<2>
自分から名乗りを上げただけあって、エレノアの手際は見事なものだった。素早く症状を判断し、的確に回復魔法を使い分ける。
魔法の技量も高く、新人とは思えない腕前を見せた。回復魔法の
対してティオはというと、慎重で丁寧なのはいいが、とにかく治療に当たるまでの前段階で手間取っていた。判断が遅いうえに、ムダが多いのだ。この点に関しては、ミスミにもよく注意されていた。
場合によっては一刻一秒を争うこともある医療現場で、判断の遅さは致命的な問題となりうる。
けっしてティオの診断力が劣っているわけではない。ただ失敗を恐れるあまり、あらゆる可能性を探って注意深く診察する傾向があった。切羽詰まった状況に陥らなければ、うじうじと思い悩んで決断を下せない性格なのだ。
「この人、早ッ」エレノアの治療を見て、ノンは目を丸くする。「それに比べて、ティオ姉ちゃん遅ッ……」
よけいなお世話だ。ティオはむくれて、恨みのこもった視線を向けた。
手際が悪いのは百も承知――改善すべき問題点だと、誰よりも自分でわっている。どう改善すればいいのかは、皆目見当もつかないが。
「わたしの家は代々つづく医術院を営んでいて、昔から仕事を手伝っていたんです。だから、診療には慣れてるんですよ」
抑えきれない自尊心が、エレノアの頬に宿っていた。口角が上がり、得意げな表情を形作っている。
「へえ、医術のエリートってわけだ。ティオ姉ちゃんの家は、どうなん?」と、ノンが何の気なしに聞いてきた。
「うちは、ただの木工職人……」
「職人の娘が、どうして医術者になんかなろうとしたの?」
医術院の娘と比較されるのは嫌なので、早々に話を打ち切りたいところなのだが――なぜかノンは、やけにつついてきた。
エレノアの視線が気になる。興味があるのか、治療を受けるゴッツの背後からダットンも身を乗り出していた。
しかたなくティオは、ため息混じりの言葉を紡ぐ。別段面白いわけでもない昔話だ。
「勉強を教えてもらっていた先生に、医術者の素養があると言われてその気になっただけだよ。両親は……特に父は最後まで反対していて、たぶんいまも反対している。地元の医術者ギルドじゃなくて、ダンジョン街のギルドに世話になってるのは、そういうこと」
「反対するような仕事じゃないと思うけどな」
「医術者は、治療に成功すると感謝されるけど、失敗すると恨まれたりもするから。そういうのを心配してたんだと思う」
不当な憎悪を向けられる医術者を知らないわけではない。明日は我が身と恐ろしくなることもある。それでも医術者になりたかったし、なってよかったとも思っている。
父の真意はわからないが、無理を通して医術者になったのは間違っていなかったと心の底から言えた。
「ティオ姉ちゃんも、いろいろあったんだね」妙に神妙な顔つきで、ノンはしみじみともらした。「そうなると、エレノア姉ちゃんはなんで実家じゃなくて、こっちに来たんだ?」
エレノアは“姉ちゃん”呼びに少々面食らったようだが、小さく咳払いをして切り替えると、ちらりと目線を前に向けた。ようするに、治療中のシフルーシュを見たのだ。
それは治療に集中するためではなく、目の前の人々に意識を向ける行為であった。
「ずっと、環境を変えて修行したいと思っていたんですよ。実家ではどうしても甘えてしまいますから」尊大なわりには、殊勝な心がけである。「そのことを話すと、元冒険者の叔父が、ダンジョン街の医術者ギルドを紹介してくれたんです」
元冒険者という言葉に、冒険者達は注目する。引退した同輩の生活に関心があるようだ――が、身内であるエレノアはまったく関心を持っていない。
「へえ、そうだったのか。医術者ギルドと話をつけられるってことは、名うて冒険者だったのかい?」
「さあ、興味がなかったのでくわしくは知りません」
わずかに眉をひそめて、エレノアはにべもなく言った。
うろたえて目を瞬かせるゴッツに、肩をすくめたティオが苦笑を送った。
「そういえば、ティオ先輩は冒険者もなさっているんですよね。意外とアクティブなんですね」
「いやぁ、半ば無理やり付き合わされてるだけなんだけど……」
その無理やり引き込む当人は、まだ便所から戻ってきていない。ずいぶんと苦労しているようだ。ただの腹痛というわけではないのかもしれない。
ゴッツ達の治療が終わったら、診察したほうがよさそうだ――そんなことを、ぼんやりティオが考えている間に、隣でシフルーシュを治療をするエレノアが回復魔法を放っていた手を下ろした。
「はい、あなたの治療は終わりです」彼女の目は、診療室の隅に移る。「そちらの長髪の方、次はあなたの番です」
「えっ、ぼ、ぼくは、ティオさんに、ち治療してもら……」
「ティオ先輩はまだ手が離せないようなので、わたしが代わりに治療させてもらいます。さあ、どうぞ」
わかりやすく取り乱すダットンであったが、エレノアの有無を言わせぬ圧に屈して、オドオドと目を泳がせながらシフルーシュと入れ替わった。
仲間内ではさすがに落ち着いてきたが、初対面のエレノアではそうもいかない。極度の人見知りであるダットンの治療は、エレノアも手こずることになる。
それでも、これまで通り素早く的確な診断を行い、テキパキと治療を進めていく。たびたび会話がとどこおるので、その都度つっかえることになるのだが。
