第012話 魔法弁障害と奴隷の実状

 ソファーに座った僕の隣には、ぴったりと身を寄せるように僕の左腕を抱くエルサ。向かい側でイルマが紅茶を啜りながらも、視線だけはバッチリとエルサを見つめていた。


 奴隷契約を終えたその足で、僕はイルマなら魔法弁障害について何か知っているかもしれないと思い、エルサを連れて彼女の道具屋を訪ねたのだ。


「――という訳なんだけど、どうかな?」


 奴隷商でエルサの下へと誘われた不思議な現象と僕の身に起こった変化をイルマに説明し終えて尋ねる。

 僕が期待するような視線を送ると、イルマがティーカップをソーサーの上に戻してから口を開いた。


「ふうむ。それでわしのところに来たという訳じゃな?」

「わからないことがあれば年長者に頼るようにって、僕のばっちゃんが言ってたんだよ」


 両親が共働きだった僕はおばあちゃんっ子だ。それを引き合いに出すと怒られてしまった。


「なんじゃと! わしを年寄り扱いするでない。見ろこのぴちぴちのボディーを――」


 立ち上がって胸を張ったイルマが左足をテーブルの上に乗せると、ローブの合間から真っ白な素足が露になった。


 胸を張っても特に際立つものもなければ、子供の足を見ても何にも感じない。だから、言ってやった。


「で、子供みたいに若いのはわかったから、この現象に心当たりはないの?」


 内気な僕がここまで強気な発言ができるのは、昨日の遣り取りがあっただけではなく、イルマが子供にしか見えないのも要因だと思う。


 ギャースカ何かを言っているけど正直構っていられない。こっちとしては早く原因を突き止めたいのだ。


 けれども、べつの問題が発生しており、僕はその原因へと目をやる。


「それでエルサは、いつまでそうやっているつもり、かな……?」


 奴隷商を出てからイルマの店に来るまでの間、エルサが手を握って離さないのである。しかも、イルマと違ってかなり自己主張の強い胸を僕の腕に押し付けてくるもんだから、僕はドキドキが止まらない。


「コウヘイ様……は、嫌なんですか?」


 上目遣いをして小首を傾げたエルサが、より一層体重を掛けるように身体を僕に預けてくる。思わず僕の視線が胸元へ誘導され、頬が熱くなるのを感じる。僕は、内気な性格が災いし、あまり女子と会話する機会に恵まれなかった。


 唯一まともに会話できる女子といえば葵先輩だけだろう。寝技の練習と称して無理やり葵先輩が練習台になってくれたことがあったけど、吐く息の熱を感じるほど女子の顔がここまで接近した経験がない。


