火の息用心

<1>

 意気揚々とダンジョンに踏み込んだマイト一行は、上級層である地下四十一階をすんなり抜けて、その日のうちに地下四十四階まで到達することができた。

 上級冒険者となった初回のダンジョン潜りは、上々の滑り出しといえる。


 その勢いを持続したまま、期待と自信に満ちた二回目のダンジョン潜りに出発――ここからが苦難のはじまりであった。何度挑戦しても、まるで前に進めない時期がつづく。

 強力なモンスターや困難な罠の数々といった、さまざまな理由が絡み合う複合的な障害によるところだが、一番の問題となったのは上級層の特殊な構造といえるだろう。


 ダンジョン上級層は、訪れるたびに構造が変転する不思議な仕組みをしていたのだ。

 そのため前回の経験から対策を立てることができず、毎回まっさらな状態で挑まなければならなかった。


 あらゆる事態を想定しなくてはいかないこともあって、準備期間に時間をかけるようになり、そうなると必然的にダンジョンへ向かう回数は減っていく。これこそ、上級冒険者が必ず直面する課題だという。準備をどう切り盛りするかが、重要だとタツカワ会長が言っていた。

 そのタツカワ会長に攻略の助言を求めると、身もふたもない言葉を返された。


「運だな、運」


 身もふたもないが、それが真理なのだろう。運をつかむためには、数をこなさなければならない。

 マイト達は苦労して定期的なダンジョン潜りを決行し――上級冒険者となり半年後、ついに運をつかみ取った。

 途中つまずきそうになる場面もあったが、ダンジョン地下四十五階に足を踏み入れたのだ。


「ようやく……ようやくだな」


 うれしさよりも安堵のほうが先立った。まだまだ先は長いが、区切りとしてはキリのいい五階分下りれたことに、焦燥感でしゃちほこばっていた気持ちがゆるむのを感じる。


 地下四十五階は大きな一部屋で構成されたフロアだった。細長い長方形の部屋で、端までの距離はかなりある。奥にぽつんと丸い物体がある以外は、これといって目につくものはなかった。

 パーティの誰一人として口にしなかったが、異様な雰囲気は感じ取っていたはずだ。見るからに不自然な環境が危機意識を煽る。


 警戒しながら歩を進めると、遠目からでは確認できなかった物体が赤銅色の岩だとわかる。ゴツゴツとした岩肌は、鈍い光沢を帯びた金属的な質感をしていた。

 先頭を行くゴッツが、ピクンと肩を震わせて足を止める。手で進行を制し、強張った顔を背後に向けた。


「あれ、動いてるぞ」

「動いてる?」


 疑問を口にした直後、言葉の意味に気づく。マイトは赤銅色の岩が、かすかに脈動するのを目撃した。

 わずかに膨らみ、しぼむ。その小さな動きが規則的に繰り返されている。まるで生きているように。


「ねえ、あれって――」


 いち早く察したシフルーシュが声を震わせた。

 目をこらすと塊にしか思えなかった表面は、いくつものパーツが組み合わさったものだとわかった。同色のウロコで覆われた長い尻尾を、体に巻きつけて丸まっていたので境界に気づけなかったのだ。


 それは巨大な生物に間違いない。マイト達の進行方向に尻を向ける形で鎮座しており、現在の位置からは正体を確認することはできないが、大体の想像はつく。

 ツバを飲み込む音が、静まり返ったフロアに響いた。


「ちょっと見てくる」


 マイトは声を潜めて宣言すると、壁際に寄って最大限に大回りして側面に移動する。

 首を曲げて体に密着させていた顔の一部が目に入った。ついでに、巨体の影に隠れていた部屋を抜ける出口も見つけた。


「ド、ドラゴンだ……」


 ホラ話と判別つかないウワサでしか聞いたことのなかったモンスターが、本当に実在することをマイトは知った。

 鎧のようなウロコで覆われた巨体に、凶暴性を凝縮したような恐ろしい面構えをしている。動く姿を見なくとも、とてつもなく強力なモンスターだと直感的にわかる。まともやり合えば、おそらくパーティは壊滅する。

 マイトは顔を引きつらせて、行き以上に足音を忍ばせて仲間の元に戻る。


「やばい、ドラゴンだ。眠ってるみたいだからこっちに気づいてないけど、起きたらまずいことになるぞ」


 ドラゴンの目は見開いたままであったが、眼球に白い膜のようなものがかかっていた。鳥類などで見られる瞬膜と似たような仕組みと思われる。あの脈動はおそらく寝息によるものだろう。


