恋愛編4、卒塔婆小町
増田朋美
第一章
卒塔婆小町
第一章
富士から少し離れたところにある、静岡市清水区というところに、音楽高校として、名高い高校があった。名前を立花高校といった。そこへ入るのは、ある程度の財力と学力がないとダメであると、その区域に住んでいる人であれば、誰でも知っていた。誰でも子供がそこへ入ったと聞かされれば、すごいねと言ってその子を賞賛し、親もそこへ入らせたとなれば、近所の人から育て方がうまかったんだと、賞賛されるのは間違いなかった。
これは、生徒だけでなく、先生も一緒だった。基本的に、ピアノや声楽などの楽器を教える先生たちは、一般的な科目を教える先生たちとは一歩立場の低い、非常勤講師とみなされてしまうのがほとんどであった。まあ、法律的にはそういう風になってしまうけれど、この高校で、非常勤講師として採用されれば、その学校の本家本元である、静岡で有名な高等音楽教育機関である、立花大学での講師の道が開けるとして、音楽教育家の登竜門であった。
だから、立花で教えているとなれば、かなりの有名人になれること請け合い。それを狙って、高校内では、つねに教師同士の軋轢が頻繁にあり、中にはほかの教師の圧力に負けて、ほかの学校へ転勤していったり、再び個人教室などをやっていく先生も珍しくなかった。だけど、優秀な先生は、すぐに本家の立花大学が目をつけていて、高校から持って行ってしまうので、先生が長期にわたって在籍するということは、あまり例がなかった。生徒も、この高校は立花大学へ進学するための、「腰掛」程度しか認識しておらず、この高校をあまり重要視することはなかったから、ここでの担任教師との思いでなんてさほどない。三年しか過ごさないことも、理由の一つだろう。大学は少なくとも四年、中には大学院へ進む子も珍しくないから、結構長期にわたって先生と関係が持ちやすくなるから、良い悪いを含めて思い出ができやすくなるのだと思うが、高校というのはただの通過点に過ぎず、たいした思い出も作れないのだ。
そういうことを知っていたから、立花高校の非常勤講師たちも、ただ立花大学、もしくは、ほかの音楽学校へ進むための足掛かりを教えるだけ、としか考えていなかった。でも、心の内では、しっかり出世の道を行き始めたとほくそえんでいた。
基本的に、立花高校の非常勤講師たちは、そのような事情もあり、十年以上勤務する講師はまれであったが、それでも、例外のないルールはなく、中には古巣と呼ばれている講師がいた。名前を財前常子といった。もう、40代も後半なのに、大学からの引き抜きもないし、かといって、ほかの講師たちと喧嘩して退職ということもなかった。生徒たちは、非常勤の先生は若くて元気な人が多いのに、なぜか、財前先生だけは、例外的に中年だな、なんて言っていた。
そういうわけだから、常子の周りは、若い先生ばかりだ。年上であっても、30代の後半程度で、40を越してしまうという先生はまずいない。それに、若い先生ばかりであれば、どうしても、結婚とか出産とか、そういうことに直面して、やめてしまうことも多い。そういう人はなぜか、生徒を育てるより、自分の子を育てるほうに頭が回ってしまうのね。なんで、そうなってしまうのかしら、なんて常子は、そういう先生たちに言っていた。
もちろん、これに対する反発はとても大きくて、どうしても女性の先生であれば、自分の子を育てるほうを優先したい、と主張して、時には結婚退職する際、常子に食ってかかってくる若い先生もいた。そういう時は、大体校長か教頭が出てきて、やめさせてくれるが、いつの間にか、そういう話は、常子の前で語られなくなっていき、あるテレビドラマのセリフをもじって、「財前先生は、結婚しないの。」というセリフが、常にささやかれ、今では常子のキャッチコピーみたいになってしまった。