「い、嫌じゃないけど、もう少し離れても、い、いいんじゃないかな……」


 まったく免疫がない僕は、しどろもどろになってしまう。


「わたし、こうしていると凄く楽になるんです。嫌でなければいいですよね、コウヘイ様?」


 エルサが嬉しそうに微笑んで離れようとしない。


 だぁああー! 後半部分をちゃんと聞いてよ。


「嫌じゃないって言っただけだから! てか、呼び捨てでいいって」


 敬語なのはエルサの性格なのだろう。それでも、『様』と呼ばれることに居心地の悪さを感じていたのだ。


 一方でエルサは、そのことだけには悩んでいる様子をみせた。


「え、ですが……」

「確かに僕は、エルサをお金で買ったよ。でも、何も僕の召使いにしようって訳じゃないんだ」


 そもそも、僕がエルサを購入したのは仲間がほしかったからだ。


「僕は、ただ一緒に冒険をしてほしいんだよ」

「冒険、ですか?」


 エルサが小首を傾げて目をしばたたかせる。


「うん。でも、先ずはその病気を治さないといけないけど」


 途端に、エルサがシュンと肩を落として俯いてしまう。その様子に僕は不安になる。


 奴隷商の店主は、病気が原因でエルサのことを処分すると言っていた。もしかしたら、不治の病なのかもしれない。あるいは、単純に治療薬が高額なだけかもしれない。


 後者なら方法が無い訳ではない。先ずは、くだんの問題を解決する策がないかとイルマに視線を向けた。


「ねえ、何かいい案はないのかな?」

「うむ」


 僕の質問に頷いたイルマがテーブルを回り込んで目の前までやって来た。


「ほい、これで……どうじゃ?」

「はい?」


 突然、イルマが僕とエルサの間に割って入るように強引に座ったのだった。


「あー、邪魔だよおばさーん」

「なんじゃと、この小娘が!」


 エルサとイルマが隣で言い争いを始めたので、「やーめ、てっ!」と僕が右手で順番にチョップをくらわす。


「痛いですぅ」

「なんでわしまで……」

「喧嘩両成敗ってやつだよ」


 それぞれ反論してくるけど、これでは一向に話が進まない。


「いい案だと思ったんじゃがな」

「そっちじゃないから、病気のことだって!」


 僕は、「まったく……」と嘆息し、イルマが向かいの椅子に座り直すの待ってからエルサに質問した。


「エルサは、魔力弁障害って病気で間違いないんだよね?」

「あ、えー、はい。里のみんなもそう言っていましたから間違いないと思います」


 一瞬だけ視線を天井にやったエルサは、思い出したように断言する。


「そっか。ありがとう、エルサ。それで詳しくは知らないけど、それに掛かると魔力切れになるんだよね、イルマ?」

「ふつうはそうなるはずじゃよ」

「それなら――」


 それなら、なぜ動けるのさ? と言い切る前にイルマがその訳を解説し始めた。


「わしは魔法眼を持っている訳じゃないが、エルサから漏れ出る濃密な魔力を感じるのは確かじゃ。魔素マナ切れ状態でこれだけ濃い魔力が漏れるのはおかしいのじゃ。エルサの器に対して収まり切れない魔力が漏れ出ていると言った方しっくりくるかもしれんの」


 それは、お風呂の給湯を止め忘れたときに湯船からお湯が溢れるアレだろうか。


「そうなんだ……てか、魔素切れって?」


 大体の意味はわかる。けれども、この世界ではじめて聞いた気がする。


「ああ、なんじゃ。本来は別物じゃが、魔力と同じと考えればよいじゃろう」

「ふーん、そうなんだ」


 その違いが気になる。それでも、いまはエルサの病気が何かを理解する方が重要だ。


「それじゃあ、魔力弁障害じゃないってこと?」

「そもそも魔力弁障害というのはじゃな――」


 認識合わせとしてイルマが簡単に説明してくれた。


 魔力弁障害は、体内の魔力が勝手に漏れ出してしまう状態でその量は個人差があるのだとか。そもそも、魔力は睡眠中や安静を保つことで回復するらしいのだ。

 結果、朝方調子が良くても夜には魔力が枯渇して動けなくなる。つまり、安静にして魔力切れになるのを防ぐのが一般的らしい。


「エルサよ。この症状は、いつぐらいからなんじゃ?」

「倒れたのが数年前かな。それで、魔法弁障害ってわかったの。それで、完全に動けなくなったのは……数か月前くらいかな」

「ほう、それはおかしいのう」


 イルマは、エルサの説明に眉根を寄せて考え込む。けれども、僕にはどこがおかしいのかわからない。むしろ、エルサがイルマに対してタメ口なことに驚いてしまう。やはり、二人が言い争いを始めたときのあれは僕の聞き間違いではなかったようだ。


 それはさておき、僕はイルマに尋ねた。


「何か気になることでも?」

「いや、なんじゃ。本来は、そんな急に悪化する病気じゃないのじゃ。無理さえしなければ日常生活くらいは問題なかろう。身動きが取れなくなるほど深刻化するのは、大抵発症から何十年も経ってからじゃ」


