砂時計と魔法使い

新森たらい

ルーベンスの砂絵

 だれもいない公園に一人の女の子が現れた。手には赤いスコップと緑のバケツを持っている。彼女はブランコの横を通り過ぎて、砂場に腰を下ろす。彼女は辺りを見回しながら穴を掘っていく。肌寒い風が吹く中、静かにいろんな所を掘り返している。三十分近く経ち、寒くなってきたのか膝小僧をジャンパーの中に入れてペンギンのような足取りでのそのそと動き始める。手は次第に真っ赤になり、自分の吐息をかじかむ指先に吹きかける。それでも手を止めずに穴ぼこを作っていく。

 スコップで突き刺すように掘っていると何か堅いものに当たる感触がジンジンと手に伝わった。すると彼女は目を輝かせて当たった部分の周りをスコップと手を駆使して穴を広げていく。ここに来たのはこれを探すためだったのだ。目当てのものを引っ張り出すために下準備を丁寧に欠かさずにバケツに入れておいた水かけて砂をボロボロにして削る。

 子どもの両手が自由に動く位に十分広げた穴に溜まった水をすくいだして、いよいよ埋まっているお宝を取り出す。水分を含んで柔らかくなった所をつつきながら、指でかぐったり、えぐったりしてみる。形は見えないがそこにあると少女は確信する、そこにあるはずだと。

 すると、いきなり何かがざくっとやわらかい指に突き刺さった。女の子は痛みに耐えきれず、目尻に涙が溜まる。薬指を見る縦に開いた切り傷からとめどなく血が流れ出ている。目からも涙が止まらなくなり、トイレに駆け込み水道で手を洗う。しかし、痛くて傷口を触ることが出来ない。傷口が止まる様子もなく顔がどんどん歪んでしまっていく。蛇口を締めるとトイレの外に出てしゃがみ込んでしまう。膝を抱えて泣き顔を隠すように静かに泣いている。

 女の子はこのまま血が止まらないのではないか、いつまでこの痛みが続くのか、脳裏には不安がつきまとう。手が冷え切っているせいで余計に痛さが染みてくる。大人からしてみれば些末な出来事も齢四歳の女の子からしてみれば一世一代の大事件である。

 家に帰れば絆創膏も軟膏もあるけれど、見つけるまではここを去ることは出来ない、したくない。おうちに帰ったら負けだけどこれ以上は続けられない。圧倒的なジレンマの中でしゃがみ込んでいると。

「うずくまってどうしたの?」

 いきなり声をかけられてハッとした。横を向くと高校の制服を着た女の子が同じ目線になってこっちをのぞき込んでいた。顔を伏せて、声を上げるのを我慢していたからか、まるで気がつかなかった。足音が聞こえなかったから驚いたが女子高生は心配そうにこちらを見ている。

「指、切っちゃった」

 公園に来て初めて声を発した。その瞬間堪えていた不安から解放されうめき声やら、どばどば鼻水が出てきた。

「うわっ!めっちゃ血でてる」

途端に女子高生はびっくりしながらも、冷静に「傷口は洗った?」と尋ねてくる。女の子はグチャグチャになりながらうなずく。

 状況を把握した女子高生はポケットティッシュをカバンから取り出して、

「これで顔拭いてあげる!それから傷口が開いてる方の手出してくれる?」

 お姉ちゃんの手つきは優しく涙をティッシュで受け止めてくれた。それから、血を拭いたあと薬指の根元をつかむ。

「ちょっとだけ我慢してね」

そう言うと根元を指で締め付けて血を止めようとする。少女は痛い痛いと聞き取れないようにつぶやく。指が少し膨らんで張った感じがして、傷口が少し痺れる。一、二分経って漏れ出でいたものが徐々に止まり始めた。若干、指が紫がかった色に変わり指先が他の指より冷たく感じた。

「止まったかな。カットバンだすからちょっと待ってね-」

 「サイズ合うのあったかな」と言いながらカバンの外ポケットを探す女子高生の後ろ姿を赤くなった目で見つめている。けれども、呼吸を荒げながらも自然と落ち着きを取り戻し始めていた。なぜだか女の子は母親に初めて手袋を買ったときのことを思い出していた。よく分からないけどそれくらい安心できる存在だと思えた。

