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「ここが、あんたの仕事場?」

「そうだ」ミスミは、扉前で躊躇したノンの背中を押す。「さあ、遠慮せず入りな」


 諸々の後始末を終えた数日後――ミスミは診療所にノンを呼んだ。当初治療を拒んでいたノンだが、状況が変わったことで応じざるをえない境遇となり、見るからにしぶしぶながらも診療所にやってきた。

 扉を開けてミスミが先に入ると、少し遅れてノンも足を踏み入れる。緊張によって顔が強張り、右側面の腫れを一層際立たせていた。


「あら、患者さんですか?」


 今日も閑古鳥が鳴いている診療所の待合室で、のんきに編み物をしていたカンナバリが声を上げる。診察室で資料整理をしていたティオも、その声を聞いて顔を出した。

 ノンは反射的に身構えるが、ドワーフ看護師の人懐っこい笑顔にほだされて、次第に肩の力が抜けていく。


「あー、だいぶ腫れちゃってますね」と、覗き込んだティオが見たままのことを言った。

「嬢ちゃんの所見は?」

「炎症による腫れでしょうか。雑菌感染だと思うのですが、侵入経路となるような傷は見当たりませんし、頬の内側に問題があるんじゃないかと……」


 ミスミを上目遣いに見ながら、自信なげに答える。


「そうだな。傷は内側にある」


 同じ見解であったことに喜色を浮かべたティオは、小さくガッツポーズを作った。その様子を、ふてくされた顔でノンが見ている。


「カンナさん、手術の用意を頼む。こいつの手術をする」

「えっ、手術?!」その言葉に、ノンはブルッと体を震わせて反応した。「ちょっと待った。魔法とか、薬でどうにかするんじゃないの?」

「医術者に診てもらってもダメだったんだろ。魔法じゃ、治療できないんだよ。薬でもな」


 ムッとへの字に唇を結んだノンは、目に不服を宿すが反発の言葉は出てこない。自制したわけではなく、理解が及ばなくて具体的な反抗理由を見つけ出せないといった感じか。

 そんな状況を察したわけではないだろうが、ティオが病状の原因を追究した。結局のところ、ノンが知りたかったことはそこだ。


「ミスミ先生、内側ということは口腔に病巣があるんですか?」

「むこうで軽く見てみたが、目が届く範囲に創傷は見当たらなかった。そうなると、目の届かない場所に原因があるってこと、つまり――歯だ」


「歯ァ!?」と、ノンは素っ頓狂な声を上げる。

 カンナバリが肩を震わせて、こそっりと笑っていた。


「確かに歯も痛いけど、もっと奥のほうに強い痛みがあるんだけど」

「その奥に、埋もれている歯が原因ってこと。“親知らず”だよ」

「オ、オヤシラズ?」


 初耳だったようなので、ティオが簡単に説明する。

 ――親知らずは、奥歯のさらに奥に生えてくる歯のことだ。永久歯によって余白のない状態で生えてきた場合、露出方向がいびつになり、虫歯や歯周病、歯肉が炎症を引き起こす原因となる。

 本来親知らずは十代後半以降に生えてくるものだが、ノンのケースは早すぎる発芽によって通常よりも誘発した症状が顕著になったのだと推察される。


「それをどうにかしたら、この腫れが治んの?」

「まあな。ちょっとばかし手間がかかる手術になるが、完治すれば元に戻る。手術は怖いか?」

「……別に、怖くはない」ノンはわかりやすく強がってみせた。「わかった、やるよ。アタシは先生に買われたんだ、文句を言える立場じゃない」


 さらりと言った少女の事情に、ティオはギョッとして目をむいた。カクカクとアゴを震わせながら、ミスミとノンを交互に見る。

 よけいなことを言ってくれた――ミスミはボサボサ頭をかいて、不審に溢れた目線をさける。


 実際のところ、ノンを買ったというのは語弊がある。表向きはミスミが娼婦館から買い上げたことになっているが、その代金の出どころはアゲハであった。ノンの行く末についてバロッカに相談すると、アゲハに未払いの給金があって、それを身代にあてることで自由になるよう手を回してくれたのだ。顔を腫らしたノンが、安価で売り買いされていたからこそ行えた奇策だった。

 このことについて、ちゃんと説明したはずなのだが、うまく伝わっていなかったようだ。どういうわけか、ノンはミスミがすくい上げたのだと勘違いしている。


「あー、うん、いろいろ言いたいこともあると思うが、とりあえず説明は後にするとしよう。いまは手術に集中だな」


 これみよがしに独りごちて、一足先に手術室へ飛び込む。テキパキと準備を進めて、女達が無駄口を叩けないように先手を打っていった。


「さあ、はじめるか」有無を言わさずノンを手術台に座らせる。「カンナさん、身動きできないように、後ろから羽交い絞めにしておいてよ」 

「ええっ、そこまでしなきゃダメなの?!」

「嬢ちゃんにマヒ魔法をかけてもらうが、まあ、うん……」


 用意された手術道具に目を向けて、ノンは青ざめる。メス代わりのナイフに、キリとノミ、ハンマーにペンチまであった。まるで大工道具だ。

 これから行われる手術を想像して、思わず尻が浮く――が、すかさず逃げ出さないように、カンナバリの手がしっかりと肩を押さえた。


「お前さんの親知らずは、埋没した状態で奥歯の根を圧迫する形で生えている。切開して削って抜いて、全部取ってしまわないとダメだ」

「切って、削って、抜いて――」


 恐怖でノンは顔がひきつり、腫れた頬がプルプルと震えた。カンナバリの拘束で封じられているが、少しでも手がゆるめば逃げ出しそうだ。

 ミスミはあらかじめ釘を刺しておくことにする。


「なあ、ノン。お前はアゲハに夢を託されたんだぞ。臆病風に吹かれて、ここで逃げるとは言わないよな」

「ウッ、姐さんを引き合いに出すのはずるいぞ」


 合図を送ると、カンナバリは背後から腕を回してノンの体を固定する。そのまま手を額とアゴに添えて、力任せに口を開放させた。

 どうにもすっきりしない顔ながら、ティオがマヒ魔法を唱える。


「あっ、そうそう言い忘れてたけど、俺に口腔外科の経験はない。少し手こずるだろうけど、そこは勘弁してくれ」

「そーひゅうのは、さひにいへ、やぶいひゃ」


 何を言っているのかさっぱりわからないが、悪態であることはわかる。

 ミスミは苦笑して、メスを手に取った。


「では、手術を開始します」

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