善神と邪神が現れた!

九条空

おおかみおとこ

 ある日突然の話だった。


 世界に、二人の神様が現れた。


 ブッタやキリストではない。

 国境や宗教を越えて、「確実にいる」と地球上の8割がそれを信じた。


 私も、善神と邪神の存在を信じた一人だ。

 どうにもその二人の神様は仲が悪く、喧嘩をしているようなのだ。

 わたしたちはその二人の神様を、善神と邪神、と呼んでいる。


 善神と邪神が私たちの前に直接姿を現したことは一度もない。

 けれど、とてつもない力をもった何かがこの世界にいることは、誰でも知っている。


 何故なら、善神と邪神は喧嘩をしているからだ。人間を使って。


 祝福、というものがある。

 神に与えられた能力のことを、ここではそう呼ぶのだ。


 祝福は、わたしたち人間に、人知を超えた力を与えてくれる。

 例えば、水の中でも息ができる力だとか、火を操る力だとか。

 そういう力を、神はわたしたちに与えるのだ。限られた人間だけに。


 それは何故か?


 もちろん、喧嘩のためである。


 善神と邪神の喧嘩に、わたしたちは巻き込まれているのである。

 いわゆる、代理戦争というやつだ。


 善神は、わたしたち人間の味方だ。

 人間を助けようと、わたしたちに力を与えてくれる。


 邪神は、わたしたち人間の敵だ。

 人間を滅ぼそうと、わたしたちに呪いをかける。


 だから、祝福というものには二種類ある。

 ひとつは、善神からの祝福。わたしたちを助けてくれる。

 もうひとつは、邪神からの祝福。わたしたちを困らせる。


 と、いうのが世の通説である。

 そしてその通説にのっとるならば、私は善神と邪神から、一つずつ祝福をもらった、幸運かつ不幸な人間なのである。




 そこは森だった。

 一人の少女が所在無さげに立っている以外は、なんの変哲もない、ただの森だった。


 私はリンネという。姓はない。

 この現代社会で姓がないというのもなかなかどうしておかしなものだが、ないものはない。


 そしてまさしく、所在無さげに立っている少女というのが私である。

 何故所在がないのか。簡単だ。

 私は今迷子なのである。


「誰かいませんかー」


 かー。かー。

 やまびこのように響き渡る声。

 耳をすませても、返事らしいものは返ってこない。つまり無人。


「詰んだ!」


 膝から崩れ落ちても心配してくれる人間は誰もいない。


 どうしてこうなったのか。簡単である。

 祝福のせいだ。私は祝福を二つ持っている。


 今こうなっているのは、そのうちの一つ、祝福『神かくし』が原因である。


 これがまた非常に厄介で、どんなものかというと、「とばされる」のだ。

 場所指定、時間指定は一切なし。規則性もなければ、もちろん予告もない。

 TPOなどなんぼのものだと言わんばかりに、唐突にどこかに飛ばされる。


『神かくし』とはそういう祝福だ。


 ちなみに私はさっきまで、学校の自分のクラスで授業を受けていた。

 故に、手にシャーペンを持ったまま、学校指定の上靴で、こんなうっそうとしてサバイバリーな森の中にひとり佇んでいるというわけなのである。


 詰んだ。

 何度でも言おう。詰んだ。


「ま、しゃーない」


 私はすっくと立ち上がった。


 凹んでいた時間はおよそ一分。

 立ち直りが早いのが長所である。うだうだやっていても死ぬだけだ。

 十数年この祝福と付き合ってきて、私はそこそこ修羅場をくぐってきた。


 森がなんぼのもんじゃい!

 そんな、いきなり命を脅かされるような状況でもあるまいし!

 餓死する前に森を抜けて人里にでも行ければ生還できる。


「グルル……」


 突然聞こえた唸り声。


 どこか湿り気をおびたそれは、人間ものもではなさそうだった。

 そう、例えるならば、腹を空かせた獣の唸り声のような。


「フラグが立った!」


 私は一級フラグ建築士か!

