第004話 心機一転

 デミウルゴス神歴八四六年、六月二五日、冥王――ディースの曜日。


 怖い夢をみた。


 一緒に死線を共にした仲であるにもかかわらず、先輩たちは僕を役立たずだと言って追放しようとする、夢……?


 頭が重く思考がまとまらない。


「……ん」


 喉が痛い……なぞるように指で瞼に触れると目が腫れていた。何だかうまく目が開かず、自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。


 が、瞼の裏に光を感じた途端、僕を覆うまどろみが消し飛ばされた。


 蜘蛛の巣が張った見慣れた天井と建付けが悪い鎧戸の隙間から差し込んだ朝日に顔を歪めた僕は、ここが定宿の黒猫亭であることに気が付いたのだ。


「ああ……」、夢だったらよかったのにと、昨日のあの出来事が現実だったことを自覚した僕は再び瞼を閉じる。


 先輩たちに勇者パーティーからの追放を言い渡された僕は、あのあと思う存分泣き腫らし、気付かぬうちに眠りに落ちていたようだ。


「わかっていたはずなのに……」


 異世界に召喚された仲間として。

 勇者パーティーとして。

 みんなを守る盾として。


 そこが僕の居場所であると、いつの間にか勘違いしていたようだ。日本に居たときでさえ――先輩たちの中に僕が入り込む余地などなかったにもかかわらず。


 召喚された当日を思い返してみれば、先輩たちは僕のことを追放しようとしていた。けれども、そのことをすっかり胸の奥にしまい込んで閉ざしていたのだ。


 結局は、聖女と葵先輩のおかげで追放されなかっただけ。


 そう、僕は気付かない振りをしていただけに過ぎない。その葵先輩も引き留めるようなことを言っておきながら、最後には手切れ金の如く金貨を僕に渡そうとしていた。


「くそっ」


 僕が思い切りベッドを殴りつけると、バキっと鈍い音が鳴った。ベッドの骨組みが折れてしまったようで、僕はその反動で床に落ちるように転がってしまう。以前からよく軋む音をさせていたことから限界だったのかもしれない。


「イテテ、いまのは何だった……ん?」


 右手が一瞬淡く光った気がしたけど、そんな思考は直ぐに消え去った。床に倒れた僕の視線の先に、帝国から支給されたミスリルのプレートアーマー、大楯とメイスが、存在を主張するように朝日に照らされて煌めいていたからだ。


 ミスリル製の装備――魔力伝導率が高いミスリル鉱石が原料の高価な一級品。


 柔軟性があり、かつ耐久性が高く、非常に軽い。魔法が使えない僕が何とか生き残ってこれたのは、丈夫なミスリル装備のおかげと言っても過言では無いのだ。


 すると、腹の虫が鳴って昨日の昼から何も食べていないことを訴えてくる。


 思わずクスリと吹き出してしまう。


「お腹は正直だな」


 腹ごしらえをするべく一階に降りると、箒を手に床を掃いている頭に三角のケモ耳を付けた少女の姿があった。


 黒猫亭はその名の通り、猫獣人族のヒューイさんと奥さんであるパルマさんが営んでいる。受付担当のその少女は、ヒューイさんたちの一〇歳になる娘でチルちゃんだ。


 小動物が好きな僕は、傷付いた心を癒すためにケモ耳をもふりたい衝動に駆られ、ピクピクと動くチルちゃんの柔らかそうな耳をついまじまじと見つめてしまう。


 板張りの階段が軋むような音をさせ、チルちゃんがこちらを振り向いた。


「あ、コウヘイ様……」


 途端に、床を掃く手を止めたチルちゃんが、サイズ感の合っていない長い箒を胸に抱きしめた。猫耳がペタンと垂れ下がり、僕のことを心配そうに上目遣いで窺っていた。


 チルちゃんの視線にハッとなった僕は、慌てて挨拶をして朝食の準備をお願いする。


「お、おはようございます。そ、それでは席にてお待ちください」


 いつもは、お決まりの営業トーク以外にも二言三言他愛もない会話をするくらいの間柄であると自負している。けれども、今日のチルちゃんはそそくさと厨房の方へと去って行ってしまった。


「あ、これは聞かれちゃった、よね……」


 あまりのことでよく覚えていないけど、昨日の夜はずっと泣き叫んでいた気がする。


 食堂を歩く僕に集まる他の客からの視線が槍のように尖っている気がした。恥ずかしさで赤面した顔を俯かせ、僕は定位置である一番隅っこのカウンター席に腰を落ち着かせて朝食を待つ。