「あった、あった!よし、それじゃ指出してね」

見ると幅の広い絆創膏を手に箱から出している。女の子の手にはいささか不釣り合いな気がするがそんなのお構いなしで指に巻きつけている。傷口にガーゼの部分を当てて、皺にならないようにゆっくりと張っていく。

「これでOK。もう大丈夫だからね」

「ありがと」

 うわずった声でお礼を言うともらったティッシュで鼻をかむ。横に置いておいたくずがみのように計画は思い通りにいかずグズグズでだめになってしまった。

「ねえ、ところでここで何していたの?」

ぎくりと幼稚園の誰にも言わずにいたことを聞かれてしまった。しかし、計画はすでに破綻してしまっている。また別の日に仕切り直すしかない。けどやっぱり誰にも知られたくない。秘密にしておきたい。

「内緒かな?嫌ならいいんだけど」

「ちがう・・・けど」

手を丸めると少し痛む。頭を抱えると教えようか悩んでしまう。けど手当をしてもらった恩義に報いるわけにはいかないと幼稚園児らしからず、律儀に恩を返そうとする。

「誰にも喋っちゃだめだよ?」

「あっ、うん。言わない、言わない」

 女の子は大きく息を吸い込んで穴を掘っていた理由を語り始めました。

「ここのね、公園の砂場に砂時計が埋まっててね。それを探していたの」

女子高生はほほうという感じで聞き手に徹している。

「それでね。公園に誰もいないときに見つけると魔法使いさんが来て、お願いを叶えてくれるんだって」

「それで、お願いを聞いてもらうためにこんな有様に」

女の子は肩を落としながらコクリと頷く。

「運がついているねーお嬢ちゃん」

女の子は目の前にいる人が何を言っているのか分からなかった。いまいち言葉の意味がピンとこない。

「私が砂時計の魔法使いだから」

 唖然の一言。幼子の想像の斜め下をいくその姿は大人達も経験したことのあるサンタクロースの正体を知ったときのそれである。女の子は心半ば事実として認めているが、やはり信じたくないというのも本心である。

「嘘だ。・・・まだ見つけてないもん」

「いやいや、ホントはそんなことしなくても、魔法使いは勝手にフラッと出で来るから」

話に尾ひれが付いちゃって困ってるんだよね~とぼやきながら無邪気に笑っている。だったらもう少し早く出てきてよと思う。やるせなさと目的の達成が同時にやってきたが肝心な問題はそこではない。

「お姉ちゃん本当に願い事を叶えられるの?」

「どうだろう、多分無理だと思う」

「・・・嘘つき」

声高らかに夢を壊された瞬間、女の子はまた殻に閉じこもる。けがを治してもらって一転、この自称魔法使いの戯れ言に振り回されている。曇り空から光は差し込み始めれど、全てを否定された傷は広がっていく。

「そんな顔しないで大丈夫だから。あなたの悩み事は分かっているから」

「分からないよ」

分かるはずがない。さっきあったばかりの見ず知らずのお姉さんに不安な気持ちが伝わるはずない。さっきまで泣いていたことしか知らないはずだ。

「もうすぐ、弟が生まれるんでしょ」

女の子はまたハッとした。ここに来た理由をあてられたからだ。

「そして自分が立派な姉になれるようにお願いしに来た。でしょ?」

かかとから頭のてっぺんに向かってなにかが体の中に一直線に突き抜けた。立ち上がった女の子はJK魔法使い見下ろしながら、

「本当に、本当に!・・・魔法使い?」

と瞳を太陽のように丸く揺らめかせて魔法使いを見つめる。

「小さい子騙して何にもならないでしょうよ」

魔法使いはクスクスと笑う。女の子は打って変わって勇み喜ぶ。

「でも、なんでそんなこと頼みに来たの?」

魔法使いはあえて問う。その目で全てを見透かしているくせに全てを女の子の口から訊こうとしている。実に意地悪だ。だが、女の子は魔法使いに会えたことでまさに今有頂天である。そんなことに気づくはずもない。