「ド、ドド、ドラゴン……ほ本当にいたんだ」

「ミラー兄様が昔見たことがあるって言ってた。そのときは全力で回避したって」


 ダットンもシフルーシュも、声色から消極的な心情が読み解ける。

「出直そう。危ない橋を渡る必要はないよ」と、ティオはもっと直接的に撤退を主張した。


 マイトにしても、ここで無理をする気にはなれなかった。さけられる危険はなるべくさける――冒険者として当然の選択だ。

 だが、ただ一人撤退に反対する者がいた。顔を紅潮させたゴッツが、不審そうに一同を見回す。


「おい、正気かよ。これを逃したら、ドラゴンに挑戦するチャンスは二度と来ないかもしれないんだぞ」

「チャンスとか意味がわからん。一度は見てみたいとは思ってたけど、二度目はいらない」

「知らないのか、ドラゴン殺しの英雄譚。倒せば伝説として名を残せる!」


 初耳のマイトに代わり、ティオが対応に当たった。


「建国の王がドラゴンを退治したっていう伝説のこと? 本当にあったのかもわからない昔話を、引き合いにされても困る。よく考えて、ドラゴンだってモンスターの一種にすぎないんだよ。勝てるかどうかもわからないモンスターと、ムダな戦闘を行うのは現実的じゃない」

「しかしだな、ドラゴン殺しは冒険者としても栄誉なんだ――」


 ティオが筋の通った反対意見をぶつけても、ゴッツは引き下がらない。

 そういえば使いこなせもしない大剣に固執したり、意外と形から入るところがあったことを思い出す。


 何がそうさせるのか、執拗に“ドラゴン殺し”にこだわるゴッツであったが、仲間全員が反対を表明すると、さすがに最終的には折れた。未練たらたらであったが、ここで踏みとどまれるだけの理性は残っていたようだ。


「じゃあ、どうする。今回のダンジョン潜りはおひらきにするか?」

「ドラゴンの裏に出口があったから、起こさないようにすれば抜けることはできると思うけど……」


 それは危険な賭けだった。マイトに実行するつもりはさらさらなく、情報を仲間と共有しようと思っただけにすぎない。

 だが、思いがけずゴッツは食いついた。全員に否定された反発心が、多少なりともあったのかもしれない。


「行けるなら、行ってみないか。せっかくここまで来たんだ、次もうまくいくとはかぎらないぞ」

「ドラゴンが起きたらどうすんの。殺されるよ」


 シフルーシュが呆れ顔で言った。


「起こさなきゃいいんだろ。うまくやるさ」


 やけに自信たっぷりにゴッツは踏み出す。マイトは止めようと手を伸ばすが、ヘタに騒いでドラゴンを起こしては元も子もない。ゴッツの腕にかけた手は、あっさりと振りほどかれた。

 仲間がハラハラと見守るなか、ゴッツはドラゴンを刺激しないように慎重な足取りで近づいていく。丸まったドラゴンを迂回して、そうっと奥に入っていき、ゴッツの姿は完全に隠れた。


 マイト達からは、ドラゴンの巨体で死角となった場所に出口はある。

 ほどなくして、ひょっこり顔を出したゴッツが手招きをした。とりあえず無事であることに、ホッと胸をなでおろす。


「ど、どどうしよう……」

「そう言われてもなぁ……」


 マイト達は顔を見合わせて、無言の談合を交わしたあと、渋々ながら進み出た。仲間を置いて引き返すわけにもいかない。


 ドラゴンに手が届く距離にまで迫ったときだ――「あっ」と小さく声をあげて、ダットンがつまずく。段差のない平地で普段ならありえないことだが、緊張で足がもつれたらしい。

 慌ててシフルーシュがつかまえるが、支えきれずバランスを崩す。そのシフルーシュをティオが支え、ティオをマイトが支える。連なって歯を食いしばり耐えることで、かろうじて転倒は防いだ


 顔を強張らせてドラゴンを見たが、体に巻きついた尻尾に反応はない。どうやら眠りを覚ますことはなかったようで、ひとまず安心する。

 だが、ドラゴンに反応はなかったとしても、別の場所で反応は起きる。仲間が転倒しそうになったことに焦ったゴッツが、反射的に駆け寄ろうとしてしまったのだ。身を乗り出したゴッツの尻が――ポンと、軽くドラゴンの体にふれた。


 一同に緊張が走り、息苦しいほど重い沈黙が落ちる。

 フロアを満たした静けさを打ち破ったのは、ジャラジャラという連続した擦過音だ。ウロコを鳴らしながら、のっそりとドラゴンが首を起こした。ゴッツがふれてしまったことで、ドラゴンは目を覚ます。


 一秒でも早く退避しなくてはならない最悪の事態だというのに、マイトは束の間我を忘れた。覚醒したドラゴンの姿から、畏怖と同時にある種気品のようなものを感じたのだ。

 美しいモンスターだと思った。そして、美しくてもモンスターだと思い知る。


 ドラゴンは眠りを邪魔立てしたゴッツを認識した瞬間、いきなり噛みついた。

 ゴッツは懸命に飛びのき、転がりながら回避した――が、ドラゴンは間髪入れず巨体を振って、尻尾の強烈な一撃を叩き込む。


 およそ生物が放ったとは思えない金属音に近い打撃音が響き、ゴッツを軽々と吹き飛ばした。まるで水きりの石のように床を跳ねていったゴッツは、壁面に激突することでようやく止まった。壁の石材が砕けるほどの衝撃を受けて、地に伏したゴッツはピクピクと痙攣している。

