甘い考え
<1>
「大丈夫ですかねぇ、本当に」
往診を終えて家を出たところで、ドワーフの看護師カンナバリはため息混じりに言った。
古ぼけた民家から、何度も魂を削るような激しい咳の音が聞こえてくる。一つ咳を打つたびに、寿命が何日か縮んでいるのではないかと不安になった。
「あの爺さん、頑固そうだったもんなぁ。おとなしく寝ててくれりゃあいいんだけど……」
ミスミはボサボサ頭をかきながら、民家の奥に広がる農地に目を向けた。
青々と実った菜っ葉類が、整列するように規則正しく植えられている。収穫時期は冬が訪れようとしている、まさに
「まったく、どこの世界でも頑固ジジイは厄介だな」と、ミスミが独特の言い回しで悪態をつく。
カンナバリは苦笑を返して、ゆるりと視線を巡らせた。農地の隣も、所有者の違う農地がいくつも連なっていた。この周辺一帯は、広大な農耕地で占められている。
いまやダンジョン街と呼ぶほうが通りのいいクリステだが、ダンジョンが発掘される以前は農村として栄えた地域だ。街の中心部から外れると、その様相はかつての面影を色濃く残していた。
今回訪れた患者宅は、そんな農耕地の一角にある。彼自身も農夫で、長年畑と向き合ってきた老人だ。
最近体調が悪く、激しく咳き込む姿を目撃した近隣住人が心配して、再三医術者ギルドに行くことを勧めたのだが、まるで耳を貸さず仕事を休む様子もなかったことから、ミスミに診察を依頼したのだった。
ちなみに、なぜミスミのところに話が舞い込んだかというと、医術者ギルドの往診予約が取れなかったという単純な理由からだ。
「何か対策を考えておいたほうがいいかもしれないな」
「そうですね、無理をして病状が悪化しては目も当てられない」
ミスミは腕組して、頭を悩ませながらブラブラと歩き出した。その後ろを、カンナバリはついていく。
ふと視線の端に、農作業をする二つの影を見つけた。姉妹らしき二人の少女が、談笑しながら手際よく収穫作業を行っている。おそらく親の手伝いだろう。微笑ましい光景に、診療所の若い医術者と看護師見習いの姿が重なった。
「あの二人、うまくやってますかね」
カンナバリが口にした二人が、誰を指しているのか一瞬気づかなかったようで、ミスミは呆けた表情を浮かべる。
「ティオ先生とノンちゃんですよ」
「ああ、その二人か」ミスミは笑って肩をすくめる。「あっちは大丈夫でしょ。こっちと違って、絶対にバカな真似はしない」
同日に重なった往診依頼に、ティオとノンを向かわせていた。本来ならミスミが担当すべきは、関わりのあるもう一方の患者なのだろうが、苦手意識があるらしくティオに押しつけた形だ。
カンナバリは覗き込むようにして、ミスミの顔を見た。患者を思い浮かべたらしく、いつもより深く鼻のつけ根にしわが寄っている。
「心配ってほどじゃないけど、あの人に見つめられると何もかも見透かされているような気分になる。相当やりづらいだろうなぁ」
「貫禄ありますもんね」
「まあ、これも勉強だな。せいぜい苦労して診察すればいい」
そう口にしたミスミは、少し楽しそうだった。
※※※
飾りけのない地味な通用門を抜けると、見事に手入れされた広い前庭が待っていた。
ティオは驚嘆で丸くした目を落ち着きなく巡らせながら、玄関戸につながる飛び石に沿って進んでいく。わかりやすい豪華さとはまた違う、上品で慎ましい建築思想がそこかしこに見て取れた。
「ウワサには聞いてたけど、すごいとこだな」
「そうだね……」
素直に感服するティオの隣で、ノンは複雑な表情を浮かべていた。その顔が険しいものに変化したのは、玄関口でばったりと出くわした男が原因だ。
「よお、チビスケじゃないか」
上品な家屋の雰囲気とは不釣り合いな、横柄な態度の若者だった。
ノンは露骨に顔を歪め、隠すことない嫌悪をあらわにする。いまにも噛みつきそうな気配が漂い、ティオはオロオロとうろたえた。
「バロッカ、なんであんたが――」
「親方の見舞いにきて何がおかしい。てめぇはバカか?」
その名前には、聞き覚えがあった。ノンが買われた娼婦館を任されていた男だ。
言い返せず悔しそうに歯噛みするノンを見て、バロッカは嫌みったらしい冷笑をこぼす。
「そういや、ブサイクなツラが治ってるじゃねえか。あのヤブ医者も、たまにはまともな治療をするんだな」
バロッカは軽口を叩きながら、ちらりと隣に視線を流す。
目が合って、思わずティオは身構えた――が、これといった反応はない。小さく鼻を鳴らしただけで、そこに含まれている感情の意味を読み解くことはできなかった。
ミスミ曰く、“ひねくれ者だがそんなに悪いヤツではない”らしい。このわずかな邂逅で、そこまでティオは感じ取れなかったが、ノンが敵視するほど悪い人間ではないのだろう。
「そのツラなら、また雇ってやってもいいぞ。ヤブ医者んとこが嫌になったら、いつでも来いよ」
「行くわけないだろ!」
ノンの怒号を背に浴びながら、バロッカは平然と去っていく。同時に、その声を聞きつけて年若い奉公人が駆けつけてきた。
玄関先で騒いでいたことを詫びて、訪問の理由を告げる。ミスミの名を聞くと、すぐに患者の元へ案内してくれた。
今回の往診患者は、ロウ・ジンエ――娼婦の元締め的立場にいるダンジョン街の裏の顔役だ。
