僕らの焼きそばパン戦争

まぐろ定食

僕らの焼きそばパン戦争

 一口頬張ると、口いっぱいに広がる芳醇なコッペパンの香り。次に飛び込んでくるのは、香り高く、食欲をそそるような、野菜と果物とスパイスで彩られたソースの香り。舌の上で、それぞれのハーモニーが、青のりと紅ショウガを交えながら、ワルツを踊っているかのような至福の時。


 焼きそばパン。


 人々はそれを求め、時に争い、時に他人を出し抜いた。ここ私立跡ヶ先(あとがさき)学園でも、それは例外ではなかった。私立跡ヶ先学園は、日本でも数少ない能力養成学園である。


「ぬるい、ぬるい! 甘いわ!」


 何発もの竹刀の剣撃が自分の身に振りかかる、もはや防戦一方。攻撃を受けきるので精いっぱいだ。相手の剣道部部長は、余裕の笑みを浮かべている。


「はっはっは! どうしたカツミ! お前の力はそんなものか!」


 部長は挑発する余裕すら見せている、竹刀の無慈悲な嵐は、止む様子がない。なぜ、なぜこんなことになってしまったのだろう。僕は、僕は焼きそばパンが食べたかっただけなのに……。



■■■


 私立跡ヶ先学園の四限目は、毎日のようにピリピリとした雰囲気が漂っている。それは、授業を担当する数学の教師の岩谷先生が厳しい性格だからではない。四限目が終わる間際になると、その雰囲気はいっそう加速する。


「ふあぁ~、この時間眠くなるんだよな」


 僕はあくびをした。昼食が近くなるこの頃は、4つの授業をこなしたのもあって少々疲れが出てくる。そんな僕を見て、岩谷先生はチョークを飛ばした。それを寸前でキャッチする僕。


「おいカツミ! たるんどるぞ」


「す、すみません先生」


 寸前でキャッチできたのは、僕が特別運動神経がいいとかそういうわけではない。僕にはクラスの他のみんなと同じように一つだけ能力があった。


 グラブ(掴み)。


 とても地味な能力だけど、この能力があるから僕はこの跡ヶ先学園に入学することになったんだ。一般には知られていない、能力養成高校……。


「それでは今日の授業はここまで! 後は各自復習しておくように」


 岩谷先生が時計を見ながらそう言うと、授業は早めに切り上げられた。いや、避難したのだろう。チャイムが四時限の終わり、つまり十二時に近づくと、生徒の目の色が変わっていく。みんなの目当ては分かっている。


 購買の焼きそばパンだ。


 この学校の購買には、各種パンやおにぎりなどが売られているが、特に人気が高いのが焼きそばパンだ。その濃い味付けとボリュームは、若い僕らの胃を存分に満たしてくれる。それを確保するために、僕らは毎日争奪戦を繰り広げる。


 そして、運命のチャイムが鳴った。


 瞬間、ものすごい爆音とともに教室が振動した。スピードにかけては右に出るものがいない、クラス一の俊足、速水君だ。速水君は教室の椅子から超高速で廊下に飛び出していった。その他の者も、教室の外に全力で駆け出して行った。中にはライバルを減らそうと、クラスメイトに能力攻撃を仕掛けている者もいる。


 これが僕の学校の日常だった。


 隣の席の突撃能力持ちの戸田くんが窓ガラスを割って東棟に向かうのを見ると、僕も急いで教科書をしまって教室を出た。購買部は東棟の一階にあり、ここは西棟の二階、2-Dクラス。位置的には不利なこともあって、みんなスタートダッシュに必死だ。


「今日こそ焼きそばパンをゲットする!」


 僕は西棟二階の廊下に出ると、南の階段に向けて全力で走り出した。クラスメイトや、他のクラスの生徒たちが、そこら中で能力を発動し、お互いの邪魔をしている。南階段に差し掛かろうとした時、道を塞ぐ人物の姿が見えた。