「私ね苦手なことたくさんあるの。足遅いし。給食の野菜が食べれないし。なぞなぞとけないし。さっきも我慢したけど泣いちゃったし」

なるほど、と首を縦に振って相づちをうって聞き手に徹する。

「だから、弟に一つでもいいからすごいとこ見せたいの」

女の子は冷えきった手と手を合わせる。もちろん絆創膏のガーゼに赤い染みが出来ている部分にも薬指同士が触れ合う。

 本格的な冬間近の公園で痛い思いをして、ようやく出会えたのだ。少しくらい報われてもいいのでわないか誰もが思う。

「無理だね」

呆気にとられる。あまりにも淡泊な言葉に返す言葉がない。

「それは私に頼むことではないね」

「なんで?できないの?」

「出来ないわけじゃない」

ではなぜと思いもう一度尋ねてみる。

「それは私が砂時計の魔法使いだから」

意味が分からないけど、ただ意地悪を言っているわけではないとふわふわした少女の頭でもなんとなく分かった。けれども、そのなんとなくがわからない。

「砂時計の落ちた砂はひっくり返すとどうなるかわかるかい?」

「元に戻る、巻き戻る」

ごくごく普通の、当たり前のことを聞かれた。

「そうだね、でも違うんだ。砂時計は巻き戻っている訳じゃない」

女の子は首をかしげる。

「新しい時間を刻み始める。だから、私は願いを叶えることは出来ないんだ」

幼い頭で必死に考えてみるが、なぞなぞが苦手な幼稚園児には難しすぎる問題である。

「まあ、お嬢ちゃんが分かるのはだいぶ先になると思うし、それまで私に会ったこと覚えてるかどうかも怪しいよね。まあ、深く考えなくて大丈夫」

意味がまだ判然としないが、考えなくていいと言われたのでそうすることにしたらしい。

「私もね、あなたと同じ歳の頃に兄弟が増えるって聞いてすごく喜んだんだ」

 唐突に自分の昔話を語り始める魔法使いに女の子は脈絡のなさに違和感を感じる。

「だから、あなたと同じように立派になろうと頑張ったんだよね」

違和感を覚えながらも女の子は黙って静かに聞いている。

「でも、努力は実らなかった」

「どうして」

すると、毅然として笑みを絶やさずに話を続ける

「生まれて二週間たった頃にね、天国に行っちゃったんだ」

女の子は息をのむ。

「産声も上げなかったらしくて、長くは持たないとは言われた時は本当につらかった」

魔法使いは砂場に目線を移す。

「だけど、あの子は必死に生きたんだ。私の両手にはあの子の手の温もりがまだ残ってるの」

魔法使いは両手を強く握りしめる。そして立ち上がると穴だらけの砂場に歩み寄っていく。

「だから私は立ち直って新しい目標を立てた。お医者さんになるという大きな目標!」

魔法使いは乱雑に投げ出されて放ったらかしのスコップを拾って、女の子が掘って怪我をした穴の前でしゃがみ込む。片手で思いっきり埋まっているものをスコップでえぐり出す。そして、もう片方の手を穴に突っ込みそれをつまみ上げた。

「お嬢ちゃんの努力は無駄じゃなかった。これ見せられたら私も大学進学の一歩として期末テスト頑張らなきゃなー」

そう苦笑いして、魔法使いは左手にある黒ずんでいるそれを、ガラスが割れて中身が空っぽの砂時計を見せる。

 女の子は魔法使いの話を聞いてどう思ったのか分からないが、なぜか空を見上げていた。空は依然まだらに雲が散りばめられている。

 魔法使いは女の子の前まで来ると壊れた砂時計を手渡す。

「これをどうするかはあなた次第。自分の足でちゃんとたって、家族を支えてね」

そう言われた直後、女の子が砂時計から視線を上に移すと魔法使いはさよならの一言も言わずに音もなく消えていた。

 女の子は自分の泥で薄汚れている手を見つめる。水で洗ったけど落ちなかった汚れ、土が詰まって黒くなった爪、そして赤黒い絆創膏。手のひらのボロボロの砂時計を頭より上に掲げてみる。夕焼けの光がちょうど差し込んで反射する。

 それを見た女の子は微笑んでもう一度砂場の敷居をまたぐ。そして穴の中に砂時計を置くと、山になっていた掘り返した砂を足を使って砂場の中に埋めた。満足そうな顔をすると持って来たスコップとバケツ拾って公園の門を自身の全力で駆け抜けていった。

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