俺の青春的距離が遠すぎる
人新
第1話 青春的距離の概要と自身のステータス
青春的距離、それは言わば、自身と青春との距離を測ったものである。
例えば前を歩いているカップルの青春的距離はほぼゼロである。距離がゼロというのはすなわち青春に達しているという意味であり、彼らは現在青春を謳歌していることになる。
そして、右斜めの男達、一見それは言葉に表すと大した青春的距離はなさそうに感じるが実際10mぐらいだ。多くの人はなぜこんな男同士ですらも青春的距離が近いのかという疑念を抱くだろう。
だが、答えは簡単だ。それは青春の意味を取り違えているからだ。
そもそも、青春というのは彼女を作ることでも、もしくは彼氏を作るものではない、毎日をいかにストレスなく過ごしているかだ。たいていの青春謳歌している奴らは「今日学校だるっ」や「まじ、鬱。この日の時間割まじ鬱」なんて言葉をならべているがほとんどの場合は難なく学校に来る。むしろ、皆勤賞レベルで来る。つまり、青春謳歌している人間と同等にリア充と一般に呼ばれるのは別にカップル、友達ウェイ! みたいな感じでなく、ただ日常を難なく過ごす事をリア充というのだと思う。だから、今左斜めの猫背の二人が楽しそうにアニメの話をしながら歩いている彼等すらも青春的距離は近い。つまり、リア充である。
ここまでなんやかんや青春的距離のことを話してきたが、自身のことを話すのを忘れていた。けど、ここまで話をしたんだ、たいていの人間は察しが付くだろう。
そうだ。俺の青春的距離はかなり遠いのである。
カーストと言えば、ほとんどの人間がインドと答えるだろう。もしくは、スカートと読み違う人もいるかもしれない。なんなら、名古屋人なら小倉トーストとかいうかもしれない。まぁ、なんにせよカーストというのは日本語で言い換えると階級制度であり、簡単に言えば順位みたいなものだ。
つまり、俺のクラスで言うと、前にいる騒がしい男女集団はランクA~Fで言うなら、多分Bぐらいだ。そして、窓側で駄弁っているスポーツ軍団はC、その少し後ろ当たりのオタク層は多分D、そして俺の席の最後列にいる同性愛を疑うカップル距離でいる男二人はE、でボッチは多分F。
だが、俺の場合は別に最下級の扱いはされていない。むしろ、なぜか避けられている、もしくは恐れられている。このクラスに属して大体二か月ぐらいたつが、いまだになぜか人との距離がえげつないほどに遠く感じる。マジで、ドラえもんのムシスカン使ったレベルで避けられている。
何度か原因を考えたりしてみたが、まず俺がこの高校に入って記憶に残るほどのイベントがなさ過ぎて思い出すことすらも難しかった。ほんと、ここ数か月俺の記憶に残っている出来事と言えば家で夢野久作読んでて、姉に「あんた近いうちに自殺しそう」と言われたぐらいだ。てか、今思えば姉ちゃんひでぇ、実の弟に何言ってくれてんの‥。
まぁ、ここまで避けられると、かえって一年の頃のランクF時代が恋しくなるぐらいだ。
ほんと初めのうちは俺の内なる悪魔の目覚めに恐れをなしたか... とか久々に厨二心がよみがえったが、実際のところ今では悪魔すらも委縮するレベルで困っている。
以上のように、まだランクがFなら俺の青春的距離を近づけることができたかもしれないが、さすがにここまでくると離れていく一方の気がする。もはや、俺の青春はここまでなのか...。
俺はとりあえず嫌なことを忘れるべく、日課としている渡り廊下側に開いた窓を眺めることにしておいた。
現在は8時23分、予鈴まで後二分だ。二分と言えば、カップラーメンを食べるにちょうどいい硬さ加減の時間だ。もしくはウルトラマンがそろそろカラータイマーを気にしながら戦う時間。また、この学校では最も渡り廊下が騒がしくなる時間だ。
窓の向こうには、笑いながら走る生徒、話しながら歩く生徒、少し速足で歩く教師、数々の言葉を修飾して生徒と教師の説明をすることができる光景がある。どうしてか、俺はいつもこの時間が好きだ。それは、普段忙しく生きる人々を凝縮したように感じるからだろうか。
やがて、ピークは終え、廊下は静寂に満ちた。チャイムはそれを見計らうように、いつものように音を響かせた。
こうして、俺の日常は始まり、終わっていくのだ。
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