決意のとき
<1>
「ダンジョンの上級層にもだいぶ慣れてきたな」
到達したこれまでの最高記録――地下四十八階からの帰路の途中、マイトが明るい声で言った。
今回のダンジョン潜りは調子がよく、これといった問題が起きることはなかった。ただ運がよかったと言えばそれまでだが、上級層に慣れてきたのも事実だろう。
「慣れはじめが一番危ない――エルザが教えてくれたこと、忘れたわけじゃないでしょうね」
楽天的な考えに、エルフらしいクールな態度でシフルーシュが釘を刺す。
「わかってるよ。慣れたからといって油断はしていない。そんな余裕ないってぇの」
「本当かなぁ。ねえ、ティオからもちゃんと言ってやってよ」と、シフルーシュがなんのきなしに話を振ってくる。
それが自分に向けられた言葉だと、ティオはしばらく気づかなかった――そもそも物思いにふけていて、話を聞いていなかったのだ。
腕をつかまれて、ようやく我に返る。怪訝そうなシフルーシュの顔が、すぐそばにあった。
「あ、ごめん、聞いてなかった……」
「ティオ、どうかしたの?」
「な、なんか、潜ってるときから、様子、おかしかった」
ここぞとばかりに身を乗り出して、ダットンが口をはさむ。ゴッツも興味ありげに目を向けていた。
注目が集まると気恥ずかしくなり、ティオは額を無意味にこする。顔を隠しつつ隙間から確認すると、不審がつのっていく様子がよくわかった。
「ティオ姉ちゃん、何か悩みでもあんのか。仲間に隠し事はよくないぞ」
時おりマイトは鋭いことを言う。ごまかしきれそうにないと悟り、ティオは思い切って事情を説明する。
「実は、魔法学院のヨーゼスさんから――」
悩みの原因は、いつか答えを出さなければならないと思いつつも、後回しにしてきた問題だ。不意打ちで決断を迫られたことで、ダンジョン潜りの間も動揺が抜けきらなかった。
運よく無事に済んでいるが、一歩間違うと大惨事にいたってもおかしくない。反省しなければと、ティオは自分に言い聞かせる。
「魔法学院からスカウトされたってわけか。たいしたもんだ」
「それって、そんなにすごいことなのか?」
ゴッツの率直な感想に、無知なマイトが疑問を口にする。
真っ先に反応したのは、魔法学院の権威を知るダットンだ。興奮で顔を真っ赤にして、つっかえながらも熱弁を振るう。
「すごい、ことだよ。ティ、ティオさんが一流の医術者として、認められたって、証拠!」
「へえ、やるねぇ、ティオ姉ちゃん」
感心したふうな態度だが、声の質は軽い。どこまで理解できているのか微妙なところだ。
対してシフルーシュの声は重かった。
「それってさ。スカウトに応じるってことは、ダンジョン街から離れることになるよね。そうなると冒険者はつづけられないんじゃない」
当然の帰結であるのだが、男連中は気づかなかったようで、「あっ!」と声を揃えて顔を見合わせた。どの顔にも戸惑いが浮かんでいる。
ティオは苦笑して、ぽそりと「そうなるね」とつぶやいた。
「それは困る。反対、魔法学院行きには反対!」
さっきまでの気楽な様子はどこへやら――血相を変えたマイトが、すがりつくようにティオの肩を強くつかんだ。力加減を忘れているのか、指が食い込んで痛い。
シフルーシュが冷静に駄々っ子を引きはがし、蹴りを入れて乱暴に突き放す。
「ミスミは、このことをなんて言ってるんだ?」
「ミスミ先生は……好きすればいいって」
思い悩んで相談したが、返答はあっさりとしたものだった。鼻のつけ根にしわを寄せた難しい顔で、目も合わせてくれなかった。
もう少し違う言葉を期待していたのだが、淡い想いは打ち砕かれる。止めてほしかったのか、それともさみしがってほしかったのか――自分でもよくわかっていないが、ひどく落胆して泣きたくなったことをハッキリと記憶している。
ミスミにとって、ティオはどういう存在なのだろうか。その日の夜は悶々として、一睡もできなかった。
「何それ、ムカつく!」
我がことのように感情的になったシフルーシュの怒りの声が、ダンジョンの通路奥深くまで反響した。
びっくりして固まってしまったティオに、同情顔で深くうなずいてみせる。種族は違えど同じ女だ、同性ならではのシンパシーが暴走したのだろうか。
「ミスミのとこに文句言いに行こう。ティオのこと、もっと大事に扱えって言ってやんないと気がおさまらない!」
「えぇ……」
「いいな、それ。俺も文句言いたい」と、なぜかマイトが同調する。こっちは面白半分だろうか。
「なんで、そうなるの……」
妙なところで結束したパーティは、その勢いを維持したまま一気にダンジョンを抜けて診療所に向かった。
待合室に人の姿はなく、診察室から話し声が聞こえる。どうやら診察中らしいが、ムダにテンションの上がったマイトは一切気にすることなく扉を押し開けた。
キョトンとしたミスミの顔が、まず目に入った。看護師のノンと、なぜか診察を請け負っていたヨーゼスも呆然としている。
「診察中にいきなり入ってくるな、このバカ野郎」ぶっきらぼうに言って、ミスミはボサボサ頭をかく。「でも、まあ、ちょうどいいところに戻ってきた」
ミスミと向かい合う形で座っていた患者が、ちらりとティオに目を向けた。苦しげに歪んだ顔に、うっすらとだがおぼえがある。しっかりと記憶に残っているのは、付き添いの男性のほうだ。
「あれ、カイバさん?!」
以前タツカワ会長の依頼で研師の親方を診察した。その弟子の一人がカイバだ。現在は親方の娘リジィと結婚して、立派に後を継いでいる。
カイバが付き添いということは、おそらく患者は研師職人だろう。
「おひさしぶりです、ティオ先生」
「話はあとだ。それより準備をはじめよう。ダンジョン帰りで疲れているところ悪いが、ティオにも手伝ってもらうぞ」
ノンに目配せして、ミスミは立ち上がる。
「手伝いって、手術ですか?」
「ああ、これから開腹手術を行う」
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