ボス戦

 大魔王メチャワルーイヨの恐怖は、当時支配下にあった人間にしか分からない。

 あの恐るべき化け物は、進んで侵攻をせず、月々僅かな貢ぎ物を献上していれば(二ヶ月待ってくれる)無害な存在であった。支配地を出るときは書類の提出が必要だったが、簡素な手続きで誰も不満には思わなかった。しかし、その大人しさに油断して刃を向けたとき、大魔王はその肩書きを思い出させる。

 始まりは、隣国からの奇襲だった。夜明け、あまりにも突然の大砲。それが大魔王の城に打ち込まれたのだ。国が壊滅するまで日没を待たなかった。あの矛先が自分達に向いたらと思うと、ぞっとする。


 ある日、恐怖にかられた男が大魔王の国から逃走した。

 国境を越えて五分、その身は大魔王城から放たれた火柱で消滅した。


 理解した。これが、大魔王。

 人々はようやく理解した。あれは外敵から身を守ってくれる王ではない。自分等を飼い殺しにして、敵を容赦なく蒸発させる大魔王なのだと。しかし、支配に抗うことの愚かさは身に染みている。結局、数十年人民は緩やかに大魔王に支配されていった。

 世代が変わって恐怖が薄れた。ムケツという若者だけではない。大魔王の緩やかな支配に反抗する反抗期の若者たち。彼らは侮蔑と怒りを以て『冒険者たちフールフール』と罵倒されていた。


 大人と子供の争い。

 そんな不毛な内乱は、ある流星群の一夜に終結した。


 けんかはよくないから。

 後に大魔王はそう語ったという。大人も子供も関係ない。圧倒的な落雷が全てをねじ伏せた。大魔王を討伐しよう。生き残った人民はついに声を揃えた。それから五年、大魔王メチャワルーイヨは勇者ムケツ=カンゼンとその仲間たちに討伐された、と記録されている。その後色々あってムケツは国を飛び出した。書類はもちろん提出していない。

 大魔王について、彼はこう言っていた。



「名前ほど、悪い奴じゃなかった……良い奴では絶対にないけど」




――――


――




「イヨ様」

「……うん」


 薄目を開けていた大魔王は、寝ていないよ、とアピールする。大魔王メチャワルーイヨ。暴君は生きていた。ひっそりとこの遺跡の奥に座している。線の薄い、白髪の女。赤、黄、青のペンキをぶちかましたようなドきついローブで全身を覆っている。頭に被る三角帽が傾き、頂点にくくりつけられた鈴がちりんと鳴った。


「むけつが、くる」

「はい。この遺跡に侵入したところを確認しております。しかし、イヨ様の膨大な魔力を覆い隠すため、この遺跡には大量のキャンセラーを配置しております。如何にあの男といえ、追跡は不可能……ご容赦を」

「いい。まつ」


 玉座の上で、大魔王がぎょろりと紅い双眸を動かした。大魔王の配下を、側に控える側近以外を、全て屠った男。あの勇者はとにかく特別スペシャルだった。警戒か。恨みか。怒りか。しかし、そのどれでもない高揚が大魔王の頬を染め上げる。


「むけつ、ふふ、はやくきて」


 あの燃え盛る死闘が忘れられない。実は、勇者ムケツは大魔王メチャワルーイヨに敗北していたのだ。泣いて土下座して、そうして見出だした一瞬の隙に決死の一撃でとにかく遠くまで吹っ飛ばしただけなのだ。それでも、大魔王を本気にさせた実力は本物だった。その男が、今ここに向かっている。流石に自分が待っているとまでは分からないだろう。それでも驚いてくれるかな、とイヨは口角を僅かに上げた。頬が紅潮する。心臓が脈打つのが感じられた。この古びた遺跡は、大魔王が所持していた大迷宮に比べればあまり大きくないものだった。そういえば、あの闇の大神殿もムケツ一味に破壊されたんだっけ。と、大魔王は思いを過去に飛ばす。数時間もしないうちにあの男はここに辿り着く。その時、本当の決着をつけるのだ。


「あのー、イヨ様ー……そろそろランチにしません?」

「だめ。むけつがきたとき、ごはんちゅうだったらしつれい」

「あー、じゃあ私はお先にいた「は?」


 側近がびくりと直立不動の姿勢をとった。小柄な、ふわふわ栗毛の少女といった風貌だった。魔法を使えば天下無敵、四天王を従える司令塔であったが、ここまで圧倒的な暴力の前には形無しだった。彼女だけが知っている事実。あの大魔王に挑んで生き残ったのは、側近ことキンキンと、件の勇者ムケツだけである。


「きみ、おそばやくでしょ。ここにいないと、だめ」

「……あ、はい」


 かつては大魔導師として名を馳せていたキンキンも、いまや腹の虫を鳴らして項垂れるだけである。世の中、世知辛い。



――――それから、三日が経過した。



「イヨ様イヨ様! もういいでしょあいつ来ませんって!」


 泣きながら乱狂するキンキン。汗と埃でべたべたした肌に唾を擦り付け、空腹にぐったりしながらも壁を舐めて乾きを凌ぐ。何も入れなくても出ていくものはあるらしい。下半身を膝掛けでぐるりと隠しただけのキンキンの向こう側には、投げ捨てられて久しい着衣のあれこれが落ちている。


「くる」

「その根拠はどこにッ!?」


 この三日間、飲まず食わず眠らずで二人は消耗し尽くしていた。玉座でエコノミー症候群と戦う大魔王は、白磁のような両足をすりすり擦らせている。


「ほらほらぁ! イヨ様だってもう限界でしょ! 大魔王の膀胱だって無限じゃないですぅぅっってばあ! そんなに我慢してたらお便秘悪化しちゃいますよぉーだ!! ああお腹すいた喉乾いた疲れた疲れた――ぁ!!」

「お前今すぐ黙れや次垂れ流したらマジ消し炭にすっからないいから俺様に黙って従ってろよぶっ潰すぞ」

「…………………………」


 キンキン、静かに落涙。ドスのきいた大魔王の声にがたがた震えが止まらない。しかし、このまま無茶を重ねられないのも事実。懲りないキンキンは口を開いた。


「……イヨ様、私もう無理です」

「……くるっ」


 遺跡が震えた。一瞬地震かと思ったが、そう単純ではなさそうだ。この異常なまでの振動。そして、大量のキャンセラーでも覆い隠せない膨大な魔力の奔流。間違いない。キンキンでもそう確信した。勇者ムケツである。しかも先だって戦ったときよりもパワーアップしている。

 今の状態で、勝てるだろうか。

 キンキンは冷静に打算を働かせる。口では強がっていても大魔王はかなり消耗している。あの時もギリギリの勝利だった。であれば、今回は本当に。古びた遺跡に亀裂が走った。危機感が爆発する。というか、これは。


「イヨ様逃げましょってえええ!! 遺跡崩れるってばああああ!!」

「だめ。今こそ決着だ――ムケツ!!」

「もうやだああ! 私イヨ様の側近やめます! 実家に帰らせていただきます!」


 ついに走り出したキンキン。大魔王の首の後ろから、まるで大蛇のような腕が伸びてその首根っこをふん掴まえた。


「だめ。たいしょくとどけは、いっかげつまえまでにださないと」

「ま゛お゛お゛お゛さ゛ま゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――!!!!」


 臨戦体勢をとる大魔王と、泣き叫ぶその側近。

 二人は哀れ奈落に真っ逆さま。瓦礫の雪崩に仲良く潰された。




――ボスを倒した!

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