 すべてが一瞬の出来事だった。救助に向かう余地は、まったくなかった。


「早くゴッツを連れて逃げろ!」


 一瞬遅れて状況を飲み込んだマイトが、動揺によって裏返った声で叫ぶ。


「そんなの、どうやって!!」と、シフルーシュはツバを飛ばして怒鳴り返す。

 ドラゴンはすでに次の標的――すなわちマイト達をにらみつけていた。眠りを妨げた侵入者に憤り、赤銅色のウロコがジャラジャラと音を立てて逆立っていく。


 とてもじゃないが身動きできる状態ではない。少しでもスキを見せれば、容赦なく襲いかかってくることだろう。

 マイトは恐怖と緊張でこみ上げてきたものを腹の底に押し込み、ちらりと腰に差した剣に目をやる。憧れの冒険者の顔が脳裏に浮かび、彼ならばどうするか考えた。考えるまでもないと、即座に答えは出る。


「俺が引きつけるから、その間にゴッツを頼む!」


 覚悟を決めると、マイトは剣を引き抜き飛び出した。体にまとわりつく恐怖を振り払うように、一足ごとにスピードを上げる。

 ドラゴンの右前足が迎撃の予備動作に入ったのを見て、左に――右前足の外側に回り込む。標的が攻撃範囲からそれたことを悟ったドラゴンは、予備動作を途中で切り上げて、瞬時に体をひねり首を伸ばした。


 対応が早い――が、それはマイトが予想したとおりの動きであった。凶器の牙が迫ることを見越して、剣をかち上げる。

 ドラゴンのアゴ下を、見事に刀身が叩く。


 次の瞬間、キンと甲高い炸裂音と共に火花が散った。伝わった衝撃は、まるで金属を叩いたような手ごたえだ。硬いウロコに覆われた体に刃は届かない。

 それでも、多少は打ちつけたダメージがあったようで、ドラゴンに怯んだ様子が見て取れる。


「かてぇな、クソッ!」


 マイトは悪態をつきながら、横目で仲間がゴッツの元に駆けていくのを確認した。もう少し時間を稼ぐ必要がある。

 ドラゴンの注目を引きながら、倒れたゴッツの位置から離れるように動く。


「こっちだ、トカゲもどき。やれるもんならやってみろ!」


 どこまで意味があるのかわからない言葉による挑発であったが、案外あっさりと通用した――もしくは、先ほどの一撃によほど腹にすえかねていたか。とにかくドラゴンは、マイトに照準を合わせている。

 ドラゴンはわずかに首をすぼめて、を作った。


 また噛みつこうとしていると判断したマイトは、今度こそウロコを貫いてやろうと柄を握った手に力を込める。

 しかし、次に放たれた攻撃は予想したものとまるで違った。大きく開いたドラゴンの口から、炎の塊が吹き出したのだ。


「うげっ!」と、驚愕の叫びをあげながら横っ飛びでかろうじてさける。床に当たり四散した火の欠片が、ブーツを焦がして嫌なにおいが漂った。


 火の息ファイアブレスだ。これはマイトだけでは対処できない。

 ドラゴンが再びを作る。あきらかに溜めが長い。


 マイトは慌てて左右に視線を送り、逃げ場所を探す。ゴッツがいる方角には、余波が及ぶ可能性を考えると逃げることはできない。そうなると、逆側一方ということになるが、必然的に部屋の角に追い詰められる位置であった。

 どちらに行っても状況は最悪だ。決断できずマイトが焦るなか、ドラゴンは大口を開けて炎を吹いた。


 先ほどよりも火の量が多く持続力もある。一瞬でもためらうと、丸焦げになってしまう。

 マイトは全力で飛び込んだ――右でも左でもない、真後ろに。

 そこには部屋の出口があった。うまく通路に抜けることで、火の息ファイアブレスの直撃をさけることはできた。ただし、この選択には大きな問題がある。


「これじゃあ囮にならない」


 ゴッツを救出するスキを作るのが目的なのに、ドラゴンの視界から消えては意味がない。

 胸の内で渦巻く恐怖を押さえ込み、マイトは部屋に戻るべく踏み出そうとしたときだ――轟音と共に、凄まじい衝撃が通路を震わせた。

 ドラゴンはあきらめず、狙いを定めたマイトを追って狭い出口に首を突っ込んできたのだ。愕然としたマイトの前に、ドラゴンの顔が立ちふさがる。


「マジかよ――」


 大きな口が開く。ノドの奥でちょろちょろと、火の粉が吹き出す様子をマイトは目にした。

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