 回収早すぎるよ! 超展開するアニメでももう少しタメ作るよ!


「ガウ!」


 一声高く吠えて、ソレは私にのしかかってきた。


「ぎゃん!」


 重さに耐え切れるわけもなく、地面に倒れふす。

 思わず目を閉じたが、生臭い息が顔にかかるのが否応なくわかった。


 心臓がせわしなく動いている。


 私の手には相変わらず握られたシャーペンしかない。

 これでこの大型獣を倒せとでもいうのか。金太郎でも無理だろう。

 こんなときに言う常套句がある。


「くっ……しかし私は嘘は言わない!」


 顔に獣のよだれであろう液体がぽたぽたと落ちてくるのも構わず、私は目を見開いて叫んだ。


「私は肥え太っておいしいぞ!」


 獣の唸り声がやんだ。

 普通の人ならば、食べられないように、私は美味しくないよ、というのかもしれない。


 しかし私は嘘は言わないのだ。


 平均体重には及ばないが、私はなかなか肥えている。

 そしてそこそこいいものを食べている。

 少なくとも、この森に住む動物よりはいい肉をしているだろう。まさに垂涎の獲物だ。


 しかし獣が唸るのをやめたのは何故だろう。

 ああそうか、獣だって唸りながら食事をするということもあるまい。


 短かった私の人生、さようなら。

 頭の中で十字をきったり念仏を唱えてみたりとしていたが、一向に食われる気配がなく、私は首を傾げた。


「ん?」

「ぐう……」


 私の上に乗っている獣は、妙に情けない唸り声をあげた。


 よく見ると、獣は犬のような顔をしていた。

 いや、もしかしたら狼かもしれない。

 野生の割には綺麗な毛並みをしていると感心していると、ぬばたまのような瞳と目があった。


 途端、私は理解した。


「君、元は人か」

「!?」


 獣は私の上から飛び退いた。


 私は体を起こすと、髪と服についた草を払う。

 その獣―――いや、狼は、こちらを警戒した様子で見つめている。


 私にはもうひとつ祝福がある。


『慧眼』、という。


 簡単に言ってしまえば、これは、他人の個人情報を勝手に見ることのできる能力だ。


 いや、正確には見ざるを得ないというのが正しい。

 私は、人と目があうと、その人の情報を知りたくなくても知ってしまうのだ。


 名前、性別、趣味、祝福の有無、果てには好みのタイプまで。

 いきなりそんな個人情報を知られては、相手はたまったものではないだろう。


 こちらとしても、不躾に相手の情報を無闇やたらと見たくはない。

 おかげさまで、私は人と視線を合わせないことが、きっと誰より上手くなった。


 ただし万能ではない。

 私のこの祝福は、「人間相手にしか発動しない」。

 であれば。この「種族:狼」とこの目に映る彼が、人間でないはずがないのだ。

 根拠? それはもちろん。


 神様の言うことは絶対に決まっている。


 私はなんとなく正座をした。

『慧眼』は、私の命を何度も救ってきた祝福だ。

 絶対の信頼をおいている。


 だから、狼くんを見るこの目に「殺意:なし」「殺人経験:なし」と映る限り、私は彼を恐れはしない。

 いやまあ反射でびびるかもしれないけども。


「君も祝福を受けているんだね」

「……がう」


 狼くんは、肯定するように鳴いた。

 動物に関わる祝福というのは、珍しいものではない。


 例えば、チーターのような瞬足を得たり。あるいは、ワニのような顎の力を得たり。

 はたまた、体の一部が獣に変わるという祝福もある。


 私の目には、彼の祝福は『人狼化』と見える。なるほど人狼。

 しかし私の『慧眼』には「種族:狼」としか映らないので、多分、「種族:人」にもなれるのだろう。

 そうでなければ人狼とは言えない、はずだ。


「狼くん。この森に住んでいるのかい?」

「がう」

「食べ物は狩りで?」

「がう」

「生まれたときから、ここにいるの?」