さらに、インターネットで簡単に経歴などが調べられる現在では、常子が46にもなって、なぜ大学に引っ張られて行かないのか?を生徒やほかの先生たちがうわさするようにもなった。常子の出身大学が桐朋というレベルの高い大学であるばかりか、大学のディプロマコースまで進学したのに、なぜ、こんな田舎の高校の先生におさまってしまったのだろう?それはきっと、校長がこの学校の看板商品にするために、わざと残しているのだという説が定説になっていたが、最近の高校生はそうはいかないみたいだ。常子が廊下を歩いていくと、生徒たちが、常子の出身大学や、年齢のことについて、ひそひそしゃべっているのが聞こえてくる。それを聞いて、そんな馬鹿な話に、首を突っ込むのはやめなさい、と、常子は注意する。とりあえず、その場はそれで収まるが、いつからか、そういう話が頻繁に聞かれるようになってしまった。それを聞いて常子は、音楽大学を目指すような子が、他人の話に盛り上がっている暇はないと厳しく注意するのだが、ほとんどの生徒は、時間がたてばまたその話を始める。いつからか、この学校も劣化したなあと、常子は思うのだった。
ある日、常子がいつも通り、ピアノの練習室で、ピアノを練習していたところ、養護教諭の先生が話しかけてきた。
「財前先生、ちょっと来てくれって、校長先生が。」
また呼び出しかあ。どうせ碌なことがないだろうなと、常子は思いながら、ピアノの蓋を閉めて、校長室に行った。
「校長先生、お呼びでしょうか。」
校長と言っても女の先生だった。最近は女性が校長先生になることは珍しくないが、この地域ではまだまだ珍しいと言われてしまう傾向があった。
「財前先生、大学のほうから、通達が来ているんだけど。」
と、校長は優しく言った。基本的に付属学校であり、公立学校ではないから、この学校の経営は、一族経営であった。つまり、大学の理事長は、今の校長の父親である。なので、理事長である父が下した命令は、そのまま校長に伝わってくることが多い。
「な、なんですか?」
「ええ。これは、財前先生にとっては、間違いなくいい通達だと思うわよ。今まで高校の非常勤講師だったかもしれないけど、長年勤務して、多くの生徒たちを音楽大学へ合格させた実績が認められて、あなたに、来年から大学へ来てもらえないかと。」
校長先生は、にこやかに言った。つまり、常子にもやっと出世のチャンスが巡ってきたということであるが、常子は首を縦に振らなかった。
「校長先生、申し訳ないのですが、そのようなことは、お受けできません。」
校長の顔がさっと変わる。
「あら、どうして?あなたも、大学で働きたかったんじゃないの?」
「はい、若いころはそう思っていたんですけど、もう、この年になると、お受けできません。これから定年まで、ずっとこの高校で働かせてもらうつもりです。」
「変な人ね。」
校長は、変わった人だなあというような目つきをして、常子に笑いかけた。
「大体、大学から辞令が出れば、大喜びするものだけどな。」
「そうかもしれませんが、私には事情があり、大学まで通うことができないのです。どうしても自宅から離れることはできないので。なので、この高校までしか通勤できないんですよ。」
立花高校は、比較的駅から近く、歩いていくことが可能だが、大学は音楽学校ということもあり、駅からかなり遠いところにあることで知られていた。一時、移転することも検討されたが、現在は車社会であり、電車を使って通勤する教員はほとんどなく、学生もほとんどの者が、高校時代に自動車免許を取ってしまうことが多いので、車で通学できるというところから、それはしないで今でも同じところに建っている。
「校長先生、私の事情、お話しましたよね。大学は、あまりに通すぎます。ですから、通うことはできないのです。」
「でも、車を持っていないわけではないでしょう?」
「持ってはいますけど、富士から大学に通うのは遠すぎますよ。それに、私の住んでいるところからですと、高速道路を使わなければ、大学の授業開始時間には間に合いません。ですから、高校で終身、勤務させてください。」
まあ、車は確かに持っている。だけど、使用目的が違う。
「おかしな人ね、大学は来年から、清水駅からスクールバスを出すことを決定したの。もし、富士から通うのが大変なら、いっそのこと電車でかよって、そのスクールバスで大学に通ったらどう?バスというと、学生だけが使うように見えるけど、教職員も使用していいことにしているのよ。それに、うちはブラック学校と思われたくないから、ちゃんと教職員の交通費はしっかり出すつもりだし、電車代だってそれでまかなえばいいって、父が言っていたわ。」
まあ確かにそうなのであるが、常子は大学には勤務したくなかった。大学に勤務するとなれば、自動的に今と違って忙しくなるだろうし、それではどうしても都合が悪くなってしまう。