 その説明なら理解できる。つまり、数年で倒れたエルサの状況が一般的な魔力弁障害の症状と違うのだろう。

 はじめからそう言ってくれればいいのに、と僕は嘆息する。


「確認じゃが、倒れる前に前兆みたいなのは無かったのか? 気だるかったり、動くのも辛いといった倦怠感……初期症状があるはずなのじゃが……」


 エルサに向き直ったイルマは、まるで医者のようにより詳しく問診する。


「うーん、それは無かったかな。倒れたっていうのも、電撃魔法をママから教わっているときに、無理して限界まで魔力消費したからなの」

「ふうむ、そういう訳じゃったか。それならわからなくもないかのう」


 イルマがエルサの説明で納得したようにしきりに頷いているけど、さっきから重要な部分を言ってくれないせいで、僕だけが話についていけない。


「だから、何が?」

「本来、まったく動けない状態が続いたら、体力まで消費し、死に至るのじゃ」

「でも、こうして生きている訳だし、それは問題無いんじゃないの?」

「まあ、確かにコウヘイの言う通りじゃが……」


 イルマは、考えている様子で未だ答えを出せないようだ。それならと僕は、話を進めるために一番知りたいことを尋ねた。


「それで魔力弁障害って治る病気なの?」

「そうじゃな。一種の呪いみたいなものじゃ。解術ポーションで治ると思うぞ」

「なんだ。簡単じゃないか。てか、なぜそれを使わなかったのかな?」


 解術ポーション類はそれなりの値段がするけど、買えないこともない。


「それはのう。必要な材料が希少で危険な場所にあるのじゃ。そう簡単に市場に出回る物でもない上、金貨数十枚の値がするから諦めたのじゃろ」


 それなりどころか、べらぼうに高かった。


「そっか、それなら無理だね。ちなみに聞くけど、その材料はどこで手に入るの?」

「ベースの聖水は、デミウルゴス教の教会に行けば手に入るのじゃが、正式名称が長ったらしくて忘れたから仮に解術草とするそれは、魔王軍領にある魔王の森にあると言われておる」

「えっ、それって無理じゃ……」


 イルマは、ちょっとそこまで買い物に行くような気安さで言ってくれる。が、勘弁してほしい。魔王軍領だなんてハードモードもいいところだ。


 魔王軍領とか最終ステージじゃん!

 序盤で躓いている僕にはムリムリ!


 などと、僕は内心で突っ込みを入れる。まさに死地に行くようなものだと言っても、それは過言ではないだろう。


「まあ、待つのじゃ。この話には続きがあってな。ここの大陸から西に船で向かったところにあるヒノモトという国にもあるのじゃ」

「そ、それじゃあ」


 べつの可能性を示唆され、期待が高まる。


「じゃが、その国によって管理されているらしく入手が難しいのじゃ」


 なんだよ。結局難しいことに変わりは無いじゃないか! と僕はがっくしと肩を落とす。


「それよりも、応急処置にしかならんが、アレをしようとはせんかったのか? 大抵の場合は、ポーションで魔力の補給をするものじゃぞ」


 僕のことを置いてけぼりにしたままイルマが話を続ける。話の腰を折るのも気が引けた僕は、静かに耳を傾けることしかできない。


「はじめのころはそうしたよ。イルマなら聞いたことあるかもしれないけど、わたし、フォルティーウッドの出身なの」

「なんと! それじゃあ、シュタウフェルン家のところじゃな?」


 フォルティーウッド? シュタウフェルン家? エルフ族にとっては有名なのだろうか。


「うん、ママが巫女をやっていたの」

「なるほど、そうか、そうじゃったのか……」


 納得したように頻りに頷くイルマ。もしかしたら、イルマはエルサの母親を知っているのかもしれない。


「それでね。動けなくなったわたしをどうにかしようと、賢者様? だったかな、誰かわからないんだけど……」


 賢者様? それを聞いた僕がイルマに視線を向ける。いまの話から予想すると、エルサの母親はイルマを頼る予定だったのかもしれない。それでも、イルマは眉一つ動かさず、話を静かに聞いているだけだった。


