<3>
診療室に入ってきたのは、白衣をまとったひょうひょうとした風貌の男――ダンジョン街のヤブ医者ミスミだ。
集った面々をいぶかしげに見回し、ボサボサ頭をかきながらベッドを覗き込む。
横たわったマイトの姿を見つけると、途端に鼻のつけ根にしわが寄った。説明を求める視線が、すぐさまティオに向けられる。
「えっと、マイトくんがお腹が痛いと言って――」簡潔に状況を説明。流れでエレノアの紹介もする。「あの彼女は、新しく医術者ギルドに入った新人で――」
「知ってる。大病院の箱入り娘だろ。結構な腕前らしいじゃないか」
ミスミと医術者ギルドの交流は、ほとんどない。おそらくダンジョン管理組合のタツカワ会長あたりに話を聞いたのだろう。
そこで、はたと思い出した。ミスミが診療所を空けていた理由を。
「会長さんの治療は終わったんですか?」
「ギルドの医術者が来たんで、任せることにした。カンナさんは治療後にマッサージするってんで、あっちに残ってる。カンナさんはマッサージが得意だからな」
カンナバリに肩や腰をもんでもらっているミスミの姿を、何度か見たことがある。一度だけティオもダンジョン潜りで疲労の溜まった体をマッサージしてもらったことがあるのだが、気持ちいいと感じる間もなく寝入ってしまい、よくわからなかった。ただ目覚めたとき、驚くほど体が軽くなっていたので、その実力は確かなのだと思う。
とりあえずタツカワ会長のほうは心配ないようだ。不安なくマイトの虫垂炎に集中できる。
「あの、ミスミさん……」
わずかに緊張のこもった声で、エレノアが呼びかけた。
ミスミに向ける視線には、どことなく推し量るような様子が見て取れる。
「どうして、わたしの魔法が効かなかったのかわかりますか?」
「そんなもん、アレだ」ミスミはわずかに首をすくめて、ニヤッと無精ひげの生えた口元をゆるめた。「俺に魔法のことが、わかるわけないだろ」
思わぬ肩すかしをくらったようで、エレノアはキョトンとして何度も目を瞬かせた。
そんな状況ではないとわかっているが――ティオはこっそりと声を殺して笑う。
「まあ、魔法のことはわからんが、病気のことは少しはわかる。おおかた魔法では浄化しきれないほど、溜まった膿が多いんだろう。こんなになるまでガマンするなんて、本当にバカなヤツだ」
呆れ気味にもらし、ミスミはボサボサ頭をかいた。
ガマンすればいいというものではない。痛みを感じたときは、即刻報告するように説教しなければとティオは決心した。
「それにしても、病院にいたのなら似たような状況に遭遇してもよさそうなものなんだがな。お嬢ちゃんはよっぽど大切に扱われていたのか――厄介な患者に当たらないように、調整してくれていたんだろうな」
「なッ!」と、言葉にならない憤慨が口からこぼれる。過保護に扱われていたと思われるのは、プライドの高いエレノアには心外だったのだろう。彼女の顔は強張り、見る間に赤く染まっていく。
ミスミに悪気はないとフォローしたいところだが、いまはよけいな言葉をはさめる雰囲気ではなかった。
「とにかく、すぐに開腹手術を行う。ノンは手術室の消毒と道具の準備。シフル、手伝ってやってくれ」
「了解、センセェ」と、ノンは手術室に向かう。シフルーシュも指示に従い、後を追った。
「ダットンはマヒ魔法を頼む。ゴッツは手術室の消毒済んだら、マイトを運んでくれ」
「わかった」と、ゴッツが答える。ダットンはうまく返事ができなくて、口をパクパクと動かしていた。
「それで、嬢ちゃんは――」
その言葉に反応したのは、二人。ティオだけでなく、エレノアも顔を上げた。
エレノアはむくれ顔ながらも、行動しようという意志を見せる。いろいろ思うところはあるだろうが、彼女も患者を救いたい気持ちは同じなのだ。
「下の毛を剃れ」
「……は?」
意味がよくわからなくて、ティオはぎこちなく首をかしげる。エレノアは困惑して、「えっ? ええっ?」と何度もつぶやいていた。
「手術のジャマだから、きっちり剃毛しておくように。これは立派な医療処置だ、恥ずかしがることはないぞ。――じゃあ、俺は準備してくるんで、やっておけよ」
言うが早いか、ミスミは二階の自室に消えた。おそらく着替えにいったのだろう。
残されたティオは、どこまで本気が判断できず固まっていた。おそるおそるエレノアが覗き込んでくる。
「先輩、やるんですか?」
