Piscium α

 家に帰ると息子がいなかった。台所にも、リビングにも、トイレにも。日が落ちてだいぶ暗くなっているのに我が家のどこにも明かりは灯っていなかった。暗くなる前に帰るようにいつも言っていたつもりだったが、どうやら聞く耳を持っていなかったらしい。たまたま早く仕事が終わって帰ってきてみたらこのざまだ。それなりにやってきていたつもりだった。父と子二人で頑張っていたがこんな風に裏切られるとは思ってもいなかった。

 半分焦りながら、半分イラつきながら俺は玄関を出てエレベーターを待たずに階段を駆け下りた。走りながら息子の行きそうな場所を頭の中で巡らせる。すぐ横の地味に広い公園、よくたまり場になっている公民館、無料開放している市民体育館、大体この辺りだろう。一階に下りると人目も気にせずに駐車場に全力で直行して黒の軽にエンジンをかけて出て行った。とりあえず、この三つの中で一番遠い体育館に着くまでにスマホをナビにブルートゥースでつないで学校と仲のいい子達の家に電話をかけた。学校からは何の変わりもなくとうの昔に下校したと、ママさん達からは遊びに来てないし子ども達も知らないといわれた。俺はおのおのに何か分かったら連絡をくださいと車の中でお辞儀を繰り返していた。

 体育館に着くと事務室に小柄なジャージ姿のおじいさんが新聞を読んでいたので息子が来ていないか尋ねると、

「今日は子どもは来とらん!!」

さっさと帰れと言わんばかりの剣幕で怒鳴られた。つばが飛んでくるレベルで。何が気にくわなかったのか分からなかったがありがとうと一応言っておいた。そのあと、聞こえないように舌打ちをしていそいそと体育館を後にした。することなくて新聞読んでただけだろうに。

 理不尽にキレられて頭にきつつも、公民館の近くまで来た。しかし、電気は付いていなかったのでおそらく閉まっている。なんの躊躇いもなくそう踏んでそのままスルーした。

 結局なんの手がかりもなく公園までUターンしてきてしまった。焦燥している俺と対照的に広場は薄暗く、静まりかえって、冷たい空気が漂っている。人っ子一人いない雰囲気がもうすでに伝わってくるが広さ的にいてもおかしくはない。一通り探してみたら警察に電話をかけよう。

 滑り台の下、ジャングルジムの陰、トイレの中、枝が生い茂った植木、どこにもいやしなかった。公園の中を一周まわってみても、二周まわっても、何周まわっても変わりはしなかった。顔に溜まっていた熱も自然と放出されていた。

 いつの間にか俺はブランコに座っていた。遊具に座るなんざいつ以来だろうか。・・・小学生ぶりか?いや・・・違う、高校の時だ。夕焼けが綺麗な朱色に染まってて。こんな風に誰もいない公園でブランコに一緒に座りながら話して、その流れであいつに・・・。

 告白したんだ。

 ***

 物思いにふけっていると背後から足音が聞こえた。咄嗟に振り向くと、どこかで見たことがあるような、息子と同じくらいの男の子がボールを蹴って遊んでいた。さっきまでだれもいなかったはず、しかもこんな時間に。首を傾げようとしたが、もしかしたら息子を見たかもしれない。

「ねえ、そこの君。この辺りで君と同じくらいの歳の男の子見なかった?」

「誰、おっさん」

ガキは正直だと言うのは本当だな。素直にむかつく。ただ見ず知らずの子どもに怒鳴り散らすほど幼稚でもない。諸々の説明をして平常心を保つ。

「見てないよ」

「そうかー、ありがとう」

当然っちゃ当然だよな。望み薄だったのは目に見えていたし。

「まあでもおっさん訳ありそうだし、一人でブランコ座っててかわいそうだし、協力してあげるから、その子の名前教えて」

生意気なやつめ親の顔を拝みたいもんだ。正直、素直に教えるのは癇に障るが渋々名前を教えることにした。

「山畑泰介って言うんだけど」

ふーん、と興味がなさそうに相づちを打つと

「あー。そいつなら大丈夫だよ。警察にかけるまでもないよ」

「どこにいるのか知っているのか!」

まさかの棚ぼたとは予想だにしなかった。このあたりでは見かけない子だったから奇跡的である。息子の友達という感じでもないから尚のこと意外である。

「うん。だって俺、砂時計の魔法使いだから」

「茶化すな!冗談言ってないでどこにいるか教えてくれ」

声を荒げてクソガキの肩をガシッと掴んで詰め寄る。

 坊主は呆れた眼差しを俺に向けて、ヤレヤレと言いたげに深い溜息を吐く。そして、キリッと表情を整えると、

「ふざけてなんて一ミリたりともしてないよ」

そう言い放った。真剣な顔つきでこちらを睨んでいる。こっちにとってはおちょくられていることに他ならない。怒りのゲージは80%を超えている。が、気迫で少し身じろいでしまった。

