1-2 新人

 東京都・新宿区郊外の小さなオフィスビル。

 表を流れる川に向かって垂れた桜の花がやたら綺麗で、開放的な窓辺には一生懸命スマホで写真を撮っている若い女がいた。

「……あの」

 その女性から少し離れたエレベーターの前でしばらく彼女の様子を眺めていた男が遠慮がちに声を掛けると、若い女性は手前の桜を見下ろすような感じでちょっと画角を変えたりして、

「……すみません」

 今度はビルと空が良い感じに入るように対岸に向かって斜めにしゃがみ込みながら、

「……えっと」

「ん~~?」

 そこでくるりと振り返った美女は、翻る髪越しの桜というかむしろ桜をバックに私のピンクなリップと無敵な顔面大サービス――といったキメ顔のままで。

「……その……今日から……」

「――宮下準捜査官!!」

「わっ!? びっくりした! な、なに!?」

 オフィスの内部から響いた声で、顔面と画面に全力を注いでいた美人が窓に向かって思いっきり飛びのいた。

 顎の横にピースサインを添えたまま目を白黒させる彼女の元へと、小柄な女性がツカツカと歩み寄ってくる。いかにも真面目そうな黒縁眼鏡と伸び過ぎたボブと支給品のスーツで今日もピシッと決めた古川サチコ捜査官だ。

 すると、準捜査官らしい自撮りの美女はバツが悪そうな笑顔を浮かべながら。

「……あ、あはは、ええっとほら、これも捜査の一環ていうか……カメラの調子を確かめようかな~って」

 ふわふわで艶々な美髪を弄りつつ誤魔化してみるものの、じろりと半眼で睨み上げる先輩捜査官の視線は穏やかになる事は無く。

「このフロアでの私物のパソコン及びスマートフォンなどの通信機器の使用は禁止されていますが?」

「ノンノンノン!! 違うのサチコさん!! ほらほら見てよこのダサいの! わーお真っ黒! しかも四角いっ!! ね、ね? ちゃ~んと捜査用の使ってますって」

 己の弁護と同時に支給品への不満を漏らした後輩に向かって、古川サチコはゆっくりと首を振りながら。

「……むしろ捜査用の端末を私的に利用する方が大問題――」

「だから違うってばぁ~、もーー。これはウチら超自然犯罪対策室NADDsのインスタに載せるヤツなんです。だからほら、むしろ仕事して偉ーい! ですよね? ね? ふふーん」

 人差し指を回して得意気な顔を決めるモデル気取りの見習い小娘に、大卒三年目二十五歳の正捜査官古川さち子は大きな溜息を吐きながら。

「あのね宮下、オフィスの内部が分かる様な写真をネットに上げちゃダメ。仕事中に自撮りをかますのも捜査官としての自覚が――」

「えー、大丈夫ですよ~、だってウチらってすでにホームページに写真載ってますしぃ。ていうか、あれって撮り直せないんですか? なんかあの私って怖い感じに見えて嫌なんすよね~。もっと可愛い感じがいいんだけどなあ……」

 等と、持ち前の長身と形の良い鼻と薄い唇を尖らせてぶつぶつ言ってるその表情には、確かに見るモノを威圧するような苛立ちが感じられて。

「他人が撮った写真は嘘を吐かないのよ、元ヤンさん」

 ふんっと鼻を鳴らしたサチコが、手にしていた書類をぺしっと机に叩き付けて椅子に座る。

「……違いますし」

 隣のデスクから睨みつけて来るエリーの冷たい視線に、サチコはにやりと笑い返しながら。

「あら? なんだったかしら? 確か『……へえ、この街にまだ『アイスピックの女王』を知らない人がいるんだぁ』とかなんとか――おっと」

 まだ後輩になる前だったド派手な少女が発した台詞を思い出していたサチコは、途中で飛んで来たぬいぐるみをかがんで躱す。

「…………『アイスキャッツ』だっつうの」

 ぼそりと呟いたゆるふわ巻き髪の低い声と不機嫌をぶつけられるキーボードの悲鳴に、サチコはくすりと笑って。それからようやく。

「あ。ところで、宮下さん」

 窓辺でぼんやり立ち尽くす若い男と目が合い、思い出したように立ち上がりかけたその時。

「高島! 古川!! あと宮下!!」

「「ハイッ!」」

 名前を呼ばれた二人は声をそろえて立ち上がり、急ぎ足で入室してきた巨漢の男の元へと駆けだしてしまった。


 駆けつけてきた二人の女性を横目で見ながら足早にオフィスを歩いてきた上司は、チームの中心に設置された大画面モニターを力強くタップしつつ、そのまま流れる様にしてすぐ隣のデスクで大口を開けて眠っていた男の頭を文字通り叩き起こして。

