秋
【7】
ますます授業を聞かない日々が始まった。取りつかれたように、というけれど、私は確実に取りつかれていた。季節が過ぎていった。
私は、新しくならなければいけなかった。
びっくりした。朝起きると、父さんが台所に立っていた。
「おお、佳乃子おはよう」
「おはよう。どうしたの?」
「どうしたとは何だ。お前、今日大会だろ」
「そうだけど……帰ってきたのも知らなかった」
「昨日幹太に頼まれて。代わりに送り出してやってほしいって」
ここ数日、兄さんは口数が少なかった。将棋のことはまったく言わなかった。だから今、すごいびっくりしている。
「兄さん……他には何か?」
「ああ、なんか変なこと言ってたな。四間飛車をよろしくな、とか。何のことだ?」
「……頑張れってことだと思う」
食卓にピザトーストが並べられた。昔から変わらない、父さんにできる精一杯の朝食だ。父さんはアイスコーヒー、私はハーブティー。
「でも、まさか佳乃子がこんなに夢中になるなんてな」
「将棋?」
「ああ。お前、勝負事苦手だったもん。集中力ないし。勉強も嫌いだったしなー。それは今もか」
「ひどい。でもね……私もなんで続けてきたかは、よくわからない」
「なあ」
休日の朝はいつも三人で、他愛もないことを話していた。兄さんが入院して、父さんが忙しくなって、私たちはバラバラになった。この生活もあと少し、最初はそんな気持ちで頑張っていた。けれどもだんだん、いつ終わるのかわからないんだ、これが日常になるんだ、とわかってきた。
父さんと二人、こうして朝食を食べるだけの非日常。どう受け止めていいのかわからないけれど、今私たちにできる精一杯の幸福なのかもしれない。
二つ空いた席。大昔にはそれらがすべて埋まっていて、少し前までは右隣が埋まっていた。例えば兄さんや私が大学に行って、ここから誰もいなくなってしまうなんてこともあるかもしれない。家族って、変わっていくんだ、なんて思う。
「どんな結果でも、帰りに寄って幹太に知らせてやってくれよ。気にしてると思うから」
「わかった」
もし元気ならば、今日は兄さんにとって最後の大会になるはずだった。悔しい気持ちもあるだろうけど、私を応援しているのも確かだ。
「まあ……父さんも、負けるよりは勝つ方がいいと思うぞ。頑張れ」
「うん」
食事が終わった。おいしくはなかったけれど、体に染み込んでいくのがわかる。
「じゃあ……父さんはちょっと寝る」
今日は休むと決めたのだろうか。それとも、料理で力尽きたのだろうか。父さんはひらひらと手を振りながら、リビングを出ていった。
一人残されて、実感する。広い部屋に一人はさびしい。仕事場の父さんも、病室の兄さんもそれを感じていることだろう。そういえば、将棋を指しているときはさびしさを感じない。対局相手だけではなく、それ以外の人々の温かさも感じる気がする。
私も自分の部屋に戻り、支度を整える。ボアワンピを着て、髪を結んだ。鏡の中には、とてもすっきりした顔の女の子がいる。
「行ってきます」
小さく、つぶやいた。
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