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「ダンジョン街周辺で、彼のような症状を患った病人の記録はなかったそうだ」
その報告は、予想していたことだった。タツカワ会長も同じ見通しだったようで、淡々とした口調だ。
転落事故から救助されて五日後――我が家であるダンジョン街の診療所に戻っていたミスミは、事後処理についてタツカワ会長に話を聞いていた。脱臼した左肩が痛むので、痛み止め代わりの軽いマヒ魔法をティオに診察室で受けながらの聴取となる。
タツカワ会長によると、地崩れによって途切れた山道は炭焼きの村の有志によって修復されたとのことだ。村にとって山道は他所とつながるのに必要不可欠な道だ。即座に作業を開始して、修復するのは当然のことだろう。
一ツ目の怪物についても、わかったことがある。怪物は元々山に住んでいたモンスターであると連絡があったのだ。ただし、山といっても炭焼きの村付近のことではない。反対側の麓にある小さな村で何度も目撃されていた。怪物を恐れた村人が旅の冒険者に討伐を依頼した結果、追い立てられてミスミ達が転落した周辺に逃げ込んだものと思われる。火を異常に嫌っていたのは、退治に乗り出した冒険者が火の魔法を多用したからではないかという話だ。
亡くなった彼が、“鬼”と勘違いされていたのは、この怪物と同一視されてウワサが混線したからではないかとミスミはにらんでいる。
その彼は、ダンジョン街の無縁墓地に埋葬された。この世界では土葬が主流であるのだが、墓地の管理人が手つかずで埋めることを拒み、火葬されたと聞いた。
「確か、モンスター病って言ってたよな」
「えっ?」
ティオは肩を震わせて、マヒ魔法を半端な状態で止める。表情が硬い。
「モンスター病というのは、どういうものなんだ?」
「それは……」声にためらいが含まれていた。「人が、モンスターのように変貌する病気だと言われています」
どうにもひっかかる言い回しだ。ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、動揺を隠しきれないティオを見た。
「もうちょっとくわしい説明はないのか」
「まだハッキリとわかっていないんですよ。症例が少なくて……いや、症状が出た場合、多くが隠す傾向にあるから、どうしても少なくなってしまう。モンスター病は感染するという話もあって、地域ぐるみで隠ぺいすることもあるそうです」
タツカワ会長が低いうなり声をもらし、神妙な面持ちで、ちらりとミスミに目を向けた。
「なあ、これって、やっぱり……」
「ええ、おそらくハンセン病でしょう」
ハンセン病はらい菌と呼ばれる細菌に感染することによって、皮膚及び神経に障害が生じる疾患だ。症状が進むことで身体の変形が起こり、その外見の変化から多くの偏見と差別を生んだ悲劇の病気であった。
デマや迷信、症状からくるイメージによって、理解の乏しかった時代は伝染すると思われていたが、実際はらい菌の感染力は低く、免疫力の発達した成人なら発病することはまずないと言われている。
「もう少し早く接触できて、話をすることができればよかったんだが……」
「ミスミ先生なら、治療できたんですか?」
遠慮がちにティオがたずねる。純粋な疑問から出た言葉なのだろうが、それは残酷な問いかけだった。
ハンセン病の治療法は存在した。特効薬が開発されて、重篤な患者であっても効果は期待できる。だが、この世界ではえることのできない薬だ。有効な治療をミスミが施すことは難しかった。
沈黙することで答えを返す。ティオはすぐに察して、気まずそうに目を伏せた。
しばし診察室に静寂が降りる。静寂をやぶったのは、ふいの乱入だ。
「ミスミ先生、お客さんですよ」
扉を開けた看護師のカンナバリが、明るい声で重い空気を吹き飛ばした。
カンナバリに案内されて、来客が診察室に入ってくる。その姿を目にして、ミスミは顔をほころばせた。
「おじさん、会いに来たよ」
ミスミといっしょに転落事故に巻き込まれた母子だ。共に苦難の日々を送ったことで、母子には親近感をいだいている。
「挨拶が遅れてすみません。お礼に参りました」と、若い母親は深く頭を下げる。
「体のほうはもう大丈夫なのかい?」
「はい、おかげさまで。まだ少し痛みますが、無理をしなければ家事もできますよ」
負傷から日にちがたつと、再生魔法の効果は弱くなる――むしろ、悪化すると言ってもいい。ケガを負った状態を体がおぼえて、その時点に再生してしまうからだ。再生魔法が通用する期間は、大体三日間。医術者は七十二時間の壁と呼んでいると聞いたことがある。
彼女が受けたのは、活性化魔法による治療だろう。自身の治癒力を活性化させて、回復を早める手法だ。即日効果があらわれるわけではないが、治療を受けたという心理的な安心は存外大きい。
聞いた話によると、旅商人も医術者の治療を受けたとのこと。彼の場合は回復にいたるまで時間がかかるだろうが、やはり治療を受けた安堵で精神的に落ち着いたという話だ。
「本当にありがとうございました。ミスミさんがいなかったら、わたし達は助からなかったかもしれない」
「そんなことないよ、俺はたいしたことはしていない」
「いいえ、ミスミさんのおかげです!」
母親はミスミの手を取り、心からの感謝の意を告げる。前屈みになって寄ってきたことで、豊満な胸のラインがくっきりとあらわになった。
脳裏に洞穴で見た裸体が浮かび、思わず赤面する。
苛立たしげなティオの咳払いを浴びて、しかたなくミスミは照れ笑いしながら手を離した。
「俺のおかげじゃないさ、本当に――」
おそらく何を言ってもわかってもらえないだろう。だから、くわしいことは伝えなかった。
あの場には、人に虐げられながらも人を慈しめる、やさしい鬼がいたのだ。彼のおかげで、ミスミ達は助かった。
最初に違和感をおぼえたのは、枝についた果実が届けられたときだ。果実を届けるだけなら、枝は必要ないはずだ。その理由に気づいたのは、彼の病を知った後――直接果実をもいでしまっては、感染するかもしれないと考えたのだろう。
「運がよかった。それだけだ」
ゆっくりと母子と歓談を交わし、やがて別れのときがくる。
二人を見送りに外に出ると、ミスミの視界にちらりとよぎるものがあった。小粒の真っ白い雪だ。路面に落ちた瞬間、溶けて消えてしまう細雪が天からふわふわと降りそそぐ。
初雪に男の子は無邪気にはしゃぎ、若い母親が穏やかにいさめている。
「危ないところだったな。タイミングがズレてたら、雪のなかでサバイバルしなきゃならんかったぞ」
どこか楽しげに、タツカワ会長が笑えないことを言う。
「そうなってたら、間違いなく死んでましたよ」
雨でも苦労したというのに、雪となると耐えられる気がしない。ミスミは肩をすくめて、空を仰ぎ見た。
本格的な冬の到来を告げるように、分厚い灰色の雲が空一面を覆っている。ちらちらと揺れる白が、やけに目に染みた。
――ふと、考える。
もしミスミ達が地崩れに巻き込まれていなかったとしたら、彼はまだ生きていたことだろう。ひとりぼっちで冬を越すために、どれほどの苦難と対峙しなくてはいけなかったことか。
白く染まった雪山にたたずむ彼の姿を夢想して、ミスミは胸が痛くなった。
死が救いだとは、医者である以上口が裂けても言えないが、せめて安らかに眠ってほしいと――心の底から願った。
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