 仁王立ちで待ち構えている、剣道着の人物。三年剣道部部長、山下先輩だ。


「おっと、カツミか。ここを通すわけにはいかんな」


 山下先輩はこちらに向きながら、ゆっくりと竹刀を僕に向け、真っすぐに構えた。


「山下先輩、どうしてここに?」


「聞くまでもないだろう、焼きそばパンのためだ。二年は全員、ここで倒れてもらう」


 山下先輩の奥にはやられたであろう同級生たちが山のようになって倒れていた。ここで負ければ、僕もあの山の仲間入りだ。


「僕も今日こそ焼きそばパンを食べたいんです、通していただけませんか?」


「問答無用!」


 先輩は話すことなど無いとばかりに竹刀を叩きつけてきた。山下先輩の能力は強度強化。竹刀でも、全力を出せば廊下の床をえぐるぐらいわけない威力だ。僕は初撃を寸前のところでかわした。打たれたところを見ると、廊下の床が剥がれている。頬を冷や汗がつたった。


「待ってください!」


「待てと言って待つやつがいるか!」


 竹刀を振りかぶり、大きく叩きつけてくる、単純な動きだが、能力と相まってそれは鈍器のパワーを持った棒だった。


「ぬるい、ぬるい! 甘いわ!」


 何発もの竹刀の剣撃が自分の身に振りかかる、もはや防戦一方。攻撃を受けきるので精いっぱいだ。相手の剣道部部長は、余裕の笑みを浮かべている。


「はっはっは! どうしたカツミ! お前の力はそんなものか!」


僕はたまらず能力を発動する。


 グラブ!


 僕の”掴み”は、どんな対象でも掴むことができ、任意で離すまではどんな力をもってしても離れない。竹刀を掴まれ、先輩は面食らったようだ。


「ええい、こしゃくな! 離せ!」


 力任せに掴んだ竹刀を振られ、体の方が追いつかない、僕は頭がぐわんぐわんと回ってきたので、能力を解除して離れようとする。その瞬間、竹刀の勢いのまま、僕は階段に放り出された。


「う、うわああああああっ!」


 階段を転げ落ちていき、一階と二階の踊り場まで着くと、僕はバッと立ち上がり、一階へと走り出した。


「逃げるのか、卑怯者!」


 山下先輩が何か叫んでいたが、今は焼きそばパンだ。


 西棟一階では、既に交戦の後がそこかしこに見受けられた。壁は焦げ付き、廊下の下は凍っている。この影響はおそらく、炎と氷の二人の能力者によるものだ。


 目指すは一階の廊下の真ん中、東棟への連絡通路だ。そこを抜ければ、購買部は目前だ。


 道端の敗者たちを飛び越えながら、一階の廊下へ駆けていく、少し出遅れたのが幸いしたのか、大きな戦いは終わった後のようだ。しかし、連絡通路の直前でその人物は物陰から現れた。


「あら、カツミくん。奇遇ね」


 長いウェーブの茶髪に、今時の流行を取り入れたギャル風のメイク。チラリと見える耳のピアスは、普通の学校なら校則違反だろう。その人は、少し考えるような顔を見せると、僕にこう言ってきた。


「ね、お姉さんといいことしない?」


「は、はあ……」


「焼きそばパンなんていつでも食べれるじゃない、それより……」


 意味ありげな目線を送りながら、カーディガンをはだけるお姉さん。僕はこの人のことを聞いたことがある。二年のユウミ。異性誘惑の使い手で、どんな異性も魅惑してしまう能力を持つ。


 まずい、逃げなければ!


 そう思った時にはもう遅かった。ユウミは能力の発動、フェロモンを目に見える濃度で散布していた。


「あ、ああ……」


 意識がとろんと溶けていく。目の前にいる女の子のことしか考えられなくなっていく……。


「そう、そのまま楽になりなさい。フフ……」


 ユウミは僕にとどめを刺そうと、ゆっくりと近づいてくる。駄目だ、焼きそばパンを買うんだ……。そんなわずかに残った理性で、僕はあることを思いついた。


「はい、おしまい」


 ユウミが最後の魅了を僕にかけようとしたとき、僕はグラブを発動し、とっさにあるものを掴んだ。その柔らかな双丘を。


 むにゅう。


「へ?」

 

 ユウミは何が起こったのか分からないという様子だったが、すぐに状況を把握して、顔を真っ赤にした。


「ーーーーっ!!」


 信じられない、という目でこちらを見てくるユウミ。そして僕は、この隙を狙ってフェロモンを脱出した。


「バカ! ヘンタイ! 信じられない!」


 胸を押さえながら抗議してくるユウミに、僕はごめん! と謝りながら連絡通路を走り抜けた。


 連絡通路を渡り終えると、東棟の購買部には人という人が倒れていた。激しい焼きそばパン戦争の後が、電撃でしびれた生徒や、制服がボロボロに切り刻まれている生徒に見受けられた。柱にもたれかかっているのは同じクラスの速水君だ。


