師匠、野党団と戦う

第2話 いつもと同じ朝食

 いつもの朝が始まる。


 僕は目を覚ますと目をこすりながら自室の窓を開けた。

 外はまだ日が完全に昇りきっておらず、森の外の地平線が白んでいる。朝霧が部屋の中に流れ込み、森の匂いに満たされる。と同時に冷気も入り込み、僕は少しだけ身震いした。


 僕は窓を閉めて寝間着から動きやすい普段着に着替える。そして部屋を出て、二階から一階のリビングにトントンと軽い足取りで降りていく。


 リビングは真っ暗で何も見えない。どこに何があるかは頭の中に入っているので光は無くても歩けるのだけど、どうせ食事の時には明かりを付けなくてはならない。僕は指をパチンと鳴らして人差し指の先から炎を出し、部屋の四隅の壁にあるランプに順番に付けていく。


 リビングが明るくなったら次はキッチンだ。キッチンも同じようにランプに火を付け、さらに二つあるかまどに火を入れる。


 食材置き場の中身を確認した。中にはサラダに向いた青物や根菜系の野菜が数種類とカルヴァの肉に卵がある。


 僕は両手の指を動かす。すると、中の食材が浮き上がり、野菜は勝手に皮をむかれて適当な大きさに切り分けられ、あらかじめ置いてあった木のボウルの中に混ざって入る。


 次に僕は壁に向かって左手を軽く振る。壁にかけられたフライパンが二つ宙を舞い、かまどの上に落ちる。このフライパンは特別製なので油は必要ない。


 卵を四つ、片方のフライパンの上に飛ばすと、右手を軽く握って開く動作をする。すると卵がパカっと綺麗に割れ、ジューッと良い音を立てて焼け始めた。そこに塩を軽く振っておく。


 続いてカルヴァの肉だ。肉もさきほどの野菜と同じ動作をして食べやすい大きさに切ると、もう片方のフライパンに放り込んで塩とクラマールというスパイスをかける。

 左手の人差し指を動かして壁にかけられた木べらを取ると、フライパンの中で規則正しく動くように操作する。


 卵と肉が焼ける間に次はプレートの準備だ。食器棚に向かって右手を伸ばし、くいっと手首を手前に引く。食器棚は両開きに開き、中から二枚の木製プレートが飛んでくる。

 プレートが僕の前に止まると、まずは卵がちょうどいい感じに焼き上がった。右手の人差し指をくいっと上げてフライパンをかまどから離すと、卵を二等分してプレートの上に載せる。

 続いてカルヴァのソテーだ。同じようにしてフライパンを操作し、プレートの上には目玉焼きとカルヴァのソテーが並んだ。


 プレートと一緒に、三種類のスパイスの瓶と木のボウルに入ったミックスサラダ、そして二人分のナイフとフォークを魔法で浮かし、僕はリビングに戻る。そして作った料理をリビングのテーブルに並べた。


 朝食の準備が終わったので師匠を呼びに行かなくては。

 僕は階段を降りて地下に向かう。地下には師匠の部屋がある。

 僕はノックもせずに師匠の部屋に入った。どうせノックをしても師匠が起きないのは分かりきっているからだ。天井まで届く本棚の迷路からいつも通りの正解の道を辿り、師匠がいる部屋の中心に辿り着いた。


 師匠は大きなつば広帽子を目深に被り、安楽椅子に座って安らかに眠りについていた。見た感じとこれまでの経験から、今日の眠りはことさら深い。これまでの経験から、これは普通の起こし方では起きないと判断すると、僕は師匠に近づいて右耳をつまみ、耳元で大声で叫んだ。


「ししょー! 起きてください! 朝ですよーーーー!!!!!」


 普通の人なら飛び上がるほどの大声を出したはずだが、師匠の反応は鈍かった。体は反応せず、呼吸だけが寝息から普通の吐息に変わる。そしてゆっくりと両手を上げて大きく伸びをすると、帽子の下から僕を見た。