これまでにない大物の診察ということもあり、廊下を進むにつれて緊張が増してきた。心臓が痛いほどに脈打ち、手のひらにべったりと汗が染み出す。
部屋に通されると緊張はピークに達し、声を発するのに少し手間取った。
「は、はじめまして、ミスミ診療所から来た医術者のティオです」
震える声に呆れ気味の視線を送り、ノンは軽く会釈する。
ベッドで横になっていた老人が、手を借りてノロノロと上体を起こした。その拍子に激しく咳き込み、慌てて奉公人が背をさする。
本来なら医術者として無理をしないように伝えなくてはならないのだが、とっさに言葉が出てこず、黙って見ているしかなかった。
ロウは想像していたタイプとはまるで違う、痩せこけた小柄な老人だった。短く刈り揃えたゴマ塩頭の下で、鋭い目がギョロリと向いている。
「ミスミんとこの若いのか。あの野郎はどうした?」
ロウの声はひどくしゃがれていた。元々かすれ声ではあるのだろうが、身に患った病により悪化したものと思われる。
その証拠に、呼吸のたびにヒューヒューとノドが鳴っていた。
「今日はもう一件往診がありまして、ミスミ先生はそちらに行っています」
「あの野郎、逃げたな」
当初担当する患者は逆の予定であったが、ミスミの妙な言い分で直前に取り換えたことを思い出す。逃げたというと語弊はあるが、担当をさけたいと思う何かがあったのは確かだろう。
テイオは曖昧に笑ってごまかし、話を進める。
「わたしでは頼りないでしょうが、診察させてもらいます」
「そんなこたぁねえよ、ミスミよりも信頼できる。任せたぞ、お嬢ちゃん」
ここでも“お嬢ちゃん”扱いに複雑な気持ちになりながら、ティオは診察を開始する。
体温と脈拍を測り、簡単な問診を済ませると、上着を脱いでもらって胸部の検診に取りかかった。痩せた身体に浮き上がったアバラ骨が、呼吸のたびに大きく上下している。
肺に問題があることは、すぐにわかった。胸に手を当てると、横隔膜の脈動を強く感じる。
「なあ、こいつは……」そこで一旦区切り、取り出した懐紙に痰を吐いてから話をつづける。「ひょっとして労咳というやつかい?」
労咳――またの名を、肺結核という。感染症の一種で、肺の炎症にはじまり他の臓器にも害を及ぼす死亡率の高い病気だ。
空気感染の恐れがあるため、
活性化魔法で完治した記録はあるが、その数はけっして多くない。治療の難しさから、医術者を悩ませる深刻な病気だ。
「現段階で違うとは言いきれませんが、可能性としては低いと思います」
「ひとまず安心してもいいってことか」
「そうじゃないです。たとえ労咳でなくとも、安心というわけではありません。安静にしていてもらわなければ困ります」
最後のセリフは、奉公人に向けたものだった。無理をしないように監視して、看護の必要があった。
奉公人が神妙な顔で深くうなずくと、それを見たロウは面倒そうに眉をひそめて――また咳き込む。
「一応活性化魔法をかけておきますが、これで治るとは思わないでくださいね。絶対安静が回復の条件です!」
だいぶ慣れてきたこともあって、当初の遠慮はすっかり消え、ティオは強い口調で言い放った。
ロウは声を出さずに笑う。おそらく声を出すと苦しいのだろう。
「やっぱり、ミスミより信頼できそうだ」
やるべきことはすべて終えて、ロウの住居を後にする。
診療所への帰り道――偶然にも同じく往診を終えて戻ってきたミスミ達と、ばったり出くわした。
「よお、どうだった」と、含み笑いを頬に溜めたミスミが声をかけてくる。
「もっとおっかない人だと思っていたんですが、案外気さくで協力的だったので助かりました」
途端にミスミは真顔になる。
「なんだよ、あのジジイ。俺のときとはずいぶんと違うじゃないか。若い女が相手だと、甘くなんのかよ!」
以前よほどきつく当たられたのか、ミスミは本気で憤慨する。
それに同調するように、ノンがぼそりとつぶやいた。
「アタシ、あいつ嫌い……」
診察の手伝いをまったくしようとしなかったことから、様子がおかしいとは思っていたが、ロウに悪感情を抱いていたのなら納得できる。まだ店に出る前だったとはいえ、一度は娼婦として買われたノンはいろいろ思うところがあるのだろう。
医術者と対面する顔と、娼婦に向ける顔が違うということも考えられる。体調によって人は態度に変化があらわれるのも珍しくない、今回はたまたま従順だったとも考えられる。
だが、そんなことはノンにとって問題ではないのだろう。静かに怒りをたぎらせる背中を、カンナバリがねぎらうようにやさしくなでていた。
「で、ロウの病気はなんだったんだ?」
「これと断定するのは難しいですね。ミスミ先生の意見が聞きたいです」
「とりあえず、嬢ちゃんの見立てが知りたい。気にせず言ってみな」
ティオは上目遣いにミスミを見ながら、ためらいがちに口を開く。
「たぶん……肺炎じゃないかと」
ミスミは一瞬驚きをよぎらせたが、すぐに意味深な笑みを浮かべた。
「そいつは奇遇だな」その声は、なぜか少し楽しそうだった。「こっちの爺さんも、“肺炎”だ」
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