 対してエルサは、当時のことを思い出してしまったのか、涙をぐっと堪えるように声を詰まらせながら話してくれた。


「その人に診断してもらうために、里のみんなが運んでくれていたの。そうしたら途中で襲われて、奴隷になっちゃったの……」


 僕は、静かに話を聞くつもりだった。だから、賢者のくだりも口を挟まなかった。


 けれども、さすがに聞き逃すことができない言葉に、思わず僕が声を上げた。


「え! ちょっと待ってよ。それじゃあ……」

「ど、どうしたのですか?」

「そうじゃ、いきなり大きな声を出すでない」

「いやいや、なんでそんなに落ち着いていられるの? 襲われて奴隷になったってことは、誘拐じゃないか!」


 不自然なほど落ち着いた様子の二人に対し、僕の方がどうしたのだと問いたい。


「ああ、勇者のコウヘイは、知らんかもしれんが、それは常識じゃよ」

「常識?」

「……はい」


 常識と断言したイルマに僕が聞き返すと、エルサが頷いて俯いたのだった。


 その様子からして、決して納得しているようには見えない。


「『はい』じゃないよ、エルサ!」

「まあ、待つのじゃ、コウヘイよ」

「だって!」

「いいから、話を聞いてくれまいか」


 イルマは、たしなめるように落ち着いた声音で言って僕を見つめている。


「本来、奴隷狩りは、帝国の法律で禁止されておる――」

「それなら!」


 僕は、堪え切れずに叫び気味に言って立ち上がる。


「じゃから、待ってくれ!」


 イルマも釣られたのか大声を出し、制止するように右手を出す。


「じゃが、現行犯でなければ、その法も適用されん……」


 再び目で制止された僕は、黙ってドカッとソファーに腰を落とす。


「適用されんというより、それを立証できないんじゃよ。みんな好き好んで奴隷になる奴なんておらん。当然、ここ帝都だけではなく、各都市に運び入れるときに検閲が行われるのじゃが、みな奴隷狩りにあったと言いよる訳じゃよ」

「そ、それじゃあ……」

「うむ、そういうことじゃ。一々全て真に受けておっては、奴隷商の商売が成り立たん。それに、奴隷の労働力は、少なからず帝国の経済を回しておるのじゃ。実際、鉱物採掘等の第一次産業を支えているのは、奴隷たちじゃしのう」


 イルマの説明で理解はできたけど、納得はできなかった。


「で、でも……」

「いいんです!」


 エルサが僕の左手を両手でギュッと握ってくる。悲しみに顔を歪めていることはなく、ニッコリと優しい微笑みを浮かべていた。


「え、エルサ……」


 それが強がりなのではないかと思った僕は、真偽を確かめるようにエルサの青みがかった銀色の双眸を見つめる。


 一度目を瞑ったエルサは、「いいんです。だって、そのおかげでコウヘイ様に出会えたのですから」と僕の問いに答えるように満面の笑みで瞳を輝かせていた。


「そ、それならいいんだけど……」


 本人がいいと言っているからとはいえ、僕は何だか釈然としない。それから、奴隷紋の影響でそう言っているのかもしれないと気付き、途端に僕は怖くなってしまう。


 奴隷紋は、基本的に主人を故意的に傷つけられないように抑制するものだと奴隷商から説明を受けた。


 その内容は――

 壱――主人に危害を加えない。

 弐――主人の命令への服従。

 参――主人への自己犠牲精神。


 僕は一時の感情で奴隷を購入した。


 だがしかし、奴隷の実状を知った僕は、己の無知と衝動的な行動をいまさらながらに後悔を始めたのだった。

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