【4】
ついにこの日がやってきた。
春の大会、個人戦。連休の前半、病院に行く以外はひたすら将棋をしていた。女子高生としてはなんとも不健康な過ごし方だったけれど、後悔はない。これが私の青春だ。
この会場に来るのも二回目。昨年は兄さんと二人で来たけれど、今年は一人。うちの高校には将棋部がなくて、私たち以外には熱心に取り組んでいる子もいない。完全アウェーだ。
「あ、佳乃子ちゃん」
と思ったら、知り合いがいた。馴れ馴れしく名前を呼ばれて、ちょっとびっくりした。
「あ、貴島」
同学年と知った以上、こちらも下手に出るわけにはいかない。
「いやあ、場所がわかんなくて迷った迷った。駅からこんなに歩くなんて」
「確かにここ、わかりにくいかも」
「思ったより人数多いんだね」
「そう?」
何となく和やかな会話になってしまった。きっとこの人には緊張感を盗む能力がある。
「まあ、何人いても全部勝てばいいんだけどね」
そう言うと貴島は、手を振りながらどこかに行ってしまった。まったくなんという人だろうか。自分が負けることなんて、ちっとも考えていないに違いない。
集まっている人々の様子は様々だ。とりあえず参加してみるかという人もいれば、団体戦でエネルギーを使い果たしてしまったかのような人もいる。ただ、私のように個人戦だけに賭けて、気合十分の人ももちろんいる、はず。
女子は私一人。だけど、もう慣れた。将棋というのはそういう世界だと割り切っている。ただ、相手の方はやはり意識するようで、負けたくない思いが強くなっているように見える。まあ、気持ちはわかる。
挨拶やらなんやらが終わり、いよいよトーナメント開始。午前に二回戦まで行われ、勝ち残った八人で再び抽選というシステムだ。どのパートもだいたい三人で、私はEパート。シードになることはできなかった。
相手は知らない人で、外見はひょろひょろとしていて、やたらときょろきょろしている。一年生で初めての参加に戸惑っているのかもしれない。
「あ、あの」
「はい」
「時計使うの初めてで……」
大会ではデジタルの対局時計を使用する。設定はすでに済まされているが、確かに初めてではどう扱っていいのかわからないだろう。
「えっと、指したらその手で押して、10分まではどんどん時間が減っていくの。で、10分過ぎたら一手30秒で、20秒になったら声が出て1、2、って言いだして、10まで読まれたら時間切れ負け」
「あ、ありがとうございます」
本当に分かったかは疑わしいけど、それはもう私のせいではない。慣れないうちは切れ負けなど結構してしまうのだが、それもまた勝負の要素。
「私が振るよ?」
「え、あ、はい」
と金が五枚。私の後手になった。
相手は飛車を三間に振ってきた。この場合はさすがに四間飛車にはしない。向かい飛車にして、じっくりと駒組みをしよう……と思ったけれど、序盤で隙ができたのでゆさぶりをかける。と、動揺したのか相手は時計を押し忘れた。指摘はしなかった。そして、指し手はもっと乱れた。一気に食い破り、そのまま勝ちきってしまった。
「負けました……」
「ありがとうございました」
茫然、と言った感じだった。昔の自分も、こんな風だったかもしれない。悔しさとかではなくて、何が起こったのか、何が違うのかまったくわからないのだ。
何かのきっかけで、強くなろうと思い始める。彼にもそんな時が訪れればいいけれど。
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