「もう少ししたら、あんたの探し人がここに来るはず。そこは安心してればいい」

「本当なんだろうな」

半信半疑で聞き返す。信用は出来ないがこれ以上息子がいそうな場所も見当が付かない。仮に嘘だったら警察に捜索願を出すまでだ。

「あと15分くらいかな。それまで俺の話し相手になってよ。15分待っても来なかったら110番なり、何なりに連絡してよ」

こっちの考えを読んでいるかのように提案してくる。案外冷静だ。

「分かった。けど、君はもう帰りなさい」

「おー、割かしちゃんと大人な対応するの嫌いじゃなよ。俺の身を案じてくれてるんだね」

こいつホントに何様なんだろう。

「父親としての仕事は最低限果たしているんだね。偉い偉い」

「君、いい加減大人を舐めるのよさないか?」

「三つ子の魂百までって言うじゃん?そういうこと」

どういうことだよ。ことわざの使い方間違えてんじゃねえか。

「そんなんだから奥さんに逃げられるんだよ」

 一瞬声が詰まる。なんで赤の他人の小僧にそんなことが分かったんだ。泰介に聞いたのか?何にしたって失礼である。

「な、なんで知ってるか分からんが他人の家庭をどうこう言うもんじゃないぞ」

「だって魔法使いだし。さっき俺に話しかける前に昔の幸せな家庭を思い出してたんだろ」

信じられない。本当に見透かされている。さっきの発言で確信した。読心術でもやっているのかもしれないがここまで的確に言い当てることは出来ないだろう。

「なんであれ癇癪持ちは生きづらい世の中だね。短気は損気とはよくいったものだよ。嫁に愛想尽かされて、子どもに無理強いして」

「本当に何なんだ。おれ‥に…。僕に何の不満があるんだ」

ズケズケと言いたい放題言いやがって、焚き付けてどうするつもりだコイツ。確かに離婚のことは反省しているし、泰介にも俺たちのせいで迷惑をかけているのも言われなくても理解している。だからといってこれ以上何をしろってか?

「不満があるのは泰介の方だよ。だからこんなことになってるんだろ」

「再婚でもしろとでも?」

そこまでは言っていない、と否定される。

「…泰介と向き合えと?」

「普通そうでしょ。それ以外あると思う?」

「じゃあ、あいつが何を思っているか、君は知っているんだな」

多少はね、と肯定する。いちいち一言多いのもどうでよくなってきた。

「でもそれは俺の仕事じゃない。本人から聞いてあげなよ」

まどろっこしいことありゃしない。怒りがふつふつと声に滲み出てくる。

「確かにあいつが不満を抱えているのは分かった。でも俺なりにベストは尽くしているつもりだ」

「怠慢だね」

「じゃあ、どうしろってんだよっ!!」

ぶら下がっている鎖が激しく乱れた。

「失くしてしまったパズルのピースは埋めることなんて出来ないんだよ、おっさん」

俺のしてきた苦労も努力も無意味だと?あいつに何もしてやれてなかった訳がないだろ!それを自己満足とでも言いたいのか?

 二人だけの空間に沈黙が広がる。街灯は不規則に点滅しながら小僧のシルエットを照らし出している。

「そろそろ時間だね。ありがとう、伝えたいことの半分も話せなかったよ」

最後には俺はこのクソガキの目を見て話すことが出来なかった。ブランコの下のすり減った芝を見ることが精一杯だった。

「正直こんな姿で話すのはアレだったんだけど、流れ的に仕方なかったんだよね-」

今はこいつの意味不明な発言を鼻で笑って見栄を張る位しか出来ない。もうホントでも、嘘でもどうでもいい。

「最後に訊いていい?あんたは泰介を愛せてる?」

脊髄反射で動くように声を発することができない。歯を噛み締めてぐちゃぐちゃになった気持ちを無理矢理固める。

「わからねぇよ…。考えがまとまらねんだよ…」

頭が追いつかない。

「そっか」

目元は見えなかった。でも口元は緩んでいる様にみえた。そしてハニカんだ声で

「いつか言えるようになるといいね」

そういうと誰かが自転車を止める音が聞こえた。しばらくすると足音が近づいてきた。

「父さん何やってるの」

顔を上げると泰介が立っていた。いつの間にやらあいつは消えていた。安心と同時に静かに怒りがこみ上げてきた。

「息子探して休憩してたところだ。お前こそ書き置きもせずにどこに行っていたんだ」

そっぽを向きながらごめんなさいと一言。

「いろいろあって。それで、あれ買ってきた」

自転車のかごの中には白い箱が入っていた。すぐに何かを訊くと。

「家族記念日のケーキ」

「そんな日なかったろ」

「うん。だから作った」

おれは溜息を吐くとブランコから立ち上がった。

「説教してから、ケーキな。いや、その前に宿題だな」

あからさまにテンションが下がりながら泰介は返事をする。

公園を出て自転車を車に積むと俺は、

「泰介」

「なに?」

「ありがとな」

泰介は顔を赤くしながら助手席のドアを開けて

「早く帰ろ!」

俺は30メートル先の家に向かってエンジンをかけた。

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