「夕べ零時過ぎ、埼玉の国道で多重事故が起きた。横滑りした有人トラックに後続車が何台か突っ込んだんだ」

 モニターが写し出したのは、朝のニュース番組。負傷者の数と幸いにも死者が出ていない事や現在の規制状況などを早口で伝える女性に続いて、CGで再現された昨夜の事故の様子が解説されている。

 と。

「……ほわぁ……おお、これはこれは宮下準捜査官殿。起き抜けにエリーちゃんが拝めるんなら、徹夜も大歓迎だなあっと」

 などとあくびをかました男の顔を真っ直ぐに見下ろしたボスは。

「巻き込まれたのはほとんどが無人運転で、被害は少ない。だが、集団の先頭を走っていた三台の運転手が全員、道の真ん中に『人間がいた』と証言をした」

「はは。人間がいた、ですかい?」

 呆れたように笑った彼に、ボスは厳しい顔のまま。

「そうだ。現場に遺体は無い。負傷者にもそれらしき人間はいない、おまけに――」

残留思念物質RPMですね? つまり、その事故現場でなにかしらの『超自然現象』が発生した、と」

 言葉を横取りする様にしてサチコが頷くと、ボスはゆっくりと彼女を振り返り、そのまま両手を広げて禿げた頭を斜めに傾げ。

「……えっと……?」

 と戸惑った彼女に向けて、くいっと顎でドアを示しながら。

「わかったならさっさと行け、古川」

「は、はい!」

 弾かれたように自分のデスクに戻り、いつものリュックをひったくって肩にかけるサチコ。その隣で、デスクに広げていた私物を慌ててハンドバッグに詰め込んでいたエリーのもとに、ボスがつかつかと歩み寄ってきて。

「宮下」

「え、はい!」

 真っ直ぐに目を見つめられたまま手渡された書類は、ちょっと厚めの良い紙にNADDsの紋様が入った公式文書。

 それを見た宮下準捜査官さんの整った顔面が、一瞬きょとんとして。

「……え? あれ?」

 そこに、すこしずつ喜びの色が広がって。

「すでに八時間以上が経過してるぞ。さっさと行け。宮下

「え? え!? マジで!?」

 一気に弾けた笑顔のまま辞令を胸に抱きしめた彼女がチームのメンバーを見回すものの彼らは皆一斉に目を逸らして、いつもだらけている高島亮輔上級捜査官までもがわざとらしく駆け足でエレベーターの方へと逃げて行ってしまい。

「ちょっ! 何か一言あるでしょ! 私、ほら、昇進! 昇進したの! ねぇってばー!!」

 閉まりかけのエレベーターの中でとぼけた顔をしている先輩達の元へとダッシュで向かった宮下さんは

「んっ、ちょっ――っと! めっっちゃ邪魔してくるじゃんっ、この侵入者っ!」

 と、チームの入り口付近に突っ立ったままアワアワと右へ左へ道を塞いでくる男の顔面に指を突きつけて。

「あ、えっと……俺は――」

「瀬戸波、挨拶は車の中にしろ! 宮下、さっさとそいつも連れて行け!」

「はぁ!? 何であたしが――わ、わかりました! ほら行くわよ通行人!」

 容疑者を連行する程度の力加減で不審な男の手を捻り上げたエリーは、そのまま先輩達の待つエレベーターに飛び乗って。

「宮下!」

「は、はい!?」

 呼ばれてひょっこりと顔を出した新米に、ボスは彼女が胸元に抱えていた書類へと視線を動かして、多分、ほんのちょっとだけ笑って見せた。

 途端に照れくさそうにもごもごと唇を動かした元不良の美人さんが、するりとエレベーターの中に姿を消した直後。

「えっ!? 後輩!? 君が? あたしのっ!?」

 という嬉しそうな大声と

「な、なによー!? ていうか先輩の胸元をジロジロ見るんじゃないっ!!」

 という照れくさそうな怒鳴り声と照れ隠しにしては激しすぎる人体殴打音が地下へと向かう扉の向こうに響き渡った。

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