 朝食の内容は大体いつも同じだ。焼きたてのパン二つに具が少ない塩味の野菜スープとゆで卵。変わるのは、野菜の種類くらいで薄味なのは変わらない。


 夕食は、宿代に含まれた日替わり定食の他にプラス料金を支払って好きな料理を選べる。それが結構濃い味なのだ。きっと、冒険者たちがよく利用するからなのかもしれない。身体を動かした後の塩分補給と言ったところだろうか。


 それが一泊二食付きで、たったの小銀貨三枚。


 そう考えた途端、スープを運んでいた木製のスプーンが口の手前で止まった。


「あ、あー、これはやばいかも」


 反動でどぼっと零れたスープが皿に落ちて汚らしく飛び跳ねる。いまの僕には、その小銀貨三枚を支払うお金さえないことを思い出したのだ。


「ど、どうしよう……」


 朝食を食べながら今後のことを考える。


 ここはファンタズム大陸随一の国力を誇るサーデン帝国。しかも、帝都である。城下町には、色々な店が立ち並び仕事探しは事欠かないハズだ。けれども、文字の壁が僕の前に立ちはだかるのだった。


 異世界転移の影響なのか、この世界に召喚された当初から話す言葉は問題なかった。それでも、読み書きはまったくの別物だったのだ。その理由は、誰一人としてわからないらしい。だから、そういうものだと理解するより外なかった。


 僕たちが召喚された理由は、魔王を討伐するためだ。


 つまり、読み書きの勉強は基礎と軍事用語のみに限られていた……とどのつまり、文字を扱う仕事には就けない。


 ともなると、僕に残された道はこの世界で慣れていること――魔獣討伐だ。


 幸い、この世界には魔獣討伐を生業にする冒険者という職業がある。勇者パーティーでしていたような魔獣を狩る討伐任務、ダンジョンや遺跡を探索するトレジャーハント、それ以外にも民間人を守る護衛任務など、仕事内容は多岐に渡るらしい。


 攻撃面で不安があるけど、もう勇者パーティーではない。無理に強敵を狙う必要もないだろう。必要な分の魔獣を討伐して暮らしていけばいいのだ。


 それに、冒険者であれば拠点を帝都にする必要もない。できる限り先輩たちと関わり合いたくない僕は、小説や映画のファンタジー世界のようなドキドキワクワクする冒険をするのもいいかもしれないという考えに至った。


 そうと決めた僕は、冷えて硬くなったパンをこれまたすっかり冷めてしまったスープで流し込み、身支度を整えて黒猫亭を飛び出すのだった。



――――――



 僕は、冒険者ギルドへ向かう前に寄り道をすることにした。


 目的の場所に着いた僕が立ち止まって見上げる。木造建屋の庇には、盾に剣を交差させた看板が掲げられていた。武具店である。


 武具店の扉を押し開けると、直ぐに声を掛けられた。


「いらっしゃい。おっ、あんた勇者パーティーの……」


 おそらく店主だと思う。彼が何を言わんとしているのか直ぐに理解できた。ゼロの騎士と言いたいのだろう。


「まあね」


 正直に追放されたとは言えず、苦笑いを浮かべて適当に誤魔化す。目的のために足元を見られないようにするためだ。立場が交渉を優位に進めるために重要であることを、これまでの魔獣災害遠征で見聞きして僕は知っている。