「もう一度、考えてもらえないかしら。父も、あなたの指導力には、すごく期待できるって言ってるの。最近は、少子化の影響もあって、大学へ行く人自体が減少しているし、就職難ということもあって、音楽学校への進学自体、偏見がだんだん強くなってきているでしょ?そういう中で、やっぱり質のいい教育を売り物にして、生き残っていかなければならないって、父はそういってたの。それに、こないだの体罰問題もあって、良質な授業をしてくれる教師も減少しているわ。そんな中で、よい授業をしてくれる講師をたくさん探しているのよ。生徒は少なくなっているけど、その中で問題を持っている生徒は多くなっているから、教員は多いほうがいいのよ。そういうなかで、あなたにも、参加してもらいたいと思ったから、私たちは、大学のほうへ行ってもらいたいとお願いしているんだけど、、、。単にリストラとか、そういうことじゃないわ。もう一回、考えなおして。」
校長は、ぜひ常子に大学へ異動になってもらいたいようだが、常子はどうしても、校長の問いかけに、肯定的な反応をすることができなかった。
「校長先生。いきなり言われても困ります。ここですぐうんと言えたらうれしいのですが、私には事情があって、それができません。ただ、校長先生と理事長先生が、私を必要としてくれたということは、とてもうれしく思います。」
じゃあ、やってくれるの?と校長はそう笑いかけた。
「そうですが、私、校長先生のお話はすぐに返事を出せません。少しだけ時間をいただけないでしょうか?」
「そう。わかったわ。できるだけ、明るい返事を待ってるわ。ほら、よく生徒があなたのことをからかうでしょ?財前先生は結婚しないのって。このままだと、結婚しないのどころか、出世しないのって、からかわれる羽目になるわよ。」
「いえ、校長先生、そのからかわれていることは、私は全く気にしていませんから大丈夫です。」
「本人はそうかもしれないけど、私たちは困るのよ。」
校長先生は、ちょっと最後の一文だけきつく言った。そうか、そんなことが、この学校の評判を落とす原因になっているのか。そんなことで、学校が劣化するなんて、本当に日本人のレベルは下がったな、と言いたくなるが、そんなことを嘆いているばかりでは、学校を経営している立場から見たら大問題である。
「あ、はい。すみません。」
とりあえず、常子はそれだけ言った。
「じゃあ、お返事を待っているから、しっかり考えてきて頂戴ね。よろしくね。」
校長先生は、常子にもう部屋を出るように促した。
「失礼いたします。」
常子は、一礼して校長室を出る。本来は栄転をもらったはずなので、ここで大喜びしても不思議はないが、とてもそんなことをする気にはなれなかった。
とりあえず、すべての授業を終えて、常子は清水駅まで歩いていき、ガタゴト電車に乗って富士駅へ帰った。このままこの通勤形態が続いてくれればいいのにな、とずっと思っていたが、それが今になって破られるとは、、、。
富士駅からは、バスで帰ることにしていた。幸い、電車とバスの接続は比較的スムーズで、すぐに乗ることは可能だった。
そのバスで、20分ほど乗り、やっと自宅にたどり着ける。
ちょうど自宅前に、行きつけの楽器屋さんがあった。私が小さいとき、母の財前武津子がここで働いていたんだよなあ、なんて思いながら、家に入った。家は、武津子が車の運転ができないというところから、楽器屋さんのかなり近くにあった。
「ただいま。」
常子は、玄関のドアをがちゃんと開けた。
自宅は、小さいけれど、平屋住宅だ。それも玄関の上がり框もないし、土間もない。まさしく段差の一つもない家だった。
「お帰り。」
のんびりした声がして、常子の母武津子が出迎えてくれた。
武津子は少しばかり頭に白髪の混じった、初老の夫人だった。いつも右足に右手を添えて支え、肩を波のように上下させながら歩いていた。なんとも子どものころに事故にあってしまい、足を負傷したことから来たという。そのため普通学級にはいかず、健康な子と一緒に過ごしたのは、音楽学校に入ってからだと話していた。
「どうしたの、バカに辛そうな顔してるじゃないの。」
「出迎えてくれなくたっていいわよ。寒いんだし、無理して出てこなくてもいいわ。」
常子は、母親を気遣ったが、武津子は、障碍者扱いはしないでもらいたいな、という顔をした。これでもちゃんと音楽学校を出たんだし、演奏活動やピアノの指導もしていたのだから、そんな言い方はやめてもらいたい、という気持ちがすぐに顔に出ている。足が悪くて、ズボンやスカートを着用できず、いつも和服姿で行動しているところから、明治時代のピアニストであった久野久子さんにそっくりなのだが、本人はそれを冗談の種にしている。