 僕は購買に目を向けると、残っていた焼きそばパンの数は三つだった。おそらく、いつも通り生徒会四天王が四個、委員会三賢者が三個、それぞれ買っていったのだろう。


 しかしまだ三つ残っている。東棟の連絡通路近くの廊下にある購買部は、どこから狙われていてもおかしくない。買う瞬間が一番危険なのだ。


 「どけえええええええ!!」


 戸田君が突撃しながら購買部に衝突した。砂埃が舞い上がったが、その手には焼きそばパンが握られている。しまった、あと二つだ。


 僕はすぐさま足を動かした、一個は絶対に確保しなくてはならない。そうでなければ、学校生活で一度も焼きそばパンを食べれないまま終わってしまう。


 しかし、その想いは突然の乱入者によって遮られた。


「ここは通さないわ、カツミくん」


「まさか……。マイさん」


 僕の憧れの人がそこにいた。二年の2-Aの成績優秀、品行方正の学園のアイドル。四重マイがそこにいた。模擬戦で一度も負けたことがない、重力を操るトップ能力者。


「残念だけど、ここで終わりよ」


「そんな……。焼きそばパンは二つ残ってる! 分け合えばいいじゃないですか!」


「ダメよ、私、結構食べる方なの」

 

 マイは重力場を展開した。あれが触れると、その対象の重力を自由に操作できる。黒い円のような重力場は、マイの足元で待機している。


「それじゃ、行くわよ、カツミくん」


 僕はとっさの判断で右に飛びのいた。振り返ると、僕がいた付近の柱は奇妙に折れ曲がっていた。あれを食らったらひとたまりもない。しかし、さっきのユウミへ使った手は通じないだろうし、使いたくない、僕にとってマイは憧れの人なのだ。


 重力場は、なおも僕を追いかけてくる。僕に追いつくと、その場は重力が重くなり、崩壊する。僕は走り回りながら、すんでの所で攻撃を避け続けていた。


「なかなかすばしっこいわね」


「マイさん、どうしても焼きそばパンを分け合う気はないんですか!」


「くどいわ、そろそろ仕留めるわよ」


「それなら僕だって意地があります!」


 グラブを発動し、僕は天井の突起を掴んだ。重力場は地面にしか発生しないはずだ。


「バカね、天井だって地続きなのよ」


 マイは重力場を壁から移動させ、天井の僕の位置まで移動し、重力を発生させた。途端、天井は崩れ、そのほかの壁まで揺れ始めた。まずい。このままではここが崩壊する。


「きゃああああ!!」


 天井の崩壊は、マイにも振りかかろうとしていた、僕は反射的にグラブを解除し、マイさんに駆け寄った。天井は崩れ落ち、僕ら二人に破片が降り注いだ。


 しばらくすると、購買部を除く一帯は瓦礫の山になっていた。僕は天に向けた手でグラブを発動し、瓦礫を全て受け止めていた。うずくまったマイは、僕のほうを見る。


「助かった、の……」


 マイは落ち着くと、フッと笑いながら僕の方を見て、ありがと、と言った。


「完敗ね」


「そんなことない、僕がずっと圧倒されてました」


 僕ら二人はなんだか気が抜けて、しばらく笑いあった。


 瓦礫の山を越えると、購買部には焼きそばパンが二つ残っていた。


「これは貴方のものね」


「僕が勝ちましたけど、マイさんが一つ買っていいですよ」


「それは駄目よ、あなたが勝ったんだから」


「じゃあ、僕が二つ買うので、一緒に分け合って食べましょう」


 マイは目を見開いて驚いた顔をしたが、すぐに微笑みに変わると。


「貴方って結構やるのね」


 とびきりの笑顔を見せてくれた。その笑顔を見て、僕は焼きそばパンは獲得したのに、心を奪われてしまった。


 購買部のおばさんが焼きそばパン売り切れの報を知らせると、皆散り散りに教室に戻っていった。僕らは、勝ち取った焼きそばパンを手に、その場を後にした。


 焼きそばパン戦争は終わった。



 そして、僕は東棟と西棟の間の中庭でマイとランチを食べて、今までの学校生活で一番充実した時間を過ごした。


 その時に食べた焼きそばパンの味は、一生忘れることはないだろう。

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