505.多神教と、総合教会。
「僕に親はいません。『総合教会』の孤児院で暮らしています」
犬耳の少年バロンくんは、笑ってそう言った。
バロンくんは、衛兵隊の下働きをしばらく休んで、俺を手伝ってくれることになった。
ユーフェミア公爵のはからいによるものだ。
ご両親に挨拶をしたいと思って訊いたのだが、この子に身寄りはないようだ。
『総合教会』の孤児院にいるということなので、成人したら出て行かないといけないのだろう。
だから衛兵隊で下働きをしていたのかもしれない。
少し話を聞いてみたが、この街には『総合教会』が運営している孤児院があって、今は十六人の孤児が暮らしているらしい。
牧師は一年前に亡くなって、現在はシスターが一人で運営しているとのことだ。
ちなみに孤児院は、他にも領立の孤児院があって、この街には二つの孤児院があるらしい。
領立でないバロンくんの孤児院にも街からの補助はあるようだが、運営は楽ではないようだ。
バロンくんの服装を見ると、そんな印象を受けた。
着古した擦り切れた生地の服なんだよね。
バロンくんは十四歳で、孤児院では一番年上とのことだ。
バロンくんが衛兵隊で下働きをしても、小遣い程度の賃金しか得られないが、それも孤児院の子供たちの食費に当てているそうだ。
教会に寄進してくれる人は、多くなく、教会本部からの資金提供はほとんどないらしい。
ユーフェミア公爵の話では、この国では初代コウリュウド王の頃から政教分離という考え方があって、教会はあまり大きな力を持っていないらしい。
教会が国政にかかわるということも、基本的にないそうだ。
特殊なお告げや神託があった時のみ、情報を提供するという程度しか関われないようになっているそうだ。
ただユーフェミア公爵が言うには、それゆえに教会が関係した腐敗もあまり発生したことがないらしい。
そんなこともあり、教会自体は力を持っていないとはいえ、神聖な存在として国民の心の拠り所としての地位を築いているとのことだった。
そして、教会自体の力がないために牧師やシスターになることについては、うまみというものがほとんどなく、欲深い者はなろうと思わないらしい。
そういうこともあって、教会自体が問題を起こす事はほとんどなく、宗教によって政治が惑わされるということも、この国では発生しにくいらしい。
周辺の国には、宗教国家があって特定の宗教のみ保護していたり、教会が権力を持っていて政治と大きく関わっている国もあるそうだ。
この世界というか……『コウリュウド王国』を含め周辺国では、多神教が一般的らしい。
ただ、特定の神のみを信じるという国もあるし、他の神を認めないという一神教的な宗教もあるそうだ。
宗教自体もいくつかあるようだが、多くの宗教は、主神とする神が決まっていても、他の神についてもある程度認めていることが多いらしい。
それは語り継がれてきた神話が、多くの神々が登場するものがほとんどで、様々な神様がいるという発想が自然と根付いているからだそうだ。
伝承によれば、神々が実際に人と交流していた時代もあったとされているようだ。
だが現代では、神が姿を現すということはないらしく、会うことのできない信仰の対象というかたちになっているらしい。
それでも、個性溢れる神々がいる多神教の影響で、神の存在自体は身近なものとして人々に捉えられているようだ。
実際に神様に会えたら、もっと身近に感じられて楽しいだろうけどね。
“会いに行けるアイドル”ではないが……“会いに行ける神様”みたいな感じで……。
だが……よくよく考えてみると、『大精霊 ノーム』のノンちゃんは、事実上神様みたいな扱いをされている存在らしいから、俺はすでに神様に会っちゃってるといえるかもしれない。
ちなみに現代は、『お隠れの時代』とも言われているらしい。
歴史学者によると……長い歴史を分析すると、神々が頻繁に人々の前に現れる時代とほとんど現れない時代があり、それが繰り返されていると考えられているらしい。
神々が頻繁に現れる時代を『闊歩の時代』、神々がほとんど現れない時代を『お隠れの時代』というそうだ。
一定の周期があるという説もあるらしいが、古い時代の資料は多くは残っておらず、そこまでの確認はできていないらしい。
王立研究所には、歴史を専門に研究する研究員が何人もいるらしい。
『歴史学』という学問の分野も確立されていて、精通している者は歴史学者とも言われているそうだ。
『コウリュウド王国』では、宗教組織といえるものは、事実上『総合教会』だけのようだ。
『総合教会』は、多神教であり様々な神を崇めるかたちになっているが、総合教といえるような経典のようなものは、厳密にはないらしい。
宗教組織が『総合教会』しかないということは、事実上この国の宗教は総合教ということになるのかもしれないが、人々にはあまりそういう意識はないようだ。
なんとなく、日本の神道と似たような感覚かもしれない。
どうも、人々はそれぞれにお気に入りの神様がいたりするようだ。
そして『総合教会』に行けば、自分のお気に入りの神様に感謝をしたり、お願いしたり、祈ったりということができて、信心深い人は繁く通うし、そうでない人も気が向いたら行くらしい。
まるで日本人が試験に臨むときに合格祈願に行ったり、普段はあまり意識しないが初詣だけには行くというような感覚に似ているのかもしれない。
『総合教会』は、ある意味、神様の集合住宅みたいな感じで、そこに行けば自分のお気に入りの神様に祈ることができて、便利な存在なのかもしれない。
神様に対して便利というのは不謹慎かもしれないが……。
まぁ実際は、神様に対してというよりは、『総合教会』に対して便利と言っているんだけどね。
ある意味ユーザーフレンドリーだよね。
政教分離が根付いていることもあり、『総合教会』はあまり力を持っていないし、国も積極的に介入もしないし、積極的に資金も提供していない。
基本的にいいことだと思うが、この唯一の弊害というか問題点としては、地方の市町にまで教会の整備が及ばないという現状があるらしい。
お金も人もなければ、なかなか地方までは手が回らないわけだよね。
もともと牧師やシスターを目指す者が少ないので、ピグシード辺境伯領やヘルシング伯爵領のように国境付近の領地には、教会が整備されていないのだ。
建物としての教会があっても、運営する牧師やシスターがいないという教会は結構あるらしい。
地域の人たちが自主的に掃除などをして、祈りたいときに来て祈るという感じの……無人教会みたいなところが結構あるようだ。
ピグシード辺境伯領でも、総合教会があるというのは知っていたが、確かに教会としてはほとんど機能していない感じだった。
俺のイメージでは、貧しい人のために炊き出しをしたり、孤児院を運営したりというのが教会の活動のイメージだったが、そういう活動はほとんど見られなかったからね。
ヘルシング伯爵領の各市町にも教会自体はあるのかもしれないが、なにも印象に残っていない。
今までは、特に教会の存在を気にしていなかったということもあるかもしれないけどね。
ピグシード辺境伯領でもヘルシング伯爵領でも、教会が運営する孤児院という話が出たことはなかったから、教会の建物だけあっても、まともに活動できている教会はなかったのかもしれないね。
その点、セイバーン公爵領は、国境に接する領とは言っても、公爵領であり、豊かであり、人口も多いから、『総合教会』の整備も整っているのかもしれない。
もちろん、『総合教会』の運営には領は関わらないわけだが、豊かで人口が多い場所なら寄進も集まるだろうし、教会本部が力を入れるのも自然なことだろう。
それ故に、セイバーン公爵領の中では小さな『セイセイの街』にも、教会があり、牧師がいてシスターがいて、孤児院もあったのだろう。
ただ、牧師が亡くなって一年たっても、新しい牧師が赴任していないというのは、やはり人材が少ないんだろうね。
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