「がうう!」


 多分、最後は否定の唸りだろう。


「人にはなれないの?」

「……がう」


 多分、なれないのだろう。そんな気はした。


 祝福は、生まれたときから持っているわけではない。

 祝福を授かる年齢は人によってまちまちだ。


 むしろ、一生祝福を得ない人の方が多い。

 そしてまた、祝福というのは、洗練することができる。


 神が与えた条件を満たせば、祝福は力を増し、より強大な力となるのだ。

 しかし、その条件は分からない。

 あの時の腕立て伏せが良かったのか、それともあのとき老人を助けたのが良かったのか。


 ただ、きっと善神様が与えてくださった祝福ならば善行が条件なのだろうと当たりをつけ、日々善く暮らすのが関の山である。


 そう、普通ならば。

 私の『慧眼』は、その条件を見ることができる。


 とはいっても、そのことは誰にも話したことがない。

 偉い人にバレたら軟禁されてただの検査の機械にでもされそうだからだ。


 もちろん、祝福をもつ誰かに「君の祝福はなになにをすれば洗練されるよ」なんて言ったこともない。言う気もない。

 しかし今は別だった。


「ねえ、人に戻りたいかい」

「!?」


 戸惑う狼くんを、私はただ見つめた。

 彼は、大きくなってから祝福を与えられたタイプだ。


 私の『慧眼』でそれがわかる。わかってしまう。

 彼の生い立ちまで、私には見えてしまう。

 祝福で狼になって、そのせいで村から追い出されてこの森で暮らしている、と。


「グルル……」


 野生の獣ではありえない人間のような反応をする彼は、きっとコミュニケーションに飢えていた。


「近づいてもいいかな」

「……」


 無言は肯定と受け取ることにして、私は狼くんに接近した。

 黒々とした目を見つめながら、『慧眼』にうつる情報を流し読みした。


『人狼化』。段階は1。

 つまり、一度も洗練がされたことのない、初期の祝福ということだ。


 だからきっと、条件を満たし、段階を上げれば、彼は人の姿になれるはずだ。

 いくつ段階を上げればいいのかは分からないけれど。


『慧眼』で見る限り、少なくとも 最初の洗練は私が手伝える。そして、私はもう手伝うと勝手に決めた。


 条件は、「抱きしめられること」。


「てやっ」

「がう!?」


 私は狼くんに飛びかかった。毛並みがもふもふと気持ちいい。

 動揺を見せるものの、狼くんは大して抵抗しなかった。


 こちらを傷つけることを恐れているのだろうか。優しい肉食獣もいたものである。

 ただ戸惑うだけの狼くんの様子を見るに、まだ人にはなれないらしい。なるほど。


 私は『慧眼』で、もう一度彼の祝福を洗練するための条件を見た。

 祝福、人狼化。段階は2。

 洗練の条件は、「名前を呼ばれること」。

『慧眼』は個人情報を読み取る。

 生年月日、性別、住所、もちろん、名前もだ。


「ラルフ」

「ぐぅ!?」


 抱きしめられて、名前を呼ばれる。


 彼は、たったそれだけのことを、これまで経験せずに過ごしてきたのだ。


 彼は、まだ祝福を得る前、家族かそれに近い人と暮らしていた。

 祝福を得たとき、その家族は、彼のそばにいた。


 しかし彼は今森にいる。家族はいない。

 狼になってからは、一度も抱きしめられず。一度も名前を呼ばれず。

 彼は一人でここにいる。


「……お、れは……」


 いつの間にか、抱きしめていた獣がとても大きくなっていた。

 唸り声のようなものが上から降ってきたので見上げると、そこには「種族:人狼」の、狼顔のラルフくんがいるのである。


 人狼。

 まさしく、人間の体に、狼の頭が乗ったような姿である。


 というかでかい。二mはゆうにありそうだ。

 私は眉を寄せた。人狼は人じゃないぞ。

 リベンジだ。狼の瞳をまた見つめて、そしてにんまり笑った。