「う、うん、ミスミ先生の指示に従わなきゃ……」
「あー、俺がやっとこうか?」
女医術者を不憫に思ったのか、ゴッツが半笑いで申し出る。からかわれていると思ったようだ。
「ありがとう。でも、わたしがやる。や、やらなきゃいけない――と思う」
ティオは覚悟を決めると、片刃の薄いナイフを用意してマイトに向き合った。
震える手がズボンをつかみ、思い切ってヒザ下までずらす。汗のすえたにおいが、ツンと漂ってくる。
「エレノア、動かないように体を押さえておいて」
「本当にやるんですね……」
エレノアはなるべく局部を見ないようにしながら、体重をかけてマイトを固定した。
対してティオは見ないというわけにはいかないので、あまり意識しすぎないように意識しながら、なんでもないことだと自分に言い聞かせてナイフを手に取る。
ゴッツとダットンが微妙な表情で見守るなか、セッケン水をなじませて丁寧に剃毛していく。少し力んだことで小さな切り傷ができたが、誰も何も言わなかった。この異常な状況に口出しできず、ティオも含めて全員が見て見ぬふりをする。
「これって、裏側もやったほうがいいのかな?」
「知りませんよ、そんなの!」
わからなかったので、一応やっておく。やりすぎてダメということはないだろう。
そうして、マイトの局部周りがツルツルになった頃、手術室の準備が整いゴッツの手で運ばれていく。下半身丸出しのままで。
「どうだ、ちゃんと剃ったか?」
手術衣に着替えたミスミが、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて戻ってきた。
「はい、やりました……」押さえきれない苛立ちが声に混じり、ティオはぶっきらぼうに答える。
「そうか。じゃあ、さっさと手術といこうか。――手早く片づけてメシにしよう。特別におごってやるよ、銀亀手の安ランチだけどな」
その宣言通り、手術はあっさりと終わる。慣れた様子で開腹し、支障なく虫垂を切除した。
開いた傷口の縫合は、回復魔法の出番だ。ミスミは手術台横の執刀位置をティオにゆずる。
「早く終わらせろよ、腹ペコなんだ」
そのまま手術の経過を見届けることなく、ミスミは一足先に手術室を出ていってしまった。
後を任されたティオは、口の中で吐息を混ぜ合わせた呪文をつぶやく。放たれる再生魔法によって、傷口はじわじわとふさがっていった。
「正直、よくわからなかった」
手術を見学したエレノアが、ぽつりとこぼす。
彼女ははじめて見る外科手術に抵抗を感じていたようだが、最後まで目をそらさず付き合っていた。
「どうして、ティオ先輩が魔法を使えない医者に師事しているのか、まったく理解できなかった。でも、いまの手術を見て、少しだけわかったような気がします」
「うん、ミスミ先生はすごいんだ。わたし達医術者とは違うアプローチで、病気の治療をする。魔法を使えなくても、病気によっては魔法以上に秀でた手法を見せてくれる。ちょっと変な人ではあるけど、いっしょにいてとても勉強になるよ」
目を輝かせて熱弁するティオに、エレノアは苦笑する。
「確かにすごかったです。だけど、これは医術者の領分ではないとも思いました」
「えっ?」
それは、思いもよらない言葉だった。ティオは考えもしなかった視点だ。
「体を直接切って病巣を取り除く――理屈はわかります。ある意味合理的だと感じました。でも、同じことを医術者がやるべきじゃない。医術者は医術者ができる方法で病気に向き合わなければ、医術の発展が途絶えてしまう」
医術者であっても、場合によっては外科処置を施すことはある。ただし、それはあくまで補助的なもので、ミスミのように直接的な治療とは別物だ。
改めて考えると、エレノアの意見もわからないわけではなかった。魔法では治療が難しい症状だからといって、そこであきらめてしまうと永遠に先へは進めない。後の世につながる治療に適した魔法の改良も、医術者の使命の一つだった。
「まあ、これはわたしの考えにすぎません。ティオ先輩は自分の思うようにやるのがいいんじゃないですか」
「うん……」
患者を救えるのなら、方法にこだわっていなかった。だが、それだけではダメなのかもしれない。
このときからティオは、医術者と医者のあり方について、考えるようになるのだった。
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