それに、そういうこともあってか、人の表情や態度にすごく敏感で、何かあるとすぐ口を出す。
「今部屋に入るから。」
常子は、とりあえず靴を脱いで、部屋の中に入った。
それを追いかけて武津子も部屋に入った。すでに夕食はできていた。出来合いも、インスタント食品も全くない、本当に年寄りそのものの、食事だった。常子が、鞄をおいて、食卓に着くと、武津子もその隣に座った。
「常子どうしたの?また学校で何か言われたの?」
お母さんは、なんでもわかってしまうのね。でも、今日あったことを話したら、間違いなく嫌な思いをするでしょうね。いえないわよ。そんなこと。
「やっぱり学校で何か言われたんでしょ。校長先生は常子の事すごく気負ってくれるみたいだけど、ほかの先生からの人気はないって、聞いたわよ。」
聞いたわよ、という言い方をするが、実際に武津子が直接伝聞したわけではない。足の悪い彼女がそう簡単に遠出して、学校に出向けるはずがない。でも、それだからこそ、わかってしまうのだろう。
「お母さんにはかなわないわ。でもね、これは、お母さんの事傷つけてしまうかもしれない。だから、やっぱり校長先生には、お断りしてくる。」
常子は、おもわずそういってしまった。これは正直に話さなければいけないなとおもった。こういう時にお父さんがいてくれれば、お母さんを見るからとか言ってくれると思う。でも、お母さんは、お父さんのことが大好きで、忘れるということはできないから、絶対に再婚しようとはしなかった。足が悪いとなれば、理解者も少ないし、そうなってしまいやすいのは否めないが、こういうときは困る。
「あのね、私、転勤を言い渡されたのよ、校長先生から。来年から立花高校ではなく、立花大学で教えることになるかもしれない。でも、立花大学は遠すぎるし、お母さんのことを見てやれなくなっちゃうから、私、断ってくる。」
常子は、できるだけ重大な問題にせず、さらりということを心がけた。お母さんにできるだけ傷ついてもらいたくなかった。
「あたしのことは気にしないで、転勤していいわよ。」
予想外の答えが帰ってきた。
「もう、常子も40歳を越しちゃったんだし、すきなことしていいじゃないの。転勤したのと引き換えに、誰かいい人を見つけて、一緒になっちゃえばいいじゃない。」
「ああ、無理無理。そんなこと。結婚適齢期を当の昔に逃しちゃった。だから、しょうがないから、お母さんと一緒にいる。安心して。決してマザコンとは思ってないわよ。だってちゃんと、働いてるし。今回の転勤も、あたしの意思で断るんだし。」
「そう。それが、常子のだした結論だったら、お母さん、ちょっと悲しいわね。普通の人であれば、お母さんのことなんてどうでもよくなって、すきな人のところに飛んで行っちゃうんだけどな。」
武津子は、今までにない話を始めた。
「そんなこと言ったって、お母さんは足が悪いでしょ。それをちゃんと前提に動かなきゃ。お母さんは、一人では何もやっていけないじゃない。それに、もしもよ、あたしが本当に転勤したら、お母さんはどうするつもり?」
「ああ、どこかの施設でも入ろうかな。障害のある人間は、そういう末路しか残されてないわよ。そういうもんなのよ。たとえどんなに偉い人であっても、そういう風に終わってしまうのが、障碍者というもんでしょう。だから、お母さんもそれで十分よ。常子は、そういうことは一切ないんだから、
もっと自分の人生を切り開いていってくれればいいわ。今回の転勤だって、それのための第一歩だと思ってくれればそれでいいから。もうお母さんとは離れて、自分のために生きてみたら?」
そんなバカな。お母さんがなんでそんな発言するの?あたしが今までお母さんのために一生懸命してきたじゃないの。
それは、こういう形で終わってしまうなんて、日本社会もひどすぎる、、、。
常子は、がっくりと落ち込んだ。
「ほら、ご飯が冷めちゃうわ。早く食べよう。」
そういって当たり前のように食べ始める母を見て、自分のしてきたことは全部終わってしまうのかと思ってしまう常子だった。
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