 祝福、人狼化。段階は3。


「ラルフ。私と友達になろうか」


 映し出された条件は、「友達をつくること」。

 彼が悪い奴じゃないというのは分かる。気が合いそうな気もする。

 こういうのはフィーリングが大事なのだ。


 友達になれるかも、と思ったらなれるのだ。だから私にためらいはなかった。

 返事を聞く前に、彼は縮んだ。縮んだとは言っても、私よりはでかい。

 180はありそうな、黒髪の、なかなか端正な顔をした青年が、私の腕の中にいた。

 いやどちらかといえば、私が彼の腕の中にいた。いつのまに抱きしめ返したんだこいつ。


「もどっ……た……」

「……ちょ、くるしい」


 嬉しいのは分かるが力の加減をしてくれないと、私がその喜びを分かち合う前に潰れて死んでしまう。

 必死のギブアップアピールが通じたのだろうか。狼君は私を抱きしめることはやめなかったが、力を緩めてくれた。


「……なまえ」

「ん?」

「……なまえ、おし、えて」


 もうずっと言葉を発していなかったからか、かなりぎこちない口調だったが、何を言っているかはわかった。


「あー、そうだね。友達なのに名前を知らないのもおかしいや」

「……ともだち……か」


 彼があまりにも、噛みしめるように言うので、私は少し恥ずかしくなった。

 いや、いいんだけどね、友達だからね、事実だからね。


「リンネだよ。姓はない。えーっと、君のことは、何と呼べばいいだろう。ラルフさん? くん? それとも先輩?」


 最初に目があった時点で知っていたことだったが、彼は18歳で、私よりも年上なのである。

 狼の姿では年上だから敬わないと、という気持ちはわかなかったが、人の姿となるとやはり別だ。

 とか言う割に、敬語も使っていないのだが。

 なんというか、ハグしながら敬語という感じでもないだろう。


「ラルフ」

「ん?」

「ラルフ……と、よんで」

「ラルフ?」

「そ」

「ラルフ」


 呼ぶと、ラルフは鋭い犬歯を見せながら、にんまりと笑った。

 一瞬食われるんじゃないかとびびったのは内緒だ。


「……リンネ」

「ん?」

「リンネ」

「なーに? ってなんだこれ?」


 恋人か。名前を呼び合ってイチャイチャする恋人か。

 ラルフの腕から抜け出すと、やたら名残惜しい目で見つめられたが、すっと目線をそらした。


 もうラルフの個人情報を見たくはない。

 必要に迫られていない時に無闇に使う祝福ではないのだ。


「あー、ところでラルフ。私がなんで君の名前を知っていたかとか、なんで人に戻せたんだとか、そういったことは誰にも言わないで欲しいんだけど」

「わかった」


 マジかよ。即答かよ。

 私は思わずラルフの目を覗き込んでしまった。


『慧眼』は、彼の言葉が嘘ではないと教えてくれた。

 マジかよ、大丈夫かよ。

 逆に素直すぎて心配だよ。


 いくら友達ができて嬉しいからってなんでも言うこと聞いちゃダメだぞ。

 そんなことより、さて、どうやってこの森を抜けるか。

 というか、ここ、どこだろうね。

 私の学校は……せめて同じ大陸にあって欲しいのだが。


「私は学校に帰るけど、ラルフはどうする?」

「いっしょいく」


 即答である。森に未練はないのか。……ないだろうな。

 なにせこの森、ぼーっと突っ立ってるだけで獣に襲われる危険な場所なのだ。

 牙を持つ肉食獣のくせに獲物を絞め殺そうとする恐ろしい獣がでるのだ。

 いやーここに住むのはやめといたほうがいい。ここは人間の場所じゃないね。うんうん。


「じゃあ、ともかく人里を目指そうか。そこまでいけば私がなんとかできると思うよ」

「……じゃ、こっち」

「おおー、頼りになるなー」


 ともかく、これで私は神様公認の友達を手に入れたのであった。やったね。

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