「実は、この大楯を元手にして少し小さめの物に買い替えたいのですが」

「おや、いいのかい?」


 男の確認は尤もなことだった。


 僕は、ゼロの騎士として有名であるけど、重装騎士であることも知られている。その重装騎士が大盾を手放す意味がわからないのだろう。


 でもそれは、パーティーの中にいてはじめて役に立つ装備だ。ひとりぼっちの僕は、攻撃と防御をバランスよく行う必要がある。詰まる所、大楯で立ち回るのは難しいのだ。


 冒険者ギルドへ行く前に武具店に立ち寄ったのは、一回り小さめの盾に変えて戦い易くするのと、差額を暫くの生活費に充てようとの考えに至ったからである。


 このミスリルの装備品は、幸い返却の義務はない。デミウルゴス神皇国から貸し出された魔法袋とは違い、皇帝より下賜された物で完全に僕の私物だ。


 それ故に、店主の確認にハッキリと頷いた。


「ええ、問題ないですよ」

「そうかい、じゃあ状態を見せてくれないか」


 店主が指示したカウンターの隣にある広い天板の上に、僕は大楯を乗せて査定をお願いする。


「うーん、やはり中々の物だね」

「いくらくらいになりますか?」


 はやる気持ちを押さえられず、思わず催促してしまう。


「少し待ってくれ……」


 僕に目を向けることもせず、ひっくり返してみたりして真剣な眼差しで状態を確認していた。店主の「中々の物」という言葉に、期待で胸が高鳴る。


「そうだな。多少手入れが悪いが……」


 ごめんなさい。あまり道具を扱ったことがないから手入れとかしてこなかったです、と心の中で反省してから続く言葉を空唾を呑んで待つ。


「元が良いから金貨三枚と小金貨三枚でどうだろうか?」

「え!」

「ん、これでも奮発しているんだが……いいだろう。小金貨二枚追加して、金貨三枚と小金貨五枚でどうだ」


 僕が思わず出した声を不満から出たものと勘違いしたのか、勝手に値上げしてくれた。


 正確な価値はわからないけど、金貨一枚で一〇〇万円ほどだと認識している。あまりにも高額な値がつき、返答の声が震えてしまった。


「…………それでお願いします」


 いくら希少素材を使用したミスリルの大楯とはいえ、三五〇万円で売れるとは思わなかったのだ。小金貨二枚以下なら立場を利用して交渉するつもりだったけど、予想の一五倍以上の額を提示され、僕は無駄なことをしたなと反省する。


「まいどっ。それじゃあ、次は新しい盾だったな。どういうのを探しているんだ?」

「そうですね。こう、片手で攻撃をいなしつつ、メイスで攻撃できる余裕がある軽めの物がいいですかね?」


 気を取り直した僕は、動作を交えつつ実演して説明する。


「なんで疑問形なんだよ。てか、あんた、重装騎士だろ。そんなんでいいのか?」

「ええ、僕も攻撃する必要がありまして」


 腑に落ちないのか、再び怪しむように指摘してきた店主をなんとか誤魔化す。


「そうか、勇者パーティーも大変なんだな」

「ええ、まあ……」


 さっきから冷や汗が止まらない。元から人と話すのが苦手な僕は、早くこの場を去りたい衝動に駆られる。

 

「それなら、この鉄鋼のラウンドシールドはどうだ? 丈夫にするために厚みがあって重量があるが、小さいから重心がぶれることもないだろう」


 店主が説明をしながら、ファミレスのトレー位の大きさの丸い盾を壁から外し、そのまま手渡してくれた。


 ミスリルの大楯を少し軽くしたくらいだけど、大きさが五分の一ほどになったため扱い易いと思った。


 ただ、魔獣の力を舐めてはいけない。


 ラウンドシールドは、大楯と違って地面に突き刺すことができない。つまり、取っ手が握り辛いと、オークなどの大型魔獣の攻撃を受けたら簡単にシールドが飛ばされてしまうだろう。


 今後の戦闘シーンをイメージしながら僕は、バンドに腕を通してから取っ手の部分を握ってみたりと、掴み心地を確認しながら答えた。


「いいですね。手にも馴染む感じがします」

「そっか、それにするか? それなら小金貨二枚と銀貨五枚でいいぞ」

「お願いします」


 先程の売り値から差し引いてもらい、ラウンドシールドと金貨三枚、小金貨二枚と銀貨五枚を受け取って武具屋をあとにする。


「あ、名前聞くの忘れた。うーん、でも、これから利用することもあるだろうからそのときでいいか」


 色々と質問されて言い訳に困ったけど、僕が適当に答えると深くまで追求して来なかったので、物分かりが良さそうな印象を受けた。しかも、プレートアーマーの色に合うように、鉄色の表面をミスリル色のコーティングまでしてくれるサービスの手厚さだったのだ。


「次は、冒険者ギルドか」


 ミスリルの大楯が意外な値段で売れたため、急いで稼ぐ必要がなくなった。それでも、登録だけは済ませたほうがいいだろう。


「確か、大通りを南に進んだ場所だったっけ」


 いままで訪れたことはなかったけど、通り過ぎることは何度かあった。


 記憶を頼りに南に延びる大通りへ視線を向ける。


 僕の足取りは、追放された人物の割に意外とこの状況を楽しむように非常に軽やかだ。つい先程までは、勇者パーティーに対する憎悪で大分もやもやとしていたハズなのに。


 これも全て、誰からも指示されず、僕のしたいようにできる感じが思いの外新鮮で清々しかったのだ。


 こうして僕は、心機一転、前へ進むべく冒険者ギルドを目指すのだった。

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