「おはよう。でも、毎度だけどもう少し起こし方ってもんがあるんじゃないかね?」


「次からは鼻と口でも塞ぎますか?」


「それは止めてくれ。いくら不老不死と言っても苦しいもんは苦しいんだ」


「とにかく、朝食ができたんです。冷めないうちに早く食べましょう」


 僕にうながされて師匠はゆっくりと椅子から立ち上がった。見上げるほどの長身痩躯ちょうしんそうく。今日の師匠の姿はいつもよりさらに大きくなっていた。

 師匠が部屋を出るのを追いかけるように僕も続く。そして二人揃ってリビングのテーブルに腰掛けると、何も言わずに朝食を食べ始める。


「師匠、サラダのスパイスはどれにします?」


「今日はクスカがいいかな。お前さんは?」


「僕もそれがいいと思ってました」


 僕はスパイスの瓶からクスカを指差す。瓶はふわりと浮き上がり、サラダの上に飛んでいく。両手で絞る動作をすると、瓶からカリカリという音とともに、サラダの上にスパイスが振りかけられた。

 それを見て師匠がちょっとだけ眉をひそめる。


「また悪い癖が出た。それくらい横着せずに自分の手でやったらどうかね?」


「魔法は使わないと鈍るって、師匠はいつも言ってるじゃないですか」


「自分の肉体を使うことも重要だ。全てを魔法に頼り切ると、あっという間に体が衰える。この朝食もまた全部、魔法を使って作ったんだろう?」


「複数の物事を同時に操作するのはとても良い訓練になるので」


「うん、まあそれは否定しないけどさ」


 僕に言いくるめられてしまい、ちょっとすねたように師匠は口をへの字に曲げる。


 これもいつものことだ。僕は気にせずカルヴァのソテーを口の中に放り込む。肉の旨味とともに、ちょっと刺激的で酸味のある香りが鼻を抜けていく。今日は思い切っていつもとは違うスパイスを使ってみたのだけど、賭けには成功したらしい。


 師匠もカルヴァのソテーに手を付ける。口に入れた瞬間ちょっとだけ目が輝いたが、そのすぐ後に小さくため息が出た。


「美味いんだが、そろそろ別の料理も食べたい」


「だったら師匠がちゃんと食材を調達してきてくださいよ。肉も野菜もこれでもうおしまいです。あとパンが無いのも寂しいです」


 僕達が住んでいる魔の森は、師匠以外は決してここまで入り込むことができない。それは僕も例外ではなく、一度外に出てしまえばもう二度と戻ってくることはできないのだ。だから、キッチンの食糧事情は師匠に任せるしかなかった。


 そんなやりとりをしつつ、朝食はつつがなく終わった。

 魔法を使うとまた文句を言われそうなので、僕は食器を重ねてキッチンに持っていき、手早く洗って戸棚にしまう。


 リビングに戻ると師匠はゆったりとお茶を飲んでいた。ポットのお湯は魔法で沸かしたのだろう。さっき僕に注意したばかりなのに、舌の根も乾かないうちにこの人は、と思わなくもないけど。


 師匠はお茶を飲み終えるとゆっくりと立ち上がった。


「お出かけですか?」


「ああ。さて、今日の体はっと」


 師匠はリビングの脇にある姿見の前に立つと、ぽんぽんと全身を叩いていく。すると、徐々に師匠の体が小さくなり、顔や髪の色も変わっていく。背丈は僕と同じぐらいになり、髪は銀髪。顔つきはそばかすの散った地味めな見た目に変わる。

 師匠はなぜか、外に出るたびにこうやって容姿を変えているのだ。


「うん、まあこんなもんかな」


「師匠、そうやっていつも出かけてますけど、一体何をしてるんです?」


 ずっと抱いていた疑問を投げかけてみる。

 僕が師匠の元に来てから一年が過ぎようとしていた。僕が知る限り、師匠は毎日のように姿を変えては出かけてしまうのだ。

 師匠は僕を見てポリポリと頬を掻く。


「そうさなあ。じゃあ今日はお前さんも来てみるかい?」


 そう言って師匠はいたずらっぽく笑みを浮かべた。

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