――結局、エレノアがダットンの治療を終えたのは、ティオがゴッツの治療を終えるのとほぼ同時だった。
そして、診察室の扉が開かれたのも、ほとんど同時。青ざめた顔を汗でべっとりと濡らしたマイトが、よろよろと入ってくる。くっきりとした太眉をハの字に落とし、右下腹部を押さえていた。
「全然出なかった……」
「ちょっと大丈夫?」
シフルーシュが手を貸さなければ、そのまま倒れ込みそうな状態だった。
ティオとエレノアは顔を見合わせて、どちらともなくうなずく。両医術者の認識は、同じ――この腹痛は病によるものだ。
「シフル、マイトくんをそっちのベッドに連れていって。横になったほうがいい」
「えっ、ああ、わかった」
まだ状況の深刻さに気づいていないシフルーシュは、少し乱暴に腕を取って引っ張り、マイトを診療室のベッドに寝かしつけた。
かなり痛むようで、マイトは強張った体をねじり、小刻みに震えている。
「マイトくん、どこらへんが痛いの?」
呼びかけても返事はない。その代わりに、つねに右下腹部を押さえているので痛む場所はすぐに判別がついた。ティオは上着をまくり、ズボンをずらし、多少強引に手を割り込ませた。
日々の冒険によって引き締まったしなやかな肉体とは、わずかに違う質感を指先に感じる。
「体温が高いですね。発熱しているようです」
額に手を当てたエレノアが冷静沈着に報告する。
「右下腹部に腫れがある。たぶん炎症を起こしているんだと思う」
ティオも患部の状況を報告。二つの症状を合わせて、導き出した診断は――
「
ティオとエレノアは声を重ねて言った。
聞きなれない言葉に、冒険者達は首をかしげる。「それって何さ?」と、代表してシフルーシュがたずねた。
「虫垂炎は大腸の突起した部分が細菌に感染して、炎症を起こす病気。“盲腸”と言ったほうが一般的かな」
早く処置しないと盲腸が破れ、たまった
「ああ、盲腸か。聞いたことある」
聞いたことはあっても、あまり危険な病気という認識はないようだ。ゴッツは重く受け止めることはなく、ノンキに納得している。ダットンも似たような反応だ。エルフのシフルーシュにいたっては、“盲腸”自体にピンときていないようだった。
虫垂炎は珍しい病気ではない。魔法学院のロックバース・ケイラン教授によって、ちらす治療法も確立されている。虫垂炎に特化した活性化魔法による治療――毒物治療の延長線上にある技術だ。
危険ではあるが、適切に処置すれば問題なく治すことができる。それが、ゴッツ達を楽観的に構えさせるのだろう。
「状況から見て、急性虫垂炎だね。すぐに治療にかからないといけない」
「じゃあ、ささっとやってよ、ティオ」と、シフルーシュは簡単に言う。
治療法があるといっても、できるかどうかは別問題だ。ティオは学生時代に実習で治療を経験したことがある。ただし、その一度きりの経験で、いざ治療するとなると不安はあった。
だが、不安はあっさりと解消することとなる。
「虫垂炎の治療なら、医術院で何度もやってきました。わたしがやりましょうか?」
声色に彼女独特の誇らしげな調子が混じっていた。
ティオはためらうことなく頼った。悔しい思いがないといえばウソになるが、患者を救うことが最優先だ――と、自分に言い聞かせて。
「お願いできる?」
「はい、任せてください。では、さっそく――」
エレノアは患部に手をあてがい、小声で呪文を唱えはじめた。じんわりと熱波が放出されていく。
ティオは固唾を飲んで見守る。仲間達も周囲に集まり、様子をうかがっていた。
どれくらいたった頃だろうか――ずいぶんと長いこと治療をつづけていたエレノアが、舌打ちと共に打ち切った。
苦し気に荒い息をつくマイトに、改善した気配はない。
「えっと……どうなったの?」
「わからない。いつもなら、とっくに治ってるはずなのに……」
エレノアの顔に困惑が浮かぶ。出会ってからはじめて、彼女から高慢な態度をはがれていた。思うようにいかない焦りと苛立ちで、自信にあふれていた表情が歪んでいく。
釈然としないようで、手のひらを濡らす汗を拭って、もう一度魔法を唱えてみる。真剣な横顔に、焦燥が紅潮としてあらわれていた。
その結果――何も変わらなかった。
血がにじむほど唇を噛んで苦痛に耐えるマイトに変化はない。回復の兆しすら見えてこないのだ。
「なんで? どうして?!」
思わずエレノアの声が跳ね上がる。これまでの落ち着き払った姿勢を崩し、感情のままに荒々しく苛立ちを吐き出す。
「落ち着いて、エレノア。魔法がダメなら、他の方法を考えましょう」
「ほ、他って……いったい何をすれば……」
ティオは大きく息を飲んで、ちらりと苦しむマイトに目をやった。ためらっている時間は、もうない。
「患部を直接切り取る。手遅れになるまえに、病巣を取り除いてしまわないと」
「正気ですか! 切り取るなんて医術者がやることじゃない。そもそも先輩にできるんですか?」
「やったことはないけど、やってみるしかないよ。できないなんて言ってられない!」
不安を押し込めて、ティオが決断を下したそのときだった。
「そんなとこに集まって、何やってんだ、お前ら」
待ちに待った救世主――いや、救命医が帰ってきた。
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