアイアンランク冒険者です!」


 僕は、どうにでもなれっ、というように鉄色の冒険者カードを前に出す。


「な、なんと……」


 ラルフさんは、アイアンランクを示すギルドカードを見た途端、力なくソファーの背もたれに身を預ける。


 ラルフさんの様子を見た僕はバツの悪い気分になったけど、勝手に期待して勝手に落ち込まれてもな、となんとも言えない虚しさを感じた。


 大方、魔獣の調査を任せられる冒険者であるとでも期待をしていたのだろう。


 僕は、冒険者ランクを上げて胸を張って歩けるように早くなりたいものだ、と強く思うのであった。

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